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3 農場に行こう(前篇)


「……そうして、お姫さまが鬼が落としていった打ち出の小づちを振ると、一寸法師はみるみる立派な青年になり、お姫さまと結婚したのでした、おしまい」


 あたしが話し終えると、金髪巻き毛の少年はにこやかにほほ笑んで小さく拍手をする。

 どうしてあたしが王子さまの寝室で日本の昔話などを語っているかというと、病弱な第三王子ミシェルのお話し相手をしているから。


 あれから一週間くらい経っただろうか───エルクの弟妹、ファリーヌ王女とミシェル王子にあたしの正体はばれてしまったけれど、二人はあたしの正体を秘密にしてくれた。

 それに、あたしを元の世界に送還する準備もまだ整っていないということなので、あたしもなにか自分に出来る事をしようと思ったのだった。


「ねえ、本当にこんな話でいいの? 昔話とか、おとぎ話とか」

「うん、とても興味深いよ。僕はもともと各地の民間伝承とかが大好きで、そういう書物を集めるのが趣味だから」


 それは、本棚にびっしりと並んだ本を見ればわかる。


 体の弱いミシェルは、あまり外を出歩いたりできない。だから一日の大半は自室のベッドで、本を読んで過ごしているのだそうだ。書棚には様々な装丁の書物が整然と並べられている。


(几帳面な性格なんだな……エルクとは大違いだわ)


 エルクの研究室の雑然とした散らかりっぷりを思うと、本当に兄弟かと疑いたくなるくらい。

 でも、興味のある分野への傾倒ぶりは、似ているのかも。


「モモタロウというお話も面白かったな。果実から赤ん坊が生まれるっていうのは、なにかの比喩なのかな?」

「ええっと……原話では少し違ってたとか聞いたことがあるけど、ごめん、よく覚えてないわ」


 彼は無邪気に昔話を楽しんでいるのではなく、この世界の伝承や民話との比較に興味を持っているみたいだった。

 エルクとはまた少し違うタイプの学者肌みたい。


 ところでこうやって二人きりでいるときは、あたしはミシェルに敬語を使わなくなっていた。

 ミシェルもファリーヌもあたしの事情を知った後、あたしに興味津々の様子で、すぐに懐いてくれた。だから王族を相手にしているというよりは、親戚の子のような親しみを彼らに感じ、彼らもそれを喜んで受け入れてくれた。


(あたしに甥や姪がいたらこんな感じなのかな)


 そういえば、とあたしは元の世界の兄夫婦のことを思い出す。


 実は兄のお嫁さん、義姉の晴ちゃんはいま妊娠七カ月。

 あと三ケ月ほどであたしに甥か姪ができる予定だ。

 その子が大きくなってミシェルたちみたいになるにはまだ時間がかかるけど、この幼くも聡明な王子様たちは、あたしにとってもとても大切な友人といえる存在になっていた。


「ところで、エルク兄さまの研究の方はどう? ユーリ、元の世界に戻れそうなの」

「あー…………」


 あたしがこの世界に連れてこられた日の翌日、エルクがミシェルたちにあたしの正体を迂闊にもばらしてしまった日のこと。

 彼はあたしを元の世界に戻すめどが立った、と言ってたんだけど。


『じゃあ、あたしは元の世界に戻れるのね?』

『い、いや、残念だけどいますぐってわけには。召喚魔法の原理を応用して、送還のための基礎理論は組み立てたんだけど、これが思った以上に厄介なことがわかってきて……キミを安全に送り届けるためには、もっと完璧な魔法陣を構築しなくちゃ』


 向こうからこっちに連れて来たんだから、そっくりその逆のことをすればすぐ帰れる、というような簡単なものじゃないらしい。

 魔法に関してはあたしはさっぱりだし、なんといってもエルクは専門家なのだから、そこは任せるしかないだろう。それに、エルクがあたしを手放したくなくて、わざと研究を遅らせている……ということもないと思う。


(あの人、そんな器用な腹芸ができる人じゃないしね)


 第一、そんなことをして、もしラルフ政務官にでもばれたらどうなるか。

 それでなくてもあたしのことをファリーヌたちにばらしてしまったことで、こっぴどく怒られたばかりなんだから。

 ともあれ、ファリーヌとミシェルはあたしの秘密を守ってくれているので、表向きあたしはラルフの遠縁の娘ということで通している。


「エルクも頑張ってくれてるみたいだし、あまりせっつくのも悪いしね。気長に構えることにするわ、ありがとうミシェル」


 本当を言うと、そんな悠長に構えている場合ではない。

 向こうの世界ではあたしはどういう扱いになってるんだろう。


 失踪、蒸発、行方不明?


