2 お城で暮らそう
異世界のお城に突如連れてこられ、あろうことかあたしはお城の庭園で本物のゾウに遭遇した。
そのゾウは、この国の第二王子にして魔法研究者でもあるエルクレア王子が召喚魔法によって、この世界に連れて来たらしい。
あたしの聞いた海外ニュースとも合致するし、間違いなくエルクが召喚したのだろう。
彼はゾウと同じくらい珍しい世界の生き物を呼び出そうとして───何の因果かあたしを、就活に失敗して派遣会社に登録したばかりのあたしを、この世界に召喚してしまったのだった。
働き口を求めていたあたしだけど、まさか異世界に派遣されるとは思ってませんでしたよ。
(まったく、勘弁してよ)
とは言いつつ───。
元の世界に戻れないと聞かされた時は目の前が真っ暗になる思いだったけど、いまは少し落ち着いている。
あたしを召喚した張本人であるエルクも、そのお目付役にして幼馴染のライラルフ政務官も悪い人じゃなかった。
むしろあたしに対して責任を感じ、一日も早くあたしを元の世界に戻すと約束してくれた。
翌日、あまり出歩いて城中の人間の目に触れさせるのも無用のトラブルの元と言われ、あたしは再びエルクの研究室でこの世界のことについてレクチャーを受けることになっていた。
なんにせよ、異世界の常識など何もわからないし、知っておくにこしたことはない。
(言葉が通じなかった時はどうなることかと思ったけど)
と、右手中指にはめた指輪を見る。
「そう言えば、エルク……王子? お聞きしたいことがあるんですけど」
こんな呼び方でいいのかしら。それとも「殿下」?
「エルクでいいって。ついでに敬語も使わなくていいよ、堅苦しいのはラルフだけで十分」
「じゃあエルク。この指輪ってあなたが作ったの? これも魔法の道具?」
よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりにそっくり返るエルク。
「もちろん、僕の発明品さ! その宝石が人の思考波を変換して、言語に含まれた意味を相手の意識に直接……」
もちろん、これっぽっちもわかりません。
まあでも、こんな指輪一つで異世界の人と自由に会話できるんだから、実際たいしたものだとあたしは素直に感心していた……んだけど。
「まったく無用の発明ですよ。ユーリ、あなたが来るまではね」
と、両手いっぱいの書物を抱えて入ってきたのは、黒髪オールバックに眼鏡の切れ者政務官、ライラルフ。
「無用ってどういうことですか? 実際、役に立ってるし」
「……この世界の言語はほぼ統一されてるんですよ」
あー。
言語が統一されてるということは、わざわざこの指輪で翻訳する必要がないということで。
「そ、それだけじゃないよ! これを身に着けていれば人間以外の……犬とか馬の気持ちも手に取るようにわかるんだ!」
ところでこの世界にはゾウこそいないものの、犬や馬によく似た動物は存在しているみたいだった。
馬は移動手段や馬車を引かせたり、犬は番犬や猟犬と、そういう人と動物の関係もあたしたちの世界とほとんど変わらないみたい。
なるほど、動物とお話できるっていうのはちょっとメルヘンでいいな。
「犬の気持ちなど、そんなものを使わなくても大体理解できます。そもそも動物は言語を持ちませんし、人間ほど複雑な思考をするわけでもありませんし」
再びぐっと言葉に詰まるエルク。ちょっとかわいそうかも。
「ところでユーリ。あなたさえよかったらなんですが、こちらの服に着替えてはもらえませんか」
と、ラルフが大きめのバッグから取り出したのは、明るい色のワンピースドレスだった。
デザインこそシックだけど、そこかしこにある刺繍やボタン、装飾金具は手が込んでいて、けっこう値のはる代物のように思われた。
っていうか、なんであなたが女物のドレスなんて持ってんですか。
「うちの家内のものを借りてきたんですよ。見たところ、あなたは家内とそう背格好が変わらないように見えましたので」
「えぇっ、ラルフさんって奥さんいたんですか。もっとお若い方かと……ってスミマセン」
「ラルフは僕の三つ上、二十六歳だよ。超~愛妻家でさぁ」
「余計なことは言わなくてよろしい。あなたのお召しものはとても似合ってますが、いかんせん城内では目立ちます。妙な噂がたつのも困りものですし、ひとまず、私の遠縁の娘ということで通しておくのがよろしいかと」
なるほど、一理あるかも。お城勤めの政務官の遠縁の娘と、異世界から召喚された娘、どっちが穏便にすむか考えなくてもわかる。
「ということで、貴族の子女なら当然身についている所作を一通り覚えていただきます」
げぇええっ、思わぬ試練!
