第八話
切断マンティスの撃破から、一夜明けて。
ルト、ステラ、クレアの三人は、揃って城下町第三工房区に建つ〈メガリス・コーポレーション〉本社に呼び出されていた。
前代未聞のミルメコレオ出現、新型機による零距離白兵砲戦。これだけでももうお腹いっぱいであるのに、その後が酷かった。
街中に響き渡っていた大喧嘩の実況生中継は、押っ取り刀で現場に到着した〈騎士団〉の粘り強い説得、仲裁を経て収束した。逆さまになったアルゴスから救出されるやそのまま騎士団本部へと連行され、七面倒な事情聴取に長々付き合うこと数時間、やっとこ解放されるかと思いきや、今度は厳しい顔をした騎士団のお偉方に取り囲まれての勲章授与式が待っていた。深層のミルメコレオをほぼ無傷で仕留め、未曾有の大惨事を未然に防いだにも拘わらず、謝礼として与えられたのは銀十字砲栄誉記章と一人頭三万タラントの報酬である。あまりといえばあまりの仕打ちに、ついに我慢の限界に達したルトが一発大暴れカマしたろうかとブチ切れる寸前になって、ようやく帰宅が許されたされたのであった。捕まったのが一緒ならば追い出すのも同じタイミングだったらしく、騎士団本部前で再度顔を会わせた三人は、〈ガーズ〉という共通の敵を得て和解、疲れ過ぎによるハイテンションも手伝って、「日を改めて飯でも食いに行こう」と再会を誓って別れたのであった。
だが、話はそこで終わらない。
ふらふらとした足取りで互いの住居に戻り、精も根も尽き果てて泥のように眠っていたところを、ギルドからの緊急連絡によって叩き起こされた。何の用だと食って掛かれば、〈メガリス〉からの出頭要請であるらしい。わざわざギルドを通じての呼び出しとなればおいそれと無下にする訳にもいかず、三人は半日と経たずに再会の約束を果たす羽目になったのであった。
ルトから見て入り口側、クレアが椅子にべったりと張り付くようにして眠っている。ぷーぷーと伸縮を繰り返しているのは、なんと鼻ちょうちんである。生まれてこの方、ルトは「鼻ちょうちんを出して眠る人間」というものを初めて見た。呆れるを通り越してむしろ感心すらする。
応接間の奥の方では、ステラがガリガリと爪を噛んでいる。眼鏡の奥、ジトっとした眼差しで虚空の一点を睨み付けるその姿は、なんというか黒猫だとか鴉の群れだとかに似た、不吉なものを連想させる佇まいであった。というか、先程から一切瞬きしていない。正直、怖い。
そして、ルトにも限界が訪れた。
ずががががと凄まじい勢いで貧乏揺すりをしていた膝が、ぴたりと止まる。
悪鬼羅刹の如しであった凶相がふ、と消え去る。入れ替わりに現れたのは、月に咲く花のように淑やかな微笑である。怒り心頭に発した際、ルトは胸中に荒れ狂う憤怒の炎とは裏腹に、こうして可憐に微笑んでしまうのであった。
――もういい。もう我慢できねえ。もう、なにもかも、知ったこっちゃあ、ねえっ!
