ガラパゴス化を肯定的に捉える
ここ最近、ガラパゴス化という言葉が使われている。これは、日本が独自の仕様や様式を生み出して規格化する為に、世界との間に差異ができてしまう事を指している。一般的には「ガラパゴス化」という言葉はネガティブに捉えられているようだ。
しかし、「ガラパゴス化」するのはそんなに悪い事だろうか、と自分などは前から感じていた。ガラパゴス化というのは、色々な意味にも捉えられてしまうが、それ独自の様式を生み出している事は、世界との間に差異があるから、もしそこで生まれたものが優れたものならば外の世界に輸出する事もできるだろう。独自の進化形態を遂げて差異があるからこそ、世界を先駆けるものになる可能性もあるわけで、世界といつも足並みを揃えていたら、いつも二番手、三番手に甘んじるという事になる。
もちろん、ガラパゴス化が、ただ単に、世界的なレベルから劣っている、というパターンもあるだろう。ガラパゴス化と呼ばれる現象はただ世界との差異を示すだけの言葉で、質についてはあまり考えられていない。例えば、日本サッカーが独自の進化を遂げていたとして、ワールドカップでボロ負けに負けるチームであれば、それは進化とは言えず退化という事になってしまう。
自分などはオタクなので、日本のアニメ・ゲームというのはそれなりに面白いものとして発展してきたと感じている。最近クールジャパンなどと言い出して、そうなってくるともう薄ら寒い感じになってきてしまうが、日本のサブカルチャーの分野が自分達の愉しさで勝手に進んでいくのは、悪い事ではないと思っている。逆に、ゲームなんかでは、明らかに海外展開を視野に入れて作られていて結局何がしたいのかよくわからないゲームなんかもあって、そういうのはプレイしていて楽しくない。海外展開もできる重厚長大なゲーム、最近流行りのオープンワールドを取り入れる…なんていういかにも会議で提案されそうなコンセプトが盛り合わされただけのゲームというのはあまりおもしろいと感じない。
例えば自分が面白いと思うのはダンガンロンパやペルソナ3~ペルソナ5だったりするのだが、こういう作品は海外展開を視野に入れているというわけではないだろう。こういう作品は日本独自のガラパゴス的なものとみなして構わないように思うし、それでも質が高いので、海外に持ち出しても何の問題もない。
一方、メタルギアソリッドや攻殻機動隊なんかはいかにも海外の、アメリカなどが好きそうなゲーム・アニメだったりする。しかしこうした作品は製作者や監督の個性や興味のあり方と合致しているので、別に無理して海外受けするものにしているわけではないと思う。こうした作品の方が確かにダンガンロンパやペルソナより受け入れられやすいかもしれないが、それはまあそれだけの事で、別に海外のユーザーが正しい嗜好をしているとも思わないので、ただそういうものではないかと思う。もちろん、日本のユーザーが正しい嗜好をしているとも特に限ってはいないが。
さて、ここまで考えてくると、「日本独自の」とか、「海外では」とかいった場合の、「日本」「海外」という言葉の意味自体を考えなければならないのだが、これは非常に大変な事なのでここで考える事はできない。ただ、自分がこんな事を書いたのは、最近、Steamで海外で人気のゲームをいくつかやってもさほど感心しなかったという経験がある。最近は洋ゲーの方が和ゲーよりも質が高いと言われているが、思ったよりそうでもないというか、海外で人気のあるスカイリムとか、GTAなんかもそれほど良いとは思わなかった。(気に入ったのは「ボーダーランズ」) そしてこれは日本人の僕の嗜好かというと、そうでもないと自分は思っている。
実際、自分はアメリカ文学のケルアックやサリンジャーが好きで、その解放的な様を、日本近代文学よりも好んでいる部分もある。ガラパゴス化はそんなに悪い事ではない、と自分が書いたのは、別に海外で褒め称えられているものがそこまでずば抜けて素晴らしいものでもないという自分なりの経験があったからだ。大体そういうところで、クリエイターは海外の事よりも面白いものを作る事に専念した方がいいように思う。それを海外に持っていくのは会社、企業、プロデューサーの仕事であって、良いものを作れば必ず誰かが外に伝えてくれるだろうと信頼してもいいのではないかと思う。楽天的に考えると、そう言えると思う。