5 スパイ嫌疑……ですか?(前篇)
気がついた時には、すべてが終わっていた。
あたしは仮眠室らしい部屋のベッドに寝かされ、目を開けると涙で顔をぐしゃぐしゃにしたファリーヌが覗きこんでいた。
「ユーリ姉さま! 兄さま、姉さまがお気づきになられましたわ!」
「ファリーヌ、落ち着いて。だから外傷もないし、気を失ってるだけだって言ったろう」
なるほど特に痛いところもなさそうだけど、どんよりと疲労感が全身にたまっている感じ。
頭を押さえながらなにがあったのかを思い出そうと身を起こすと、金髪の美少女が抱きついてきて、あたしは甘い香りに包まれる。
「ユーリ姉さま、よかった……」
「それにしても、何があったんだい? 賊を撃退して戻ってみれば、所長は伸びてるし、部屋の中は蔓まみれだし」
そうだ。
剣を持った男たちに押し入られ、あたしたちは絶体絶命の窮地に陥った。
でも突然、驚異的なスピードで繁殖し始めた蔓植物が男たちやあたしたちの手足を絡め取って、あたしは気を失ったのだ。
(ちがう───本当はあたしがやったんだ、あれを)
どうやって、というのはわからないけどそれは確かなこと。
あのとき、あたしは魔法陣を通じて地脈の力を操り、蔓植物に異様な生命力を与えたんだ。
「そうだ、あの男たちは!?」
「蔓に縛り上げられて身動きとれず、傷一つ負わせずに捕縛しましたよ。蔓を斬って外に出すのにかなり苦労しましたが」
そう説明するラルフの目が、恐ろしく真剣にあたしを見つめている。
その手に鉢にさしてあった魔法杭が握られていることに気付き、あたしはドキリとした。
もちろん───そんなあたしの動揺を見逃すラルフじゃない、はず。でも彼はその場では何も言わず、あたしに体を休めるように言った。
「ユーリの体調さえよければ、城に帰って休んだ方がいいでしょう。農場や賊に関しては既に騎士団が対応しているので、何も問題はありません」
穀物倉を襲撃した盗賊団のうち、十数名が捕まって、残りは逃走したのだそうだ。
捕まった盗賊はやっぱり国外の貧しい地域───イムルアという町の住人で、しばらくは牢で過ごし、取り調べを受けるということだった。
多少の怪我を負った盗賊もいたみたいだけど、命を落とした人はいなかったと聞いて、あたしは胸を撫で下ろした。
「エルクも、大丈夫だった?」
「ああ、所詮は素人集団だし、鍬やこん棒を叩き落とすだけで済んだよ。それよか、ラルフにやられた奴が痛そうだったなぁ~」
体術の達人であるラルフは致命傷こそ与えないものの、一撃食らっただけで呼吸の止まるような打撃や、肩を外されたり首を決められて昏倒する盗賊もかなりいたらしい。
「武器を持って人に害を為そうとする者に情けをかけるほど、私は温厚ではありません。ましてや王女殿下やユーリを危険に晒すなど言語道断」
「あ……でも、研究所に押し入ってきたあいつらって」
彼らは穀物じゃなく、魔法陣に関する書類を漁っていた。
明らかに食料狙いの盗賊とは違う目的で動いていた……でも眼鏡の政務官はあたしを制し、馬車の用意をしてくると言って部屋を出ていったのだった。
(今は触れるな……ってことか)
既に日も暮れかけていたので、あたしたち四人は再び馬車に揺られ、お城に戻った。
ファリーヌはしきりに私を気遣ってくれたけど、本当に危なかったのはこの娘だったと思う。
心配をかけるといけないので、あたしたちが賊に襲われたということはミシェル王子には内緒にしようということになった。
「ユーリとファリーヌ殿下は問題ないと思いますが、あなたは秘密という言葉の意味を理解していますね、エルクレア殿下?」
ぎろりとラルフに睨まれ、肩をすくめるエルクだった。
※ ※ ※
それから数日、あたしは城内であまりうろつくこともなく室内で過ごした。
怪我もないし疲労も大したことはなかったのだけれど、やはり王族が出向いているときに盗賊が農場を襲ったというのは一大事だったらしく、城内の空気も騒然としていたからだ。
(それと、やっぱりあの男たちだよね)
問題は大きく二つ。
一つは食料を求めて襲撃してきた盗賊とは別に、魔法陣の資料を狙っていた連中がいたということ。
これはあたしの推測なんだけど、彼らは外国のスパイみたいなもんじゃなかったんだろうか。
農業魔法の発達したセルフォードの技術を盗もうと、研究所に忍びこんだところ、たまたまあたしとファリーヌに遭遇したんじゃないかということ。
そしてもう一つは……あたしが魔法陣を暴走させた、かもしれないということ。
鉢に刺さっていた魔法杭を握った途端、地脈のエネルギーが伝わってきて、蔓植物がすごい勢いで成長して賊を拘束してしまった。
あたしの実感としてそれが事実だと思うし、たぶん状況からしてラルフもそれに気づいているんだと思う。
(えっと……魔法陣って言うのは地脈に影響を与えて土地や植物を豊かにするもので、個人的に魔法の力を振るうことができる人間なんかはすごくまれだって言ってたよね)
それが事実だとすれば、あたしはその非常に稀な人間だということになる。
わーお、すごいね。
それって魔法使いってこと?