思い、ルトが憤然と腰を上げた、まさにその時であった。
「っと、すまんすまん! 予定より会議が長引いちまってなぁ」
ノックも無しに扉を開き、入室してきた男に見覚えがあった。
どことなく愛嬌のある細身の造作に、開いているのか判然としない糸目。作業着に白衣を羽織った食い合わせの悪い服装は、昨日広場で会った時と同じ格好であり、
「――アンタ、昨日のオッサンじゃねえか」
「だからオッサンじゃねえっての。二度目になるが、俺はリィ、リィ=イーハトーブだ。当年とって二十九歳、三十路前はまだオッサンじゃない。これだけは譲れん線だ」
つらつらと言葉を並べつつ、リィはずかずかと歩を進め空席に腰掛ける。椅子に座るや「あー」などと唸りながら目頭を揉みほぐしている姿をみるに、やはりどこからどう見てもオッサンであった。
「どうした? トイレなら出て左手を真っ直ぐだぞ?」
トボけているのか、はたまた善意からなのか。リィの促しに対し、ルトはわざと音を立てて腰を下ろす。
「さて、昨日の今日でお疲れのところをわざわざ呼び出したりして誠に申し訳ない。まず、君たち三人の『処分』についてだが……」
さりげなく出された聞き捨てならない単語に、ルトが電光石火の反応を見せた。
「あンだと?」
拳を握り、やにわに腰を浮かせるルトを制止するように、リィは両の手のひらを突き出して、
「す、すまん! 表現が悪かった、訂正する。君たち三人の『これから』についての話だ。君――ええと、クレア君も起きてくれ」
名を呼ばれた直後、はかったようなタイミングで鼻ちょうちんが弾ける。
むにゅう、とクレアが目を覚ますのを待って、リィは咳払いを前置いて、
「落ち着いて聞いて欲しいんだが、先の一件で君たちが搭乗したアルゴスは、〈王国守護騎士団〉に寄贈される予定だったんだ」
それが何だとばかりに片眉を上げてガン付けを強めるルトに、リィは多少気圧されながらも、
「ワ、武装多脚砲台運用法第七十五条、ギルドに未登録の多脚砲台の使用、窃盗は、不法運用の罪に問われる。君たちは、一時的にとはいえライセンス登録まで行った事で、火事場泥棒の疑いをかけられているんだ」
口上を聞き、ルトは女神の如き微笑を浮かべて席を立つ。
両手の五指をぱきぱきと鳴らし、ただならぬ殺気を感じて身を強ばらせるリィを八つ裂きにせんと飛び掛かろうとした、その刹那、
「……ワーカーズ・ロウ、第二十九条、及び第三十条。自己又は他人の生命に対する危機を避けるための緊急避難措置。並びに、罪を犯すに際して明確な意思が存在していたか、が考慮される。私たちが罪に問われる謂れは無い」
それまで貝の如く口を閉ざしていたステラの思いのほか流暢な返答に、リィは助かったとばかりにうんうんと頷く。
「確かに、あの状況じゃあ誰だってそれを認めるだろう。と、いうか……。そもそも、お礼がまだだったな」
言うや否や、リィはすっくと立ち上がる。
背筋を伸ばし、ルト、ステラ、クレア――どうも静かだと思ったらまた寝ていやがった――に深々と頭を下げて、
「君たちのお陰で、俺も含め、城下に暮らす何百何千って数の人々が救われた。本当に、有り難う」
手の平を返したような真摯な態度に、ルトは盛大に面食らいながらも、
「お、おう……」
「個人的には、最後の着地まで決めて欲しかったけどな。おかげで俺も、向こう三日は徹夜でメンテだ。まぁ、幸いにして思ったより軽微だったし、苦労も難儀も命あっての物種だしな。これ以上を欲張っちゃあバチがあたるってもんだ」
そう言って苦笑を浮かべ、リィは再度咳払い、
「話を戻そう。要するに、君たちは先の戦いで一躍、救国の英雄となったワケだ」
「……その英雄サマが、なんで散々っぱら待たされた挙句、脅されたり嫌味言われたりしなきゃなんねえんだよ」
隠しもしない嫌味に、リィは「だよねぇ」と同調の溜め息を一つ、
「さっきも言ったろ? アルゴスは〈騎士団〉に加わるはずだった。本来ならば、非常事に際し誰よりも率先して駆けつけなければならない〈ガーズ〉の元に、ね。人の口に戸は立てられないし、一度広まってしまった噂を収束させるのは不可能だ。ここで当初の予定通りアルゴスを手駒に加えてしまえば、ただでさえ面目丸潰れの彼らにしてみれば恥の上塗りって寸法だ」
道理で、昨日取調べに立ち会った騎士団連中が渋い顔をしていたはずだ。ルトはフン、と鼻で息、
「キズモノにゃあ用は無えってか。ケツの穴の小せえ奴らだ」
