3-1.成功者
――朝、今度は遅刻しないように一番早くに起きた。
もちろん筋肉痛は酷く、身体は思うように動かせない。でも人間って不思議なものだ。
こんな環境に三日も浸かれば身体は自然と慣れていく。
一週間もすれば飯をお代わりする余裕すら生まれていた。
山の散歩はすでに日常になっていた。
それでも部屋の仲間に追いつくことすら難しいが、バテて座り込むことはなくなっていた。
この施設では基礎体力のほかに様々なことを学んだ。
銃の知識、医療知識、射撃、陣形、語学、無線など数えれば切がない。
考える暇もないまま次の工程に進んでいく、学園とは違う緊張感、
座学でさえ一秒たりとも気が緩む暇はなかった。
苦手な語学の座学が終了するチャイムが鳴った。
白衣の男が部屋を出て行くと、俺はすかさず机の上に頭を押し付けた。
「あ~疲れたぁ」
「ナナは真剣に授業聞きすぎじゃん?」
隣の席に座っているシロウが話しかけてくる。
押し付けている机の冷たさが気持ちいい、考えすぎて沸騰気味の頭が冷静になってくる。
「うるせぇ~まったくわかんねーんだよ」
「ははは、ナナは真面目すぎるな」
シロウはまるで余裕綽綽とばかりに脚を組みながら笑っていた。
椅子の足を浮かせて一本の足だけでバランスを取って遊んでいる。
そんな遊ぶ余裕すらあるシロウに訊いてみた。
「シロウはわかるのかよ」
「俺? 全然わかんねぇ」
「はぁ?」
俺は呆れながら言葉を返す。
「なら勉強しないとやばいだろ」
「勉強……なんで?」
「だってテストとかあるんじゃないのか?」
「ほんとお前は真面目だよなぁ。こんな座学なんてあいつらの暇つぶしでしかねーよ」
「あいつらって……」
そのときガラリと扉が開いた。白衣の男と、もう一人同じ白衣を着た男が部屋に入ってくる。
二人で教卓に立つなんて珍しいな――。
白衣を着た男の一人が口を開いた。
「えーここのクラスは、明日の十一時より模擬戦闘を開始する。これより明日の定刻までは準備に当てるべし」
部屋の中の七人が歓声を挙げた。
俺は何がなんだかよくわからず、白衣の男の声にひたすら耳を傾ける。
そんな中、一人の男がドスの聞いた声を響かせた、アルフレートだ。
「おい、相手は誰だ?」
辺りが静まり返る、白衣の男は手元にある資料を見ながら言葉を返した。
「資料に書いてある、俺は何も言えない。あとはお前らで想像しろ」
「……報酬は?」
「それも書いてある、一週間の休暇と一人五十万だ」
「気にいらねぇな。五十ってことは四百あるってことか。分配はこちらで任せて貰おう」
リーダーを名乗るアルフレートの提案に誰も異を唱えることは出来なかった。
みんな萎縮してしまい、気だるそうに机に肘を付いた。
「好きにしろ」
白衣の男たちは二人して部屋を出て行った。するとアルフレートは皆を呼び集めてこういった。
「おい小僧。明日お前は余計なことするんじゃねぇぞ」
「え?」
「弱兵一人で全滅するなんてこたぁ、よくあることだ」
小僧って俺のことかよ――。
周りの顔がニヤリと微笑んだ。
さっきまでのやる気のない表情は一変し、皆アルフレートの言葉に耳を傾けている。
どうやら俺にも報酬が出ることが気に入らなかったみたいだ。
それにしてもこんな形で皆の士気を上げれるのか。
なんだかなぁ――。
足手まといになるのは分かっている。しかし、俺も習った知識や技術を試してみたい。
そんな気持ちが湧き出ていた。でも皆との力の差は歴然だろう。
なぜなら俺は元々学生で、こいつらは軍隊あがりだからだ。
たった一週間やそこらで埋められるものではない。
俺は少し離れたところで、資料に目を通した。
「おいおい、こりゃなんの冗談だ?」
アルフレートが呆れた声をあげた。俺は固まっている集団を横目に見ながら流し読みする。
資料には模擬戦闘の対戦の名がたったひとつだけ書かれていた。
「相手は一人かよ、こりゃ楽勝だな」
「でも一人ってことは相当数の罠が仕掛けられてるぞ、工兵の出番だな」
皆が資料にある情報を元に、あーだこーだと様々な発言をし始める。
流石は軍隊あがりという事だろうか、俺には想像も出来ないことだらけだ。
ふう――。
俺は資料をたたんで席を立った。
「おい、小僧。どこに行くんだ?」
アルフレートが俺を呼び止めた。
「帰って寝ようと思った」
アルフレートがギラリと俺を睨み付けた。
険悪な雰囲気があたりに漂ったが、すかさずシロウが口を挟んだ。
「あっはっは。おいおい、拗ねてんじゃねーよ」
シロウは立ち上がって俺の肩に手を乗せてくる。
シロウが笑ったおかげか、周りの人たちも笑い始めた。
「あ、俺みんなの装備を申請してくるよ。いつものAタイプでいいっすか?」
シロウがアルフレートに向かって訊いた。アルフレートはわざとらしく溜息を吐きながら、
「餓鬼のお守も大変だな、シロウ。Aタイプでいい、よろしく頼む」
「了解」
シロウはそのまま俺の腕を掴んで教室を出ていった。
シロウに反発することもなく、俺も一緒に教室を出た。
カツンカツンと廊下に足音が響く中、シロウが口を開いた。
「おいおい、どうしたよナナ」
「どうしたって……」
「珍しいな、あんな挑発されたくらいで怒るなんてよ」
