006:溝鼠との遭遇
金樹海はその無作為転移という性質上、およそ人の住めるような環境ではない。
ガリバ族のように、ゲーム時に拠点を設置するというシステムに組み込む形で住処を構えるならばともかく、そうでないならば無限ともいえる転移阻害のアイテムを無限に持つ以外に生活を可能とする方法はないだろう。
しかしながら生物が存在しないというわけではない。
草木は当然の事ながら生える場所が変化するということはないし、そこに棲まう虫や鳥獣の類も金樹海の影響を受けるという事はなかった。
これは金樹海が及ぼす影響が人種にしか及ばないからか、あるいは金樹海に元々棲まう生物が特別なのか。何にせよ今後研究を進めていくしか判明する事はない。だが分かりきった事が一つ。
毎朝変わらない時刻に鳥が鳴く。
耳に響くのは泉宗吾にも耳馴染みのある鳴き声である。鶏だ。
厳密に言うと「鶏のようなもの」なのだが、概ね鶏であると判断して問題ないだろう。というのも、その声量が日本で知るそれよりも遥かに大きいのだ。
泉宗吾の知るそれは長閑な朝を連想させるのだが、金樹海中に響くそれは誇張して比喩すれば地鳴り。誇張せずとも何十羽もの鶏が一斉に鳴いたかのような巨大さを誇っていた。
「ったく、朝を知らせる声でないならとんだ近所迷惑だな」
ジンジンと未だ響く耳を抑えながら、デレピグレオは愚痴を零す。
あまり朝は強い方ではない。低血圧だからか倦怠感が酷く、瞼は開けど身体はまだ眠いんだと訴えかける。先日のリデスカーザとの一戦で受けたダメージは既に癒えているものの、精神にかかった負荷までは別というところか。
油断して睡魔に落とされないよう、目覚まし代わりにぐぐっと背を伸ばした。
「じゃあ俺たちはお先だな。フィットマン、後は任せたぞ」
朝っぱらから見送りへと赴いてくれたフィットマンを労いながら、軽く手を振る。
「ああ。心得た。族長殿とヌッヌウも気をつけてな」
「おう。じゃあヌッヌウ、準備はいいか?」
「ばれぇ……らァ」
「よし、なら行くか」
デレピグレオが集落の木門に手を伸ばす。
閂はすでに外してあるのであとは押すだけで簡単に門は開くだろう。だがこの門は外部からの敵の侵入を防ぐ構造上、その扉は厚く、何より巨大だ。集落を一周する木壁同等の高さもあるので、屈強な男が数人で押し開けようとしてもかなりの重量を感じるはずだ。
しかしデレピグレオはその重さを感じさせることもなく片手で簡単に開いてしまう。もちろん左右に開く門は腕の長さが足りないことから全開することはなかったが、人一人通れるだけの道は十分に開けられた。
まるで部屋を自然と渡り歩くかのようにデレピグレオ、後に続いてヌッヌウが集落の外へと移動する。
集落の外は生い茂った木々が果てしなく視界を覆い尽くした緑の世界。
その景色が早々に姿を変える。
「おお……出て十秒もしない内に転移とか最短記録だな。ヌッヌウ、ちゃんといるか?」
「めぁア」
『♠︎』の印が押された唯一の腕を挙げて、デレピグレオの言葉に応える。
「よし。ちゃんと『仲間の印』の効果は働いているようだな。
ならお次はっと……」
腰にぶら下げた小さな布袋から若菜色をした木の実を取り出すと、無造作にそれを地面へと落とす。
そして唐突に膝を上げると、落とした木の実目掛けて足を踏み下ろした。
案の定、木の実は乾いた短い音を立てた割れてしまう。すると割れた木の実の中からは同じく若菜色をした煙が勢い良く噴出され、瞬く間にデレピグレオとヌッヌウの二人の姿を包み込む。
だが二人にそれを拒む様子はない。むしろその煙に身を任せるといった様子で瞼を閉じた。
そして一呼吸置いて目を開けた時には、全くの別世界がデレピグレオの双眸に広がっていた。
地平線を覗くことも出来なかった数多の木々の姿はどこにも無く、打って変わったかのように見晴らしの良い草原が最初に映った風景だ。
金樹海の様に天然100%ではなく、馬車の通り道が三方へと伸びており、振り返れば先程までいた金樹海へと続く坂道も確認出来た。
「よし。この分なら皆の探索時にもトラブルは起こらないだろう」
ゲームの時同様にアイテムが問題無く機能したことに安心する。もしこれでアイテムの効果が正常に発揮されなければ今回の探索計画を変更しなければならないところだ。金樹海の探索チームよりも早く出立したのは、こういった安全を確かめる狙いもあってのこと。
