10 嵐の夜に
送還魔法に関わっているかもしれない特別な植物。
それの調査に出かけたエルクは、あれからまた五日帰ってこなかった。
あたしはさすがに少し心配だったけれど、ラルフだけでなくファリーヌまでのんびり構えているので驚いた。
「エルク兄さまはいちど野外調査に出かけられると、一カ月や二カ月帰ってこないことも珍しくないんですのよ。わたくしも幼いころは心配でしたけれど、いつだってけろっとした顔でお帰りになるから」
昼下がり、あたしとお茶をしていたファリーヌは事もなげにそう言った。
「まあ、あの恰好じゃまさか王子さまだなんて誰も思わないでしょうねえ~」
いちおう護身用に短剣程度は持ってるらしいけど、それ以前にあの埃まみれの風体で野山をうろついているのを見ても、ただのモノ好きな変人くらいにしか思われないだろう。
いや、実際にモノ好きな変人なんだけどね。
「ファリーヌ王女殿下、よろしいでしょうか」
と、そこに眼鏡の政務官ラルフが顔を出した。
いつもぴしっとしている政務官どのが、いつにもまして険しい顔をしているので、あたしも緊張する。
「まあどうなさったのですか、ライラルフさま」
「はい、二日後にグレゴール家で行われるガーデンパーティーの件ですが、出席はお控えくださいますよう、お願い申しあげます」
ファリーヌは王女として国内の有力貴族のパーティーや舞踏会によく出席する。
弟王子のミシェルは病弱だし、エルクはあの調子なのでそういった公務がよくファリーヌに回ってくるのだそうだ。
もちろん、それとは別にファリーヌがスペシャル級の美少女だという理由も大きいだろう。
彼女がいるだけで確実に場が華やかになり、パーティーも舞踏会も大いに盛り上がるだろうというのは、想像に難くない。
「先方からなにか通達があったのですか?」
「いえ───実は観測所からの報告で、南西部より大きな雨雲が接近中とのこと。近く天候が大きく崩れるとの予想です。かなり大きな嵐になるでしょうから、グレゴール家にもその旨、連絡して対処していただくつもりです」
「まあ……それは心配ですね」
セルフォードは農業大国。
温暖な気候や肥沃な土地、農業魔法には恵まれているけれど、天候を左右することまでは出来ないみたい。
だから大きな天候の変化にすぐ気付けるよう、各地に観測所があるのだそうだ。
(そっかー、気象衛星なんかないもんねえ)
ラルフの報告でお茶会は中止、なんだか周りが少しずつ慌ただしくなっていく。
「ライラルフさま、私はアンソニー殿下に同行して、堰の見回りに参ります」
「ミミア、殿下は指揮に専念して、くれぐれも現場に出さないよう留意して下さい。私は災害対策本部に常駐しておりますので、とにかく連絡を密に!」
「はいっ、了解です!」
きびきびと答える赤毛のメイドは、例の緊急モードに切り替わっている。
彼女だけではなく、カタリナさんも他のメイドさんも、ばたばたと慌ただしく嵐対策に走り回っている。
場合によってはお城の一部を開放して、浸水被害に遭った人たちを収容して、炊き出しをするんだそうだ。
「あ、あたしもなにか手伝わせて下さい」
「いえいえ、ユーリさまはファリーヌ殿下やミシェル殿下のお話し相手をしていただけますと、たいそう助かります」
そう言われて厨房をちらと覗くと、料理人やメイドさんたちが戦場さながら、大鍋に幾つもスープを作ったり、石窯に火を入れたりしている。
長期保存のきく焼き固めたパンを作っておくのだそうだ。
(あたしだって芋の皮むきくらいは出来るけど、この猛烈な流れに下手に加わっても邪魔になるだけかな。ここはおとなしくファリーヌたちの様子を見て来よう)
ミシェルの部屋を訪ねると、思ってた通りファリーヌが弟の様子を見に来ていた。
窓の外はまだ夕方なのにもう薄暗く、暗い雲が立ち込めている。風の勢いも強く、中庭の木々が風に煽られて苦しげに揺れている。
「ファリーヌ、ミシェル。まだ雨は降りだしてないようね」
「ユーリ姉さま。ラルフさまもアンソニー兄さまも、これからお忙しくなられますね……二年前の大嵐では河が氾濫して、たくさんの臣民が大変な目に遭ったんです。今回はそんなことにならなければよいのですが」
