002:初めての戦闘
矛先が向けられるとは正にこういう状況を指すのだろう。冷や汗がどっと背中を流れる中、デレピグレオは必死に冷静を装う。
(え、何で俺? 確かに自分の実力を確かめる為に訓練場を選んだのは俺だけど……)
デレピグレオとしては補佐たるフィットマンと軽く汗を流す程度のつもりだった。彼はプリミティブにしては知能に長け、かつ性格は紳士的。無理のない範囲で程よく手合わせ願えるだろうと勝手に画策していたのだが、いつの間にか相対しているのは狂戦士の称号を持つガリバ族最強のNPC。
勿論彼女が優しく手解きしてくれるのであれば吝かではないが、デレピグレオの記憶が正しければリデスカーザは手加減とは無縁の存在。何が悲しくて超一級の戦士相手に素人が立ち向かわねばならないのか。
命が幾つあっても足りはしない。
(却下だ、却下!)
すぐにデレピグレオは拒否の意を示そうとする。だがそれを汲み取ることもなく素早く言葉を紡いだのは男二人組。
「そりゃいい! お頭ならこの戦闘狂の暴走を軽く止められるだろうよ」
「そうだな。リデスカーザの相手が務められるのは族長殿ぐらいのものだろう」
(っ馬鹿なのこいつら⁉︎)
デレピグレオは無責任な男衆の発言に責め立てるような憤怒の目をぶつける。ゲーム時においてもリデスカーザのレベルはデレピグレオを100も上回り、このレベル差は同種族間では絶望的なまでのレベル差だ。だが両者とも満足気に微笑むばかりで、言葉を覆すつもりはまるでない。
確かにゲーム時であれば苦戦はするだろうが勝つ自信はある。純粋な能力値で言えば足元にも及ばないだろうが、彼女のスキル、能力構成、戦闘スタイルに至るまで誰よりも頭に把握しているのは製作者である彼であり、対抗策のいくつかは手の内にある。だが今のデレピグレオは一挙手一投足に至るまで、全てが現実のソレと大差ない。胸に手を当てれば鼓動が波打つように、脳から奔った命令が神経を伝って筋肉を動かしている事に変わりはないのである。つまり精神としては歴戦の戦士ではなく、会社の犬として生きてきた素人同然の一般人なのだ。
だからこそこの肉体でゲームの時のように戦えるか実験がしたかったというのに、何故実戦から始めなければいけないのか。一文字違うだけでまるで意味合いの異なる日本語の恐ろしさに瞠目する。
「……勘弁してくれ。俺は眠れないから軽く運動しに来ただけだ。リデスカーザとやり合ったら殺さねかねんだろ」
族長としては酷く頼りない台詞だが、危険を避けるには本音を晒しておくのが一番だ。
「おいおい。冗談も休み休み言え。頭が負ける姿なんざ想像も出来ねえよ」
「族長殿が彼女に気を遣っているのは分からんでもないが、戦士にとっては侮辱になってしまうぞ」
「デレピグレオ、リデスカーザを侮る、許さない」
だというのに三者の意見はバッサリと彼の気持ちを否定する。リデスカーザに至っては火に油を注いだ状態だ。何が燃料になったのか皆目見当もつかない。
(これは不味い)
デレピグレオは慌てて謝罪を口にしようとするがもう遅い。
「いくぞ!」
怒号と同時に石槍の先端がデレピグレオに肉薄する。
「ぬぉっ⁉︎」
当たっていれば頭蓋骨など容易く貫通しただろう。投擲された槍はデレピグレオの顔面の薄皮一枚を切り土産に、遥か後方の壁へと深々と突き刺さる。頬に流れる血の生暖かさが彼の体温を酷く急降下させた。
すぐ後ろに控えていたはずのフィットマンも、いつの間にかプティッチの隣で遠巻きに眺めている。
(しゃ、洒落にならねえ…)
だが降参の暇すらデレピグレオには許されない。無手となったリデスカーザは、デレピグレオ目掛けて一歩でその距離を消失させる。
放たれるのは拳。だが普通の女性のソレとは明らかに質が違う。先程の槍が玩具程度にしか思えぬ程に強力で凶悪な最強の武器。当たれば頭蓋骨なぞ粉々に破壊されるに違いない。
デレピグレオは迫る拳に自分の頭蓋が陥没するのを恐怖しながら、慌ててそれを回避する。
右、左、左、右、下、右、上、左――。
不規則に脚技も織り交ぜながら、変幻自在の攻撃がデレピグレオを襲う。常人ならば瞬きの内に五回は殴り殺されているだろう。
だが――。
常人平凡な人生を歩んで来たはずのデレピグレオ――泉宗吾――にその拳が突き刺さることは一度も無かった。
(……どういう事だ?)
