17 イムルアの聖母
晴ちゃんに続いて兄ちゃんまで。
あたしはその場にへなへなと崩れ落ちた。
「ユーリ、へたり込んでる場合じゃないよ! 今すぐ僕らもお兄さんたちの後を追うんだ」
「えっ……お、追いかけられる、の?」
「ぐずぐずしてたら地脈の流れが変わる。けどいまなら、彼らとそう遠くない座標に飛ばされるはずだ」
そう言いながら、エルクは魔法杭を数本取り出し、赤い葉っぱを地面に縫いとめるように突き立てていく。
さらにがりがりと不思議な図形を刻んでいくと、そこに不思議な光が宿りだす。ここに戻ってくるときにも見た、送還魔法の輝きだ。
「いくよ、ユーリ」
「は、ハイッ!」
ぐいと抱き寄せられ、こんな場合にも関わらずあたしはドキリとする。
けどすぐに意識を兄ちゃんと晴ちゃんに向けると、魔法陣の輝きが強くなる。
人の意識、感情の高ぶりに反応するというヒメテングウヅキの持つ成分が、どうかあたしとエルクを兄ちゃんたちの元に導いてくれますように。
脳裏に兄と兄嫁の顔を思い浮かべて目をぎゅっと閉じると、ふわりと浮遊感に包まれ───あたしたちはその場から消失した。
「うわっ」
どさり、と尻もちをついた時、あたしたちは信州の山奥とは明らかに違う場所にいた。
広々とした丘が広がっていて、背後には灌木林。
日はまだ高く、街道と思しき道を人がまばらに、けど途切れることなくみんな一方向に向かって進んでいるのが見えた。
「なにあれ……えっと、服装からしてエルクの世界の人っぽいよね?」
「あ、ああ。見たところ何かの巡礼みたいだけど、ここはどのあたりかな……ちょっと聞いてくるからここで待ってて、ユーリ」
そう言ってエルクはリュックを背負ってパッと駆けだしていく。
そうか、帰ってこれたのか……ってエルクにとっては、だけど。
あたし的には異世界にまた逆戻りってところだけど、ということは兄ちゃんたちもこの世界にやって来たってことかしら。
エルクは巡礼?者らしい人に二言三言話しかけていたかと思うと、やおら着ていたTシャツを脱ぎ始めた。
なんだなんだと思っているとジーンズまで脱ぎ始め、相手の巡礼者と服を交換し始める。
そして、リュックの中のものを取り出し、周りにいた数名の人たちとなにか交渉を始めたようだった。
しばらくするとお世辞にも上等とは言えないボロ服にケープをまとったエルクが戻ってきた。
「ユーリ、色々わかったんだけど、まずはこれに着替えて」
「えっ、なにがどうなってんの……?」
あたしはブラウスにスカートの上から、エルクが持ってきたボロ服を身につけ、これまたぼろい布を肩に羽織る。
「うん、そういう恰好じゃないと目立ってしょうがないからね。悪いけどお兄さんのシャツとズボンも交換して、情報を仕入れてきた。彼らはやはり巡礼者だったよ。けど、変なんだ。向かってるのはイムルアなんだって」
「……なにが、どう変なの」
ええい、自分だけ理解してるんじゃない。
あたしはこの世界の町の名前なんて全然わかんないんだから。
「覚えてないかな、国営農場の倉を襲ってきた連中。彼らの大半はイムルアの人間なんだ。地脈の流れが悪くて、作物なんかほとんど採れない、貧しい土地さ。そこに『聖母』さまが現れたっていうんだ」
「聖母さま……?」
そりゃまた突拍子もないワードが出てきたものだ。
なんでもあの巡礼者たちは北方から聖母さまのご利益を授かろうと、そのイムルアの町まで行く途中なんだそうだ。ちなみにイムルアはここから歩いて三日ほどらしい。
「聖母さまは異国よりやってきた妊婦で、痩せたイムルアの土地に奇跡をもたらしたんだそうだ。まるで作物の育たなかった土地が魔法陣も使ってないのに肥え、奇跡の聖母の噂がはるばる北の地にまで広がったんだとか」
「異国よりやってきた妊婦……まさか、その聖母さまって晴ちゃんじゃないの!?」
「いや、聖母さまがやってきたのは二カ月ほど前らしいから……」
そうか、なら晴ちゃんのわけがない。あたしはがくりと肩を落とす。
「それにしても、二か月も前からそんなすごい人がいたっていうのに、エルクもラルフも聖母さまのことを知らなかったの?」
