004:恋の目覚め
デレピグレオが去った後、天幕の中では暫くの沈黙が続いた。皆一人ひとりに思う事あってだろう。ようやくと最初の一声を口にしたのはフィットマンであった。
「あれが我等が族長殿か。分かってはいたつもりだが、改めて族長としての覇気を痛感させられたな」
未だ電流が奔ったかのように小刻みに震える両手に視線を落として、心を落ち着かせるようゆっくりと息を吐く。
「で、ですよね。すっごく怖かった、です。いつもはすっごく優しいのに」
そうは言いながらもデレピグレオを畏怖せず、むしろ目を輝かせる様は余程彼の事を尊敬しているからなのだろう。よく見れば筋肉がぴくぴくと小さく動いている。恐怖自体は感じているのだ。されど「兄様」と呼ぶ男に対しての敬愛はそれを凌駕したといったところか。無垢な瞳の奥には今は姿見せない男の姿を映していた。
「全くだ。ほんと規格外の男だぜ、お頭は。ところで……随分と大人しいじゃねえか、暴力女。お頭にビビってお漏らしでもしちまったのか?」
にやにやと挑発するプティッチに対し、フィットマンはやれやれと呆れを見せる。
この後に起こる未来予想図を頭に描いての事だろう。しかし、待てど待てどもそんな未来が起こる事は無かった。
いつもであればプティッチの揶揄いにリデスカーザが喧嘩を買う流れとなるはずなのだが、何故かリデスカーザは俯き黙ったまま。
「……お、おい? まさか本当に漏らしでもしたのか?」
あり得る、と思ってプティッチは若干申し訳なさそうにリデスカーザの様子を窺う。ほんの冗談のつもりだったのに。
されどあの殺気の塊をまともにぶつけられたのは彼女一人。その周囲に居た自分達でさえ膝が笑う程の情けない様を見せてしまったのだ。デレピグレオを除き、ガリバ族最強であるはずの彼女といえどもその失態が現実のものとなっても可笑しくはない。
普段と違う彼女の様子に、プティッチ以外の面々も心配そうに見守る。
「ち、違う……」
ぽつり、とか弱い声が小さく落ちる。
「な、なんでぇ。脅かしやがって。ならなんだってそんな女子みてえな反応してやがんだ。いつもなら『フガー!』って怒り狂ってるだろうが」
「……今はそんなのどうでも良い」
あからさまな挑発をネタばらししたというのに、それでもリデスカーザがプティッチの方へと振り向く事はなかった。流石に心配したのかフィットマンが声をかける。
「一体どうしたんだ、戦士長殿?」
「分からない。けど変。いつもと体が……違う」
「ふむ。それでは分からんな。具体的にどう違うのだ?」
「最初は怖くて震えた。悔しいがそう思ってた。けど何か違う。恐怖、体を冷たくする。だが今の体、温かい。股の辺りもジンジンして、胸もなんかきゅうっ、てなっている。顔も熱い。でも心臓はバクバクしてるし……やはり恐怖なのか?」
そこでようやく顔を上げるリデスカーザ。
顔は誰が見ても認識できる程に紅く染め上がり、普段ではあり得ない程にマスクの奥に見える瞳は潤いに満ち満ちている。息遣いが荒く感じるのも恐れによるものではないだろう。
戦士長のまさかの姿に、プティッチとフィットマンは「あぁ……」とその症状を認識した。
「ね、姉様⁉︎ 顔、すごく赤い、です!大丈夫ですか⁉︎」
まだ思春期に程遠いクルティが心配そうに叫ぶ。
「分からない。こんな事初めてだ。私はもう死ぬのか?」
いつに無く萎らしい彼女の様子に、揶揄って楽しむ予定だったプティッチも流石にその気は失せてしまった。
真面目なトーンでフォローを入れる。
「あー、なんだ。そのー、フィットマンよ。説明してやれ」
と思ったが、説明するのも小っ恥ずかしいと、デレピグレオの補佐官に丸投げする。
「……俺はあくまでも族長殿の補佐官であって、お前達の補佐官ではないのだが――まあいい。
おそらくだが戦士長殿、それは病気でも何でもない」
「こ、こんなにも胸が苦しいのにか?」
ハァ、ハァ、と呼吸に合わせて白い息が空気中に浮かび上がる。
「ああ。それは女性であれば当然の――いや、個人差はあるだろうが、何なら男が発症してもおかしくない現象だ」
「そう……なのか? ならこの原因は何なのだ?」
そこでフィットマンはおし黙ってしまう。
別にそのトキメク胸の内を教えても構わないのだが、それは誰かに教えてもらうべきものなのだろうか?
