【1】 断固として、ピンクの髪と角を否定したい
短編連作となります。どうぞ宜しくお願いします。
ある日突然、恋をすると、髪の毛がピンクになり、角が生える──
そんな馬鹿馬鹿しい(痛々しい)病気に、まさか、自分がなるなんて、苺は全くもって思っていなかったのだ。
朝、目が覚めたら……という展開ではなくて、放課後、教室でうたた寝していた苺が目を覚まし、ああ、寝てしまったな、なんて思いながら、教室を出て女子トイレに行き、用を足して洗面所の鏡の前に立った時、彼女はあんぐりと口を大きく開けて、鏡の中の自分を見た。
肩までの緩くウェーブのかかった髪は、地毛で決してパーマではない。雨の日はお約束の如くうねりまくる髪は、それでもしっかりとしたこげ茶色だった筈だ。
それが何をどうしたのか──
鏡の中の自分は、鮮やかなピンク色の髪に、羊の様なグレーの角が耳の両上に2本ついている。どこのコスプレだ!と自分で思えども、角を触ってみればそれは確かに自分から生えていると分かるもので。
「えー、私、恋なんてしてないよ!!」
それが巷で最近話題の、【恋しちゃうと生えるんです症候群】の症例だということは、うんざりする程、周囲を見ていて分かっていた。
苺はごくごく普通の学力の高校に通う高校生だ。共学なので男女の出会いも多い。当然ながら、恋をする人間も多いのだろう。だから、クラスの半分くらいは桃色の髪の、角の生えたクラスメイトがいるのだが、それを苺は傍観者として眺めていた。
「うわぁ……勘弁してよ……」
小柄な体に、甘ったるいフルーツの名前。童顔ではないが愛らしい部類に入る顔。苺は自分の外見から人が受けるイメージを重々承知していたので、恋なんて絶対しない、と思っていた。だって、自分の顔でピンクの髪に角なんて、【ハマりすぎている】と重々承知していたのだ。
「ああああ……。何で? どうしてこうなったの……?」
鏡の中の自分に問いかけるが、誰もそれに対して答えてはくれない。今日、放課後までは普通の髪で、普通の頭だったのに、教室で寝ている間に何があったのか──。
「私、誰かに恋したの?」
心は己への問いかけにすぐさま『否』と返してくれるが、それと現状が合わない。恋をしていないのに、恋をしたかのようなこの頭。
「いやだぁぁぁぁぁ!!!」
苺はトイレだということも忘れてしゃがみ込み、蹲る。現実を逃避したい。
本当は、男の子向けの情報誌が大好きで、部屋の配色はモノトーン系。使っている文房具だってシンプルイズベスト。ノートをデコることなんてまずない。選ぶのはいつも青系の色味しかないノートだけを選んでいる。
そうなのだ。苺は、女の子らしい容姿をしていながらも、内面は、極めてシンプルでスマートなものを好む性質だったのだ。
にもかかわらず、外見は極めてスイート。それを誤解して「可愛い君に惚れました!」とかピンク色の髪と角をつけた男に告白されても、彼女の琴線は全く動かない。寧ろ、「ピンク髪、キモッ」と内心、凄く思っているのだ。それを口にしたことは絶対ないが……。
「落ち着け自分。とりあえず、誰に恋したか思い出せ」
恋をした覚えがないのだが、したとすれば寝る直前なのだろう。
この【恋しちゃうと生えるんです症候群】(※正式名称は女子高校生が知る由もない)を治すには一つしか方法がない。
それは、相手にふられることだ。
まかり間違っても恋愛成就してはならない。恋愛成就の暁には、その相手と別れるまでピンクの髪に角が生えた状態なのだ。ピンクの髪に角だけしか身体に影響がないのだが、
10年前から流行りだした病のせいか、最近ではピンク髪に角をつけたカップルが結婚する話も聞くことはある。その容姿が、一生とか、ホラーすぎる。そのせいか、余程の政略結婚でない限り、最近の若い人たちはピンク髪に角をつけた人間が増えてきているそうだ。
苺は全力でもってそれを阻止しようと思っていたが。恋なんてしなくても生きていける。結婚したければお見合いとかで愛のない結婚をしよう……! そこまで思っていたのだ。
(それなのに──!!)