その言葉にエルクはさも当然というように頷く。
「イムルアは辺境の上に人の流入も少ないからね。そこでの噂話がセルフォードや他国に伝わるまでそのくらいかかるのは当り前さ」
あたしの世界のように通信網が発達しているわけじゃないから、世界中のニュースを瞬時に知るなんてことはとても無理ということらしい。
人づてにじわじわと噂話が広がって波及していくものなのだそうだ。
けれど、このときあたしもエルクも大事なことを失念していたということを、あたしたちはあとで知らされることになる。
「ユーリのお兄さんたちのことは城に戻れればすぐにも探し出せると思う。いまはあの巡礼者たちに紛れて、イムルアに向かおう。方角的にもそれが最短ルートだし、それにいま僕の正体を彼らに知られるとまずい」
「なんでよ、セルフォードの王子さまだって言ったら乗り物とか用意してくれるかもしれないじゃない」
けどエルクは声を潜め、ぼろ布で顔を隠すようにしながら列の向こうをちょいちょいと指さす。
そこには黙々と歩く巡礼者とは明らかに違う、馬に跨り槍を持った兵士の一団。
「ガフテスルの兵士だ。前にセルフォードの魔法技術を狙って、キミを攫おうとした国の兵士」
「ああ……」
たしかそのイムルアって村同様、北国なので作物が育たない国だったはず。
「表向きは巡礼の護衛ってことになってるらしいけど、彼らの目的はまず間違いなくイムルアの聖母さまだろうね」
痩せこけた土地に奇跡を授けた聖母を、自分たちの国に連れて行こうというんだろうか。
あたしを攫おうとした三人組から想像するしかないけど、なんとなく目的のためなら手段を選ばない強引な国みたいだから、その聖母さまも拉致同然に連れていくつもりなんだろうか。
「僕自身も魔法研究者だから、彼らにしてみれば貴重な情報源だろうからね。正体を隠すに越したことはないよ。だから目立たないように服を交換したんだ」
「なるほど、巡礼に紛れて、その上護衛までしてもらって一石二鳥というわけね」
こうしてあたしとエルクは巡礼者の列に加わり、イムルアを目指すことにした。
それにつけても心配なのは晴ちゃんと兄ちゃんの安否だけど、エルクが言うにはこの世界に飛ばされたことはまず間違いないということで、少しだけ安心する。
言葉こそ通じないけど、兄ちゃんは学生時代は柔道部で、空手も少しかじっている。
まあトラブルに巻き込まれないのがいちばんなんだけど、いざとなったら晴ちゃんを守る事くらいは出来ると思う。
(それに兄ちゃんにはあたしの体験したことを一通り話してあるし、ファリーヌやラルフが二人の服装を見たら、あたしと同じ世界の人間だと気がつくかもしれない)
とはいえ、ここは異世界。
山賊や野盗、それに魔物までいる世界なんだから、一刻も早く二人を見つけないといけない。二人のことを考えていたら、自然と険しい顔になっていたのかもしれない。
隣を歩いていたお婆さんが突然親しげに話しかけてきた。
「奥さん、あんたも聖母さまを頼って巡礼しとるんかい?」
「え、ええ、まあ」
誰が奥さんだ、と思ったけど、いちいち訂正するのも面倒なので適当に頷いておく。
「あんたもなあ、子宝に恵まれないのはつらいだろうけど、辛抱だよ。聖母さまのお慈悲を受ければ、きっと旦那さんの子どもを授かることが出来るさぁ」
「え、ちょっと、何の話ですか」
「旦那さんもあんたもまだ若いんだし、きっと元気な子どもを授かるよぉ。旦那さんも奥さんをうんと可愛がってやらんと!」
そう言ってエルクの腰をぺちぺち叩くお婆さん。
エルクはというとばつが悪そうにあたしに目くばせしてる。
こ、こいつ……なにを吹きこんだんだ、この人に。
「ちょっとエルク! もしかしてあたしたち夫婦ってことになってるの?」
「その方が巡礼者として受け入れられやすいと思って……夫婦連れで懐妊祈願とか、いかにも聖母さまを頼って巡礼してるっぽいだろ」
そりゃまあ、その方が怪しまれないんだろうけど。
エルクもお婆さんに尻叩かれてへらへらしてんじゃないわよ。
てか、あたしたちって見ようと思えばそういうふうに見られるの?