自然と自分の中でその心を認識することこそ、その実を熟すのに必要な養分ではないのだろうか?
そもそもフィットマンの勘違いでなければ、色恋沙汰については男に聞くよりも女性に聞く方が良いのではないのだろうか?
そんな事を考え、ううむ、と顎をしゃくる。
「さてな。少なくとも病気等で無いのは確かだ。もしもどうしても気になるならば、俺たちではなく同性の者に聞いてみる方が良いだろう」
そこでチラリとクルティへ視線を落とすが、あどけなさの残るその表情を見る限り、彼女もそれを知識として持っているわけではなさそうだ。
「なんなら今後の為にもクルティも一緒に聞いて回るといい」
「え? あ、はいです?」
「……分かった。なら他の者らに聞いてくる。いくぞ、クルティ」
「はいです。姉様」
ドタドタドタと駆けるリデスカーザに続き、トタトタトタとクルティが慌ててついて行く。
「あ〜。なんつーか、お頭も大変だな」
「本来であれば女性を立てる意味でも首を横に振るべきなのだろうが……否定はしない」
「ラらぁ、ルクリぇっディ…………かーザべぃだるわ」
「普段何言ってるか正直分からんが、今のは多分同意してるんだろなってことは何となく分かったぜ」
プティッチの言葉にヌッヌウはこくりと頷く。
どうやらその通りだったらしい。
さっきとは別の意味で沈黙が残るが、部屋に残ったのはわずかに三人。先程同様、フィットマンが最初に口を開く。
「では族長殿の指示もある。残る我々だけで族長殿の決定した方針伝達に回るとするか」
「おいおい。そんな面倒な事俺様に任せんでくれよ。間違えて伝えちまったらどうするよ?」
「……さっきのキラーパスは実に見事だったな。そのままスルーしても良かったんだが?」
「だー! わぁーったよ! やりゃいいんだろ、やりゃあ!」
「それでいい。住民の数は少なても流石に拠点全域を回るとなると広いからな。ヌッヌウはプティッチが違った事を喋らないか監視する意味でも同行してやってくれ」
「ンんぐ」
「よし。では行こうか。梟くん、留守は任せたよ」
手をひらひらと留守番梟へと振り、フィットマン、プティッチ、ヌッヌウの順にデレピグレオの天幕を後にした。
残された梟だけがその背を見送り、天幕の外へと退屈そうに視線を伸ばして。
それから四時間ほどだろうか。時計などないこの世界では体感時間で数えるしか手段はないが、おそらくそれぐらいは経っただろうと、集落を一周してきたデレピグレオは住処を前にしてそう考えた。
夕陽も鮮やかな暖色が何層にも広がり、集落全体を暖かく照らしつける。心地良い暖かさは昼のそれとはまた別物で、肌を伝う冷たい風が彼の肉体を静かになぞった。
「少し冷えてきたな。さっさと中に入るか」
今日すべき事は殆ど終わった。部下たちへの方針伝達。ここに来る前にフィットマンに受けた報告では、滞りなく終了したとの事。一応それとなくデレピグレオが去った後の話を聞いてみたが、特に側近たちからの反対意見は出なかったらしい。加えて住民からもだ。
正直それだけが気が気では無かったのだが、それを聞いた瞬間には一気に肩の荷が落ちる思いだった。
安堵からか大きな欠伸が出てしまう。
今日はゆっくり眠れそうだ。
そんな事を思いながら我が家への入り口を潜る。
「……………」
「……………」
そして自らよりも先に部屋に腰据えたあらぬ先客の姿に、デレピグレオの眠気は一気に吹き飛んだ。
「えーっと。何してるんだ、リデスカーザ?」
あとは枕に顔を埋めるだけだったというのに、NPCの中で今最も危険視すべき女性の姿に、デレピグレオの警戒心が頂点まで引き上がる。
パターン1。
先の決定に納得がいかずに、再度決闘を申し込まれるパターン。
これが一番あり得そうな可能性。
パターン2。
先の決定に納得がいかなかったが、戦いで敵わないと悟ったために集落を出るというパターン。