「大丈夫だよ、ファリーヌ姉さま。去年始まった護岸工事も終わってるから、もうあんなことにはならないって前にアンソニー兄さまが仰ってたよ」
と、姉を安心させようとするミシェルにファリーヌも笑いかける。
(それにしても、落ち着かないな。自分に出来ることが少ないと)
これが元の世界だったら、即座にTVをつけて台風情報にくぎ付けになってるところだけど、この世界にはTVもなければ詳細な天気予報もない。
ただ被害が拡大しないことを祈りながら、嵐が過ぎるのを待つしかできないのだ。
いや───お城にいるあたしたちよりも、城下の人たちはもっともっと不安だろう。それに国営農場のザンボア所長さんも、今頃は大わらわだろう。
どこの世界でも大自然に対して人間ができることは、あまりにも少ない。
(ところで……はて、なにか忘れてるような気がするんだけど)
まあ、すぐに思いだせないっていうことは、大したことじゃないんだろう。
「ああ、とうとう雨が降ってきたようですわ。エルク兄さまも今頃はどこかで雨宿りなさっているのでしょうか……」
「あ───」
「どうかなさいまして、姉さま」
うわあ、そうだったそうだった。
お茶会の時はちゃんとエルクの話をしていたはずなのに、嵐の話が出て以来、す~~~~~っかりエルクのことを失念していた。
「だ、大丈夫よね、エルク? ねっ、ミシェル」
「大丈夫だよ、ユーリ。エルク兄さまは今まで何度も野外調査に出かけてるし。急に雨に降られたとしても、洞窟なんかを見つけて難を逃れるんだって、前に聞いたよ。それに、兄さまなら雨に降られる前に近くの村に立ち寄ってるかもしれない」
「そうよねそうだよね大丈夫だよね、はははは」
うろたえまくるあたしの手をファリーヌがきゅっと握りしめ、瞳を潤ませる。
「ユーリ姉さま、そんなにエルク兄さまのことをご心配なさるなんて……やはり姉さまはお優しい方ですわ」
「あっ、そうだユーリ。エルク兄さまが帰ってきたら、これを渡しておいて欲しいんだけど、頼まれてくれる?」
と、金髪の少年王子さまが一枚の葉っぱを取り出した。
紅葉のように紅葉した暗めの赤色をした葉っぱ……と思ったけれど、これは元々このような色の植物なのだそうだ。
「兄さまがいま調査しているのがこの植物だよ。あれから別の書物を調べていたら、標本のつもりなのか、これが挟まっていたんだ」
「へえ、これが送還魔法に関わってるかもしれない植物かぁ」
って言われても、あたしにはわからないんだけどね。
(あれ……? なんか、葉っぱが熱い……?)
完全に枯れてる葉っぱだし、そんなことあるわけない。
試しにもう一度手に乗せてみたけど、今度はなにも感じなかった。
なので、あたしは気のせいだろうと思い、それを封筒に入れてもらい、あとでエルクの研究室に持っていこうとスカートのポケットに入れた。
その夜───あたしは不思議な夢を見た。
いや、とても夢とは思えないほどリアルな光景に、エルクがいた。
彼はどこか洞窟のようなところに一人うずくまっていて、うんうんと弱々しい呻き声を漏らしていた。
傍らにはリュックが転がっているけど、その周囲に中身が散乱して、明らかになにか異常事態に陥っていることが見て取れた。
「はぁ、はぁ……」
ようやくあげた顔は泥だらけで、頬にうっすら血が滲んでいる。
のろのろと体を起こし、リュックの方に這いずって行き、中からなにかを取り出す。
カツッ、カツッと石か何かを打ちつけるような音がして、ふうふうという息使い。しばらくすると闇の中にポッと火の手が上がった。
どうやら小さな焚き火を起こしたようだ。
(どうしたの? なにが起こったの、エルク!)
あたしは夢だということも忘れ、洞窟の中のエルクに呼びかけるけど、彼はあたしに気付いた様子もなく、疲れた顔で洞窟の入り口の方を見る。
「魔法陣の効果……少しはあるようだな。けど、今度襲われたらマジでやばいかも」
そう言って腰に手をやり、すらりと短剣を抜き放つ。
炎を反射する白刃にあたしはぎょっとする。
襲われるってなにに? 彼にいったい何が起こってるっていうの?
「痛ぅっ」
と、エルクは右足を抑えて体を丸める。
どうやら右足首を痛めているらしい。それって襲ってきた何者かに負わされた怪我だろうか。
それって獣、それとも盗賊?