魔法少女……というにはとうが立ち過ぎてるし、せいぜい「魔法派遣社員」だね。
なーんてアホなことを考えてもどうしようもない。
どうせあたしはいずれこの国、この世界から去っていく人間なんだから。
「あの……ユーリさま。よろしいでしょうか……」
こんこんとノックの後に聞こえてきたのは初老メイドのカタリナさんの声。
最初にこの世界に来た日以来、すっかり顔見知りになった人だ。
最初は胡乱な人物と思っていたあたしを、今ではラルフの遠縁の娘だと信じきっている。
少々お喋りだけど気のいい人で、そのカタリナさんがなにやら不安そうに声を震わせている。
「はい、なんでしょう……」
と、あたしが言い終える前に扉があけ放たれ、お城の警備兵が数人入室してきた。
「な、な、なんですか?」
警備兵は四名、左右にさっと分かれて直立する彼らの顔には緊張があった。
ラルフや、エルクがいるときにだって兵士はこんなに緊張したりしないのに。
カッ、カッ、カッ。
ブーツの踵を打ち鳴らし、ばさりと濃紺のマントを翻して現れたのは、とても長身の男性。
青年と言うには貫禄があり、でも若々しい精力と自信、そして人の上に立つものが持つ威厳に満ちた黒髪の男性。その眼光があたしを射すくめる。
肩くらいまで伸びた黒髪はさらさら、目鼻立ちは彫りが深く整っていて、相当な美形。けれど甘いマスクではなく、自分にも他人にも厳しそうな峻厳な面立ちだ。
「あ─────────」
その時の感情を何と表現したらいいんだろう。
一目惚れとか、そう言う甘い感情じゃない。
恐怖、というのとも違うけど、圧倒されたのは事実だ。人間的スケールの差をまざまざと見せつけられ、あたしは一瞬でこの人には逆らえないということを悟った。
「セルフォード王国第一王子、アンソニー皇太子殿下の御前である!」
護衛兵の中で一番年を食ってそうな髭の兵士の声に、あたしはびくりと身をこわばらせる。
そして慌てて膝を折り、最上級の礼をする。
頭を垂れながら、あたしはこの黒髪の美青年がエルクたちのお兄さんだとはどうしても信じられなかった。
童顔で人懐っこく、ノリの軽いエルク。心優しく弟思いのファリーヌ。そして無邪気で好奇心旺盛だけど、とても人を気遣うミシェル。
その三人の誰にも似ていない。
いや───美形って言うところは似てるかもしれないけど。
「顔を上げよ、娘」
バリトンの渋い声音におそるおそる顔を上げると、漆黒の瞳があたしを見つめている。
感情は───意図的に押し殺しているのか、まったく読み取れない。でもそこにあたしに対する好意らしいものは感じられない。
「名は──────」
「ユ……ユリカ、と申します」
「ライラルフ政務官の遠縁の娘で通っているそうだが、それは真のことではないな?」
それは責めている口調じゃなかった。
けれども断定……淡々と事実を述べる口調に、あたしは無言で頷くことしかできなかった。
「この国の人間でない以上、お前には不法入国および違法諜報活動の嫌疑がかけられる。然るべき手続きに従い、取り調べを受けてもらう」
がっと両方から兵士に腕を掴まれ、立たされる。
そのとき、聞き慣れた声が近付いてきた。
「兄さま! アンソニー兄さま、これはどういうことですか!」
「兄さん、誤解なんだ! ユーリはあくまで僕の客人、いや僕がこの世界に強引に召喚してしまった被害者なんだ。決してスパイなんかじゃない!」
エルクとファリーヌが懸命に黒髪の王子に抗弁するけれど、彼らの長兄はまるで聞く耳を持たないという態度で、粛々とあたしを連れていかせようとする。
エルクたちの後ろにラルフの姿も見えたけれど、彼は悔しそうに顔を歪め、目を伏せていた。
(ラルフ───ごめんなさい)
エルクもラルフも、そしてあたしが異世界の人間だっていう秘密を守ってくれたファリーヌたちも、みんな今までよくしてくれていた。
けど、あたしがラルフの遠縁だって自称して、それが通じるようにしてくれたのは立派な経歴詐称。
ラルフは政務官と言う立場にありながらそれを黙認、いや自分が主導したようなものだから、もしかしたら彼も罪に問われるかもしれない。
それにアンソニー殿下は「違法諜報活動の嫌疑」と言った。
もちろんあたしはスパイなんかじゃないけど、もし強引にそうきめつけられてしまったら、ラルフだってその一味だと断ぜられるかもしれない。その罪はたとえば国外追放、あるいは……考えたくない。
(ラルフには奥さんだっているのに……!)