恐る恐る起き上がり、もう一度鏡を確認するが、やはり頭の上の角はとれない。髪色もピンクのままだ。このままでは間違いなく、家に帰れば母親にお赤飯を炊かれることだろう。
「苺はいつになったら角が生えるのかしら……」
なんて、娘の恋にヤキモキしていたからだ。母親よ、それならば何故、ピンクの髪に角が似合ってしまう娘に産んだんだ──!と心の底から、苺は言いたかった。
「何のコスプレ? コスプレだよね、これぇぇぇぇ!」
泣きそうだ。本気で泣きそうだ。しかし、この姿で潤んだ目とか、マニアは大喜びだと分かっているので、苺は泣くのは絶対に堪えた。誰かに見られたくない。
「とにかく、保健室……」
この病気が蔓延するようになってから、保健室にはこの病気に対応できる養護教諭が配置されることになった。苺のいる高校の養護教諭もその例にもれず、突然、『生えちゃった』子供達にケアをしてくれると言う。
自分はお世話にならないだろうな、と思っていたのに、まさかこんなことでお世話になろうとは……と、苺は半泣きになりながら、保健室へ向かった。勿論、誰にも会わない様、誰かに見られない様、細心の注意を払って。
「せんせぇ〜……助けてください〜」
中を確認しないで入ったのはまずかったとは思う。思うのだが、入った瞬間、うひっと思った。中には先客がいたのだ。
「あら?」
紫がかったピンク色の髪をした養護教諭は、去年新任で入ってきた先生だ。葡萄先生という。名前がではなく、名字がそうなのだ。そう、彼女はその髪色の通り、【恋しちゃうと生えるんです症候群】の罹患者なのだ。しかも、キラリと光る薬指のリングから、既婚者。一生、この髪色と角とお世話になっていく人だった。
だが、葡萄先生は、苺から見れば『アリ』な容姿の人だった。元々シャープでスマートな雰囲気をもっているせいか、角の形も額から伸び出た鋭角な形状で、鬼のようだ。ピンク色といわれる髪も、苺の様なドピンクではなく、うっすらとスミレ色に光の加減で見える落ち着いた色合いで、恋をしてもこういう風に代われるなら、いいなあ……と薄ら苺は思っていたのだ。
まあ、自分の容姿ではそうなるとは思えなかったし、事実、現状の彼女はふわふわゆる甘に羊角という、どう見てもマニア受けする容姿だったのだが。
「成田さんもなっちゃったの?」
そう言いながら葡萄先生がこちらを向くが、苺の目は葡萄先生の前に座る一人の男子生徒に縫い付けられた。
(杉沢くん?)
杉沢林檎。男なのに、林檎という名前に、自分と同じものを感じ、常々同情していた男子生徒だった。苺は、母親が妊娠中に苺を食べたくて仕方なく、苺ばかり食べていたから苺という名前になったのだが、林檎も同じようで、互いに親のネーミングセンスを嘆いた覚えがある。
その杉沢林檎が、目の前にいた。
しかもピンク色の髪に角付きで。
「ずるいっ!!」
思わず苺は叫んでいた。
「え?」
「え?」
葡萄先生と林檎が突然叫んだ苺に目を見開くが、苺はそれどころではない。ツカツカと林檎に歩み寄り、
「なんで、オレンジ色!!」
と林檎の髪を指さして言った。林檎の髪色は苺の様な鮮やかなピンクではなかった。黄色味を帯びたピンクというより、オレンジに近い色合いは、林檎の一見してクールな顔立ちによく似合っていた。
羨ましい。苺も葡萄先生や林檎の様な髪色になりたかった。というか、寧ろそうありたかった。どうして苺という名前に見合ったピンクなんだと思う。
「コーラルレッドに近いわよねぇ」
そう言ったのは葡萄先生だ。珍しくニッコリと微笑んで、
「杉沢君もいきなりなっちゃったのよ。成田さんもそうなんでしょ?」
と言った。
苺は自分が何故ここにきたのかを思い出し、
「そうなんですよ! 恋なんかしてないのに!!」
と叫びながら葡萄先生に言い募る。
「教室で寝てて、目が覚めたらこれですよ! この角、抜けませんか? この髪、染められませんか?」
矢継ぎ早に葡萄先生に言うと、
「角は抜くと出血するし、髪の毛はどんな染料を使っても染まらないわよ」
と容赦なく叩きつけられた。
「出血とか……! 鹿なら生え変わるのに! 羊は駄目なの? 羊は生え変わらないの?」
「そういう問題じゃないと思うけど」