デレピグレオはまた道具袋の中から小さな鈴を取り出すと、チリンと一振り音を鳴らす。
『風雅の音色』――特定の相手に自分の所在地を知らせるアイテムである。
「フィットマンへの連絡も済んだ。さて、まずは王都ベルンシュタインへと向かうか」
南西へと続く道に体を向け、デレピグレオは颯爽と歩き出す。
ベルンシュタイン王国領を選んだのには理由があった。というよりも最も距離的に近い場所にある防衛都市ハッタンへ向かわなかった理由と言った方が正しいのだろうが。
その最も大きな理由の一つが差別問題である。
プリミティブという種族の特徴の一つであるが、彼らは自分達の生活範囲を守りその内側でしか動く事はなく、そこを出て狩りや生活範囲を広げるという事は滅多にない。それこそ地殻変動や天変地異でも起こらない限りだ。
ただ自分達の住まう領域を広げる事はないものの、自分達の生活範囲を脅かそうとする者に対しては一切の容赦がない。それが迷える子羊であったとしても対話の余地なく襲われてしまう。それこそ彼らを蛮族と揶揄する一つの起因なのだろう。
故にヒューマンの中には、対話する事も叶わない蛮族を動物の類として差別する者が存在する。そしてその影響を大きく受けているのが帝国であり、ザナドゥ帝国ではプリミティブの奴隷が当たり前のように存在していた。
つまりザナドゥ帝国領へ向かうなどという選択肢は最初から存在していないのだ。
一方で王国のプリミティブに対する見方はというとその逆で、かなり友好的であると表現しても良いだろう。王国は人種差別が殆ど無く、彼らと共生していきたいと願う者たちは数多い。元々選択肢は一択であったのだ。
だがこれらはあくまでもゲーム時における運営の公式設定。全てがそのままであると言い切る事は出来ないが、その他諸々の設定が生きていた以上、可能性としては高いはずだ。
一応万が一に備えて、ヌッヌウと逃走の算段を相談しながら目的地へと向かった。
太陽が最も高い位置へと昇った頃、二人はようやく目的地を肉眼で確認する事が出来た。
高く天を突くようにして聳え立つ巨大な城。それを中心に王都は円形に広がっており、円周には堅固な石壁が築かれていた。国の輪郭を描くようにして囲む水路と隣接する草木が王国を色豊かに添えており、快晴という天気にも恵まれた結果、水面できらきらと反射した太陽の光が恍惚と王都の姿を照らしている。
実に美しい。
年中ジメジメとした森の中に住まう者として、デレピグレオは少しだけ嫉妬してしまう。
(元の集落があった場所はここに劣らず綺麗なところだったんだけどな……)
古き良き思い出に悲壮感を抱きながらも、目的地を前に歩幅が大きくなる。
「おい、そこの。止まれ」
門番だ。
王都へと入場する橋の手前で二人は呼び止められる。
「随分と変な格好をしているが……よもや山賊じゃあるまいな?」
「格好……?」
デレピグレオは視線を下げ、自分の姿を客観的に確認する。
毛皮や骨で織り成された文明人らしくない衣服。背中には護身用の棍棒。
ヌッヌウも似たような格好ではあるが、隻腕と隻眼は色褪せたローブと白い包帯でそれぞれ隠されている。
確かに怪しいと見られても仕方ない格好だ。
とはいってもプリミティブ達からすれば自然な姿であるはずなのだが。
「いやいや。違いますって、旦那」
「ほう。ならば何かの仮装か? 残念ながら仮装大会はまだずっと先だぞ?」
「別にそういう訳でもないですよ。俺たちはこれが日常の格好ですし」
「おいおい。どんな時代錯誤な格好だよ」
もう一人いた門番も呆れた様子で突っ込む。
「まあいい。それで、ここへ来た目的は?」
「ただの観光ですよ。久々に来たんで王都の様子をぶらっと見て回ろうかなと」
「観光、と。まあいいだろう。では通行証を出してくれ」
「通行証?」
「……おいおい。まさか無いのか?」
「いや、無い……っていうか、元々通行証とか必要としてましたっけ?」
デレピグレオは「あれー?」と首を傾げながら門番に尋ねる。ゲーム時の記憶が正しければ王都だけでなく、全ての町村への入場に通行証など必要としていなかったはずだ。いつから必要となったのだろうか?