まあ、年齢的にはちょっと若すぎるかもしれないけど、あたしの世界じゃ法律的にも結婚できる年齢ではあるし。
エルクはちょっと能天気で抜けたところがあるけど、基本的に善人だし、頭も悪くないし。
そうそう一人で野宿したり兎獲ったりそれを料理したりと、家庭的なところもあるのは男性としては高ポイントだよね。
そもそも第二王子だから将来的にも安定してるし。
(って、なに考えてんだあたしは)
こんなあたしの動揺も知らず、なにやらお婆さんとにこにこお喋りしてるエルクだった。
※ ※ ※
さてそれから二日過ぎて、イムルアの村まであと一日というところに来た時だった。
巡礼者の護衛という名目で付いてきていたガフテスルの兵士たちが、なにやらざわついている。エルクが他の巡礼者から聞いたところによると、斥候が戻ってきたらしい。
「……斥候ってなに?」
「本隊より先行して、前線で偵察や警戒をする兵士のことだよ。彼らがざわついてるってことは、よその国の軍隊が近くにいるのかもしれない。位置的に、最も可能性の高いのはセルフォードだけど……」
セルフォードの軍隊ということは、あたしたちにとっては朗報だ。
けど、イムルアと同じく作物が取れない問題を抱えているガフテスルならともかく、どうして農業方面ではなにも問題のないセルフォードが、わざわざ軍隊を派遣したんだろう。
「ねえ、そもそもイムルアってどういうところなの。土地がやせてて作物が取れないっていうこと以外に。セルフォードの領地じゃないのよね?」
「うーん……」
と、ここでエルクが珍しく顔を曇らせる。
「確かにセルフォードの領地じゃない……というか、どこの国も領有権を主張してない、それくらい誰にも必要とされてない土地なんだ。それでも、なぜか人が住みつく。よその国にいられなくなった人間や、誰かに追われている人間、お日さまの元をまともに歩けなくなった類の人間が、行く当てを失ってイムルアにたどり着くんだ」
「ミミアが生まれたところみたいな……?」
アンソニー殿下のお傍近衛メイドのミミアは貧民窟出身で、両親の顔も知らずに育ったと以前にあたしはミミア本人から聞いた。
けれどエルクは首を振る。
「セルフォード領内にも、残念ながらスラム街はあるよ。僕らもできるだけ福祉政策を取って、なくそうとしてはいるんだけどね。けれど貧富の差こそあれ、そこに生きるのはまぎれもなくセルフォードの国民だ。でも、イムルアは違う……棄民された、いや自分で自分たちを棄民した人々の吹きだまり、それがイムルアなんだ」
なのにそこに現れた異国の聖母。
その聖母を巡って二つの国の軍隊が衝突するかもしれない状況ってこと?