そうか、政務官なんて堅苦しい肩書を持ってる人が、貴族でないわけない。ラルフさんが貴族なら、その遠縁の娘も当然貴族の末席にいるわけで。
「これは言うまでもないことですが……あなたがなにか取り返しのつかないトラブルを引き起こした場合、その責任はあなたの保護後見人である私にも降りかかりますので、そのつもりで」
と、容赦なくあたしにプレッシャーをかけてくるラルフ。
ダメだ、こういう理詰めで物事を押し進める人には勝てる気がしない。
あたしは覚悟を決め、マンツーマンで貴族の娘の所作、マナーなどなどを徹底的に叩きこまれたのだった。
※ ※ ※
「ほう───ユーリのご実家は農業を営んでおられるのですか」
ええ、と貴族なら当然身についているマナーについて学んでいる合間に、あたしはラルフとそんな会話をしていた。
「父も兄も勤め人なので、兼業ですけどね。家族で細々と営んでる程度ですが」
「我がセルフォード王国のおもな産業は農業です。よければ国営農場の見学にでも出向く機会を設けましょう」
ほー、異世界の農業か。
あたしが元の世界に帰った時に役立つとも思えないけど、それはそれで興味がある。
(そういえば食事……食べ物もこっちの世界とそれほどかけ離れてなかったな)
ここは異世界。
本当なら文化も生活習慣もまるで正反対でもなにもおかしくはない。でも、昨日今日と過ごしてみて、少なくとも食に関してはそんなに違和感を覚えなかった。
基本、西洋風にパン、スープ、肉や魚料理といった感じだけど、シンプルな煮物料理らしきものもあるし、なにより果物や野菜が新鮮に感じられた。
まあ、多少見慣れない葉物や根菜類も目にしたけど。あたしはこの世界の人たちの味覚が、自分と大差ないことに感謝していた。
「我が国は気候が温暖な上に魔法技術も発達していますからね」
「はい? 農業と魔法が関係あるんですか」
あたしの言葉に、黒髪眼鏡の愛妻家は首を傾げる。
「もちろんです、魔法なくしては現代の農業は成り立たないと言ってもいいでしょう。というか、わが国で活用されている魔法の大半は農業関連です」
え~? 魔法って言えば、杖を持った白ひげのおじいさんが呪文を唱えて、稲妻や炎を出して魔物を退治するとか、絨毯で自由に空を飛ぶとか、そういうんじゃないのかしら。
「あなたの世界では、そんな魔法を使いこなす人物がいらっしゃるのですか!?」
いえ、すみません。小説やゲームの話です。
「そういった個人の技量……魔力を振るう人間がいるという話もありますが、非常に稀な事例ですね。魔法とは基本的に地脈……大地に流れる霊脈を操作する技術体系の事ですから」
魔法……人知を越えた特別な力というのは、個人の才能で自由に扱えるようなものではなく、基本的に魔法陣を用いて地脈にある種の改変を与える技術、らしかった。
具体的に言うなら、ある農地に魔法陣を設置する。
すると地脈の影響によってその土地は肥え、病害や害虫被害は減り、結果として収穫量が増えるというのだ。
もちろん天候による影響はどうしようもないけれど、土地の状態を魔法によって左右することができれば、確かに農家としては大助かりだ。
「でも、それって変じゃないですか? 土地が肥沃になる……その土地に住む微生物とかの生命活動が活発になるんだったら、当然、病害の原因になるウィルスやバクテリアの活動だって盛んになるのでは? 害虫だってそうです」
たとえばピラミッドパワーって言う、怪しげな言葉がある。
ピラミッド型の四角錐の中に生肉を長時間放置しても、それは腐敗しない。
その中で座禅なんか組んだら精神が明晰になり、健康になるとかいう類の眉つばな話を聞いたことないだろうか。
でも、それって変じゃない?