これは正直あって欲しくない可能性。戦力ダウンという意味でも、デレピグレオのテンションダウンという意味でも。
パターン3。
昼間の事とは別件で、悩み、相談、あるいは提案があってここに赴いているというパターン。
なくもないが、リデスカーザの性格的にあり得ないだろう。
パターン4.。
その他。
いずれにせよ浮かぶのはデレピグレオにとってネガティブな可能性ばかりだ。あまり返事を聞きたくはないが、沈黙は何よりも辛い。
乾いた笑みを浮かべながら、デレピグレオは黙って彼女の返答を待つ。
「……を持って…………へ来い」
「……へ?」
「武器を持って地下訓練所へ来い」
(……あ、パターン1ね。予想通りといえば予想通りだけど離反イベント発生し過ぎだろ)
リデスカーザの言葉にげんなりしてしまう。しけしデレピグレオにこれを断る選択肢はない。
敗北すればリデスカーザの離反イベントは成功し、めでたく新族長へとステップアップ。応じなければ応じないで彼女はガリバ族を去ってしまう事となる。
やはり適当に場を治めるのではなく、しっかりと決着をつけねばならないという訳だ。
デレピグレオは後回しにした事を後悔しながらも、理由を問う事なくそれに応じた。
「はぁ。仕方がない。ならとっとと向かうとするか。オウルよ、【金剛石の槌】を取ってくれ」
その言葉に反応したのは留守番梟であるオウルである。翼を大きく広げ、止まり木から颯爽と脚を離す。
バサ、バサ、と音に聴こえて風を叩く音が徐々にデレピグレオへと近づくと、彼の眼前で停止した。
そして「クルックゥ」と一鳴きしたかと思えば、翼を更に大きく一度はためかせ、緑に輝く風を生み出した。風はデレピグレオの掌の上で収束し、徐々に透明度が消失していく。そして一気に輝き増したかと思えば、次の瞬間には調律された緑の煌きが金剛石の槌へと姿を変える。
大きさは高さにして一メートル程はあるだろう。加工が困難なはずの金剛石は持ち手が困らないよう通常の槌同様に柄の部分が平らに削られており、更に手から滑り落ちないよう指をかける部分にだけ僅かな窪みが存在する。
そしてその頭部は綺麗に加工されている訳ではなく、幾万のダイヤモンドがまるで連なりを成して巨大な槌へと形作っていた。
通常、ハンマーとは柄よりも叩く槌の部分の方が重く硬いものだが、デレピグレオが手にしているそれは造りの全てが金剛石であり、どこで殴ろうとも決して強度は変わらない。しかし平らな柄の部分と違い、棘のように角張った槌の部分で殴る方が予想して遥かに威力が高い事から、ハンマーの使用法としての概念はそう大差ないだろう。
あるとすればその氷が乱反射したかのように眩しい様と、売買価格と殺傷能力が桁外れな事ぐらいである。
日本人としてはその輝きに目を奪われそうなものだが、泉宗吾が最初に感じたのは全く別の観点であった。
(あ、良かった。ゲーム時通り機能して)
ズシリと手の上にある重みを感じながら、デレピグレオは心の中で安堵する。
住居サービスの一つである留守番梟。これが持つ機能はとても有能で、課金者であれば誰もが購入したサービスだ。
その効果の一つとして、誰かが住居に近づいた時の多様な反応。敵が来たり、味方が来たり、殆どないが野生の敵が襲って来たりと事前に知らせを出してくれる。
また他にも一度訪れた事のある住居、あるいは人物への手紙配達も可能だったりもする。
そして一番の注目点は梟自体に財産保管機能が備わっている事だ。これはプリミティブの世界観を破壊するような機能ではあるが、自分の財産を留守番梟に魔法で保管してもらう事の出来る機能である。
そしてこの財産保管庫を開ける事が出来るのは例外なく購入者のみであり、一度集落を襲われた時にもオウルに財産を預けていた為に立ち直る気力が残ったのだ。もしもあの時オウルが居なければと思うと身の毛もよだつ。
