表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

【2】 母ちゃん、うるさい

無花果(いちじく)、また見合い仕損じたね?!」

「うっせ、見合いに仕損じるも何もあるかっ!」

 窮屈だったネクタイを乱暴に緩めながら帰ってきた無花果に対して、飛び込んできたのは母親の叱責だった。今日は早めに店じまいされた店内を一応確認しながら、無花果は母親にばれぬよう小さく溜息を吐く。

 商店街の青果店『きなりや』それが無花果の生家(せいか)だ。そして4代目と長いんだか短いんだか分からない歴史を背負ったのが自分だ。父親は昨年ポックリと亡くなって、今では老いた母と二人で店を切り盛りしている。大型ショッピングモールやスーパーに客を盗られる店も多い中、新鮮な果物とそれを見極める親譲りの眼力で、【果物ならきなりや】と地域では一目置かれる『きなりや』は安泰だ。不惑(しじゅう)を越え店主としての貫録も増してきたことも良かったのだろう。

 ただ、男としての無花果は、ちっぽけな果物屋と年老いた母親を背中におぶさった40歳独身だ。お世辞にも優良物件とは言えない。無花果本人としてはもう、当の昔に自分の代で【きなりや】は、お終いだと思っているのだが、母親は40を過ぎた息子でも諦めきれないらしく、事あるごとに見合い話を持ってくる。それに対して面倒くさいと一言で片づけられれば良かったのだが、老いた母に泣かれれば無花果も顔を出さずにはいられないものだ。


『くだものやさん……ですか』

 人の釣り書きをみていただろうにそう言った相手の、どこか怖気づいたような、自分とは違う生き物を見るような目に、無花果はいつも諦めた気持ちで相手を見る。もうこの齢になれば、一目ぼれもなにもあったものではない。だが、見るからに自分を拒絶するであろう視線にさらされるのは、いくつになってもきつい。

(青果店で何が悪い)

 確かに朝は早いし、夜だってサラリーマンのように5時終りでもない。それでも、店を経営していたり、サービス業に勤めていたりすればそれは当たり前のことだと言うのに、何が悪いのか、商店街の青果店というだけで、結婚相手としては格下に見られる。母親が泣いて乞わなければ、見合いなんぞ尤も行きたくないものの一つだ。

「ちっと、酒買ってくらぁ」

 こちらの都合に合わせて夕方からの食事を兼ねた、1対1の見合いは、あっという間に終わってしまった。恐らく寝ずに待っていたのだろう母は、不機嫌も顕わに帰ってきた息子に、見合いの失敗を悟ったのだろう。今度は親同伴できちんとしたホテルでの見合いを用意されそうだ、と内心苦りながら、無花果は近所のコンビニへと足を向けた。

 時刻は夜九時過ぎ。早い時間ではないが、普通の店は閉まっている時間だ。商店街の酒屋は、自分の店とは真反対に出来たこのコンビニを、鬼子の様に嫌っているが、やはりどうしても夜に酒が欲しくなるときは、無花果もこのコンビニを利用してしまう。結局、コンビニというだけあって便利なのだ。それでも酒屋に遠慮はして、買うのは酒の味も分からないチューハイ2本だけだが。それに適当なつまみを選び、レジに並ぼうとすると、丁度同じタイミングでレジに並ぼうとした女と目が合った。

「あ、こんばんは」

「こんばんは」

 軽くこちらに頭を下げてきた女は、この近隣のマンションに住む青果店の馴染みの客だ。

「かぼすちゃんて言うのよ」と、母親は彼女の名前を知っていたが、流石に自分がここで「かぼすちゃん」呼びはないだろうと、ただ挨拶の言葉だけを交わす。

「お先にどうぞ」と促せば、彼女は「ありがとうございます」と綺麗に頭を下げて先に並ぶ。自分よりは背の低い、だが、女にしては高い身長の彼女は、今日は、珍しく着飾っていた。