挑発ねぇ――。
「あーゆーとにかく仕切りたい奴は何処にでもいるんだよ。そして反発されるとすぐ拗ねちまうんだ。自分の思い通りに物事が進まないとイライラすんだよ」
「だからって、その捌け口に使われたら堪らないな」
俺は小さく溜息を吐いた。
シロウがアルフレートのことをペラペラと話ているが、まったく耳に入ってこない。
俺の心の中にあるのは「面倒くさい」ただこれだけだった。
「こら」
ポコッと頭を軽く小突かれた。
「何すんだよ」
「面倒でも聞いておけ。この施設じゃ気に入らないから出ていく、なんて事はそうそうできないんだぞ」
その言葉に、俺はシロウの顔を少し見つめた。シロウの言葉はすべて俺を心配してくれている。
俺はなんだか自分が叱られている子供みたいに思えてしまい、ゆっくりと頷いた。
「わかった、次からは気を付けるよ」
「おう、頼むぜ。さて、着いたぞ」
シロウはにっこりと微笑んで、目の前の扉に手をかけた。
部屋の中は迷彩服やヘルメット、それに靴底の分厚いブーツが何個も立てかけてある。
「なんだここ……」
「装備一式を扱っているところさ、必要なもんはここで発注するんだ。おーい」
シロウが部屋の奥に向かって声を掛けた。
すると、寝ぼけ眼を擦りながら、下着姿の女性が顔を覗かせた。
「ふぁぁ……、なんだいシロウかい。何の用?」
「フィオさん、そんな恰好してたらすぐに襲われちまうぜ」
「あらそう? だったらシロウがあたしを襲ってくれるのかな?」
「い、いえいえ。滅相もない、俺はまだ生きていたいんで」
シロウは首を何度も左右に振りながら、一歩二歩後ずさりした。
「ん? 誰それ、新人? 珍しいね~」
フィオと呼ばれた女性が俺の顔を見つめた。
赤い髪の毛に赤い目をした綺麗な女性が、下着だけで俺に向かって来る。
ストライプのブラとお揃いのパンツに目を奪われる。俺は思わず目をそらした。
「お、こいつ目なんか逸らしちゃって~お姉さんの下着にドキッとしちゃった?」
「え、ええ……」
「なにこいつ、可愛いなぁ~」
可愛いは褒め言葉じゃないんだけどな――。
フィオは俺の頭をワシャワシャと撫でながら、ご機嫌よく口を開いた。
「あたしはフィオってんだ。ここの武器管理をしてるぜ」
「あ、俺はナナっていいます。この前入ってきました」
「ナナって本名?」
「いえ、名前は忘れました」
「ふ~ん」
フィオはそういって俺の頭から手を離した。
先ほどまで機嫌がよかったはずなのに、今はなぜか神妙な顔つきに変わっている。
「ナナって若すぎじゃない? 歳いくつよ?」
「歳は二十二、前は玖国の自衛隊にいました」
俺は咄嗟にシロウに習った嘘をついた。
俺は横目でシロウに目くばせすると、シロウも少しだけ口元を緩ませた。
「フィオさん、明日模擬戦闘があるからAタイプを頼むよ」
「なんだい、ホントに仕事で来たのかい」
「当たり前でしょ。今回は第七の廃ビルだから」
「はいはい、だから室内戦闘用の装備ね。日数は?」
「一日だけの予定だから、ライフキットはすべて無しで。その分無線はいいやつがいいな」
シロウとフィオが流暢に話し始める。
俺はと言えば装備の知識は不十分で、玖国人なのに言葉の意味すら分からなかった。
「メインは?」
「標準のサブマシンガンで、あとエントリーツールを一式お願いします」
「そんなの無くても、銃で破壊して入ればいいだろ?」
「念のためですよ、念のため。爆発物は禁止だから必要ないです」
シロウはそういって踵を返し、扉に手を掛けた。
「なら、明日の朝にまた伺います」
「あいよ~ナナちゃーん、寂しくなったらいつでも来てね~」
俺は赤く火照った頬を見られないよう、足早に部屋を出た。
「お疲れナナ」
「ああ、俺は何もやってないよ」
「でも疲れただろ?」
「確かに疲れた」
シロウが何気なく自販機の前に置いてある椅子に座った。
「模擬戦闘の内容は把握したか?」
「まだ全部読んでない」
「体よく言えば、ビル内に立て籠もっているいるテロリストの殲滅ってところか」
「テロリストって、相手は一人なんだろ?」
「だな、だから明日は楽なもんだ。元々与えられた休暇と給与なんだよ」
なるほどな、だから俺だけ省きたいのか……でも――。
「大方みんな分かってんだ。だから明日は楽なもんだよ」
「そう言ってる割に、なんだか乗り気じゃないな」
シロウは手を顎に沿え、少し首を捻りながら言った。
「厄介払いにも見えなくないんでね。俺は金を稼ぎに来たのに、こんな手切れ金じゃやってられねいよ」
「……考えすぎじゃないのか?」
「考えたくもなるね、もう自分の国もないんだ。次の就職活動のことを思うと嫌になるぜ」
「国が……」
俺がそう呟くと、シロウは俺の肩をポンと一度だけ叩いた。
「一応資料に目は通しておけよ。それに自分の身の振り方もな」
そういうとシロウは手を振りながら部屋へと歩いて行った。
「……深読みしすぎじゃないのか」
でも、もし解雇なら俺も行くところなんてないんだけどな――。
なんだか憂鬱な気持ちになってしまう。明日のことを思うと更に頭が痛い。
俺はぼんやりと外を見ながら時が過ぎるのを待ったが、一向に眠くなれなかった。