 短大は卒業したとはいえ、あたしにもそれなりに友人知人はいるから、誰かがあたしと連絡が取れないことを不審に思うかもしれない。

 もしくは実家から連絡があったら、何度電話をかけても出ないことを心配しているかも。

 いまはまだ一週間かそこらだけど、これが何カ月も続くようなら、捜索願とか出されててもおかしくないし。


 エルクが召喚で呼びたかったのは異世界の「生き物」。

 メルマルロードがいなくなって、そりゃ英国の動物園はびっくりして混乱したかもしれないけれど、メルマルロード自身は自分が異世界に飛ばされたことを、おそらくなんとも思ってないだろうと思う。

 ゾウだし。

 エルクだって、人間じゃなく動物を呼び出すつもりだったから、召喚したものを元の世界に帰すなんて考えもしなかったんだろう。


「あの……ユーリが異世界のいろんなお話を聞かせてくれるのは、僕とても嬉しいけど、ユーリが優先したいことがあるんなら、無理に僕のところに来てくれなくてもいいんだよ。自分のしたいことをしてね」


 と、健気なことを言う金髪の王子さまの髪を、あたしはくしゃくしゃと撫でてやる。


「大丈夫だよ、ここに来るのはあたしが来たいからだし。それに、明日はラルフが農場見学に連れてってくれるんだって。ミシェルも来れたらよかったのに」


 そう、お城に閉じこもってばかりでは退屈だろうと、明日はファリーヌも連れて大規模国営農場の見学に行くことになったのだ。

 ミシェルも最近は体調がいいので、城下町くらいなら平気だろうけど、さすがに遠出をするのは体に負担がかかるだろうと、今回はお留守番。


「こっちのお野菜ってあたしの世界の作物とはちょっと違うし、どんなふうに育てられてるのか、ちょっと興味もあるわ。とれたて新鮮野菜、お土産にもらってくるわね」


 そして翌日──────。


 こっちの世界に来て初めて城外に出るということで、あたしはちょっと浮かれていた。


 客人扱いとはいえ自分が異世界から来た人間だということは秘密にしなきゃいけないし、エルクたちみたいに事情を知っている人以外の人と関わって、とんでもないヘマをしてしまってはラルフにも迷惑をかけてしまうし。

 今回、同行するのは護衛の兵士や馬車の御者以外はラルフとファリーヌだけだそうだから、気を使う必要がなくてホッとする。


 の、はずだったのだけれど。


「やあっ、今日は絶好の農場見学日和だね!」

「…………なぜいるのですか、エルクレア・セルフォード」


 この一週間であたしが学んだことは幾つもあるけど、そのうちの一つ。

 ライラルフ政務官が他人をフルネームで呼ぶ時は、静かに怒っている時だということ。

 城門前に準備された馬車の傍らであたしたちを出迎えたのは、金髪くせっ毛の青年だった。


「あなたはユーリを送還するための魔法陣を完成させるため、研究室にこもっているはずでは」

「息抜きだよ、息抜き! 毎日毎日研究室で寝泊りするのはもううんざりなんだよぅ~」


 と、情けない声を上げるのは、じつはこの国の第二王子だったりする。

 よくよく見れば、エルクの顔は無精ひげだらけ、服はよれよれでひどい有様だった。

 目の下にはクマができて頬もやつれて、研究に没頭していたというのは、本当のことらしい。


「なあラルフ、一日くらいいいだろ? 郊外の新鮮な空気を吸ってリフレッシュすれば、きっと仕事も捗ると思うんだよ。ファリーヌもユーリもそう思うだろう?」

「ユーリ、甘やかしてはいけませんよ。そもそもの原因はエルクなんですから」


 にべもなく言い放つラルフに、ファリーヌも苦笑いするしかない。

 たしかに一日も早く元の世界に帰りたいのは山々なんだけど。あたしはもうエルクを強く責める気はないし、彼の言うとおり適度な休息を挟んだ方が仕事でもなんでも捗るものだと思う。