ピラミッドの中に入って健康になるんだったら、肉を腐らせる腐敗菌だって健康になるはずでしょ。
人間は健康になって、腐敗菌は死滅する、それじゃ理屈が通らない。
人間の都合のいいように解釈してるだけだから、そういう話は信用に値しないとあたしは思う。
「ウィルス? バクテリア……ああ、仰ってる意味はなんとなくですがわかります。ええ、そうですね。作物にとって有益な虫もいれば、逆に害を為す虫や鳥もいる。ですから、そこが魔法技術なのです」
「どういうことですか?」
「つまり、一様に生命を活発化させるのではなく、そこにある種の選択性を持たせる……害虫や害鳥が忌避する、そして土地を肥やす小動物、微生物などには好まれる地脈。そういった、人間にとって都合のいい環境を作り出す技術こそが、魔法農業なのです」
えらくご都合主義な魔法だなぁ、と思ったけれど、それ以上言い募るのはやめにした。
だって、彼らがこの世界で魔法を用い、農業を営んでいるのは本当の事だから。
きっと現在に至るまで、その魔法陣とやらの技術も膨大な試行錯誤が繰り返され、技術が洗練されてきた、そういう過程を経てきたということだ。
よその世界のあたしがあれこれ口を出すことでもないだろう。もとより、あたしには魔法なんて縁がないだろうしね。
「さて、今日はこれくらいにしておきましょうか。先ほどお教えしたマナーを生かすため、少し城内を回ってみてはいかがですか」
「だ、大丈夫でしょうか」
基本は教わったとはいえ、もしもすご~くえらい人相手に大変な粗相をしてしまったら、あたしのみならずラルフにも迷惑をかけることになる。
「いまは重要な会議が行われているわけでもありませんし、警護が必要な人物……大臣などがいる部屋にはちゃんと警備兵がいます。そういう場所に立ち入らなければ平気でしょう」
そこまで言われたら、引っ込んでるのももったいないような気がする。
エルクは研究室に閉じこもって───というかラルフに睨みを効かされて、あたしを元の世界に送還する方法を研究中。
せっかくなのであたしはそこらへんをぶらぶらと散策することにした。お城って滅多に足を踏み入れる場所じゃないし。
「そういえば、王さまとかいるのかな。王さまって言うことは、エルクのお父さん?」
会ってみたいような気もするけど、いまのところあたしの正体はエルクとラルフ以外の人間には秘密ということになっている。
そもそもの召喚魔法自体がエルクの個人的な研究らしいし、事を大きくしたくないというのがラルフの真意のようだ。
例の中庭───エルクが召喚したゾウが散歩していた中庭にでも出てみようと歩いていると、メイドさんと出くわした。
やや深めに会釈をするメイドさんに、あたしもドレスの裾を少し持ち上げて会釈を返す。
(ええと、これくらいでいいのかな)
あたしはラルフの遠縁の娘ということになっている。
なので使用人であるメイドより身分は上になるので、メイドより丁寧なあいさつを返すのは不自然ということになる。
もちろん、相手が自分よりも目上の人間の場合は、こちらがよりへりくだった挨拶をしなければマナー違反ということになる。なので、出くわした相手が自分より上なのか下なのかを判断して挨拶しなければいけないのだ。
(ああ、めんどくさい)
いささかうんざりしていると、挨拶を終えたメイドがあたしの顔をまじまじと見つめていることに気付いた。
よくよく見れば、その顔に見覚えがある。昨日、ゲストルームであたしが最初に出会った、無愛想な初老のメイドさんだ。
でも今日はなんだか雰囲気が違う。
「昨日はたいへんご無礼いたしました。まさかライラルフさまの遠縁の方とはつゆ知らず、どうかお許しください」
と、ひどく狼狽した感じでもう一度深々と頭を下げるので、あたしも恐縮する。
「聞けばエルクレア殿下の実験に巻き込まれたとか、それはそれは災難でございました。お体は大丈夫でございますか?」