 女の衣装なんてよくわからないが、こういったヒラヒラしたワンピースを着て、随分大きな荷物を片手に持っている日は分かる。

 結婚式だ……。

 かぼすの式ではないだろうことは一目瞭然で、彼女はどこかの結婚式に招待されたのだろう。母親の話では35歳だという彼女は独身だ。そんな客の個人情報、無花果は知りたくもなかったが、母親が口うるさく言ってくるのだから仕方がない。

 一時期、客にも無花果を薦め始めた母に、そういうことは本当にやめてくれ、と無花果がブチ切れて、客にむやみやたらに息子を売ることはなくなったが、それでもかぼすのように妙齢で独身の女性の情報を、どこから仕入れてくるのか母親は無花果に告げてくるのだ。だからどうしろ、と無花果は言いたくなる。おまけをつけてついでに俺もオマケに買ってくれとでも言うのか。40過ぎの男を?

 冗談じゃない、と内心、唾棄しながら、無花果は無表情で買い物を終えた。

「ありがとうございました」

 外に出ると、既にレジを終えただろうかぼすがそこに立っていた。律儀なことにまたお礼を言ってきたので、「ああ、いや」と返してから、何故そこに立っているのだろうと思えば、かぼすは無花果の戸惑いを察知したのだろう。

「足が靴擦れしたのでタクシーを呼ぼうかと思って」

と説明してくれた。思わず足元を見てしまうと、ストッキングに包まれた綺麗な細い足首が見えた。ドキリとして慌てて顔を上げれば、かぼすが苦笑いを浮かべる。その右の目元には泣き黒子。涙黒子とも言われているそれは、今日の華やかなはずの彼女の装いをどこか寂しそうに見せてしまう。いや、そんな黒子一つでそうなることないだろう。事実は、彼女自身がそうであったと気付くのに、それ程時間はかからなかった。

 それというのも、母親譲りの口滑りで、無花果は余計なひと言をかぼすに言ったからだ。

「結婚式の帰りですか? 大変ですね」

「……」

 かぼすの表情が一瞬強張ったのを見て、無花果はしまった、と思った。しかし、時は既に遅し。かぼすはやはり寂しそうに笑顔を浮かべて、

「同僚の結婚式だったんです」

と言った。

 同僚……。彼女が社会人なことは無花果も知っている。それがどこの会社までは知らないが、たまの勤帰りに果物を買いに来るかぼすは、ピシッとしたスーツに身を包んだキャリアウーマンで、無花果とはどこか違う世界の女に見えた。

「同い年で、この年まで一緒に切磋琢磨、頑張ってきた同僚の結婚ていうのは、何だか凄く感慨深くて」

「そうですか」

 他に何を言えばいいのか当然無花果には分かるわけがない。ダラダラと背中に汗をかく。着なれないスーツを脱いで来ればよかったと思った。

「彼もとても幸せそうで、いい結婚式だったんですよ?」

(彼、かぁ──)

 男なのか、と内心苦る。女であっても複雑だろうが、男の場合だって複雑だ。入社当初から一緒に仕事をしてきて、互いに独身で……。そういった関係がどんな風だったのか無花果には想像も出来ないが、きっと友人というだけでなく色んなものは内包したのだろう。例えそこに恋愛関係などはなかったとしても、男と女だ。何かしらの同性同士にはない、複雑な思いはあったはずだ。

 事実、目の前のかぼすの笑顔は、満面の笑みといったものではなく、今にも泣きそうな笑顔だった。

(ああ、くそ)

 彼女に何があったのかは分からない。分からないが、なんとなく何にも出来ないことが歯がゆく思えたのは、自分が今日、見合いを失敗したからだろうか。

 失望が宿る目にさらされることで自分も傷ついていたのかもしれない。だから、同じように傷つく誰かを慰めて、自分の傷を舐めたかっただけなのかもしれない。理由も理屈も何もかもすっ飛ばして、彼女が今日持ち帰る荷物に、一つの華やぎもないことが腹立たしく思えた。