「まぁ、な。おかげでアルゴスの搬入はキャンセル。俺個人の意見を言わせてもらえば、手塩にかけた愛娘を愚にも付かん騎士団連中にやらんで済んで、万々歳だがね?」
ここにきて、ようやくルトの口元に笑みが浮かぶ。アントリオン開発に携わっているだけあって、存外にくだけた性格のようだ。
「で? 本題は?」
核心に触れる問いに、リィは表情を改め、言う。
「君たちに、アルゴスのモニターをお願いしたい」
思いもよらぬ返答に、ルトが怪訝な表情を浮かべ、ステラが眼鏡の位置を直し、クレアがぱちんと鼻ちょうちんを弾けさせた。
「……何の冗談だ?」
「維持、管理費はこっち持ち、修理費、燃料費はそっち持ち。戦闘記憶等、運用データはすべて提出が義務づけられる。とりあえず、試用期間は一ヶ月ってところでどうかな?」
「オイコラ、待てよオッサン」
聞く耳持たず、リィは続けて、
「事後報告になるが、少し君たちのスコアを調べさせて貰ったよ。腕は悪くない――どころか、大分偏っちゃあいるが優秀極まりない数値だ。多少協調性に欠けるようだが、なあに、三人とも歳も近いしすぐ仲良くなれるさ。実際問題、初めて乗った新型機で深層のミルメコレオを撃破してのけたんだ。君たちは良いチームになる、俺が保障するよ」
前言撤回。やっぱコイツはいけすかねえ。
上がりかけていたリィの評価を下降修正しつつ、ルトは問う。
「……断る、つったら?」
「さっきも言ったように、〈ガーズ〉はメンツを潰されて相当にお冠だ。最悪、難癖付けてライセンスの剥奪も有り得るだろうな」
「――にゃにそれ!? もうアントリオンには乗れにゃいっての!?」
今まで惰眠をむさぼっていた分、寝耳に水だったのだろう。クレアの狼狽に拍車をかけるように、リィは声のトーンを低く落として、
「……これはオフレコにしておいて欲しいんだが、騎士団上層部は、市民に不満の声が上がらぬよう、一応は英雄たるに相応しい代価を与えつつ、急造チームがヘマをやらかして『あの一件はまぐれだった』、『やはり頼りになるのは〈ガーズ〉だけだ』ってオチに持っていきたいらしい。それに……」
そこで一度言葉を区切り、リィはガリガリと乱暴に頭を掻きながら、
「さっき入ったばかりの最新情報だ。ガーズを中心に、切断マンティスの通ってきた通路を調査したところ、第五層の未開拓区域に繋がっていたらしい。調査中に掘削モールの集団と遭遇したらしいから、まず間違いなくそいつらの仕業だろう。報告を受けた騎士団本部はすぐさま厳戒態勢に移行。もうギルドにも通達が行ってるだろうな」
報告を耳にして、室内に沈黙が満ちる。
その場にいる全員が、揃って頭痛に耐えるかのような表情で押し黙る中、
「……『製造工場』、か」
皆を代表してのルトの言葉に、リィは重々しく首肯を返す。
「おそらく、ね。深層付近のミルメコレオが製造られる規模だ。相当に、でかい」
迷宮内に蔓延る機械の化物、ミルメコレオ。奴らに雌雄の区別はなく、繁殖機能も存在しない。まさか木の股から産まれる訳でもなし、どこから発生するかといえば、『プラント』による大量生産に他ならない。迷宮技術と呼ばれるオーバーテクノロジー群の最たるもの、ミルメコレオを製造・量産する悪夢の機械は、大抵が広大なる迷宮の奥深く、大小規模に差異はあれど幾つも点在しており、今この時もなお、休むことなく稼働しているのだ。
長きに亘る砲戦の中で、大規模なプラントが発見されるたび、人類は総力を挙げてこれを破壊してきた。当然の事ながらミルメコレオ側の妨害も熾烈を極め、過去行われたプラント破壊作戦では例外なく夥しいほどの死者が出た。
「加えて、場所がまずい。未開拓区域ゆえに最終的にどこに繋がっているかは分からんが、あまりにも低層過ぎる。今日中に全ワーカーに通達されるだろうが、しばらくはお祭り騒ぎだろうよ」
身が細るような溜め息をつき、リィはこれで切れるカードは全て切った、とばかりに両手を広げて見せる。
「君たちには、他のワーカーと同様にプラントの発見を最優先に動いて貰う。仮に失敗してもガーズの溜飲は下がり、お咎めはなし。首尾良くプラントの発見、破壊まで持っていけた暁には、晴れてアルゴスは君らのもんだ。そう悪くはない話だろう?」
そもそも、今日この場に呼び出された時から、三人に申し出を受ける以外の選択肢は残されていなかったのだろう。
この日、ワーカーズ・ギルドに新しいコロニーの登録が成された。
登録機体TRI-K/800FC-ALG、識別名称「アルゴス」。コロニー名は、未だ空白のままの提出であった。