昨日とは打って変わって、まるきり「被害者」に対する同情心に満ちた雰囲気。
気になったので少し話を聞いてみると、驚きというかやっぱりというか、エルク……仮にもこの国の第二王子に当たる人物の評判について少しだけ知ることができた。
曰く、第一王子である彼の兄と違い、「変人」として知れ渡っているということ。
曰く、幼馴染でもある文官、ラルフの手を煩わせてばかりだということ。
曰く、はた迷惑な実験や、珍妙な発明で城内の人間も困らされているということ。
(エルク、あんたって人は……)
一見、ただの能天気で実験発明好きのお馬鹿王子かと思われていた彼は、ただの能天気で実験発明好きのお馬鹿王子でした。
なんですか、それは。
「本当にもう、兄上のアンソニー皇太子殿下は大層な人格者でご立派でいらっしゃいますのに、エルクレアさまはどうしてああ……」
女のおしゃべり好きというのはどこの世界でも変わらないようで、それに加えて彼女、カタリナという名のメイドさんはエルクのお兄さん、第一王子であるところのアンソニー殿下びいきであるらしかった。
ということは当然、相対的にエルクの評価がだだ下がりなわけで。
まあそれは多分に本人の責に負うところもあるだろうけれど、城中のメイドたちの間での第二王子の評判は決していいものではないようだった。
いいかげんカタリナさんのおしゃべりから解放され、あたしはお城の中の探索を再開する。
中庭に出る出口を見つけたので、庭園に足を踏み入れてみると、そこはなかなかに見ごたえのある木々や草花が生い茂っている。
小さな川が流れ、ちょっとした茶会を開けるような場所もあり、きちんと草の引いてある小路をぐるりと回っていけば、城の裏手に出られるようだ。
(もしかして昨日のゾウ……メルマルロードが飼われてる厩舎もそっちにあるのかしら)
異世界の人にとってもだけど、あたしだってゾウなんて動物園にでも行かないとお目にかかれない。インドに行けば乗れるそうだけど。
このまま厩舎にまで行くべきか。
「いや、あまりうろうろしすぎて迷ってもことだし、帰ろうかな」
と、踵を返そうとした時だ。
新芽も眩しい植え込みの向こうから、少女の笑い声が聞こえた。
鈴を転がすような明るさ、そよ風のような軽やかな響き。
聞いただけで生まれつきの気品すら感じさせるその笑い声に、あたしは興味をそそられる。
そっと植え込みの陰から顔をのぞかせると、そこに一幅の絵画のような光景があった。
色とりどりの花が咲き乱れる庭園の中央にあったのは、車いす。
車いすに乗っているのは人形のように愛らしい金髪巻き毛の少年。
年の頃は十三歳くらいだろうか。車いすを押すグリップを握っている少女が、少年に微笑みかけている。
少年も十分すぎるほどに美少年だったけれど、この少女がまた桁外れ・超ド級の美少女だった。
年の頃は少年よりも上だが、見た目あたしよりも下、十七歳くらいだろうか。
少年の髪そっくりな金髪はふわふわのカールで、それが風に揺れるさまはまさに天使のような美しさ。
身につけている白と黄色を基調としたドレスは刺繍をふんだんに施した豪華な造りだけど、その豪奢なドレスが色あせて見えるほど輝いているのが少女の美貌だった。美しいとか可愛いとか愛らしいとか、そんな言葉がむなしく聞こえる。
どんな美辞麗句を重ねたところで、その魅力を伝えきる自信がない。
さっき少年のことを「人形のように愛らしい」といったけれど、人形には生命の輝きは存在しない。けれどその金髪美少女の魅力は、弾けるような生命の輝き、瑞々しい若さに裏打ちされた躍動の美にあった。
そして、内側から溢れるその気品ときたらどうだろう。
現代日本に生まれ育ってきたあたしとしては、貴族だの平民だのいまいちピンと来てなかったけれど、これはなんていうか「もの」が違う。生まれ持った品格・階級というものが世の中に存在するのだということを、あたしは思い知った。