林檎が頭をかきむしる苺の横で冷静にそう言った。
「林檎君もいきなり生えてきたんでしょ? 戸惑わなかったの?!」
「え──」
口撃の矛先が自分に向けられ、林檎が一瞬口ごもる。苺と同じだが、色味がやはり黄色の羊のような角は、彼の頭に生えていても可愛くは見えない。寧ろ、悪魔的で、それが羨ましい。苺は、悪魔は悪魔でも、小悪魔だ。「この小悪魔ちゃん☆」とか誰かに言われたら、全力でそいつを叩きつぶす勢いで、自分の容姿が不本意で仕方がない。
「俺は分かっていたから特には……」
少しだけ歯切れの悪い林檎に、苺はこの病が何を起因にしているか気付く。
「あ──」
この病は『恋をする』と発症するものだ。だから、林檎は……
「ご、ごめん……」
恋に落ちた瞬間の話など、知られたくはないだろう。苺はなんとなく落ち着かない気持ちになりながら林檎から目を逸らした。反らした先で、葡萄先生が興味深げに自分たちを見ていることに気付き、
「先生! それより恋してないのに生えてきたんです!」
と叫んだ。
「ん〜? そうなの?」
葡萄先生は口角をあげて大人の笑みを浮かべる。
「とりあえず、成田さんも座ろうか」
促されて、林檎の横に用意された椅子に座らされる。葡萄先生は、苺と林檎を見ながら、静かに言う。
「恋をすることは恥ずかしい事ではないけれど、こうして表面にでてくることは辛いよね」
恋をしてないのだが……と言いたかったが、それは黙っていた。葡萄先生は大人しくしている苺に気を良くしたのか、そのまま言葉を続ける。
「だけど、人を好きになることは恥ずかしい事ではないし、寧ろ誇らしいことだと思っていいよ。自分以外の他者に興味を示すと言うことは、人間としての成長の第一歩だからね」
「なんか先生が言うと、恋って凄い事みたいですね」
「凄いことだよ? 誰かを好きになるってことは、心に余裕があるってことだから。自分のことで一杯一杯なときは、他の人のことを見られないよね? だけど、誰かを好きになれるってことは、それだけ自分の心に余裕があるってことなんだよ。誰かを受け入れる器が自分の中に出来たっていう証明なんだね」
「誰かを受け入れる器?」
「そう器。その人のことを好きだって思ったら、その人のどういったところが好きとか、どんなところが好きとか、その人に関しての色んなことを自分の中に受け入れるよね? その為の器。君たちは、今、その器を一生懸命作っているところなんだ」
頭の中で器とやらをイメージしてみたが、苺にはいまいちピンとこなかった。
「でも、ストーカーとかしちゃって殺しちゃう人もいるじゃないですか。好きって感情は厄介じゃないですか?」
思っていたことを問いかけてみると、葡萄先生はその問いかけに満足したらしく、「そうね」と頷いた。
「器の形によっては、そういう風に間違った好きの形を作ってしまう人もいるね。皆が皆、上手に器を作れるわけじゃないから。だから、人を好きになった時は、相手のことを思ってあげることも忘れちゃ駄目だよ。相手に好きになってもらいたかったら、その器を綺麗につくらなくちゃならない。自分勝手な独りよがりの器じゃ、相手も好きになってくれないでしょ?」
「ふぅん」
チラリと隣の林檎を見れば、彼は思うところがあるらしく、真剣に葡萄先生の話を聞いていた。
「でも先生。私、恋してないんだけど」
もう一度、そう言うと、葡萄先生は首を傾げて、ふふふと小さく笑った。
「教室で寝る前に何をしたか覚えてる?」
「寝る前ですか?」
苺は自分の今日の放課後を振り返ってみる。
今日は委員会で遅くなる友達を待っていた。ぼんやりと本を読みながら待っていると、外から楽しそうな笑い声が聞こえてきて、窓からそれを見下ろした。
クラスの男子たちが、水道付近で蛇口の水を飛ばして遊んでいた。
(子供だなあ……)
自分のことは棚に上げて、それを眺めていると、視線に気づいたのだろうか。一人の少年がこちらを見上げた。そして苺と目が合う。
クラスでたまに話す機会の多い男の子だった。
ドキリとした。
目が合ったことに驚いたのだろう。互いに、驚いたような顔になり、それから、少年が笑った。少し照れくさそうに。
きっと自分たちのはしゃいでいる姿を見られたことを恥じたのだろう。その姿が好ましくて、苺も笑った。