 なので、あたしはエルクを同行させてあげて欲しいとラルフに頼んだ。


「ただし───今すぐお風呂に入ってきてちょうだい。その無精髭もきれいに剃ってね。いったい何日お風呂に入ってないの、臭うわよ」

「エルク兄さまは没頭すると日常生活が疎かになってしまわれるから……」

「オッケー、すぐ風呂に入ってくるから! 髭も剃って、新品の服に着替えてくるから、待っててね、先に行っちゃったりしたら泣くよ、僕!」


 ばたばたと駆けていく後ろ姿に、王子の威厳なんてものはこれっぽっちもない。けど、その威厳のなさがエルクらしいと言えばエルクらしい。


「さて、行きましょうかユーリ、ファリーヌ殿下」


 エルクの姿が見えなくなった途端、眼鏡の政務官氏は氷のように冷たい声でそう言い放った。


「いや、さすがにそれは……」


 慌ててあたしとファリーヌが止めなかったら、ラルフは本当にエルクを置いてけぼりにしたに違いない。


 そんなわけで、あたしたち四人は王族専用の馬車に乗り込み、いざ国営農場に向かったのだった。


          ※      ※      ※


 馬車に乗るのは生まれて初めての体験だったけど、さすが王族専用の馬車だけあって、乗り心地は快適だった。

 座席のクッションはふかふかだし、中も広々として内装も豪華。

 二頭引きの馬車はそこそこ速度がでている割には振動も少ない。

 もちろん街道はアスファルト舗装されてるわけではないけれど、よく整備されているみたいで、セルフォードという国の豊かさを感じる。


「城下町を抜ければ少し近道になるのですが、あまり目立ちたくはないので……」


 とはラルフの弁。

 馬車の前後には護衛の兵士が乗った馬がそれぞれ二騎ずつついているので、たしかに目立つ。

 かと言って王族が二人も乗っているのだから、これくらいの護衛は必要なんだろう。


「なあに、野盗か山賊が出たって平気だよ。僕もいるからね」


 野盗に山賊、いるのか……というか、エルクが自慢げに腰に下げた剣を見せるのはどういうことだろう。


「どういうこととは、どういうことだい、ユーリ。まさか僕が剣も使えないとでも思ってた?」


 力いっぱい思ってました。


 だって、魔法研究や発明が趣味のインドア派だとばかり。しかし意外なことにラルフもエルクの言葉を否定しなかった。


「こう見えてもエルクの剣の腕はたしかですよ。まあアンソニー殿下には引けを取りますが」

「ぐっ……あれと比べるのは酷いよ、ラルフ。兄さんは剣術大会の優勝常連者じゃないか」


 エルクやファリーヌの兄である第一王子アンソニー殿下は、剣の達人なのだそうだ。

 さすがにその人には敵わないまでも、エルクも剣を使えるらしい、ちょっと意外。


「魔法や発明の材料探しに出ることもあるからね。何日も野宿することもあるし、いちいち護衛なんか付けてられないのさ。だから、一通りの護身は身につけてるよ」


 王子と言っても、第二王子は一人でほいほいフィールドワークに出かけられる身分のようだ。

 ていうかエルクの場合、国政とか面倒臭い仕事はそのお兄さんに丸投げしてるようにしか見えないんだけど。


「ラルフは剣は使わないの?」

「私は文官ですから、剣は嗜みませんよ。多少、体術の心得はありますが」


 その控え目な言葉に、なぜかエルクが思い切り顔をしかめる。


「文官で初めて武術大会の殿堂入りをした人間がなにを……ユーリ、彼がどうして剣を学ばずに体術一本なのか知ってるかい?」


 エルクの言葉をファリーヌが引き継いで答える。


「それはもちろん、ラルフさまは血を見るのがお嫌いな、心優しいお方だからですわ。剣は過って人を殺めてしまうかもしれませんが、体術ならその心配もありませんし。そうですわよね?」

