013:蹂躙
最初は何をしているのかと怪訝に思った。
しかし直後に起きた事象に総毛立つ。
ふわりとエルダーの身体が宙に放り出される。いや、正しく言えば彼の愛馬も一緒だ。
しかし手に握る手綱からは一切の重みが感じられない。
それもそのはずだ。
少しずつ空で前のめりになっていく体勢に、エルダーはようやく自分の身に起きた現象を理解する。
重力と共に落ちていく視線の先には、先程視界の端に映った一人の男の姿。そしてエルダーが率いていた帝国軍の兵士達が犇めき合っている様子であった。
――宙に放り出された。
そう気付いたのは、肉体が重力に捕まった頃だった。
よく見れば、眼下には他にも不自然に隆起した大地が映る。
間違い無く犯人はあの男だ。
エルダーはそう確信し、すぐ様大地との激突を避けるべく魔法を行使する。
〈風魔法II・空気雲〉
大地とキスする手前で、半透明の白い緩衝材が一人と一頭を優しく受け止める。
エルダーは愛馬を寝かせたまま、すぐ様声を張り上げた。
「私の事は無視していいから、貴方達はそのままハッタンへ向かいなさい!」
突然の事故に見舞われながらも、エルダーは現状最優先すべき事柄を的確に判断する。
その甲斐あってか、一瞬脚を止めようとした彼の部下達はどうにか速度を殺す事なく、彼らの横を次々に駆け抜けていく。
「チッ。こっちに向かって来ねえのかよ、つまらねえ。ったく、運がないぜ」
両脇を大軍が駆け抜けていくというのに、安堵も恐怖も焦燥も緊張も大男からは感じられない。
あるのは退屈そうに漏らす愚痴だけだった。
エルダーは愛馬をゆっくりと立ち上がらせて、目の前の男へと向き直る。
「やってくれたわね。アレ、あなたの仕業でしょう?」
隆起した大地に指を指し、エルダーは目の前の男を睨む。
近くで見ると改めてその巨躯に驚かされる。
これ程巨大な人間には出会った事がない。肩や手首など、所々には部分的に鎧が装着されているが、他は筋肉が露出した軽装で、異常発達した上半身が男の存在を主張していた。
しかもその目つきは獰猛。
これが素の状態であるなら、とてもお近づきにはなれそうにもない。それにただでさえエルダーは不潔が苦手だというのに、男の髪や髭は全く手入れが行き届いている様子もなく、何ならノミでも飼っていそうな雰囲気だ。
本音を漏らせば、直ぐにでも会話を切り上げて男の前から逃げ出したい気持ちでいっぱいである。
「おうとも」
想像通りに太い声がエルダーの耳を嬲る。
「そう……。で、貴方は誰で一体どういうつもりなのかしら?」
「ンだ? 女みてえな喋り方する野郎だな。いや、もしかして女なのか?」
「失礼ね。歴とした男よ。それより私の質問に答えてくれるかしら?」
「ガハハ! だよな? そんな低い声に胸のねえ女がいるわきゃねえし」
汚い声のお前に言われたくはない。
そう投げ返してやりたいが、エルダーはグッと堪える。
「っと、悪ィ悪ィ。俺様の名はプティッチ。んで目的はテメエをプチっと潰すことだ」
「へえ? 私が誰なのか知っての発言なら随分と豪胆ね」
「そうか? 見た感じ、お前程度なら俺様の集落にもゴロゴロいるぞ?」
(……集落? この近くに村みたいなとこあったかしら? 王国の端にある?