いや、あの風体のエルクを見て物盗りが襲ってくるとは思えない。
そういや前にミミアがこの世界には「魔物」がいるって言ってなかっただろうか。
害獣避けの魔法陣に耐性を持った獣。
エルクだって食料くらい持ってるだろうから、もしかしたらそれ目当てに獣か魔物に襲われた可能性はある。
「イテテ……骨はイッてないみたいだけど、しばらく動けそうもないな。雨脚も強くなる一方だし」
耳を澄ますと、たしかに「ザァァアアアア……」という雨の音。
洞窟の中にいるせいか音が反響して、「ザァアアア」の合間に「ゴゴゴゴ……」っていう地鳴りまで混じって聞こえてくる。
「土砂崩れも心配だけど、いま外に出るのも危険だな……」
かしゃんと短剣を置いて、エルクはリュックから白い板のようなものを取り出して、それを噛みちぎった。
とても硬いものみたいで、むぐむぐと時間をかけてそれを咀嚼する。
あっ、もしかして保存用に焼き固めたパンってあれのことかしら。
そのとき───雨音に混じって、なにかの唸り声があたしの耳に飛び込んできた。
「ウグゥウウウ……ウゴォオオオ……」
それは獰猛そうな動物の唸り声。
そしてザッザッと地面をかきむしるような音。
エルクの顔にさっと緊張が走り、右手に短剣を構える。
炎に照らされた横顔に汗が伝い落ち、緊張でぎりっと歯を食いしばった。
「やはり効いてないのか、害獣避けの魔法陣……くっ、こんな時にこんな場所で……!」
(魔法陣が効かない動物───魔物! エルクは足に怪我をしてるのに、その上、魔物に襲われてるっていうの!?)
この嵐の中、魔物も気が立っているのかもしれない。
あるいはエルクの抵抗を受けて手負いになってるとか。
手負いになった獣ほど恐ろしく厄介なものはない。あたしは背中に氷柱を突っ込まれたような気分になる。
(いけない、早く誰かに知らせなきゃ! ラルフに頼んで捜索隊を、ううん、みんな嵐と大雨の対策で大忙しなのに。それに、いまエルクがどこにいるのかもわからない───)
どうしよう、と混乱する頭を抱え、あたしは懸命にエルクに呼びかけた。
(エルク、いまどこにいるの! すぐ助けに行くから、どこにいるのか教えて!)
これはただの夢と分かっているのに、あたしは喉も裂けよと絶叫する。
けれど、エルクは短剣を手にしたまま、じっと闇の奥を───洞窟の入り口を凝視して固まっている。
もしかしたら視線の先に獣が、手負いの魔物がいるのかもしれない。
(エルク、エルク早まっちゃ駄目! いま行くから……あたしが助けに行くから!)
夢中で右手をのばしたら、その手のひらがものすごく熱くなった。
この感覚に覚えがある。
これはそう、国営農場で魔法陣を暴走させた時の感覚にすごくよく似てる。
でもなぜ?
「─────────ユーリ?」
ふと顔を上げたエルクがそうつぶやいた時、あたしはベッドの上で飛び起きていた。
「わぁああっ?」
ばくばくと心臓が口から飛び出しそうに高鳴っている。
額も背中も汗ぐっしょりで、寝巻がぼっとりと汗を吸って重くなっている。
辺りは薄暗い───窓からは轟々と風音が聞こえてくるけど、雨の音は小さくなっているような気がする。嵐が過ぎたんだろうか……いやそれよりも、さっきの夢は何だったのか。
「なに……なんでこれ握ってるの、あたし」
右手の中が熱いので手を開いてみると、そこに赤い葉っぱが一枚。
ミシェルから預かった例の葉っぱ。だけどスカートのポケットに入れていたはずなのに、どうしてそれを手にしているのか、さっぱりわからない。
(それに、さっきの夢───)
いや、あれは夢じゃない。
なぜかあたしはそう確信していた。
理由なんかない、ただわかってしまったんだ。
(エルクがピンチだ。足に怪我をしてまともに立つこともできない。洞窟に隠れて雨はしのいでるけど、洞窟の外に獣……害獣避けの魔法陣が効かない魔物がいて、あのままじゃ襲われるかもしれない)
すぐにラルフにこのことを伝えなくちゃ、と大急ぎで着替えたはいいけど、あたしはファリーヌとミシェルの言葉を思い出していた。
『わたくしも幼いころは心配でしたけれど、いつだってけろっとした顔でお帰りになるから』
『大丈夫だよ、ユーリ。エルク兄さまは今まで何度も野外調査に出かけてるし。急に雨に降られたとしても、洞窟なんかを見つけて難を逃れるんだって、前に聞いたよ。それに、兄さまなら雨に降られる前に近くの村に立ち寄ってるかもしれない』
ダメだ。
あの心配症のファリーヌですらエルクの無事を信じて疑ってないし、ミシェルだって無邪気に兄の無事を確信してる。
ましてやエルクとの付き合いが長いラルフにあたしが見た夢のことを伝えても、とうてい信じてくれるとは思えない。