「ええ、まあ」


 ふわふわ金髪の美少女が尊敬の眼差しでラルフを見つめる。けどエルクがこっそりあたしに耳打ちをしてきた。


「剣で相手を倒すとすぐ決着がつくからだよ……体術だとじわじわ相手を嬲りながら苦しめることができるからって」

「そ、それは」

「それと、痕が残りにくいからだって。最初の日、僕の脇腹に強烈なの叩きこんだの、キミも見たろう? ああいうヤツなんだよ、ラルフって……」

「は、ははは……」


 有能な政務官の意外な一面を知ったあたしであった。


「見えてきましたよ、この辺りから農場の敷地です」


 木立を抜けると急に視界が広がった。


 雲ひとつない広々とした青空の下に、見渡す限りの畑が丘の向こうまで続いている。

 あたしも農家の子だけど、これほど大規模な農場は初めてだ。さすが国営って感じ?

 あたしたちを乗せた馬車は畑に沿ってぐるりと回り、ある建物の前で止まる。

 あたしには読めない文字の書かれた───おそらくセルフォード国営農場とか書かれてるんだろう───立派な看板の前に、恰幅のいい中年男性がにこにこと笑みを浮かべてあたしたちを出迎えてくれた。


「ようこそおいでくださいました、ファリーヌ王女殿下。そしてライラルフ政務官に……え、エルクレア殿下!?」


 当初、参加する予定のなかったエルクの顔を見て、中年男性は明らかにうろたえていた。


「ユーリ、こちらはこの農場の管理をしている農学研究所のザンボア所長です。所長、こちらは私の遠縁に当たるユーリです。本日は見学の許可をいただきありがとうございます。それと……エルクレア殿下は、その、突然の参加でして」

「は、はぁ。あの、農場見学は許可いたしますが、くれぐれも……」

「大丈夫です。勝手なことはさせませんので、ご安心を」


 ちょっと待て。


 エルク、あんたここで昔なにかやらかしてる?

 恰幅のいい所長氏は、明らかにエルクに怯えていた。

 ともあれあたしたちは馬車を降り、一般見学コースとやらを巡ることになったのだった。

 最初はザンボア所長が同行しようかと申し出てくれたけど、異世界云々のことを話すわけにはいかないので、丁重にお断りする。


「一通り回ってから昼食、午後は実験農園の方を回りましょう。ファリーヌ殿下、こちらです。それとエルク───私の目の届く範囲にいて下さい。勝手な行動は禁じます、いいですね」

「わかってるわかってる」


 なにその念の押しようは。絶対、何かやらかしたな。


「ユーリ姉さま、ご覧になって。とても美しいですわ」

「ファリーヌ、走っちゃ危ないって」


 お城から遠く離れたお出かけに、お姫さまも興奮しているのだろう。

 小走りで駆けてゆくその後を追いかける。

 ミシェルもそうだけど、彼女もずいぶんあたしに懐いてくれて、姉さまねえさまと呼んで慕ってくれる。

 上も下も男兄弟ばかりで、まるで姉ができたようでうれしいのだそうだ。

 こんな綺麗な女の子に懐かれるのは、悪い気はしない。


「ねえラルフ。ここの農場でも使ってるのよね、魔法陣?」


 この国で主に使われているのは農業魔法。

 土地を肥やし、害獣や害鳥を避け、作物高を上げる魔法……らしいのだけど、見る限り、どこにもそんなものは見当たらない。


「そうですよ、そこかしこにあるこれがそうです」

「えっ、これ?」


 あたしが驚いたのも無理ないと思う。

 だって、ラルフが指し示したのは畑の隅に何本も打ち込まれた金属製の支柱だったからだ。

 支柱と支柱の間に縄が張られていて、てっきりただの柵だと思ってたんだけど、これが魔法陣?