この梟自体は攻撃する術を持たないが、その性質上【2ndリアル】の中では特例の不死属性の生物。留守中を襲われようが、梟だけは必ず無事に生き残る仕様となっている。
勿論それはあくまでもゲームの中だけの話なので、今でもそうかは分からない。とはいえこればっかりはリスクが大きいので実験のしようもないだろう。
ただ大事なのは財産保管庫機能が活きていた事だけだ。
デレピグレオはオウルと名付けている留守番梟に感謝の言葉をかけると、入室して早速踵を返した。
「準備はできた。さっさと訓練場へ向かおう」
振り返る事なくその背にいるリデスカーザへと言葉を放る。そして黙って訓練場へと向かった。今度は一人用の梯子を使わずに、通常の出入口を使用するルートで。
そしてデレピグレオの後ろをゆっくりと付いて行くリデスカーザ。特に何か喋る気配もない。おそらくデレピグレオと戦う前の精神統一といったところか。
全くもって冗談ではない。
今更ながら後悔の念が余波となってデレピグレオへと襲いかかる。べっしょり濡れた背中の汗はその影響に違いない。もしかすると立ち止まった直後、膝が笑って歩けなくなるのではと思うほどに緊張で胃も痛くなってきた。
勿論勝機あってこその言動だった。
古代スキルはどれも強大だ。いくら元が素人と言えどもそれを補ってあり余るだろう。デレピグレオはこの世界でも戦えるとこの僅かな期間で実感している。
されどガリバ族最強のNPCと本気の勝負ではと問われると、正直なところすぐに首を縦には振れなかった。
今更ながら「やばい」と全身の危険信号が汗腺から放出する。
(だれか俺の心情を察して救いの手を差し伸べてほしい)
そう切に願う。
だというのに道中訓練場へと向かう二人の姿を、住民や側近達は生暖かい目で見守るばかり。親指を立てて見送るプティッチに至っては正直殺意に芽生えた程だ。
(死ぬなよってか⁉︎ 死にたくねえよ! 助けろよ!)
当然そんな懇願を込めた視線も無視されてしまう。
最後の砦であったフィットマンも力強く頷くだけで、結局デレピグレオの気持ちを汲み取る者が現れる事はなかった。
流石にもう覚悟を決めるしかあるまい。
気付けばもう訓練場にいた。薄暗い空間を松明の灯火がゆらゆらと照らしている。
伸びた影を体現させるのはデレピグレオとリデスカーザの二人だけ。フィットマン達が付いてこなかったことを考えるに、どうやら助けるつもりはないらしい。というよりデレピグレオに助太刀は不要であると判断してのことなのだろう。
だとするととんだ勘違いだ。デレピグレオは今からでも入口から彼らが来ないかと一縷の望みを込め入口を凝視してしまう。
覚悟を決めたつもりがまるで足りていなかったようだ。
「誰も来ない。ここにいるのはリデスカーザとデレピグレオ、二人だけ。終わるまで邪魔者は来ない」
リデスカーザはそう言うと、手に持っていた長物の包みを解く。
――金剛石の槍。デレピグレオの金剛石の槌同様に、その全てが金剛石で造られたリデスカーザ愛用の武器である。これを持ち出したという事は正に本気の証明だ。
つーとデレピグレオの頬を汗が伝う。
「そうか。まあ観客がいないってのは少し寂しいが、余計な気を回さなくて済みそうだしな。感謝するよ」
だが救護班ぐらいはいてほしかった。負ける気はないが、五体満足で終わるとも思っていない。
そんな今更ながら情けない気持ちがデレピグレオの感情を揺さぶる。
だがもう後戻りはできない。
今度こそ覚悟を決めねばならぬのだ。
遊ばせていた金剛石の槌の柄を大地へと叩き付け、堂々と仁王立ちで構える。
「それで、決闘のルールは?」
「降参させるか、気絶させるか、戦闘不能に追い込むか」
「なるほど。分かりやすくて良い。ならとっとと始めるか。開始の合図は――」
「ガァァァァァァアァッ!」
腹の底にまで轟くような叫びが、洞窟内をビリビリと震わせる。
「……なるほど。素敵な合図だ」