「知らんのか? 今の王国は帝国と緊張状態にある。もっとわかりやすく言えば戦争勃発数歩手前と言ったところか。故に王都への入退場には厳しく審査せねばならなくてな。お前達のような不審な輩を入れるわけにはいかんのだ」
「戦争って――まじかよ……」
不穏な語句につーっと汗が頰を撫でる。
戦争などゲームや歴史の教科書の上でしか理解していない。
それこそゲームであればワクワクしたような単語も、現実にそれを聞くのとではまるで生じる感情が違っていた。
我が身の事ではないはずなのに、体温が徐々に冷えていくのを感じる。
「驚いた。本当に知らんのだな。まあそんな訳だから通行証を持っていない者を通すわけにはいかんのだ。どこから来たかは知らんがすまないな」
「……いや。それが旦那達の仕事だろ。気にしないでくれ」
そう言ってデレピグレオは踵を返す。
「ダォぃるぐぅ……ェ?」
「ああ、心配するな。正面からは入れないってだけで、入口は他にもある。俺の記憶違いでなければな」
王都の周囲をぐるっと回るようにして、デレピグレオが歩き出す。ちょうど門番の姿が視界に映らなくなった位置だ。そこで水路を覗き込む。
「あったあった。ここだ」
そう口にしたデレピグレオの視線の先にあったのは、水面よりも少し上の位置にある石垣だ。一見何の変哲もないので、ヌッヌウはデレピグレオが何を見てそう口にしているかすぐには分からずに首を傾げる。
だがよく目を凝らすと、僅かだが他の石垣との間の隙間が他より広くなっていることに気付いた。目を凝らしてやっとなので、デレピグレオがヒントを口にしていなければ気付くことはなかっただろう。
「気付いたか? 実はここ、隠し扉になっていてな。地下を通って王都に忍び込む事が出来るんだ」
「はぁメるぅ……じ、ぇぇじだ?」
「かなり前だが、イベント――頼み事をされてこの道を教わったんだ。しかし以前使った時よりも全体的に色褪せているように見えるんだが……あれ以降あまり使われていなかったのか? まあいい。いくとするか。
え〜っと、たしか『溝鼠の招待状を持参せり』で合ってたよな?」
ガチャ。
石垣の奥で鍵が開く音が鳴った直後、石同士が擦り合いを奏でて扉が開かれる。石垣を重ねた造りの扉なので形としては酷く歪だが、それ故に隠し扉として機能するといったところか。決して大きくはないが、人が屈んで倒れる程度には空いている。
合言葉がちゃんと機能した事に安心すると、デレピグレオはひょいと穴の中へ跳び下りた。
「よし。ヌッヌウも俺に続け」
「ロゥレぁ」
「よし。ならいくか。『我影に潜みし者なり』」