これはあたしの責任だ。
みんなの好意に甘えて、ただ状況に流されていたつけが回ってきたんだ。
「ユーリ姉さま! 姉さまぁあああ」
「ユーリ、必ず誤解は解いて見せるから、待ってて!」
二人の声がどんどん遠ざかって行って───あたしは城の外の小屋に軟禁されることになった。
※ ※ ※
「はぁ……これからどうなっちゃうんだろう」
小屋はお城の部屋とは比べ物にならないくらい質素なものだった。
けれど、ベッドや小さな机くらいはついていて、てっきり地下牢にでも監禁されると思ったあたしは、少しホッとした。
それでも窓には格子がしっかりかけられ、扉には鍵、外には見張りの兵士が二人ついている。今はまだ軟禁されてるだけだけど、これから先、取り調べとか受けるんだろう。
取り調べなんて、刑事ドラマでしか知らないあたしはさすがに不安を覚える。
「弁護士なんて職業、この世界にあるのかな。てか、あたしそもそもこの世界の住人じゃないから戸籍も住民票もないし」
そう。
あたしは不法入国者である以前に、異世界の住人。
ぶっちゃけメルマルロード……ゾウとそうたいして変わらない存在なのだ。
スパイだと疑われたところで、あたしの身分を証明する人間はこの世界にそもそもいないのだから、取り調べがどうなるものやらさっぱり見当もつかない。
「それに……なんでいきなりこんなことになったんだろう」
エルクたちから聞いた限り、アンソニー王子は年老いた国王陛下に代わって、実質的にこの国の政治のほとんどを取り仕切っているんだそうだ。
だから当然、毎日が超多忙でファリーヌも滅多に顔を合わせる機会がないと嘆いていた。
『アンソニー兄さまはお仕事のしすぎです。あれではいつお体を壊してしまわないかと、わたくし心配ですわ』
そんなことを言って愛らしい顔を曇らせていた。
それほど多忙な立場にいる人が、たかだか小娘一人の経歴詐称に自ら乗り込んでくるかしら。
エルクとラルフは幼馴染だけど、ラルフとアンソニーも幼いころからの旧知の仲だとも聞いた。
仮にラルフがあたしの身分を詐称していたとしても、そこには何か事情があると考えるんじゃないだろうか。
(不法入国、経歴詐称、諜報活動……どれもイマイチ理由としては弱い気がする)
あたしがこれまでしてきたことと言ったら、ラルフから城内でのマナーを教わったり、ファリーヌとお茶してお喋りしたり、エルクの仕事の進展を見に行ったり、ミシェルにおとぎ話を聞かせたり。
それから農場に──────
それだ。
穀物倉を狙う盗賊は定期的に現れていたそうだけど、ザンボア所長の態度からして、魔法陣のデータを狙ってきた賊はこれまでいなかったと考えて間違いない。
今回、そういう輩が出たことで、セルフォード王国としては警戒を強めるに足る理由ができたんじゃないだろうか。他国との関係とかはよく分からないけど。
「……どっちにしても、あたしにはなにもできそうもないなぁ~~~…………」
ベッドに寝転がって、ふて寝することくらいしかできないあたしだった。