「ごめん、ちょっとタクシー呼ぶの待っててくれる?」

「え?」

 そう言うと、無花果は自分の買ったばかりの酒の入った袋を無理やり彼女に押し付ける。かぼすが驚き目を見開くのをそのままに、

「すぐ帰ってくるから、少し待ってて」

と、言葉を投げかけ、そのまま自宅へ向かって一目散に走りだす。

 もしかすると、かぼすは気味悪がってそのまま帰るかもしれない。

 もしかしなくとも、自分がしていることは余計なおせっかいに違いない。

 それでも、何故だか、何か彼女に渡してやりたかった。

「無花果、帰ってきたのかい? だったら、居間に──」

「また出だしてくる!」

 母親はどうしても一言言いたいらしく、無花果に向かって何か叫んでいるが、無花果はドタドタと店の奥にある冷蔵室へと向かうと、目当ての果物を探し出す。そしてそれを掴んで、代わりに堅苦しいスーツのジャケットを店に投げ出した。

「無花果!」

 母屋の怒声を無視し、そのまま、また外に飛び出す。

 もうかぼすはタクシーを呼んで帰ったのだろうか。きっと帰っているだろう。気持ち悪いおっさんなど待っているわけがない。そう思ったのに、足はコンビニへと一目散に走り、そして、その目は所在なさげに立つ寂しそうな彼女を捕えた。

「あ──」

 ホッとしたようなかぼすの顔に、みっともなくも走ってきた無花果は、少しだけ息を整えてから、

「これ、やる」

と、果物を彼女に渡す。

「え……」

 彼女の手に渡った果物、それは【無花果】だった。

 9月からの秋口の方がうまいと言われているが、夏のそれだって十分に美味しい。【花の咲かない果物】だなんて酷い名前を付けられてはいるが、【無花果】は見た目以上に果実の色が鮮やかで、さっぱりとした美味しい果物だ。

「老化防止・整腸作用と女の人にぴったりの果物だから」

と自信満々に無花果が言うと、「老化……って」と、かぼすが呆れたような顔になる。

「あ、かぼすさんは全然おばちゃんじゃないけど、要は美容にいいってことだよ」

 思わず名前を言ってしまったが、そのまま気にしない素振りで言葉を続ける。

「披露宴なんかの肉や魚を食った後にも丁度いいから、食べて。いつも沢山果物買ってくれるから、これオマケ」

「オマケって今日、何も買ってないのに──」

 それでも渋るかぼすに、無花果は何とも言えない苦笑いを浮かべてから、ポツリと言う。それはいつも、無花果を買うお客さんに言う言葉。自分の名前がついた果物を買ってくれるお客さんが、少しでも楽しんでくれるようにといつもその時期に告げる言葉。


「あんたがもっといい女になれるように」


 気障ったらしい言葉だとはおもうが、無花果はいつもその果物を売る時は、そう言ってお客の女性に渡すのだ。客相手だからいつもはもっと丁寧な言葉だが、そう言うと、客の女性たちは満更でもない顔で喜んでその果物を買っていく。実際、女性には好まれる効能の多い果物だ。こんなおじさんが言う言葉であっても、それ目当てに買いに来る客もいる程だ。


「──……」


 かぼすが大きく目を見開く。そしてその目が無花果をしっかりと見る。あまり下からではない、どちらかというと自分と近い距離にあるその視線は、青果店店主である無花果を(さげす)むことはない。


 ただ、代わりに、思いもかけない変化がかぼすに起こる。


 それは、多分、この先、一生を通しても、無花果はどんな見合い相手を相手にしても見られることのないものだろう。


 変化は目の前で起こる。


 肩までかかるボブというには毛先を梳いた髪型のかぼすの、その毛先が、黒い濡れ羽色から、うっすらと別の色に変わっていく。一瞬、何かの怪異かと思ったが、直ぐに飛び込んできた色味で、無花果はそれが何か分かる。


