3-6.成功者
――「はっ!」
目が覚めた。大きく息を吸って吐く。
目の前は暗くてよく見えないが、柔らかなシーツとベッドの感触がする。
医務室か――?
暗闇に目が慣れてくる。
俺が寝ているベッドの他にも、三つベッドが並んでいた。しかし、寝ているのは俺だけのようだ。
着ていたはずのアサルトスーツや装備は脱がされ、俺はどうやら薄手のシャツ一枚のみ着ている。
体中に汗が滲んで気持ちが悪い、俺は思わずシャツを脱ぎ捨てた。
「それ、誘ってるの?」
「おわっ!」
声のした方に目をやると、いつのまにか美雪が隣に座っていた。
俺は驚きすぎてベッドから転げ落ちそうになるのを懸命に耐えた。
「いつから居たんだよ」
「え、さいしょからいたよ」
美雪は俺の驚いた顔が面白いようだ。口元を緩ませながら、ニヤニヤと俺を見ている。
俺は大きく溜息を吐きながら、ベッドの仕切りところに体を預けた。
「いま何時?」
「夜中の二時を過ぎたところ」
半日以上寝ていたのか――。
俺は昼間の出来事を思い出す。俺は屋上に追い込まれて奴に殺されたと思っていた。
あれが美雪の言っていた成功したってやつだろう。
一人で小隊クラスの戦力を持つ兵隊。この施設はあんな奴を造るために在るのだろうか。
「いたっ」
いきなり腹部に激痛が走った。腹をよく見ると大きな痣が出来ている。
俺はたぶんこのせいで気絶してしまったのだろう。
「負けちゃったね」
美雪がいきなり視界に割り込んできた。ベッドの横から覗き込むかの様にすぐ近くに顔を寄せてくる。
俺は恥ずかしくて首を横に向けながら言った。
「見ていたのか?」
「ううん。でも、見ればわかるよ」
当たり前のことだった。勝っていたのならこんな場所で寝ているはずがない。
「そうだ、皆は?」
「死亡者はいないって聞いてるよ」
「……そっか」
戦闘でも模擬ってわけだ。どうやら全員一命は取り留めているらしい。
シロウも無事なのだろう、美雪の一言でふっと力が抜けた。
力が抜けるとまたしても腹部に激痛が走った。もしかしたら折れているのかもしれない。
痛み止めくらい欲しいところだが、俺は痛みが小さくなるよう呼吸を小さくして美雪に訊いた。
「美雪、成功ってのは何の話だ?」
「……ん~ナナ君が何を知りたいのか分からないよ」
「惚けるなよ、美雪が教えてくれたんじゃないか」
俺が問い詰めると、美雪は顎に手をやりながら頭を捻った。
「ナナ君との違いなら分かるよ」
「違い? それでいい、教えてくれ」
美雪は小さく溜息を吐いたのだろうか、俺の隣にある椅子に腰を下ろした。
「ナナ君との違いは、ほんの少しだけ目がいいだけだよ」
「はぁ?」
「遠くから撃たれたでしょ?」
「確かに、最初だけな」
記憶を手繰り寄せる。最初は確か、ビルの上から撃たれたはずだ。しかし、
「ナナ君より少しだけ目がいい、耳がいい、知識がある、経験がある。でも……それだけだよ」
「確かに俺はまだ来たばっかりだし、兵役の経験もない。
皆には劣ることばかりだけど、ちゃんと訓練を受けた他の皆が全滅するわけないだろ」
「するよ」
「何故?」
「超一流の兵士であれば、訓練兵なんて何人いても関係ない」
「そ、それはそうかもしれないけど。奴も俺たちと同じ訓練兵じゃないのか?」
「同じだよ」
「なら何故!?」
俺は声を荒らげてしまう。美雪はそれを聞いて気を悪くしただろうか。
美雪は椅子から立ち上がってしまった。
帰るのか――?
俺は思わず謝ろうかと思ったが、それは違った。
美雪はあろう事か俺のベッドに上り、俺の上へ馬乗りになる形で座った。
「な、なんだよ……」
心臓が物凄い勢いで高鳴っていく。美雪の体を受け止めているのが脚から伝わってくる。
美雪の小さな手が俺の腿に触れると、小柄で綺麗な顔が目の前に現れる。
「ナナ君、私の目を見て」
「目?」
俺はドキドキしながら美雪の目を見た。金色に輝く瞳と清んだ青い瞳。
美雪は更に顔を近づける。美雪の手が、腰が浮き上がるのを感じてしまう。
そして互いの息が触れ合うまで近づく。
「お、おい」
「もっと、見えるまで」
見える――?