デレピグレオがそう唱えると、隠し扉が陽の光を遮り始める。完全に日光を遮断した時には暗闇の中――とはならず、直後に壁燭台の松明がひとりでに火を灯す。それらは二人の行き先を案内するかのよう奥へと続いていき、通路はご丁寧に照らされた。
(ゲームだった頃は特に何も思わなかったけど、合言葉で扉が開閉したり自動で灯がつく道具ってスゲー格好良いな。王都に売ってたら欲しいところだ)
そんな事を考えながら先へと進む。
狭いのは入口付近だけであった。奥へ進むにつれて通路の幅も高さも広がりを見せ、今では二人並んでも大分余りある程に通路は大きくなっている。
途中で分岐点もあったが、デレピグレオは迷わずに道を選んで奥へと目指す。
「よし。ここだな」
隠し口より侵入して数分。デレピグレオたちは鉄製の扉の前へと辿り着く。今度はちゃんと取っ手のある普通の扉だ。デレピグレオは特に躊躇うこともなくその扉へと手をかける。
この先に待ち受けているのはこの地下道の中心部とも言える場所だ。ゲーム時には溝鼠と呼ばれる盗賊達のアジトだったが、もう随分と前にプレイヤー達の手で壊滅されている。ちなみにデレピグレオもそれに参加した一人だ。
以降、この場はプレイヤーが屯する場所と変化したらしいが、残念なことにデレピグレオはイベント以降一度も足を運んでいない。
僅かではあるが、扉の奥に自分と同じ境遇のプレイヤーがいるのではと期待しながら勢い良く扉を開ける。
「「「………………」」」
「…………」
なんか予想以上に沢山いた。小汚ささそうな男が何人も。
剣を磨いたり、酒を浴びたり、賭け事に没頭したりと、とにかく色々。だが賑やかしかったであろう雰囲気も開かれた扉の外へと流れ去る。
静まり返った空気。中にいた連中の視線が突然の訪問者へと集束する。
彼らの瞳が驚愕から困惑、困惑から敵意へと移るのが分かった。
「な、何者ッスか手前ら⁉︎」
「あー。お邪魔したようだな。謝るよ」
「んな事は聞いてねえッス! 誰だって聞いてんッスよ!」
ズイっと身を乗り出すように刃を突き立てながら連中の一人がデレピグレオとの距離を縮めていく。
「そんな威嚇しないでも答えるよ。俺はデレピグレオ。んでこっちはヌッヌウ。で、あんたらは?」
「うるせえッス! 質問するのはこっちッス」
「そりゃフェアじゃないだろ。確かに勝手に入って来たのは謝るが、ここは別に誰かの私有地ってわけじゃなかったはずだ。そうだな……強いて挙げるなら溝鼠のもんだったはずだが?」
戯けて紡ぐデレピグレオの言葉に、その場にいた全員の肩がピクリと反応する。
――殺意だ。
デレピグレオは肌を突くそれを確かに感じ取った。後ろに控えていたヌッヌウの表情もどこか険しい。デレピグレオと同じく敵意を感じ取ったからであろう。
両者の間に緊張が奔る。
(……あれ? 俺、なんか不味いこと言った?)
