057:タロス村
タロス村の人口は凡そ百人。村面積と対比すれば人口密度は大きいと言えるだろう。
にも関わらず、リデスカーザが最初に抱いた村の印象は、重苦しい静けさであった。勿論理由は既にハッキリしている。村の風景が寂しく見えたのは、村人達が飢えに苦しみ、外に出る気力がなかった為だ。
しかしつい先程まであったリデスカーザの記憶にあった村の印象は、一気に上書きされる。
空っぽだった炊事場には人で溢れ、長机に座りきれないだけの村人が皆、満たされていく食欲に幸福を噛み締め歓喜していた。静寂とは程遠い活気に満ちた雰囲気。これこそがこの村の本来あるべき姿なのだろう。無論、どん底に突き落とされた反動によるものかもしれない。
だが村人たちの笑顔は間違い無く嘘ではなかった。
リデスカーザは一人、ヒューの家の壁にもたれながらその様子を伺う。中には歓喜に咽び泣く者さえいた。それだけ追い詰められていたのだろう。
リデスカーザは不意に自分の集落の事を頭に浮かべる。
ガリバ族の集落は人口規模的にはこことそう大差はない。しかし住む者達の事を考えると、やはり自分たちは恵まれていたと改めて認識する。
(ヒューマンは数が多いだけで仲間意識が薄い。リデスカーザたちと大違いだ。これがヒューマンとプリミティブの差なのか? それとも上に立つ者の差?)
普段まるで考えた事も無かった疑問に更けてみる。だがサッパリ分からなかった。自分もまた上に立つ者として相応しくないという事なのだろうか。そう思うと自身の未熟さが不甲斐ない。少し腹立たしくもある。だが同時に、自分たちを統べる男――リデスカーザの旦那であるデレピグレオの事を少し誇らしげに思う。
(リデスカーザもデオの横に並ぶ者として学んでいかないといけない。デオも『どんな経験でも力になる』と言っていた)
では一体自分は今何をすべきなのか。残念ながら答えは一朝一夕には出てこなかった。リデスカーザは再び答えの見つからない思考の迷路に囚われてしまう。
するとそこに村人たちの輪から離れたヒューが駆け寄って、彼女の前で深々と頭を下げてきた。
「リデスカーザさん。本当にありがとうございます。あなたのお陰で村のみんなが救われました」
「別にお前たちの為じゃない。リデスカーザも沢山食べたかった。それだけだ」
「その結果としてぼくたちが救われたのは事実ですから。何とお礼をすれば良いやら……」
「いらん。だが最初に言ったようにリデスカーザを王国まで連れて行け。そういう約束だ」
「ええ、勿論です」
ヒューはとびきりの笑顔で返事する。
というか、あのままでは結局村の外に出ることすら適わなかっただろう。その障害を取り除いたのもリデスカーザ自身なのだから、これ以上はしっかりと誠心誠意込めて彼女の望みに応えねばヒューも一人の男として顔が立たない。ヒューはそう決意して瞳に強い意志を宿らせる。勿論そういった細かい事実にリデスカーザは気付いてすらいなかったのだが。
「そういえばリデスカーザさん、お身体の調子はどうですか?」
「腹一杯食べた。今日一日寝れば明日には体力も回復しているはずだ」
「それは良かったです。それと、王国までの案内は元々二日後という約束でしたが、あれはぼくの方も皆に配給する食糧調達の時間が欲しかったからです。ですがリデスカーザさんのお陰でこの件も解決しましたし、よろしければ明日にでも出発する事が出来ますがどうしますか?」
それは願っても無い申し出である。リデスカーザはすぐに首を縦に振った。
「ああ。そうしてくれ」
「分かりました。……そういえば、何か考え事をされていたのですか?」
不意にヒューがそんな事を尋ねてくる。
「何故だ?」
「あ、すいません。特に深い意味はないんです。ただ何となく悩んでいる様に見えましたので。……といっても仮面を被っていらっしゃるので雰囲気で、ですが」
ヒューの優しげな眼は、今までのリデスカーザなら不快に思っただろう。何せ敵として認識していたヒューマンに気遣われてしまったのだから。昔の頃なら問答無用で首を圧し折っていたに違いない。
だが不思議と目の前の青年に対する嫌悪感は無かった。これは王都でヒューマンと関わりをもった為か、それとも溺れていた自分を救出したヒューに少なからず恩を抱いている為か、はたまた自分たちの族長にヒューマンと接する際の注意点とその理由を語られていた為かは分からない。しかし自ずと生じていた自らの変化にリデスカーザは気付き始めていた。
(だがそれも全てデオの言う『経験』による変化――なのか? 本当にこれでデオは強くなれる?)
いっそのこと目の前の青年に悩みを打ち明けてみようかと愚かな考えが過ぎるが、すぐにそれを振り払う。流石に自分よりもずっと弱いヒューマンに質問するなど馬鹿げているからだ。
だからリデスカーザは自身の悩みを一度しまい込み、逆にヒューへと質問を投げ返した。
「……悩んでいるのはお前の方じゃないのか? さっきも『あの男』だの何だのと言っていた」
その発言にヒューの眉がぴくりと反応し、先程までの温厚そうな暖色の瞳が猛吹雪に襲われているかのように変容していく。もしも彼を知る村人たちが見れば恐怖を抱いただろう。
見張りの男達に囲まれていた時と同じ雰囲気だった。しかしそれも束の間。ヒューはハッと我に返って、すぐさまリデスカーザに謝罪する。
「す、すいません。柄にもなく苛立ちが表に出てしまいました」
「気にしていない。で、結局お前の言う男とは誰のことだ?」
「ライズ・ゴルゴン。……この砂漠国ゴルゴンの現国王であり――ぼくの兄でもある男です」
ヒューが語った事実には流石のリデスカーザも目を丸くした。
「ではお前も王族とか言うやつなのか?」
「いえ。確かに少し前まではぼくも王族の一人ではありましたが、今は見ての通りただの村人にすぎません」
「ではなぜただの村人であるお前にちょっかいをかけてくる? 兵を使って“砂漠の主”などという嘘まで流し、お前をこの村に引き留め続けてまで」
「……少し長くなるかもしれませんがよろしいですか?」
ヒューの問いにリデスカーザは黙って頷いた。