それにプティッチ……聞いたことない名ね)
順番に引き出した単語を元に、エルダーは記憶を探っていく。
しかし残念ながら関係ありそうな記憶は見当たらない。
「ふーん? 帝国四神の一柱である私のような人間がゴロゴロねぇ……。
正直世界広しと言えども俄かには信じられないわね。その村は一体どこにあるのかしら?」
「おおっと、そんな事よりとっととやり合おうや。
もし俺様に勝つ事が出来ればいくらでも聞かせてやるよ」
プティッチはニヤリと歯をむき出しにして嗤うと、ひょいと地面に突き刺していた巨大な斧を軽々と肩まで引き上げる。
(これ以上は望めない――か)
情報収集を一時断念し、エルダーは愛馬の首をポンポンと叩いて離れるよう促す。
「さ〜て。手加減はするつもりだが、こちとら最近色々とストレスが溜まっていてな。加減しきれないかもしれないから先に謝っとくぜ」
「あら、見かけ通り随分と野蛮な男ね。そんなんじゃ女性に嫌われるわよ?」
「ガハハ! 俺様を前にしてそんな口叩けるとはな。気に入ったぜ!」
「光栄ね。私は貴方のこと好きになれそうにないけど」
「ガーッハッハ! ますます面白え! だがそろそろ無駄話も終わりにして遊ぼうや。ほれ、テメエの力量を試してやるからかかってきな」
クイクイっと、プティッチの大きな手がエルダーを挑発する。
「そう。なら遠慮なくいかせてもらうわ!」
エルダーとて、正直情報収集という名のお喋りにこれ以上時間を割くつもりもない。
一気にケリをつけようと得意魔法を発動させる。
〈風魔法IV・風の爪〉
“王国の刃”リリリラ・ミニッツハーゲンを以ってしても打ち破ることの敵わなかったエルダーの十八番魔法だ。
手の甲から伸びた三本の爪。
実のところ、この魔法の強みは全てを切り裂く鋭利さでも折れない強固さでもない。
先程の戦闘でも一度使ってみせたのだが、自在に伸縮できる間合いにあった。
その気になれば数十メートル先にまで爪を伸ばす事だって可能である。
そしてその伸縮速度も脅威の一つ。肉眼で追うのは間違いなく困難。瞬きの間に標的の肉体は穿たれ、切り裂かれ、絶命する。
唯一欠点を挙げるとすれば、伸縮が自在であっても形状までは変える事が出来ないので、どうしても攻撃が直線的になりやすいという事ぐらいだろう。
ただその場合は他の魔法と併用すれば済む話なので、結局のところ使い勝手の良い魔法であることに変わりはない。
そして今、白い輝きがプティッチのデカい図体を穿たんと瞬間的に解き放たれる。
視界に捉える事すら出来はしないだろう。
余裕という油断がプティッチの運の尽きだ。
エルダーは遊ぶことなく、目の前の男の腹筋を貫い――
「――え⁉︎」
――て終わるはずだった。
しかし、予想外の展開にエルダーは思わず驚愕を漏らしてしまう。
無防備を決め込むプティッチの肉体に、確かにエルダーの魔法は直撃した。
本来であれば、先程の戦闘のように鉄ですら切断する殺傷力を持つ必殺の魔法。剥き出しの腹筋一つ、貫けぬ筈がない。
だがどうした事か。
エルダーの両目に映る光景は、そんな常識を嘲笑うかのように彼の未来予想図を遇らった。
貫けない。
いや、それどころかプティッチの皮膚は血の一滴すら流すことなく、爪の侵入を皮膚で押し退けてしまっていたのだ。
「う、嘘⁉︎ 有り得ない!」
本音が大きく漏れる。
そう、エルダーの言う通り普通は有り得ないのだ。
確かに自身の身体能力を底上げする魔法やスキルは存在する。だが自らの肉体の硬度を鉄の如く――いや、エルダーの魔法は鉄をも切り裂く事から鉄以上の硬度と言うべきだろう――強化させるような魔法など、エルダーの知る限り存在しない。
いや、仮に存在したとしても無傷でいられるはずがない。エルダーは強く確信する。となれば思いつくのはただ一つ。
「何かのスキル⁉︎」
「いいや。俺様はスキルなんざ使ってねえよ」
だがプティッチはそれすらも否定する。
「う、嘘よ! なら生身で私の〈風の爪〉を受けたって言うの⁉︎」
「嘘なんか言わねえよ。俺様の素晴らしいこの筋肉を見りゃ分かんだろ。
テメエ如きの攻撃じゃ俺様には通用しねえって事がよ」
「そんなの信じられる訳ないじゃない!」
自分の魔法を真っ向から否定されるなど初めての経験だ。
その焦りがエルダーの声を荒げる。
だが突き刺すことが出来ないのならば、今度は切り裂けば良いだけの話。
エルダーの腕が勢い良く振るわれる。
しかしその勢いすら途中で一気に加速度を消失させてしまう。
原因はハッキリと視界に映っている。
プティッチの横腹で静止する三本の爪。
またもやプティッチの言うところの筋肉に阻まれてしまっていたのだ。
二度に渡って起きた事実と、腕を振り抜く事すら出来なかった現実を前に、エルダーの喉が僅かに震える。
「おいおい。俺様の話を聞いてなかったのか?
その程度の攻撃じゃ俺様には無意味だって事をよ」
「……ふ、ふふ。ほんと、馬鹿げた体してるとは思ったけど想定以上ね」
「だとすると見積もりが甘過ぎだな。俺様を舐め過ぎだ」
「悔しいけどそのようね。けれどまだ全てが通用しないと決まったわけじゃないわ!」
「おお、そのいきだ。その程度じゃないんだろう?