跳ね上がったまま降りてこない心臓の高鳴りを必死に抑えながら、デレピグレオはゆっくりと武器を構える。
――スキル〈獣王の咆哮〉
自分のレベルより一定以下の相手に対し、基礎身体能力を低下させ、かつ自分の基礎身体能力を向上させる補助スキルである。レベル差があればあるほど敵への能力値の低下幅は大きくなるが、自分の能力向上率は低下してしまう。だが逆にレベル差がなかったり、むしろ相手の方がレベルが高ければ敵へ与える影響は小さくなるものの、自身の基礎身体能力の上昇率はかなり高くなる。
言ってしまえば格下相手には敵の能力値を下げ、格上相手には自分の能力値を底上げするという使い勝手の良いスキルなのだ。
そしてデレピグレオとリデスカーザのレベル差は100と少し。その効果値はかなり大きいだろう。
まさか勝敗を分ける局面ではなく、序盤にこのスキルを使用して来たのには流石に予想外であった。
だが幸いなことに不思議と能力値が低下したような感覚はない。もしかすると彼女のスキルの抵抗に成功したのかもしれない。レベル差が大きいとその可能性は低くなるというのにこれは幸先が良い。
恵まれた幸運にデレピグレオは小さく微笑む。
「行くぞッ!」
そう叫んだリデスカーザの姿はもうそこにはなかった。
あったのは僅かに宙を舞う土煙。ふわりと音も立てずに埃が舞ったかと思えば、次の瞬間には荒狂う突風に飛ばされて四散する。
デレピグレオがようやくそれに気づいたのは、彼の世界が緩りと流れ始めた――つまり彼にとって危険が迫っていると明確に認識した後の事だった。
視界のどこにもリデスカーザの姿はない。だが自分の動きは鈍重。つまり彼女が今いる可能性として最も高いのは――。
「背後か⁉︎」
デレピグレオの直感がそう叫ぶ。
柄を軸にし、身体をぐるりと回転させる。
「チッ」
小さな舌打ちが耳元に弾く。推測通り彼女はそこにいた。
しかし予想外だったのは彼女の槍が迫っていたその距離間だ。放たれた弾丸の如く、槍を構えたリデスカーザが先程までデレピグレオが立っていた場所を一直線に突き抜ける。
「あっっっぶねぇ!」
一歩遅れていたら即死だったに違いない。半ば生き残ったとしても背中を貫かれて戦闘を続けられるほど、戦士としての胆力は自分には備わっていないだろう。最悪に至らなかった事に息を吐きたいのは山々だが、リデスカーザの追撃がそれを許さない。
槍を地面に突き刺し、それを軸にした強引な方向転換。ゲーム時ではそんなアクロバティックな動きを取る事は出来なかったはずだ。つくづくここが現実を交えた世界であるも強く実感させられる。
デレピグレオへと肉薄する鋭利な先端。槍は一度突けば一度引かぬと二度目を繰り出せないのが道理とはいえ、リデスカーザの槍は残像を残すばかりでまるで攻撃の雨が止む様子はない。
一かと思えば十。十かと思えば百は突いているのではと錯覚させる程、その怒涛の蓮撃は凄まじかった。
間違いなく〈第六感〉が無ければ死んでいただろう。今ではスキルの恩恵に感謝する余裕さえある。
デレピグレオは迫り来る無限の槍を軽々と回避し続ける。
「流石だな、リデスカーザ。だがそろそろこちらからも行かせてもらうぞ!」
そう言ってデレピグレオが武器を構える。
スキル〈木霊打ち〉
デレピグレオが横に振るった槌が空気を叩く。
パァンと弾けた様な音が鼓膜にまで響いたかと思えば、完全に間合いの範囲外であったはずのリデスカーザが後方へと吹き飛ぶ。
「ぐ……ッ!」
苦痛に顔を歪める。咄嗟に槍で防いだものの、その衝撃を殺す事は叶わなかった。大地を離れた足はそれ以上の抵抗を許させることもなく、遥か後方の壁へと叩き付けられてしまう。
「がは――ッ!」
彼女を押し潰さんとする衝撃は背中からも押し寄せる。肺から弾き出た空気は苦痛の音となって霧散して、両の手膝から崩れ落ち四つん這いとなってようやく息を整える為の呼吸が許可された。
(…………ん?)