互いに、何となく、笑ってしまった。
思いがけずに向けられた少年の笑顔は、いつものクールぶった表情よりもずっと子供っぽくて、苺も気恥ずかしくなって、そのまま窓際から離れた。
その後は、友達を待ちくたびれて寝てしまった。
「うーん……何もないんですが」
思い返しても、特に印象的な出来事はその少年の笑顔ぐらいで、それがどうした、という話だ。それで恋に落ちるのなら、世の中、皆、ピンク髪だろう。
「恋って簡単に堕ちるものなんだけどなぁ?」
くすくすと笑う先生の横で、林檎が何故かムスリとした顔になる。先程まで真剣に先生の話を聞いていたというのに、どうしたのだろうか。
「そんな簡単に堕ちると言われても、顔見ただけで恋をするとか信用できないです」
「なんだか成田さんは面白い器作りそうね」
「陶芸家なんてなりたくないし。とにかく、この角と髪! どうにかならないんですかっ!」
苺が葡萄先生に泣きつくと、葡萄先生は「ん〜」と言ってから、
「とりあえず、誰に恋したか分からないと先生には何もできないなあ?」
と丸投げされた。
「チッ! 養護教諭のくせにっ!」
「成田って意外に悪態つくんだな……」
隣で呆れたような林檎の顔に、苺はツンッと顔を逸らす。
「覚えがないのに恋したなんて、あり得ない! こんな髪なんてなりたくなかったのに!!」
「ふうん。そう……」
林檎の声がワントーン低くなったことに、苺は気付かない。目の前では葡萄先生が苦笑いでそんな二人を見守っている。
「ええと、お手柔らかにね?」
葡萄先生のアドバイスの意味が分からない。とりあえず、角のケアと【恋しちゃうと生えるんです症候群】についての説明の書かれたパンフレットを受け取って、苺と林檎は保健室を後にした。
スマートフォンで時間を確認すると、既に5時近い。
「あ、里佳子、もう終わったかな」
委員会も終わるのだろうと教室に向かおうとしたその時、グンッ、と手を引かれた。
(ん?)
そのまま、奥まった死角になる階段下の壁にトンッと背中を押し付けられて、ドンッと壁に手をつかれる。
自分の手ではない。
林檎の手だ。
「へ?」
目の前に林檎の顔がある。極めて不機嫌そうなその顔で、林檎は言った。
「簡単に堕ちて悪かったな」
「え?」
怒っているようなその顔とこの状況に頭がついていかない。
すると、スッと林檎が壁についていない方の手で、苺の角を撫でた。
「んっ……」
(何、この声……!!)
びっくりするくらい甘い声が出た。自分で触った時は全く感じなかった角は、林檎に触られた瞬間、ぞくぞくと得体のしれない感覚を苺に与える。
「ちょっ……、杉沢君!?」
戸惑う苺に、林檎は言う。
「お揃い」
「え?」
もう一度、角をするりと撫でられた。
「ふぁっ……」
やはり声が漏れる。どうして角を触られるだけでそうなるのか分からない。
(何コレ、何コレぇぇぇぇぇ???)
「角」
ポツリと続けられた林檎の言葉で、角がお揃いだと知ったが、今はそれどころではない。
「さ、さ、さ、さわらないでぇぇぇぇぇぇぇ!」
混乱しながらそう言うと、林檎は角を触る手だけは外してくれたが、壁と林檎の間に挟まれた状態からは逃してくれなかった。
「すすすすす、杉沢君?」
「早く、堕ちてこい」
最後にそれだけ言うと、林檎は漸く苺から離れて、そのまま振り返りもせずにそのまま階段を上がっていった。
「な、何、あれ……」
自分の角を撫でながら、苺は今更ながらに気づく。
「あ」
窓から見下ろし、目があったのは、他の誰でもない林檎だったということに──。
「え? え? え?」
簡単で悪かったな、とか、早く堕ちてこい、とか、言われたセリフが反復されて、極めつけは夕日でオレンジに染まったピンクの髪と角とか。
自分の恋心に関しては全くもって納得いかないが、人の心に対してはそんなに鈍くはないつもりだ。鈍くはないつもりだが……
「ちょっと……杉沢君、簡単すぎませんかね……?」
その場にはいない林檎に向かって、思わずそう苺は呟いて、次いで力強く自分に言い聞かせる。
「私は一目ぼれなんて、信じないんだけど──!」
断固として、ピンクの髪と角を否定したい。
その内、またどこかでこのカップルは出てくるかもしれません。