久々の外なんだ。俺様をもっと楽しませてく――」
〈風魔法III・突風〉
プティッチが愉快に言葉を並び終えるより早く、エルダーが魔法を放つ。
風の力は強大だ。
その気になれば家屋の一つや二つ、崩壊させる事など容易い。
人ひとり吹き飛ばすなどワケない事。
――だというのに、目の前の男は風に揺られる髭を遊ばせるだけで、平然とそこに立っていた。
「……ぺっ。ったく、砂が口に入ったじゃねえか」
「くっ……!」
自身の十八番が防がれた時から嫌な予感はしていたのだが、やはり、とエルダーは舌打ちする。
だからこそ攻撃の手を止めず、さらに〈突風〉を放つ。
今度は馬鹿正直に正面からではなく、プティッチの側面を狙って。
人は例外なく横や後ろからの衝撃に弱い。
正面からならば難なく耐えられる衝撃も、意識の外にある背後や側面からの衝撃は予測出来ずに踏ん張ることが出来ないのだ。
それ故に体を支える軸がブレやすい。
だがプティッチはそんなエルダーの常識を嘲笑うかのように、その蓮撃を物ともしなかった。
まるで大地に根付く岩だ。
プティッチからすれば、エルダーが放つ風程度は全方位どこから繰り出そうとも意味はない。
十人以上を一度に吹き飛ばす魔法でさえこの有様。
「全く、冗談じゃないわね……」
そう吐き捨てるエルダーに、初めてプティッチが少し驚いた表情を見せる。
「……おいおい。もしかして本当にこの程度なのか?
だとすればわざわざこいつを持ってきたのは間違いだったな」
輝きを閉じ込めた斧を遊ばせて、プティッチは落胆する。
「まだよ! 〈風魔法IV・風の斬撃〉」
「フン!」
鉄をも切断する風の刃でさえ、煩わしそうに払ったプティッチの手にはたき落とされてしまう。
人間業ではない。
心底エルダーは目の前の化け物に唾を吐き捨てたい気持ちでいっぱいになる。
「……貴方、本当に一体何者なの?」
「さっきも名乗っただろうが。プティッチ様だよ」
「そんな名前聞いた事ないわ。もしかして、貴方が本当の王国の切り札なのかしら?」
「ハッ! 冗談も大概にしとけ。俺様はテメエらみてえに国に仕えちゃいねえよ」
「…………はぁ⁉︎」
落ち着き払おうと努めてきたエルダーだが、ここに来て初めて素っ頓狂な声をあげる。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 貴方、王国の人間じゃないの?」
「んなわけねえだろ。いつ俺様がそんな事言ったよ?」
馬鹿も休み休み言え、とプティッチは呆れたようにエルダーを見る。
「な、なら何で貴方は私達の邪魔をしているのよ⁉︎」
尤もな疑問を大男にぶつける。
ただでさえ規格外な化け物が紛れ込んでいるだけでもまいっているのに、それが王国とも関係のない存在ならばこんなに理不尽な事はない。
いや、理由があれば良いという訳でもないが、少なくともエルダーの中で納得出来るはずもなかった。
だがそれに対しての返答は、またもやエルダーに首を傾げさせる。
「それがお頭の命令だからな」
「お頭?」
「俺様が惚れた唯一の漢。俺様が膝を屈するに値する唯一の存在。
我がガリバ族の族長様よ」
「……じゃあさっき言っていた村というのは王国にある村じゃない?」
「何だそりゃ? 俺様は一言もそんな事言った覚えはないが?」
「……確かにそうね。私の勘違いだわ」
「で、どうするよ。長話してる間に残りはお前達だけになったみたいだぜ?」
「何を――?」
エルダーは、一瞬プティッチが何を言っているのか理解出来なかった。
だがプティッチの視線に誘導されて、彼から視線を外した時、その意味を理解して驚愕する。
防衛都市ハッタン。
その護るべき都市の上に、帝国の旗とは異なる色の旗が掲げられていた事に。
エルダーが率いていた軍隊も、ハッタンに辿り着く前に地に伏していた事に。
「……嘘…………」
自然と零れた一言は本音にしてエルダーの抱く感情そのものであった。
ある訳がない。いや、あってはならない。
こんなものの数分で部隊が全滅するなど、エルダーの考え得る常識を真っ向から否定していた。
だが目に映る光景が真実であるとすれば、エルダーが抱く感情は絶望の色へと塗られていく。
「ストラップ殿!」
そこに殿を務めていた副官率いる部隊が到着する。
どうやら王国軍の追撃はないようだ。
リリリラが戦闘不能に陥っているというのも理由の一つであろう。
「お待たせいたしました。……この男は?」
「……異物よ。この戦いの、ね」
「は? 異物? あ、いえ。それよりも何故こんなところで足止めをくらっているのです? そんな暇はありませんよ。
すぐにハッタンに向かわなければ。
……そういえば他の兵はどこに?」
「もう遅いわ。あれが見えないの?」
副官も、一瞬エルダーが何を言っているのか分からなかった。しかし彼が指差す向こう側、そこに視線を移す事でそれに気付く。
「ば、馬鹿な⁉︎」
「いいえ。私も信じられないけれど、貴方も同じ光景を目にしてるなら――残念ながら真実ね」
ぎりっと唇を噛み締めて現実を受け入れる。
「こんな僅かな時間に一体何が……? い、いえ、ならば我々だけでも王都を落としに――」
「む――」
「無理だな、そりゃ」
エルダーより早く、プティッチがそう断言する。
「な、何だと貴様!」
「まず第一に、あっちにゃ我がお頭が待機してる。万が一にも城が落とされるなんて事はあり得ねえ」
プティッチが口にする「お頭」というのが一体何者なのかは知らないが、すぐ隣で忌々しそうに拳をつくる上官を見て、反論しそうになる言葉を喉元で押し殺す。
「第二に、お前らが向こうに置いてきた王国兵はどうするつもりだ? まさか突破するつもりなのか?