 紫ががった淡いピンク。桜色……と呼べばいいのか。


 その淡い優しい色が、髪一面に広がる。彼女は己の変化に気付かない。無花果は食い入る様にかぼすを見た。

 一瞬にして変わっていく髪色。そして彼女の頭の、ちょうど耳上の位置に、まるでコロン、とカブトムシの幼虫の様な大きさの、白い艶々とした小さな角が2つ。


【恋しちゃうと生えるんです症候群】


 正式名称なんて知らない。そんな病気は、青臭い10代のガキがかかる風邪のようなものだと思った。年甲斐もなくおとなの男女でかかる病気ではない──そう無花果は思っていた。しかし、残念ながら年甲斐もなくかかる罹患者も多いのだが、無花果の周囲にはそういった人間は殆どいなかったので、彼にとっては全くもって、対岸の火事。

 一生、自分には無縁なこと、と思っていたのだ。



 それがどうした。


 今、目の前で、自分を見ている女が、泣き黒子の目尻を赤らめながら、鮮やかに色代わる姿を見せつけられた。


(簡単すぎだろうが)

 自分は果物を渡しただけに過ぎない。それなのに、それだけのことで恋におちられるな

んて──。


「あ、あ、あ、ありがとうございます……!」

 かぼすは自分の変化を、コンビニのガラスで気づいたのだろうか。顔を真っ赤にして、そのまま駆けだす。靴擦れで痛いと言っていたくせに、タクシーを呼ぶことも忘れて、引き出物の袋に【無花果】を突っ込んで、逃げるように駆けだした。


「あー……。大丈夫かな……」

 しかし、まさか、この齢で誰かに惚れられる、しかもその瞬間を目にするとは思いもしなかった。

 頭の中ではかぼすが鮮やかに色代わる様が、繰り返される。結局、無花果の酒まで持って彼女は帰ってしまったが、また酒を買いなおす気にもなれなくて、無花果は何の収穫もなく自分の家に戻った。


「無花果! 一体どこへ行ってたんだい!!」

 帰るなり、母親が無花果の気分を台無しにいする。

「母ちゃん、うるせえ」

「なんだい、あんた、その頭!」

「は?」

 居間から出てきて母親が無花果を見るなり叫んだ。

「この不良息子! いきなりどっか行ったと思ったら、頭をピンクに染めてきやがって! なんだ、そのとんがった角は!」

「は──?!」

 慌てて洗面所へかけていき、無花果は自分の頭を確認して、「がっ……」と声にならない声を上げた。


「簡単すぎだろう、俺……」


 先程彼女に思った言葉を、今度は自分に向かって言う。

 無花果の頭は、目にも眩しい鮮やかなショッキングピンクに、見事に立派なバイソンのような角が、左側頭からグンッと伸びていた。


 こんな角では、市場に帽子を被っていけない──。


 明日からの仕事や諸々のことに頭を悩ませ始めた無花果に、背後から母親の五月蠅い声が聞こえる。

「一体、どうしたんだい、その髪は!!」

 いや、髪もどうしただが、この角の方がどうしただろう。

 母親も【恋しちゃうと生えるんです症候群】のことは知っているだろうが、まさか40過ぎた息子が、コンビニで寂しげな女に惚れられて、その姿に惚れ返してしまうとは思ってもいないのだろう。

 自分だって思いもしなかった。


「母ちゃん、うるさい……」


 漏れた声は随分弱々しく、そして鏡の中の自分は、先程かぼすに渡した【無花果】よりも色鮮やかに熟れていた。

※8/28修正

パイソン(蛇)を頭から生やしてしまいました。正しくは【バイソン】です。

すみませんでした。


頭から蛇を生やしてどうする……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