――おかしい。
予測と違うリデスカーザの有様に、デレピグレオは追撃しようとしていた脚を止めた。
〈木霊打ち〉は威力の低い中距離攻撃。牽制程度のスキルだったはずだ。確かに効果の一つとして相手を後方に飛ばす事も出来るが、あんな巨人にぶん投げられたかのように吹き飛ぶという事はない。確かにレベル差が大きければ大きいほどその距離は遠くなるのだが、デレピグレオとリデスカーザでは彼女の方が百も上だ。あんなに吹き飛ぶはずがない。
(このスキルの仕様も少し変わっているということか? やはりスキルの確認の為に実験が必要だな)
「……な、何故追撃しない! リデスカーザを舐めるな!」
「お前を侮るわけがないだろ。お前は俺が知る限り最強のプリミティブ。だからこうして愛用の武器も持ち出しているんだ。ただ……少し考え事をしてしまったのは事実だ。謝るよ。
さて続きといこうか」
そう言って再度構える。
リデスカーザの顔が紅直となったのは、デレピグレオの言葉に怒っての事だろう。ギリッと食いしばった歯がその証拠だ。デレピグレオは頭の中でも彼女の誇りを傷つけた事に謝罪しながら、先の続きだと能力向上のスキルを発動し大地を蹴った。
常人から見れば先程のリデスカーザの様に、姿が掻き消えた事に変わりはない。だがその実、その速度はリデスカーザを凌駕していた。
ただの直進。だというのにリデスカーザの双眸が彼を捉えることは出来なかった。
刹那の中、感じたのは全身の穴という穴から噴き出る汗。死が迫って来ているという圧倒的な危機感であった。
戦士の勘ともいうべきその命綱に、リデスカーザは咄嗟に真横へと跳躍する。
ズガアァァァァァァァァァン‼︎
リデスカーザが着地するよりも早く、大地を砕けし轟音が空気を伝って彼女の肌を戦慄させる。
なんてことはない。ただ槌を振り上げ、振り落としただけの通常攻撃。だがその速度は剣を振るうよりも速く、圧倒的であった。
打ち付けられた地面は陥没し、その周囲には亀裂が奔る。
「やっぱ簡単に避けられるか」
デレピグレオは攻撃が当たらずさも当然といった様子で、リデスカーザを視線で追う。
回避に関しては〈第六感〉のおかげで何とかなってはいるものの、攻勢に回るとどうしても単純な能力値頼みとなってしまう。泉宗吾として今まで生きてきた彼に、武術の才能が無い事は誰よりも一番理解しているつもりだ。
(でもこれじゃいつまで経っても勝負がつかなさそうだな)
ならば、と比較的命中判定の高いスキルを駆使して追い込むしかないだろう。
デレピグレオは再び〈木霊打ち〉を穿つ。
だがそう何度も同じ手は通用しない。リデスカーザはすかさず〈薙槍〉――槍を横薙ぎに払うことで遠距離攻撃を弾く防御系スキルを発動しようとする。
だが〈薙槍〉の効果が発揮されることはなかった。
見えない空気の圧を必死に押し退けようとするも、その威力はとても力任せに弾けるものではなかった。時間にして一秒。先程よりも耐えてはみせるが所詮それだけ。最終的な結果は変わる事なく、リデスカーザは再び叩き飛ばされてしまう。
(……あれ? 今のって〈薙槍〉だよな? 発動が間に合わなかったのか? いや、あれは発動までの準備時間が零というのがアピールポイント。発動しなかったわけがない。だとすると考えられるのはレベル差が大きすぎて防御出来なかったという線だが……リデスカーザとのレベル差は俺が一番良く知っている。それはないはずだ。だとすると一体何が原因なんだ?)
追撃の手も忘れ、デレピグレオは浮かぶ疑問に頭を悩ませる。
「まだだ!」
リデスカーザが大きく吠える。
しかしその息遣いは荒く、槍を支えにようやく立っていられるといった様子だ。
(〈木霊打ち〉二発でリデスカーザにここまでダメージを与えられるはずはないんだが……)
「へぇ。かなりボロボロに見えるが、まだ負けを認めないのか?」
ゲーム時と異なる未知の現象が起きているのは腑に落ちないが、デレピグレオにまだまだ余裕があるという事だけは確かだ。
最強の戦士とは言ってもリデスカーザは女性。あまり傷付けたくないと思うのは泉宗吾としての残滓だろう。出来れば敗けを認めてほしかった。
だが彼女が素直に頷く事はないだろう。
「リデスカーザ、ガリバ族最強の戦士。けど違う。デレピグレオがいる。デレピグレオいる限り、リデスカーザ、最強違う!」
「違わないよ。間違い無く最強はリデスカーザだ。けど……そうだな」
顎をしゃくりながら少し考えに耽た後、デレピグレオは再び続けた。
「リデスカーザは俺と違ってまだ成長限界が来ていない」
神話の秘石を使用したリデスカーザの最大レベルは500。現在がゲーム時通り405であるとするならば、リデスカーザはそれだけ成長の余地があるという事。
一方でデレピグレオは他のNPC同様に300という限界値に至っている。これ以上能力値が向上するということはないはずだ。勿論ゲーム上での理論なので、これに胡座をかくつもりは毛頭ないが。
「まだまだ強くなるはずだ。そして俺はリデスカーザの才能には遠く及ばない」
「なら何故、デレピグレオは余裕でいられる? リデスカーザの方が強いならこうはならない」
(……確かにそうなんだよな)
痛いところを突かれたとデレピグレオは少し困る。
実際ゲーム時と変わらないレベルと能力値でいえば、間違い無くデレピグレオの方が苦戦する予定であった。
一度訓練の時にリデスカーザの拳を受けたから分かる。やはりリデスカーザの能力値はデレピグレオを大きく上回っている、と。
実際に危機が迫るまではリデスカーザの動きについていけなかったし、スキルがなければ一方的に蹂躙していたのはリデスカーザだったはずだ。
たがスキルを使用した時、防戦一方となったのは予想に反してリデスカーザの方。レベル的にも能力値的にも本来あり得るはずがない。
(……ん? 待てよ。確かに俺のレベルは300。リデスカーザよりも100以上下回る。けどもしーーもし累計レベルが生きていてその分スキルの熟練度に影響していたとしたら……⁉︎)
そこで初めて噛み合わなかったはずの歯車がデレピグレオの中で見事に合致する。
(だとすると辻褄が合う!)