せいぜいあたしがエルクの身を案じていたから、そんな夢を見たのだろうと思われるのが関の山だ。
(でも違う、あれはただの夢なんかじゃない)
敢えて言うなら、あたしが「魔女」だから。
魔法陣に影響を及ぼす稀な力を持っているあたしだからこそ、あの夢が現実のことだっていう確信があった。エルクはいま怪我をして、洞窟に逃げ込み、魔物に追い詰められている。
「助けに行かなきゃ……でもどこに? どうやって?」
この世界には自動車も原付バイクもない。
移動手段は馬か馬車。
もちろんあたしは乗馬経験なんかないし、馬車だったらどうにかなるかもしれないけど、乗ったのは二回だけ。
(一度目は王族専用の馬車で、どこにあるのかわかんない。二度目は荷運び用の馬車で、盗賊の男がどこからか見つけてきたから、やっぱり調達方法が分かんない……ッ)
ああもうっ。
あたしはまた自分の無力さに力が抜けそうになる。
とにかく部屋を出よう。
ずっと使わせてもらっているゲストルームを抜けだし、城内を進む。
ところどころに蝋燭が灯されているけれど、あまり明るいとはいえないので慎重に進んでいくと、中庭に出る出口にたどり着く。
(あ、これって雨合羽かな。拝借しよう)
合羽をはおって中庭に出ると、もう雨はほとんど小ぶりだった。
嵐の過ぎた後の夜空には星も瞬いていて、これなら明日は晴天に恵まれそうだ。
(あれ、でもエルクのいたところはまだかなり雨が降っていたような……)
そうか。
どこを目指せばいいのかおおよその見当がついた。
この場所ではもう嵐は過ぎているとすれば、嵐の進んだ方角。
まだ雨が激しく振っている場所を目指せば、エルクに近づけるかもしれない。
けれど、徒歩で向かっていたら朝になってしまうだろう。
一刻も早くエルクを助けに行かないといけないのに。どうしたってそこまでの足がいる。
「そうか、馬がいるのは厩舎!」
それならわかる、あたしが最初にファリーヌとミシェルに出会った中庭の庭園。たしかそこからぐるっと回った辺りに厩舎があったはず。
あたしは雨で濡れて滑りやすくなっている石畳に注意しながら、厩舎にたどり着いた。
けれど、当り前のことをあたしは失念してた。あれだけの嵐に厩舎は厩舎でなんの対策もしてないわけがなかった。
「扉が全部……開かないようにされてる……」
嵐に怯えた馬が厩舎を飛び出したりしないよう、分厚い木製の扉には閂がかけられ、さらに太い縄で厳重に縛られ、固定されている。
誰かに頼んで開けてもらう?
それはできない、理由もなしに馬や馬車を貸してくれるはずがない。
まして女一人で城外に出かけるなんて言ったら止められるに決まってる。
「どうしよう~、こうしてる間にもエルクに危険が~~っ」
あたしは厩舎の周りを熊みたいにうろつくことしかできない。
鉈でもあったら閂を縛る縄をほどけるかもしれないと思ったけど、月明かりの中でそれを見つけ出すのはかなり難しい。
「やっぱりあたし一人じゃなんにもできない。誰かの助けがないと、大事な人一人助けることもできないんだ……」
国営農場の時もそう。
武器を持った男たちを前に、あたしはなにも出来なかった。
たまたま魔法陣を暴走させて男たちを捕まえられたけど、あれだって運が良かっただけ。
そのあと、また彼らに誘拐されそうになった時も、なにもできず、アンソニー殿下やミミアに助けてもらった。
こんな役に立たない魔女ってあっていいものなんだろうか。
あまりの情けなさに目頭が熱くなってきて、あたしはその場にうずくまってしまった。
そのとき──────。
『どうしたの、お腹でも痛いの?』
「──────えっ?」
頭の中に響いてきた声に、あたしは顔を上げる。
『さっきから見てると、なんだかすごく困ってるみたいだけど、僕になにか手伝えることはありそうかい、お姉さん』
それは声、と言うよりさっきからあたしの耳に入ってくる「ある音」がなにを意味しているのかを翻訳した言葉だった。
(これってもしかして、エルクの指輪の効果)
そう、異世界である日本から召喚されたあたしが、この国の人たちと自由に会話ができる秘密の便利アイテム。
けど、この場にはあたし以外の「人間」はいない。
だけど、「彼」なら───彼ならあたしの力になってくれるかもしれない。
あたしはエルクを助けるって決めたんだから。
「あのね……あたしのお友だちが危ない目にあってるの。たった一人で、しかも怪我までして……ここからあたしの足じゃ、お友だちのピンチに間に合わない。だから───あなたに助けて欲しいの。力を貸して……メルマルロード!」
「ぱおぉおお~~~~~んっっ!」
それから約三〇分後。
あたしはゾウの背中に乗って、夜の中を疾走していた。