わざわざ後退してきたんだろ?」
全くの正論だ。
反論する余地すらありはしない。むしろ、自分で口にした無謀な策を冷静に指摘されて、恥ずかしさすら覚えてしまう。
「そして第三に、俺様がその気になればここにいるお前ら全員一瞬で鏖殺よ」
ニタァ、と牙を剥き出しにして獰猛に笑う。
「馬鹿言うな! 貴様如き、ストラップ殿の手にかかれば返り討ちよ!」
男から発せられた殺気に押し潰されそうになりながらも、副官は真っ向からその言葉に反論した。
これは彼の本心であり確信でもあった。
それだけ彼がエルダーに抱いている信頼というのは巨大なのだ。
事実、帝国四神の名を預かる四名の英傑は名ばかりの集団ではない。
四人が四人とも、決して常人が足を踏み入れる事の叶わない領域に達した存在。
彼も長年エルダーの側で支えてきたから分かる。
実際に彼らが敗北したなどという話を未だ帝国内で聞いた事はないのだから。
しかしそんな絶大な信用を勝ち取っているエルダーの口から、信じ難い言葉が漏れてしまう。
「……ごめんなさいね。残念ながら、私じゃこの男に敵わないみたい」
「な、何を⁉︎」
一瞬聞き間違いかとも思い、耳を疑った。
しかしエルダーの表情は思わしくない。初めて見る顔つきだった。
嘘だ。
たった一言、そう口にしたいのにその言葉が出てこない。
いつになく真剣なエルダーの目が、副官にそれを悟らせたのだ。
副官の動揺は彼が率いていた部隊全てに伝染していく。
「プティッチさん……だったわよね?」
「ああ」
「私達が降伏した場合、ここにいる全員捕虜としての安全は保障してくれるのかしら?」
「俺様個人としては却下だな」
獰猛な両眼が帝国軍全てに向けられる。
脅しではない。明確な殺意の色が窺えた。
たった一人に何が出来る、と、そんな浅はかな考えに行き着くものはいない。
プティッチを目の前にしたら嫌でも理解してしまう。
どれだけ自分達が矮小な存在かという事に。
大口を叩いた副官でさえ、冷静になってからは過去の自分を戒めるように唇をギュッと噛んでいた。
唯一、真の意味で冷静な思考を保っていたのはエルダーだけだった。
エルダーはプティッチの妙な言い回しに、彼が口にした言葉を繰り返す。
「『俺様個人としては』?」
「そうだ。テメエの事は『気に入った』なんて言いはしたが、基本的に俺様はヒューマンって人種が好きじゃねえ。
捕虜なんざ取らずに皆殺しした方がストレス発散にもなるからそうしたいんだが……出来る限り捕虜として捕らえるようにとお頭から言われていてな。
理由はよく分かんねえが」
(また『お頭』……。一体何者なのかしら?)
「ならここで私が降伏を宣言したら?」
「……不本意ながら俺様がテメエらに手出しする事は出来なくなるってことだ。
まあ降伏される前に――」
「エルダー・ストラップがここに宣言するわ!
帝国軍は全員武器を捨てて王国軍に即時降伏!
これ以上の戦闘行為は帝国四神“白虎”が認めない!」
プティッチが何か言い終わるより早く、エルダーは高らかに降伏を宣言した。
あまりに突飛過ぎて思考が追いつかなかったからか、帝国兵は隣り合わせに顔を見合わせる。しかし副官の男がエルダーの指示に従って剣を地面に手放した事で、戦場には次々と地面へと落下する金属音が鳴り響く。
「……チッ」
そして露骨に不機嫌な顔を見せるプティッチに、エルダーは初めて心からの笑顔を見せるのであった。