ようやく謎が解けたとデレピグレオが笑う。
「そうだな。リデスカーザの言いたい事も分かる。けど知っているか? スキルは熟練度によってその効果を限度無く引き上げる事が可能なんだ。つまり俺にあってお前に足りないものは、単純な経験の差っていうことだ」
本来、転生後は覚えたスキルは保存されたままとなるが、その熟練度は完全にリセットされてしまう。
だが今までの戦いを振り返る限り、スキルの熟練度はリセットされるどころか今まで使用してきた分まで加算されているであろう事は間違いない。
そしてスキルは熟練度によってその効果を無限に高め、また累計レベルによっても強化されていく。
つまりデレピグレオのスキルは累計レベル1500オーバーの恩恵を受けながらも、それまで培ったスキルの熟練度まで引き継いでいるという事。
だとするなら先程のように単純な能力向上のスキルでリデスカーザを圧倒する事が出来たのも納得がいく。
「経験の差……?」
「ああ。これでも俺はリデスカーザが思っている以上にずっと戦いに明け暮れていた時期もあったんだぜ? ヒューマンやオートマタ相手にな」
「……つまり、デレピグレオが強いのはヒューマンやオートマタと戦ってきたから?」
「え、うーん。違う……ってわけではないよな? それでレベル上げやスキル訓練もした事あったし……うん。まあそうなるな」
「そうか……」
そう呟くとリデスカーザは初めて戦闘態勢を解き、静かに俯いた。
「……あー、どうしたんだ?」
「デレピグレオ。最後に一度、全力で攻撃する。それでリデスカーザは見極める」
「まだやるのかよ……。てか見極めるって?」
そう質問するデレピグレオだが、リデスカーザは聴いてないとばかりにデレピグレオから距離を取る。どうやら戦闘続行は決定事項のようだ。
頼むから聞いてくれと呆れた表情を見せるも、リデスカーザがそれに気付く事はない。その瞳に宿すのは真剣の二文字。どうやら受けて立つしか道はなさそうだ。
リデスカーザはゆっくりと呼吸を整えると、静かに両の目を閉じた。
――スキル〈狂化〉
ゆっくりと開かれた瞼の下にあったのは紅の煌き。骸骨の仮面越しに見えるそれは、まさに死から甦った骸の戦士。
コォォォォ、と耳に聞こえる呼吸の静けさが洞窟内の気温を下げているかのように感じた。
プリミティブであれば全員が修得するスキルである。時間が経てば経つほど能力値が向上する代わりに、徐々に自我を失ってしまうという使い勝手の難しいスキルだ。乱戦となると味方に攻撃してしまう恐れもあるので、一対一という状況下でなければ基本的に使用する事はない。しかも自我を失った場合の攻撃は酷く単調となってしまうので、プレイヤー相手だと良い的になってしまう。その為、追い詰められてどうしようもなくなった場合の鼬の最後っ屁というやつだ。
だがリデスカーザの場合、この〈狂化〉はまるで意味合いが異なる。
それは彼女が持つ古代スキル〈古代の血〉の存在がそうさせるのだ。これこそリデスカーザの方が自分よりも才があると断言した理由に他ならない。
このスキル自体に強力な効果があるというわけではない。あくまでも補助的な効果だ。しかしその効果というのが〈狂化〉による能力値の向上率を数倍に引き上げ、更には自我を失うというバッドステータスを完全に無効化するという、プリミティブであれば誰もが欲するスキルなのだ。
事実上、リデスカーザの能力値は時間が経てば経つほど上昇していくということに他ならない。勿論自我を失わないという代わりに体力が削られるという欠点は存在するのだが、それでもリデスカーザの切り札とも言うべきスキルという事に変わりはないだろう。
はてはて、どうすべきかとデレピグレオは悩む。
自身のスキルの効果値がゲーム時以上であると実証した事で、リデスカーザの切り札を前にしても不思議と精神は落ち着いている。
時間をかけず、ただ倒すだけならおそらく〈木霊打ち〉数発で済むだろう。しかしそれではリデスカーザの全力を受け止めずして勝利を収める結果となる。それは同時に彼女が遺恨を残す事にならないだろうか?