「これは……張り合う気すら起こらないな……」
呆然と少女の美貌に見とれていると、あたしの間抜けな声が聞こえたのか、少女がハッとして振り向いた。
「げっ」
と、驚いた拍子にまたも間抜けた声を漏らしてしまう。
なんてことだろう、どこからどう見ても少女は貴族、それもドレスの高級感からしてそうとう身分が高いに違いない。
あたしは習ったばかりの礼儀作法の中でも最上級の挨拶を思い出しながら、ドレスの裾をつまんで深々とお辞儀をする。
「お、驚かせてしまい、誠に申し訳ございません。どうか非礼をお許しください」
やり方は間違ってないと思うけど、なんでこんな庭園に護衛もなしにこんなお姫さまみたいな娘がいるのよ、と心臓はバクバクものだ。
すると下生えを踏み分ける微かな音と共に、あたしの正面に人の気配が立つ。そして視界に小さくて真っ白な手が差し出された。
「どうぞ、お顔をお上げになってください……この庭園では身分の上下など無粋というもの。わたくしたちはお日さまの下で共に生きる同胞なのですから」
ゆっくりと顔を上げると、そこに天上の笑みがあった。
「わたくしはファリーヌ。ファリーヌ・セルフォードと申します。あなたはもしかして、ライラルフさまの遠縁の方でいらっしゃいますか? お話は伺っておりますわ」
またも少女の美貌に見とれそうになったあたしは、慌ててもう一度お辞儀をして、自分の身分を───偽りの身分を明かす。
「そうですか、ユーリさまとおっしゃるのですね。どうぞよろしくお願いいたします。あちらにいるのはわたくしの弟、ミシェル。どうぞ、ご紹介いたしますわ」
少女は確かにセルフォードを名乗った。
そして車いすの美少年が弟ということは、この二人はエルクの妹と弟ということ?
(に…………似てねえ……っ)
失礼は重々承知でそう思う。
そもそも本物のお貴族さまというものに縁がなかったあたしだけど、最初にエルクが「王子さま」だと聞かされた時は正直拍子抜けだった。
だってエルクって童顔だし、ノリは軽いしいい加減だし、貴族の威厳とか気品なんてまるで感じなかったし。威厳だけならラルフの方がよほどあると思う。
けど、この美少女……ファリーヌの溢れる気品は、まぎれもなく「王女さま」だけが持つものだ。
(顔立ちとか金髪は似てるから、兄弟なのは間違いないんだろうけど……)
あたしとファリーヌを車いすから見つめている件の美少年からも同じような品を感じるし、あれっ、もしかしてエルクだけが例外的に貴族の気品がないってことじゃないの?
第一王子のアンソニー殿下とやらは、メイドさんに言わせれば大変な人格者で立派な人らしいし。
エルク…………強く生きるんだよ。
「初めまして、ユーリ。僕、ミシェル・セルフォードといいます。お会いできて嬉しいです」
車いすの少年、金髪巻き毛の美少年ミシェルは、足が不自由というわけではないらしい。
ただ生まれつき体が弱く、お城の中を歩き回っただけでもすぐに体調を崩し、熱を出してしまうのだそうだ。
「姉さまにも座学や習い事があるのに、こうしていつも僕を庭に連れ出してくれるんです。車いすまで姉さまに押させてしまって……」
「まあ、この程度のこと、どうということもありませんわミシェル。それにお日さまの光を浴びるのは、とても体にいいのよ。あなたが健康になることはわたくしの、いえ兄さまたちみんなの幸せでもあるのですから」
花がほころぶようなファリーヌの笑顔に返す少年の微笑みには、けれどどこか陰りがある。
たぶん彼は自分の体が弱いせいで、周囲に迷惑をかけていることを気に病んでいるんだろうとあたしは思った。
こういうのはいくら周りが「そんなことはない」と否定しても、どうすることもできない。
そんな心労を抱えているせいだろうか、ミシェルはどこか大人びて見える。