「あんさん、どこでその名ぁ知ったんや?」
すると、両者の間に生まれた緊張を解すようにして、一人の青年が進み出る。
無造作にあっちゃこっちゃへと跳ねた髪先を弄りながら、丸眼鏡の奥にある瞳がヌッヌウ、そしてデレピグレオへと向けられる。他の連中と違って敵意はまるで感じられない。ニコニコと唇を線のようにして微笑む様が逆に不気味であった。
「どこって……以前溝鼠のアジトを壊滅させた時だけど?」
「あっはっは! あんさん、冗談が下手なお人やなぁ」
「別に冗談でもないんだがな」
「ハハ。まあええわ。それで、ここへはどうやって入ったんや?」
「ここへ来た目的よりもここへ入った手段の方が大事なのか?」
青年は何も言わない。
デレピグレオは少しつまらなさそうにして返答する。
「……合言葉だ。というよりそれ以外にここへ入る手段は知らない」
「ほー?」
青年はそう言葉を落とすと、ちらりと周囲の面々を一瞥する。すると男達はぶんぶんと首を横に振り必至に何かを訴えるかのような表情を見せた。
それを確認した青年はそれ以上彼らに関心を抱くことはなかった。スゥっとデレピグレオへと視線が戻される。
「成る程。こりゃ失礼。あっしは現溝鼠のリーダーでマル・クラネシャスと申しやす」
「溝鼠のリーダー? おかしいな。俺の記憶では既に溝鼠は壊滅したはずなんだが?」
「あっはっは! たしかに、あんさんの言う通りや。けどそれは五百年も前の事やろ?」
「……ん?」
何か聞き捨てならない言葉に表情が固まる。
「待て。今『五百年も前の話』って言ったか?」
「せや。当時はお偉いさん方にも睨みを効かせてたらしいけど、五百年前の事件以来今じゃこの有様や。ま、五百年前とか生まれてへんかったし恨みなんかないけどな」
そうカラカラと笑う。
(まてまてまて。溝鼠って、あの盗賊集団の事で間違いないよな? でもあれは確かリアルで一年ぐらい前の事だったはずだぞ? それが五百年も前? ……どういうことだ?)
「おーい。あんさん?」
「え?」
「なんやぼーっと突っ立ってしもて?」
「いや……少し考え事だ。それで、何だ?」
「うわ。ホンマに人の話聞いてはらへんやん。しゃあない。もっかい聞くで?
あんさんらはここへは何しに来はったんや?」
「ああ、今度は理由か」
「せや。こちらとしては正直に答えてくれるとありがたいねんけど」
そう口にするマルの背後で、男達が各々武器を取る。理由の如何によっては襲いかかるつもりなのだろう。
デレピグレオはどう切り出すべきかと少し喉で言葉を止めるが、すぐに口を開く。
「それよりも先に質問させてもらう。お前達はプレイヤーか?」
耳慣れない言葉であった。
マルをはじめとして、溝鼠の面々は眉を顰める。
しかしデレピグレオにとってはそれだけで十分であった。
「ああ、もういい。それで、俺たちがここへ来た目的だったか?」
「ん? あぁ、せやな」
「単純な話さ。何でも今王都に入るのは通行証が必要らしくてな。生憎俺たちは持ち合わせていない。なので勝手知ったるこの地下道を使わせてもらおうと思ってな」
「はー、成る程。そこであっしらと出くわしたっちゅー事か」
「そうなるな。で、通してくれるのか?」
「別にかまへんで」
「ま、マルの兄貴⁉︎」
あっさりと許可を出すマルの言葉に、その部下達が仰天する。
「なんや? 何か問題あったか?」
「問題も何も、もしコイツが俺たちのアジトを吐いたらどうするつもりッスか⁉︎」
成る程。確かにその通りだ。
人差し指を向けて「コイツ」呼ばわりされるのは少々頭にくるものもあるが、懸念すべき尤もな理由である。
しかしマルはまるで意に介さない様子でデレピグレオの方を見る。
「……って部下が言うてるけど?」
「別に。言いふらす趣味はない。そもそも俺たちも不法侵入しようとする犯罪者だしな」
「やって」
「いやいやいや。俺たちのアジトの場所を話す代わりに不法侵入の罪を許してもらうような取引が行われるかもしれないじゃないッスか!」