それってかなり危険なんじゃないだろうか。
「そうだね。不毛の地だったイムルアで作物が取れるようになったのなら、そこを手に入れたがる国もでてくるだろう。ガフテスルも聖母さまだけじゃなく、イムルアの土地そのものに食指が動いたのかもしれない」
それってまるきり領土争い。あたしの世界でも、それはとても繊細で厄介な問題だ。
「けど、僕らは聖母さまに用事があるわけじゃないし、本当にセルフォードの軍が来ているなら、そっちに保護を申し出てもいい。ユーリもお兄さんたちの方が心配だろ?」
そういうことなので、あたしはエルクの厚意に甘えることにした。
実際、身重の晴ちゃんと兄ちゃんがちゃんと合流できてるかどうかもわからなかったし、いまは一分一秒でも早く二人と再会したかった。
そのときだった。
巡礼の列に同行して進んでいたガフテスルの軍隊が、進む速度を上げ始めた。
巡礼者の護衛なんだから先に行っちゃ駄目だろう、というのは通用しない。
彼らの目的は巡礼者の護衛じゃなく聖母さま、そしてイムルアの土地そのものなんだから。
「エルク、どうしよう?」
「向こうは馬だし追いつけないよ。巡礼の列から離れよう。イムルアに行くのは僕らの目的じゃないんだ、セルフォード領内にたどり着くことを先に考えよう」
あたしたちは巡礼の列を離れ、森に向かう。
セルフォード領内に入ればエルクの正体も明かせるし、どこかで馬か何かを借りればお城まで一直線だ。そうしたらさっそくラルフにかけあって兄ちゃんと晴ちゃんを探してもらおう。
(きっとすぐ見つかる。きっと二人を連れて元の世界に戻れる)
そのはずだった。
まさか……まさか「彼」と再会するだなんて。
「あなた………………こんな所でいったい何やってるの?」
『お姉さん!? お姉さんこそどうしてこんな所にいるんだい?』
けれど、「彼」の声はエルクの耳には「ぱお~ん」という鳴き声にしか聞こえていない。
「メルマルロード! メルマルロードじゃないか! 無事だったんだね」
「っていうか、あなたお城に帰らなかったの? あたしはてっきり」
あたしの言葉をさえぎって、メルマルロード───エルクがこの世界に初めて召喚した異世界の生き物───ゾウは長い鼻を振りあげて抗議の声を上げる。
『なに言ってんだよ、あのあと洞窟を掘り起こしたけど、お姉さんもそっちのお兄さんも見つからなくて……こんな状態でお城に帰ったら、ボク確実に怒られるじゃないか! だからこうして、森の中で友だちと過ごしていたのさ』
友だち……メルマルロードの周りには何匹もの猿がいた。
あのとき遭遇した魔物のような巨大な猿人じゃなくて、普通サイズの猿で、メルマルロードに懐いているようだ。
『あのでっかい猿、いたでしょう。あいつを僕が追い払ったことをすごく感謝されたんだ。あいつは体の大きさにものを言わせて暴れるから、群れでも嫌われ者だったんだって』
「あいつはどうしたの?」
『さあ? 僕がちょっと小突いてやったら逃げ出しちゃって、帰ってこなかったよ』
あらら、ケンカしたことないってパニクってたくせに、威張ってら。
それにしたってお城に帰らず餌はどうしていたんだろう……とは考えるまでもなかった。
そこは森の中でも異彩を放っていて、たくさんの身をつけた木々が生い茂っていたのだ。
なんというか砂漠のオアシスのように果物が生っていて、この猿たちもそれが目当てでここに留まっているんだろう。
「なんだここは……この一帯だけ果物が生い茂るなんてあり得ない」
と、エルクも首をひねっている。
「ここだけ地脈が異常に活性化してる……ユーリ、キミの指輪を貸してくれないか。メルマルロードに聞いてみたいことがあるんだ」
「わかった。ねえメルマルロード。エルクがあなたに聞きたいことがあるんだって。話を聞いてあげてくれる?」
『えー、やだよ』
…………えっ、とゾウのにべもない返事にあたしはつんのめりそうになる。
『どうして僕が他のオスと言葉を交わさなきゃいけないのさ。そんなのはこの世で最も無駄な行為の一つだね』
「え、えっと……それってどういう」
『まあそのお兄さんは僕とメスの取り合いをすることはないだろうけど、それでもやっぱりお姉さんと違ってオスだからね。そういうのとは会話したくない』
あたしは唖然とするほかなかった。