デレピグレオも徐々にその違和感に気付き始める。
現世では見る事もなかった怒涛の拳打。プロボクサーのパンチなど間近で目にした経験などないが、間違いなく彼女の拳速は地球で一流を名乗る人達のソレを凌駕していると断言出来る。
ならばそれを何度も躱す事の出来る自分は一体何者だというのか。もちろん地球で格闘技を修めていたなんて事もない。可愛らしい子どもの喧嘩しか覚えのない普通の人間だったはずだ。
そして数にして十と数度。
躱すことに必死だったデレピグレオは徐々にその違和感の正体に気づいた。
――古代スキル〈第六感〉
十三存在するとされるプリミティブの古代スキルの一つだ。通常であればレベルアップや熟練度の成熟によって多種多様なスキルを習得する事が可能なのだが、プリミティブ専用の古代スキルに関しては少し違う。
これはゲーム開始時に抽選が行われ、その結果により配布される限定スキルだ。ちなみにデレピグレオはこれに当選しており、後にこの仕様を知った幸運の産物を嬉々として喜んだ思い出はまだ記憶に新しい。
何せ通常のスキルと違い、古代スキルは破格の効果を発揮するのだ。
これはリセマラが不可能な【2nd real】の仕様上、運によって先天的にゲットするか、課金と強運を持って後天的に確保する以外に方法はなく、デレピグレオはこの他に三つの古代スキルを保有していた。
その中でも〈第六感〉はあまり使い勝手の良いスキルとは言えなかったのだが、常時発動型スキルとしては有能であると判断を改める必要があるだろう。
(ゲーム時の効果としては勘が鋭くなって、くじで当たりが引きやすくなったり、急所攻撃発生率や攻撃回避率に補正が発生するなど地味な効力しか
なかったんだけどこれは……)
デレピグレオの眼前に迫る拳の勢いが、まるで見えない壁に阻まれているかの如く減速する。だが実際に拳の速度が殺されているわけではない。デレピグレオにそう感じさせるのは紛れもなく〈第六感〉によるものだった。
スキルが危険を察知すると、危険の回避に成功するまでの間スキル保有者の体感速度を大幅に減速させるのだ。
ゆっくりと向かってくる拳を頬ギリギリのところで射線から外れる。その瞬間に拳は最高速度に達し、空気の弾ける音が耳に響く。
(反則級のスキルだな)
思わず笑みが溢れてしまう。
危険が迫る度に双眸に映る全てが静止する。もちろんその中で通常通り素早く動ける訳ではない。同じくゆっくりと亀の如く手足が動きこれを躱すのだ。
(なら受け止める場合はどうだ?)
危険からの回避が認められれば世界は時間を取り戻す。ならばあえて拳を拳で受け止めてみた場合はどうなるのか。押し殺された速度の拳など恐怖を感じるはずもない。
デレピグレオはリデスカーザの一撃を受け止めるべく、両手を正面へと突き出した。
そして衝突。
接触の瞬間、時間が一気に加速をみせる。パァンと風船が割れたような短い音と同時に、デレピグレオの両腕がびりびりと震えた。腕に奔った衝撃にデレピグレオは思わず舌打ちする。
(なるほど。接触したら危機回避失敗判定ってことで、時間の流れも元通りってことか。これは攻撃をいなすのに慣れるまでは回避に専念した方がいいな)
未だ痺れる両手をぷらぷらと遊ばせながら、リデスカーザの動向に注意する。
流石はガリバ族最強のNPC。デレピグレオよりもレベルが高いだけあって攻撃は超強力だ。まともに食らえばくの字に折れ曲がって痛みに地べたを転がるに違いない。
そんな事を考える余裕を見せたデレピグレオに怒ったのか、リデスカーザが咆哮する。
「デレピグレオ、何故打ってこない? 怖いのか!」
(はい。めちゃ怖いです)
族長としての威厳をゴミ箱にでも放り込んで、今すぐにでもその言葉を投げ返してやりたい。だがデレピグレオーーガリバ族の族長として最低限の戦闘能力を確認出来た以上、男の矜持とでも言うべきなのか、彼は不敵に微笑んで見せた。