「ああ、なるほど。その手もあるな」
こいつ中々頭が回るぞ。少し感心した。
「あかんやんけ、ミシルちゃん。相手にタダで知恵を売ってもたら」
「それには激しく同意するな」
知恵や情報は独占してナンボだ。特に自分以外の者全てが敵になり得る【2nd リアル】の世界ではその傾向が強い。
だからデレピグレオも金樹海にある拠点をフレンドの誰にも教えてこなかった。その結果としてただの一度も襲撃はなかったので、その選択は間違っていなかったはずだ。代償として孤独さはあったが。
「煩えッスよ! マルの兄貴、とっととこいつひっ捕まえて拷問した方が良いッスよ! コイツが話している事も本当の事かどうかも怪しいですし」
「はぁ……。すまんなぁ、あんさん。こいつかなり心配性な奴やさかい」
「別に構わねえよ。俺も逆の立場だとそいつと同じ事言っただろうし」
「おおきに。せや、詫びとして王都への通行証渡したるわ」
「ちょ、マルの兄貴⁉︎」
「おいおい、いいのか?」
「別にかまへんよ。ただ……せやな。もしタダが怖い言うんやったらお近付きの印にあんさんらの事少し教えてくれへんか?」
「……それだけでいいのか?」
デレピグレオからするとその提案は願ったり叶ったりだ。元々王都へ来た目的も情報収集の為。街中で情報を集めるのも構わないが、その地下に巣食う盗賊集団の方が耳寄りな情報を持ち合わせている可能性が高い。勿論それを提供してくれるかどうかは不明ではあるが、手間が省けるのは有難い。
「ええよ。ほな決まりやな。ほな立ち話もなんやし、あそこで話そか」
そう言うマルの指指す方にあったのは、遊戯に勤しんでいる男達が囲んでいた机であった。だがそれも束の間。
マルの言葉を皮切りに男達はさっさと机の上を片付けて席を外す。
「ほな座ってくれ。楽しいお喋りの時間や」
そう言いながらマルは先に腰掛け、二人に着席を促す。
「成る程。ここではあんたが絶対的支配者ってことで間違いはなさそうだな」
「そんな大層な言い方されると口淀んでまうけど、まあ、せやな。さっきも言ったけど溝鼠のリーダーやさかい」
「そういう事じゃないんだけとな……。まあいい」
デレピグレオがぽつりとそう呟くが、どうやらマルの耳には届いていなかったようだ。特に気にすることもなく、愉しげに身を乗り出した。
「あっしの事よりもあんさんらの事や。うちらのアジト横切ってまで王都の中に入ろうとしてたんや。なんや大層な目的があったんちゃうか?」
「いや、大層って程でもないな。単純に情報収集がしたかっただけだし」
「情報……てことは、あんさんら帝国の人間かいな?」
「なんでそうな……いや、たしか帝国とは一触即発の空気だったな。確かにそう考えるのが妥当か。だが一応否定しておこう」
「ふーん? そない珍しい格好してはるんやし、もしかしたら思たんやけどなぁ」
「それ、たしかここの門番にも言われたぞ。そんなに可笑しな格好か?」
「まぁ……ここいらでは見ぃひん格好やな。てことはあんさんら、王国でも帝国のもんでもないっちゅーことか?」
「そうなるな」
「ほほぉ、そら気になるなぁ。ちなみに……どこの人なんか聞いてもええ?」
さっきからズカズカと人の情報を聞き出そうとしてくるマルの大胆さには瞠目する。だが情報を聞き出そうとする魂胆が見え見えなのにも関わらず、不思議とデレピグレオに不快感はない。人柄というものなのか。
デレピグレオとしても特に秘密にする理由もないので軽く頷いた。逆にここから情報を聞き出す対価として前払いしておくのも悪くないだろう。
「ああ、構わない。俺たちはガリバ族。とある場所に住むプリミティブの集団だ。だからどこかの国に所属してるってことはないんだが――ってどうした?」
目の前でマルが口をあんぐりと大きく開けて固まっている。よく見れば他の連中も同様に目を丸くしていた。
「……あ、あっはっは! ほんまあんさんは冗談が下手なお人やで」
「いや、冗談じゃなく本気なんだが? てか俺たちの格好を見れば分かるだろ?」