自分以外のオスを敵視して会話もしないだなんて、もしかしてこれが動物的本能ってヤツなんだろうか。
(ていうか、あんたもしかしてあたしが女……メスだから協力してくれてたんかいっ)
これ以上無理強いしても無駄そうなので、あたしが間に入ってエルクの質問をメルマルロードに伝えることにした。
以下、あたしがエルクの言葉を伝える部分は省略する。
「キミは、ずっとこの場所にいたのか?」
『んー、お城に帰りたくなくて、しばらくこの辺をうろついていたんだけどお腹がすいてきて……そうしたら不思議な光が見えて、『あの人』を見つけたんだ』
「……あの人、って?」
『女の人だよ。お腹が大きくて、すぐそばに男の人もいた。そしたらその女の人の周りの草が伸び始めて、木の実が生り始めたんだ』
なんとメルマルロードが見つけたのが例の聖母さまだったらしい。
『しばらく見てたら二人とも気がついたんだけど、その人たちはお姉さんと違って僕の言葉は通じなかった。果物や木の実を食べて落ち着いたらどこかに行こうとしたんだけど、僕は止めたんだ。ほら、この辺はあの大猿みたいなのがいて危ないじゃない? だからうろついているときに見つけた、人間のいる町に案内しようとしたんだ』
「……それがイムルアの町だったってことか」
「ちょっと待って、メルマルロード! あんたなんでその二人をお城に連れて行かなかったのよ」
と、たまりかねてあたしが割り込んだ。
『だ、だってお城に戻ったら怒られちゃうじゃん……その、イムルア? そこに案内したら二人ともすごく喜んでいたし』
それはそうか、彼にその街が棄民の町だとか言ったって通じないだろう。
とりあえず聖母さまはその街にたどり着いて「奇跡」とやらを起こしたのだから、結果オーライというところだろう。
(それにしても、妊婦と男の人? ますます晴ちゃんと兄ちゃんにしか思えないんだけど……)
『それにしても、お姉さんもひどいよ。僕を一人置いてどこかに行っちゃうなんてさ』
「そ、それについてはご免なさい。あたしも色々あったのよ。けどわりとすぐ戻ってきたじゃない」
そう、あたしがエルクと共に元の世界に戻っていたのはせいぜい一週間程度。
けれど、その言葉を聞いた途端、メルマルロードは怒りもあらわにどすんどすんと足を踏み鳴らし始めた。
『すぐ! すぐ戻ってきただって? 冗談じゃないよ、お姉さんたちがいなくなったのはもっと前だよ。あれからお日さまと月が五〇回以上は昇ったり沈んだりしたよ!』
「なんだって? ユーリ、彼は何て言ってるんだ」
「わ、わかんない……太陽と月が五〇回以上って、それって二カ月近く経ったってこと?」
あたしはメルマルロードの言うことをそのままエルクに伝える。
彼は金髪の癖毛を指にくるくる絡めながらしばらく考え込んでいたけれど、やがて「まさか、そんなことが……」と青ざめていく。
「どうしたの、エルク」
「ユーリ、僕らは二人とも大きな勘違いをしてたのかもしれない。イムルアの聖母はいまから二か月前にイムルアにやってきた、だから聖母は晴さんじゃないと僕らは判断した」
「ええ」
「聖母は奇跡を起こし、イムルアに恵みをもたらした。そんな奇跡が二カ月も前に起こっていたなら、どうしてイムルアの住人たちは国営農場を襲わなきゃいけなかったんだ? そんな必要はないだろう、違うかい?」
エルクがなにを言おうとしているのか理解できず、あたしは首を傾げる。
「いいかい───僕はいままで魔法陣によって世界を移動する時、そこにタイムラグは存在しないと思っていた。事実、元の世界に戻ったキミにはそれがなかった、そうだね?」
「え、ええ……あたしはこの世界で約一カ月過ごして、向こうに戻ったらやっぱり向こうでも一カ月経っていたわ」
「ところが今回は違った。いや正確には晴さんとお兄さんにタイムラグは生じなかったんだろう。送還魔法が発動した時間と、彼らがこの森に現れた時間はほぼ同時だった。でも───僕らは違った」
ようやく、あたしはエルクが言わんとしていることを理解し始め、そしてある結論に達せざるを得なかった。
「送還魔法陣によって僕らはここに戻ってきた……ただし、二カ月後の世界に」
「そ、それって……それにさっきからエルク、でも、この森で倒れていたのは聖母さまなんでしょう?」
ああ、と金髪の青年は頷いた。
「イムルアの聖母は──────晴さんだ」