鼓動が勢いを増した。美雪の艶やかな唇までもが触れ合ってしまうほどに近づく。
体が熱くなっているのがわかる。
「目を見て」
「わ、わかったよ」
俺は奪われていた視線を唇から目へと移した。
「!?」
はっきりと見えてしまった。美雪の瞳の奥には、人工的な紋章が刻まれている。
「な……んだよそれ」
俺の一言を聞いて、美雪は顔を遠ざけた。
「これが目のいい理由。人体を弄り、人を限界まで近づける。
これを成功だなんておもっているのだから、笑っちゃうよね」
美雪はくすくすと笑い始めた。でも、俺は美雪の顔が泣いているように見えてしまった。
「兵隊を造る、とはそういうことだったのか」
「そうだね」
「でも、成功じゃないのか? 俺たちのチームはそいつ一人に全滅させられたんだぞ」
「その人を造るのに何人死んだと思う?」
「え……」
「それにね、その人と同じくらいの強さを持った人間は沢山いると思うよ」
美雪の顔がだんだんと歪み始めた。
それはこの研究を心底嫌っているからだろうか。
不意に月明かりが部屋に差し込む。金色の髪が月明かりに反射してキラキラと輝いた。
美雪は美しい少女だった。そんな美しい美雪に苦虫を噛み潰したような顔は似合わない。
「ありがとう」
「な、なによ……」
俺は美雪に向かって笑顔を向けた。
それは美雪にとって以外だったのか、びくっと体ごと顔を遠ざける。
「嫌なことだけど、話してくれたんだろ?」
「うう……」
「そのお礼だよ、ありがとう」
俺は更に頭を下げた。何も知らない俺に美雪は答えをくれる。
それはとてもありがたいことだった。
「うう……もっと」
「ん?」
「もっと知りたい?」
美雪はもじもじと体を少しくねらせながら呟いた。
確かに知りたいことはまだあった。何人もの犠牲を得て辿り着いた成功者。
確かに非人道的だとは思う。だが、施設の連中にとっては成功のはずだ。俺は小さく頷いた。
「ナナ君がいう成功した人、これは一流の特殊部隊とそう変わりないと思う」
「同じ訓練生なのに?」
「うん。玖国が集めた人たちは別の国で確かに兵役にはついてきたかもしれない。
でも、特殊部隊の経験者はいなかったはず」
「へぇ、よく知ってるな」
「誰も気に留めないだけ、玖国の技術者は過去の経験は全部無視している」
「それはまた、なんで?」
「それは分からない。でも玖国の技術は未知の領域、即ち脳の解明を急いでいるみたい。
記憶の改竄、神経の増減、様々な未知の力が欲しいとか言っていたよ」
「脳の解明?」
「そう。成功した人の脳には様々なモノが上書きされたの。
老兵の経験、昔の狩猟者の視力、絶対音感と盲目者の聴力、そして機械よりも早い反射神経。
そうするとね、見えるらしいんだ」
「見える?」
「壁に隠れた敵の姿が想像できる。
その想像は現実との誤差を限りなく少なしく、敵が一ミリでも動いたら引き金を引けるような。
まるで予知のような感覚、それが強さの秘密みたい」
俺は唖然とした。
確かにそんなことが可能であれば、纏まりのない俺たちなんて敵にもならない。
今日の結果を見ても差は歴然としていた。
でもひとつ気にかかった。俺にとってみれば造られた兵隊はまさしく「成功」だと思う。
だが、美雪はそれを見て笑うのだ。「そんなモノは成功でも何でもない」と。
俺が難しい顔をしていたのが気になったのか、美雪は首を傾げながら俺を見ている。
黙る必要もない、改めて訊いてみる。
「それは成功じゃないのか?」
「違うよ」
ああ、なんだか回り回っている。同じ質問を何度も馬鹿みたいに繰り返す。
彼女もそれに気がついている、少し頭も悩ませる様な仕草を見せ、俺に向き直った。
「なんで兵隊って居ると思う?」
「そりゃ、防衛とか……」
「そ、戦争するために必要なんだよ。仮に弐国と戦争するとしたら、どっちが勝つと思う?」
俺はゴクリと息を飲んだ。
「弐国と……戦争するのか?」
「もしも、の話だよ」
俺は考える。弐国は確か人口五億人ぐらいの大きな国だ。
対して我ら玖国は五千万程度。単純に考えれば十倍の差がある。
「たぶん、弐国じゃないのか?」
「そうだね、弐国の兵力は約二百万、対して玖国は百万。
兵器の差は二十五倍、海軍は二十倍もの差あがあるんだって」
「よく知っているな」
「ここに居たら嫌でも覚えちゃうよ」
美雪が得意そうに語るのがとても嫌だった。
こんな時代でなければ、綺麗な花にでも囲まれて幸せに暮らしてそうな美しい少女。
此処にいること、それだけが少女を歪ませているような気がした。
俺は一息ついて、質問に答えた。
「なら猶更成功なんじゃないのか? 戦力差を埋めるために強い兵隊を造るんだろ?」
「あの程度でこの差を埋められると思う?
あの人を造るのに何十人も死なせて、それで勝てると思う?」
「……」
確かに考えれば考えるほど無理な気がしてくる。
国力を減らしてまで強い人間を作っても、それは差を埋めるには至らない。
これが事実なのか、それとも只の悲観的な意見なのかは分からない。
それは、やってみなければ……判らない事だ。
「よっと」
美雪は俺の上から降りた。少しだけ感じていた少女の温もりが消えていった。
だが、それに少し安堵していた自分が居た。
「どうしたの?」
「いや、美雪は夜にしか現れないから……」
「あは、幽霊と勘違いしちゃったかな」
美雪は笑顔で笑い始める。それはとても無邪気な笑い声だった。
「ごめんね、こんな話ばかりして」
「いや、俺が聞きたかっただけだ。気にしないでくれ」
「うん……ありがと。またね」
美雪は手を振り、扉に向かって歩き始める。
俺も手を振り返して美雪をベッドの上から見送った
美雪の足音が遠ざかると、一人だけの医務室に静寂が訪れた。
「はぁ……」
俺はベッドに横たわる。頭に浮かぶのは、戦争、成功者、そして美雪。
そういえば俺は美雪の事を何も知らない。知っているのは名前だけ、そして目の事だけ。
美雪は一体何者なのだろうか。少女の事が頭に焼き付いて離れない。
「いい匂いだったな」
変態か俺は――。
布団を頭の上まで被り、眠りにつこうとする。
だが、一向に睡魔は訪れなかった。
次はいつ会えるのだろうか。そんな事で頭の中は一杯だった――。