正しい表現ではないかもしれないが、プリミティブとはヒューマンに進化しそこねた旧人類。その為着ている衣服も現代人とはまるで違い、動物の毛皮や骨等で織り成された衣類はヒューマンからすれば超前衛的だ。もちろん今でこそ一般のヒューマンが着ているような服装も真似出来るだろうが、ゲームだった頃は装備不可の為、ただの一度も現代人らしい服の袖を通した事などない。
顔や体型などの骨格についてはキャラメイクでいじることが可能なので見かけはプリミティブかどうかなど判断つかないだろうが、服を着れば一目瞭然である。
NPCですらプレイヤーの人種を判別出来ていたのだから、目の前にいる彼らが分からないはずもないだろう。まあNPCがプログラムに従っているだけと言えなくもないが。
だがマル達は未だに信じられないといった様子で呆然としている。だがその少し後に茫然とする事となったのはデレピグレオの方であった。そのきっかけともなる一言をマルが惜しげなく口にする。
「……いやいやいや、そら奇抜な格好してはるけど、プリミティブといえば約五百年前位に絶滅した種族やで?」
「………………は?」
無意識に発せられた一文字は、まさにデレピグレオの心境を体現していた。ゲームの世界に転移したという事実を除けば過去最大級の衝撃だ。
デレピグレオは暫し脳の活動が休止してしまうほどに頭の中が余計な思考で埋め尽くされてしまう。そして何とか落ち着きを取り払い搾り出した言葉は至って単純な――純粋な疑問であった。
「ま、まてまて。プリミティブが絶滅って……それは一体どこの情報だ?」
「どこもなにも百年以上も前から歴史本にも載っているような周知の事実やで? あんさん、ホンマに知らへんの?」
知らねえよ。
今はそう叫びたい気持ちでいっぱいだ。ヌッヌウが側にいなければ間違いなくそうしていただろう。
デレピグレオはヌッヌウの方をちらりと見る。その視線の意味を察してかヌッヌウは首を横に振った。
「一応確認するが……それは事実なのか?」
「こんなすぐバレるような嘘つかへんよ。何やったら王都でも調べてみぃ」
「いや、信じたくないし信じられないが信じるしかないんだろうな」
自信満々に言い放つマルの言葉に、デレピグレオは項垂れるしかなかった。
門番の反応や目の前の彼らの反応。確かにプリミティブが絶滅しているという前提のもとであれば納得がいくのだ。
ヒューマンとプリミティブの外見上の区別は服装でしか判断は出来ない。ゲーム時においてはステータス画面を確認する事で区別することもできたが、この世界にメニュー画面を開くような機能はないことは立証済みである。彼らがデレピグレオたちの格好を見て珍しがるのも当然の反応と言えるだろう。
しかしだとしたら何故プリミティブは絶滅してしまったのか。ここに来てゲーム時とは明らかに異なる事実に様々な考えが脳内を駆け巡る。
しかしすぐに考えるのを止めた。目の前に丁度良い情報源があるのだ。デレピグレオは顔を上げ、マルの方へと再び向き直る。
「ちなみに絶滅した理由は知っているのか?」
「んー。最終的にどう滅亡したかは知らへんけど、飢餓や流行り病、あとは帝国の手によって大打撃を受けたっていう事ぐらいしか知らへんなぁ」
顎に指を置き、記憶を漁りながら紡ぎ出す。
(帝国はプリミティブに対しての差別が激しいし、確かにあり得るな。しかし飢餓に流行り病? 金樹海では野生の敵が無限にPOPするから食糧難に陥ることはないだろうが……いや、今はゲーム時とは違う。検証が必要か。
それに病か。これもゲーム時には状態異常以外のバッドステータスは起こらなかったからな。調べておく必要があるな)
「なるほど……」
「……なぁ、あんさんら、ホンマにあの絶滅したプリミティブなんか? 確かにどっかの本で見た絵はあんさんらと似たような格好してはったけど、さっきも言ったようにこの世界では絶滅したはずの人種や」
「ん? 冗談だと思ってるんじゃなかったのか?」
「いや〜。それが信じるしかないんちゃうかな〜って思ってな」