「魔法陣……というより、魔法陣が刻まれた魔法杭とでも言った方がいいでしょうか。大地に打ち込むことで地脈に干渉し、範囲内の土地に有益な影響を与えるためのものです」

「ふ~ん、これがねえ……こんなもので本当に害獣対策になるの?」


 別に疑うわけじゃないけど、農家にとって害獣というのは本当に深刻な問題なのだ。


 この魔法杭の間に張られてる縄も、あたしの世界じゃ害獣対策に有刺鉄線だったり、電気が流れていたりする。

 それでも柵の隙間から侵入してきたイノシシに畑を荒らされたり、けっこう大変だったりするのだ。

 まじまじと杭を見つめるあたしに、ラルフはにまりと微笑んでこう言った。


「ユーリ。柵の向こうから畑に侵入しようとしてごらんなさい。腹を思い切り空かせた獣の気分になって」


 ほほう、魔法とやらをこの身で体感させようというのかしら。

 好奇心を刺激され、あたしは畑の入り口ではなくぐるっと回って畑に向き直る。


「ユーリ姉さま、大丈夫ですか?」

「平気平気、じゃあ行くよ~~~っ」


 あたしは子育て中の猪の母親になった気持ちで、畑に向かって猛ダッシュした。

 子どもを連れた母イノシシは非常に手強い。ちょっとやそっとの防護柵などものともしない。

 いくら魔法だってその勢いは……


「──────ッッ?」


 縄の一メートル手前で、あたしは急ブレーキをかけた。

 心臓がばくばくと早鐘のように鳴り、どっと冷や汗が吹き出してくる。

 金属の味がする唾液が口の中にたまり、頭ががんがんと痛みだす。


「う…………な、なによこれ……っ」


 さっきまでただの金属の支柱にしか見えなかった杭が、いまはなんだかとても気味の悪いものに見える。

 見ているだけで不安をかきたてられるというか……これが害獣避けの魔法?

 どうにか二歩、三歩と足を踏み出すけど、不快な気分はとたんに何倍にも跳ね上がり、思わず後ずさりした。


 顔を上げるとラルフとエルクがにやにや笑っていて、その傍らでファリーヌが心配そうにあたしを見つめている。

 くそー、負けるもんかと何度か近づこうとするけど、柵に近づくほどいやな気分が襲ってきて、あたしは畑の外をうろうろとするばかり。


「ユーリ、もういいでしょう。柵から離れて、畑に侵入しようと思うのをおやめなさい」


 ラルフの言う通りにすると、すっと溶けるように不快さがなくなった。

 初めて体感した魔法に、あたしは驚くしかない。

 なるほど、あたしは獣害避けの魔法がここに存在すると「知っていた」から、なんとか粘ることができたけど、これが野生の獣だったらどうだろう。

 きっと不快な気分を我慢できなくて、とっとと退散したに違いない。


「ひゃー、参ったまいった。魔法ってすごいんだ。あの効果は、害鳥にも?」

「もちろんさ。ただ、畑を肥やす小動物もいるから、そういう生き物には影響を与えないようにするのが難しいんだ」


 自身も魔法研究者であるエルクがいばっている。

 あたしはあらためて畑の入り口から入って、ファリーヌに追い付く。

 畑には青々とした、チンゲン菜によく似た葉物の野菜が丸々と育っている。許可を得て、あたしは土を少し弄らせてもらう。

 黒々とした、よく肥えた土だ。


「へえ、本当にいい畑……おっ?」

「どうなさいましたの、ユーリ姉さま」


 あたしは土の中にもぞもぞと蠢くものを見つけ、掘り出してみる。

 それはミミズによく似た、でも緑色をした生き物だった。


「へえ、この世界にもミミズっているんだ」

「ひぃいいいいいっっ! ね、ね、姉さまっ」


 手の平に緑のミミズを乗せたあたしを見て、ファリーヌの顔が蒼白になる。

 あわててエルクの後ろに隠れるファリーヌと対照的なあたしに、ラルフは感心したような目を向ける。


「ご婦人には少々グロテスクな生き物ですが、ユーリは平気なのですね」

「農家の娘ですから。あたしの世界でも、ミミズのいる畑はいい畑ですよ」

「その生き物は土中のコケを食べて育ちます。体色が緑なのはそのせいですね。餌を求めて土中を掘り進む過程で土が耕され、その糞は肥料となります。そうして土地が肥えるのです」