「アンソニー兄さまは、よその国の魔法学者まで招いて治療魔法陣の研究をして下さっているし、エルクレア兄さまだって、部屋にこもっている僕のために珍しい動物をわざわざ探してきて下さったんです」
「そうでしたわね。あのお鼻の長い動物には本当に驚きましたわ」
それって、もしかしてゾウ……いや、メルマルロードのことだろうか。
「僕もいろんな本を読んでるけど、あんな奇妙な生き物について記した本なんかなかったよ。やっぱりエルク兄さまはすごいや」
あ、とあたしは気付いてしまった。
どうしてエルクが「異世界の生き物」なんか召喚しようと思ったのか。
もしかしてこの病弱な弟のため? 部屋にこもりがちな少年の退屈を少しでも紛らせるため……というのは、考え過ぎだろうか。
(ただの、好奇心だけで動く考えなし王子じゃないんだ……)
あたしがエルクのことをほんのちょっぴり見直しかけた時だった。
「お~~~~~い、ユ~~~~リ~~~~~!」
聞き覚えのある声が遠くから近づいてくる。
金髪のくせっ毛を揺らし、駆けてくるのはこの国の第二王子にして魔法研究家。
あたしをこの世界に引っ張り込んだ元凶だ。たしか研究室であたしを元の世界に戻すための研究をしていたはずだけど、あの満面の笑みってまさか……
「ユーリ、喜んでくれ! あぁ、僕は我ながら自分の才能が怖い! キミの召喚に成功したのは昨日のことだっていうのに、たった一日でキミを元の世界に送り返すめどが立ってしまうなんて。これはもう、はっきり言って天才の仕事としか思えないよ!」
あたしも、そして傍らの美少女も車いすの少年も、一様にぽかーんと呆気に取られる。
「ちょ、ちょっと、エルク」
「エルク兄さま……召喚ってなんのことですの? ユーリさまを元の世界に送り返すって」
「ユーリはラルフの遠縁の人じゃなかったの?」
「あ」
その時になって初めて、弟妹の存在に気づいたらしいエルクの顔が凍りつく。
「や、やあ! そこにいるのは我が愛しの妹ファリーヌに、我が弟ミシェルじゃないか。こんな所で会うなんて奇遇だねえ、二人で庭園をお散歩中かな、それは結構。今日は上天気だし、絶好のお散歩日和というものだねえはっはっは」
誤魔化せてない、誤魔化せてないよ、エルク。
ファリーヌもミシェルもあたしの方を不安そうに見てるし、あんたはっきりきっぱり聞き間違いようもないくらい「あたしを召喚した」って、「元の世界に送り返す」って言ったし。
それに、第一、あたしが異世界から来た人間だっていうのは、秘密じゃなかったのかぁあ~~~~~~!
「ったく……なんのためにあたしがラルフの遠縁の振りをしてたと思ってるのよ……」
こうなったら、しょうがない。
あたしはふわふわ金髪の美少女と車いすの少年王子の前に膝を折り、恭しく頭を垂れる。
「ファリーヌ王女殿下、ミシェル第三王子殿下。エルクレア殿下の仰ったとおり、わたくしはライラルフ政務官の遠縁の娘ではありません。王族の方に対し身分を偽ったこと、深くお詫び申し上げます」
「まあ……」
「ユーリはよその世界から兄さまが召喚したっていうこと? もしかして、メルマルロードもそうやって連れて来たんだね、すごいや!」
愛くるしい二人の王女と王子は頬を上気させ、目を輝かせている。
まあこんなに気立てのよい子どもたちだから、あたしの嘘に怒るとは思ってなかったけど、そんなに喜んでもらっても困ります。あたしは何の芸もないただの一般人ですから。
(それに……エルク、あなたホッとした顔してるけど、知らないぞぉ~)
そう。
ファリーヌもミシェルも、他人の秘密をぺらぺら言いふらしたりするようなことはないだろう。
二人ともとってもいい子だし、あたしの秘密を守ってくれると思う。変に嘘を重ねるより、この場で二人に真実を明かしたあたしの判断は間違ってないだろう。
間違ってるとすれば───それはあなただよ、エルク。
いつかエルクに下されるであろうラルフの大目玉を想像し、あたしはぞくりと背筋が寒くなるのだった。