「ふむ。まあ俺としてはプリミティブに対して帝国のように差別的な視線も無さそうだし、どう捉えてもらっても結構なんだが?」
「あっはっは! いや〜、あんさんにはかなわんわ。実はな、あっし〈嘘感知〉っちゅースキル持っとるねん。それをさっきから発動しとったんやけど、あんさんの言葉に嘘が見当たらへんかった。つまりはそういうこっちゃ」
どよっ、と溝鼠の連中がざわつき始める。そりゃそうだ。彼らからすればプリミティブなどとうの昔に絶滅したはずの本の中だけの存在。それがこうして目の前にいるのだから動揺もするだろう。
先程までなら男の吹聴と聞き流していただろうが、彼らのリーダーがスキルを用いてそれが真実だと明言してしまったのだ。未だ半信半疑の者も多いが、欠片も信じていない者はもはや存在しない。
「なるほど。そんなスキルがあるのか。ゲームの頃にはなかったスキルだ」
自分の知らないスキルの存在。何百年も経過しているという一つの判断材料にならなくもないな、とデレピグレオは小さく呟く。
「ほんで? あんさんらが太古の人らっちゅーんは分かった。王都で情報収集したいっちゅーんも。ただ、それをどないするつもりなんや?」
「別にどうするってわけでもないけどな。元々部族を護る為に周辺の情報が欲しかっただけだし。必要があれば王国とも友好関係になりたかったんだが……どうやら俺たち以外のプリミティブは絶滅しているらしいしな。今は目下思案中だ」
「……なるほどなぁ」
デレピグレオの目的を聞いて、マルがうっすらと微笑む。
「なぁ、あんさんに提案があるんやけど」
「提案?」
「せや。実はこう見えてもあっし“王国の天秤”と面識あんねん」
「ん? なんだ、その――王の……?」
「“王国の天秤”や。ベルンシュタイン王の神器と呼ばれるヒューマンの内の一人やな。……てかホンマ何も知らんのやな。王国に居てんくても殆どの人らは知ってはるで」
マルがはー、と感心の息を漏らす。
「で? そいつとお前が知り合いって事は分かったが提案ってのは?」
「そう急かさんといてや。段階踏んで説明するさかい。まずは……そやな、ベルンシュタイン王の神器いうて持て囃されてるんは二人。その内の一人が"王国の天秤"言われるお人なんやけど、二人共ベルンシュタイン王に次ぐ発言力を持つ人らや。その一人と知己になっとくんは今後の為にもええんちゃうんか思てな」
「ふむ。中々魅力的な提案だがーーお前にメリットはあるのか?」
タダより怖いものはない。デレピグレオの鋭い眼光がマルを射抜く。
「そんな怖い顔せんといてぇや。誠意には誠意で返すんがあっしらのモットーや。ちゃんと正直に話すて」
そう言ってマルの腕が正面へと突き出される。拳からはひょこりと二本の指がVの字に立てられて、マルは続きを話す。
「まず一つ目があんさんらと友好関係を築きたいからや」
「……理由を聞いても?」
「考えてもみぃ? プリミティブっちゅーんは文献上、絶滅したはずの種族やで。そんな人らと仲良くしたい思うんは至極当然やろ?」
にかにかと笑うマルの表情に嘘は見受けられない。といってもその裏にある本音までは分からないが。
「そして二つ目。“王国の天秤"はんに恩を売っとく為や。あの人はかなりの歴史好きやさかい、絶滅したはずのプリミティブ――つまりあんさんらを紹介することで、おいたしたときには目ぇでも瞑ってもらおかなぁ、と思てな」
「一つ目はともかく二つ目は納得いく理由だな。いつの世も珍しいものを発見した者は優遇されるものだし」
「せやろ? ほな交渉成立ってことで?」
差し出された手を取るか否か。
デレピグレオは自分の思いつくメリットとデメリットを秤にかけ、少しの間口を閉じる。
だが残念な事に現代社会を生きてきた泉宗吾にずっと先の事を見る能力などあるはずもなく、目先にぶら下がった人参を追いかける以外の選択肢は存在しない。
巨大な権力、実に魅力的じゃないか。
デレピグレオは迷わず彼の手を取ることを良しとした。