「まさか。俺を誰だと思っている? お前たちを統べる男だぞ。だがそんなに反撃が欲しいなら少し遊んでやるよ。来な」
「ウガァァァァァァッ!」
挑発にいとも容易く乗せられて、リデスカーザが吠える。
激昂に狂うその姿は正に獣のそれだ。鋭い犬歯が唾液を伝い、瞬きの瞬間にその雫だけを置いて彼女の姿がかき消える。
遠目から観戦していたフィットマンとプティッチでも、その姿を追うのは至難の業であった。一呼吸もせぬ内に、デレピグレオの背後へと回ったリデスカーザの蹴りが彼の首筋を襲う。
ボキリ。鈍い音と同時にデレピグレオの首があらぬ方向へと傾き、その胴体は力なく地べたに倒れこむ。頚椎の破壊による確実な死亡だ。あまりの呆気なさに一同は静まり返る。
――と、本来であればそうなっていただろう。
だがスキルの実験に成功したデレピグレオの未来は大きく改変され、最悪の未来の一つを消滅させる。
デレピグレオは首どころか視線を動かすことすらなく、ただしゃがむだけでその急襲から逃れる。そして軸足一本で身体を支えるリデスカーザの足を払うと、彼女の上に覆い被さるように馬乗りとなって拳を振り上げた。
「そこまで!……だな」
デレピグレオの拳がリデスカーザの顔面を貫く直前で、フィットマンの静止がかかる。
勝負ありだ。
デレピグレオはゆっくりとリデスカーザから腰を上げ、鷹揚に元いた位置へと歩き出す。
「ガハハハハ! 流石はお頭。戦士長と言えどもまるで相手にならんかったな」
まるで仇をとってくれたと言わんばかりにプティッチは豪快に笑う。
「う、うるさい! 調子が出なかっただけだ!」
「おおっと、言い訳は戦士らしくないんじゃないか?」
「ぐっ……、くそ! もう寝る!」
褐色の頬が僅かながらに赤みを帯びながら、リデスカーザはプンスカと訓練場から退出する。
「やれやれ。仮にも女性相手に大人気ないんじゃないのか?」
「そう言ってくれるなや、フィットマン。俺様だってあの暴力女に夜通し付き合わされて参ってたんだ。ちょっとばかしの仕返しぐらい大目に見ろや」
「やれやれ……。ところで――どうだった、族長殿? 程よい運動にはなったのかな?」
「ああ。お陰で色々確かめられた」
この世界におけるスキルの効果がゲーム時とは少し異なる事。ゲーム時のステータスは生きていること。予想外の事は起こったが結果としては上々だ。
もちろんまだまだ確認すべき事案はいくつもあるが、一先ずはデレピグレオとしての戦闘行為が可能であると実験できただけでも十分すぎる戦果である。本気でないとはいえ、あのリデスカーザに善戦したのだから勲章ものだ。自分を褒めずにはいられない。
張り詰めた緊張感が解きほぐされ、安堵からか思わず欠伸が出てしまう。
「……と言ってもリデスカーザ相手は流石に些か疲れた。今日はもう休むとしよう。悪いがフィットマン、明日の昼頃に俺の天幕に皆を集めてくれないか?」
「皆と言うと……ガリバ族全員か? それとも側近達の事か?」
「そうだな……。まずはお前達だけでいい。ちゃんと全員集めておいてくれ」
「おいおい。俺様は今から酒を楽しもうって時間なのに、そんな早くに起きられねえよ」
「今日は不運な一日として終わらせておけ。明日また旨い酒でも楽しんだらいいだろ?」
ムスゥと不貞腐れた表情を浮かべながら、プティッチは渋々頷いた。
(あ、これ絶対帰って酒樽浴びるやつだわ)
何となくそんな気がする。プティッチは酒・金・女と酒池肉林こそが己が生き甲斐だと馬鹿笑いする男だ。そんな男が一日の楽しみを得る事なく瞼を閉じる事はないだろう。
しかしそれを設定したのは紛れも無く泉宗吾であり、彼にプティッチを責める事など出来ようはずもない。
困ったように笑顔を浮かべるのみで強くは追求しなかった。結果として明日寝坊しても責めないでおこう。甘いかもしれないがデレピグレオは静かにそう決めると二人に一度別れを告げて帰路についた。