2-1.施設
――!
目を覚ます。
しかし目に映るのは懐かしい自分の部屋の天井なんかではなく、
野宿をしていたはずの青空でもなかった。
ただの真っ白い天井、辺りを照らす蛍光灯の光だ。
ごそごそと頭を動かしてみる。
俺はどうやらベッドの上に寝かせられているようだ。
身体を起こして立ち上がろうとすると、
「なんだこれ?」
身体中になにやら細長い管が取り付けられている。
先が吸盤になっている管をぶちぶちと引き抜いた。
いつのまに着替えさせられたのか、着ている服も違う。
病院で見たような薄緑色の検査服を着ていた。
病院――?
ここは病院の一室なのだろうか、誰も居ない部屋からは不気味な感じが漂っていた。
足にも付いていた管を引き抜いて、ベッドから抜け出す。
少し眩暈がしたが、早くこの部屋から出たくて仕方が無かった。
俺はよろよろと歩いて扉に手を掛けた。
「あれ」
扉が開くことは無かった。どうやら鍵が掛けてあるようだ、ドアノブの下には鍵穴が付いていた。
「……」
俺は仕方なくベッドに戻って腰を掛けた。
この部屋には窓すらなく、何処なのかさえもまったく分からない。
消毒液の溜まった臭いに頭がくらくらしそうだ。
管を外したせいなのか、ベッドに横付けされている機械からは不快な電子音が鳴り始めた。
突然カチャ、と扉の鍵を外す音が聞えた。
俺は思わずベッドから飛び降りて、扉から距離を取った。
ガラリと開いた扉の前には、白衣を着た男が立っていた。
白衣の男はなんとも気だるそうに溜息を吐きながら近づいてくる。
「座れ」
「え?」
「早く座りなさい」
力強い言葉に、俺は思わず尻込みしてしまう。おとなしくベッドに腰を掛けた。
なんだこのおっさんは――。
疑問が尽きない。またしても扉が開き、同じ白衣を着た男が書類を持って入ってきた。
俺の前に座っている男に書類を渡すと、そのまま部屋を出て行ってしまった。
「適正は……Bか」
「はい?」
男は書類をまじまじと見回しながら、チラチラ俺のほうを見た。
俺は何がなにやらわからない、首を捻ることしか出来なかった。
「まぁいいだろ」
白衣の男がそういうと、ポケットから判子を取り出して書類に押した。
そして椅子から立ち上がり、扉を開けて外へ出て行こうとする。
「ちょっと!」
俺は思わず声をあげた、しかし男は気にもせず部屋の扉を閉めた。
ベットから立ち上がり、俺も扉に手を掛けたが既に鍵が掛けられていた。
俺は扉を叩こうと拳を握り締めるが、
扉の向こう側から話し声が聞えてきたので代わりに耳を押し付けた。
「Bだとよ」
「やったね」
「ゼロ番、あとはお前が面倒みろよ」
「はーい」
くぐもった声が聞えてくる、先ほどの男と女性の声だ。
「名前は?」
「番号だろ、こいつは七十七番だな」
「りょーかーい」
何を話しているのか、まったく理解できなかった。
一人分の足音だけが遠ざかっていく。呆けに取られている最中、コンコンと扉がノックされた。
「入ってもいい?」
俺は耳を押し付けている扉から身体を離した。
すぐさま歩いてベッドの脇にある椅子に座った。
さっきまで白衣の男が座っていた椅子だ。
「あれ、寝てるのかな」
扉がそっと開かれた。隙間から金髪の女性が顔を出している。
「起きてるじゃん。ねぇ、入ってもいい?」
俺は何も言わずに首だけを縦に振った。女性はにっこりと笑って扉を開けた。
「おお……」
「?」
俺は思わず感嘆の声を挙げてしまった。
部屋に入ってきた女性はなんとも美しかった。
腰までありそうな長い金髪と小さい顔、白いワンピースから流れる透き通った白い肌は、
どう見ても玖国人には見えなかった。
「どうしたの?」
「え、いや……なんでもない」
女性はわざとらしく首を傾げるが、その動作がなんとも幼く見えてしまい、なんとも可愛らしい。
俺は顔が赤くならないように、されど気づかれないように目線を逸らしてゆっくりと深呼吸をした。
「よかったね、Dじゃなくて」
D――?
なんのことだ、さっきの男が言っていた適性ってやつか――?
「さ、行こう」
俺はその言葉を聞いて目を合わせた。
「行こうって、どこに?」
「真ん中」
さっきから何を言っているのか。
疑問点だらけだが、女性に手を引かれると逆らうことも出来ずに引っ張られてしまった。
手に人の温もりを感じてしまうと、振り払うことも出来ない。
一月ぶりに感じる人の温かさだった。
消毒液の匂いがこもった部屋を出る。
廊下に出ると天井に設置された照明がやけに眩しく感じられた。
室内より廊下のほうが明るいくらいだ。
女性に手を引かれながら先に進んでいくと、沢山の木が植えられている広場に出た。
庭園だろうか、周りには様々な種類の木が植えられている。
俺は思わず辺りを見回した。
「凄いなここは」
「でしょでしょ」
女性は上機嫌で振り返った。
女性は俺の手を優しくほどくと、そのまま置いてあった木のベンチに座った。
俺も一緒に腰を掛けると、ひとつ溜息が漏れた。
やっと落ち着けた気がした。胸を撫で下ろすと、女性がずいっと顔を近づけてくる。
その急な行動と、女性の綺麗で整った目鼻立ちに思わずびっくりしてしまった。
「君、名前は?」
「あ……ああ、俺の名前は」
名前――?
あれ、俺の名前……なんだっけ――。
「**、凛ちゃん、おはよう――」
思い出せない。朝、靴箱の前で会ったことは思い出せるのに――。
俺は頭を抱え込んでしまう。
久条が俺の名前を呼んだ、その部分だけ霞が掛かったかのように擦れている。
「大丈夫? 思い出せない?」
「あ、ああ」
女性は優しく俺の頭に手を乗せた。
なんだか子ども扱いされているようで気に入らない。
俺は頭を左右にふって、あたかも思い出そうとしている振りをしながら女性の手を逃れた。
そのとき、コツンコツンと足音が響いてきた。
庭園の入り口のほうへ目を向けると、先ほどの白衣の男がこちらに向かって歩いてきた。
「こんなところにいたのか、もう時間だぞ」
「もう?」
女性の顔は不満そうだ。
しかし白衣の男は見てすらいないのか、書類を抱えた手を持ち直して俺たちの目の前に立った。
「そうだ、早く部屋に戻れ。七十七番、お前はこっちだ」
「俺?」
「そうだ、君のことだ。付いて来なさい」
俺は白衣の男の無粋な言葉に、多少いらつきながらも立ち上がった。
女性はベンチに座りながらひらひらと俺に手を振っている。
俺は女性に手を返さず、そのまま白衣の男の後を追った。
白衣の男と一緒に廊下を歩いていく。白衣の男は一言も話さなかった。
聞きたいことは山ほどあったが、白衣の男は常に俺の二歩先を歩いていく。
たとえ俺が遅れてもまったく気に留めない様な印象を受けた。
長い廊下を歩いた先には、同じような扉が一定距離ごとに並んでいた。
窓は無く、中の様子はまったく分からない。白衣の男はひとつの扉の前で止まった。
ポケットからカードキーを取り出して、横にあるカードリーダーに通した。
「ここだ。必要なことは中にいる奴に聞いてくれ」
白衣の男はそれだけを言って、来た道を戻っていった。
俺は扉に手を掛けて手前に引くと、軋む扉の音が聞えてきた。