それが原因で早いスパンで再度決闘を申し込まれるのはあまり精神的にも宜しくない。
ならばやるべき事は一つ。
彼女の全力を正々堂々と正面から受け止める。これに限るしかあるまい。
「準備はいいな?」
静かに落とされるリデスカーザの言葉に、デレピグレオも槌を構える事で返事とする。
「ガァァァァァァアァッ!」
更にリデスカーザが発動させたのは〈獣王の咆哮〉
今度は抵抗に失敗したようだ。先程よりも体が重くなったことを実感し、デレピグレオは思わず舌打ちする。
「いくぞ!」
だがそこから対抗措置を与えるつもりはない。リデスカーザは吠えながら一気に距離を詰める。
〈波状撃〉
槍は決して突くだけの武器ではない。むしろ戦場では叩きつけるといった攻撃手段の方が使用頻度は多い。そしてリデスカーザも当然ながら突く以外のスキルを所持している。
槍はその長さ故に脆い武器だと思われがちだがそれは違う。むしろその長さを保つだけの強度が槍には存在し、折れ曲がることのないしなやかさと重量が槍の魅力の一つと言えるだろう。
ことリデスカーザの持つ槍の硬さにおいては金剛石級。威力においては疑う余地もない。
そしてその一撃はスキルの効果により何重にも衝撃が加わることとなる。
その一撃を柄の部分で受け止めるも、スキル無しでは流石にリデスカーザの攻撃力を押し退けることは不可能だ。
靴底を減らさんばかりの勢いで地面を滑っていく。
「まだだ! 〈大車輪〉」
宙を舞って追い踊るリデスカーザの槍が、大きく弧を描いてデレピグレオへと追撃する。弧の軌跡はまるで金剛石の残した輝きだ。その残像に何の効果もないが、強いて挙げるなら単なる満足感を得る為のエフェクトである。
確かに槍が光を縫うという光景はお目にかかれるものではない。しかしデレピグレオにそれを楽しむ余裕はなかった。
単純な一撃。それ故に槌を支える両腕が悲鳴をあげ始める。
「ッつぅ〜!」
やはりレベル差は大きい。受けに専念しようともいずれは弾かれてしまうだろう。しかも時間が経てば経つ程リデスカーザは強くなっていく。回避に専念して体力を削るか、今の内に決着をつけるか。選択を迫られる。
だがその決定権を有したのはリデスカーザ本人であった。
肉体的疲労は確かに存在する。それを見抜いてか一気に勝負に出たのだ。
弓の弦を引く様に、槍を肘の可動域限界まで持っていく。
スキル〈散弾槍〉
金剛石の槍が原石の輝きとは違った眩い閃光を灯したかと思えば、それはデレピグレオの胸元で一気に炸裂した。
防御不能の一撃。
いや、正確には十三撃と言うべきか。その一突は直撃の瞬間に見えざる十三の槍となって敵を貫く。言ってしまえば散弾銃のようなスキルだ。
といっても攻撃が遠くまで飛ぶという事はなく、あくまでもスキル発動に伴う一撃が相手へ接触した場合にのみ発動する付加攻撃。完全な近接攻撃スキルである。
しかしそれ故にその威力は破格であり、単純に通常ダメージの十三倍の威力を誇る上、更には防御貫通能力までも有しているのだ。
そして金剛石の槌で受け止めたはずのデレピグレオもその効果の例外ではない。
肉が叫び、骨が軋む。
内臓から逆流した血液を止めるすべもなく、デレピグレオの膝が崩れ落ちた。