 緑ミミズを手に乗せて平然としているあたしに、ファリーヌがおそるおそる首を伸ばして覗きこんでくる。


「まあ、そんなに役に立つ賢い生き物なのですね……み、見た目はちょっとアレですけど」


 異世界にも人がいて、動物がいて、ミミズがいる。

 当り前のことだけど、あたしはなんだかそのことが嬉しく感じられる。

 あたしとエルクたちは違う世界に生まれて、別々に育ってきたけれど、まったくかけ離れた世界じゃないって感じ。


 害獣は確かに困った存在だけど、害獣だって自分が生きるために畑を荒らすわけで。

 どんな世界でも人と自然が共存してるんだなぁって感じられるのが嬉しい。


(でも……)


 と、あたしは一つ気になったことをラルフに聞いてみる。


「ここ、あまり人がいないみたいだけど……」


 そう、国営農場というわりには働いてる人をあまり見かけないのだ。

 あたしたちが見学コースを回っているからかもしれないけど。


「ここはまだ収穫には少し早いですからね。収穫している畑を回ってみましょうか」


 ラルフは農場の隅々まで熟知しているのか、あたしたちを連れていままさに収穫中という畑に向かう。

 この人、本当に有能を絵にかいたような人だな。


「まあ……人がいっぱい」

「おぉ~、壮観だなー」


 そこは黄金に輝く一面の小麦畑。

 正確には小麦とは違う品種なのかもしれないけど、顆粒状の実をつける穀物だから、だいたい似たような作物だろう。

 農業魔法の恩恵を受け、見事に実ったそれを大勢の人々が鎌を振るって刈り入れをしている。

 あたしの世界ではとうぜんコンバインとかを使うところだけど、この世界には魔法技術はあっても機械文明はあまり発達していないみたいだ。


(水車とかは見かけたんだけど……蒸気機関もまだっぽい?)


「これは……なかなか大変そうですねー……」


 あたしの言葉にラルフは少し怪訝な顔をする。

 別に機械文明を持たない彼らを馬鹿にするわけじゃない。

 日本だってちょっと前まではああやって人力で稲刈りをしてたんだから。

 そのことを遠回しに説明すると、眼鏡の政務官どのはにこやかにほほ笑んだ。


「そうですか、ユーリの世界の文明にはなかなか興味が湧きますね。ですが、人出を大量に投入するというのは、別の側面もあるのですよ。ユーリ、ここは国営農場ですよね」

「え? ええ」

「農業従事者を雇い入れるのは、失業政策の一環でもあるのです。我が国にも広大な土地を持った大地主というのはいますが、基本的に農業は国策によって行われるものです」


 この世界の農業の要は農業魔法。

 それがなければ土地は痩せ、病害や害虫、害獣に苦しめられ、作物高は思うように上がらない。

 そして魔法陣の技術は特別な技術者でないと使いこなすことが難しく、セルフォード王国でも国の管理の下、農業魔法技術が運用されている。

 この農場ではさらなる農業魔法の発展、そして魔法技術者の育成を念頭に置いて、大量の農業従事者を雇っているのだそうだ。


「魔法技術者を志望する者に対する奨学制度もあります。ただ肉体労働力として雇っているわけでもないんですよ」


(そうかー、農家の高齢化と離農が進む日本とは大違いだなー)


 感心するあたしとは裏腹に、なぜかいきなり目を輝かせるのはエルク。


「ほらぁ~っ。やっぱりいつまでも人力頼みは時代遅れだよ~。僕が考案した自動刈り入れ機が完成したら、こんな大勢が汗水たらして働かなくても」


 その言葉にぴきり、と政務官の額に血管が浮き出るのを、あたしは見逃さなかった。


「ほう……所長の許可も得ずに持ち込んで勝手に試運転した揚句、暴走して畑を滅茶苦茶にしてしまった、あなたの自動刈り入れ機ですか…………」


 それかーっ!


 あたしはようやくザンボア所長がエルクを恐れている理由を知った。

 そら怒られるわ、エルク……。

 あたしがエルクに呆れた目を向けていた時、「それ」は起こった。


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