第七話
広大な空間を、珈琲のように透明な薄闇が満たしている。
完全な暗闇に塗り潰されていないのは、各所に設置された発光細菌照明のおかげだ。ぼんやりとした深緑の光が、整然と列を成す柱の森を照らし出している。
迷宮第一層、『列柱ノ樹林』。
ここいらの通路はまだまだ広く、アントリオンが五機並んでも余裕があるほどだ。構造も直線的で、脅威となるミルメコレオの固体数も少ない。人の手で運び込まれた資材や投棄された廃棄物も多く見受けられ、あまり迷宮「らしさ」は感じられない。
階層を下れば下るほど、迷宮はより広く、より複雑さを増していく。新人ワーカーはこの階層で迷宮のいろはを学び、腕に覚えのあるコロニーは南区画に建造された大型エレベーターで一足飛びに下層へと向かうのが慣習となっている。
そんな第一層の北東部、g8区画。円陣状に点在する柱に囲まれた通称『祭壇の間』の中央付近に、巨大な残骸が打ち捨てられていた。
青銅スネイル。迷宮低層に広く生息する、非戦闘類型のミルメコレオである。
その名の示す通り、青銅製の貝殻を背負ったこのミルメコレオは、動きも鈍く砲撃を受けても殻に篭るばかりで反撃らしい反撃を行わない。この残骸も、おそらくはどこぞのワーカーが新調した主砲の試射でもしたのであろう、機体の半分ほどが抉り取られたように消失、内部回路を晒していた。
弱肉強食の摂理は、迷宮内であっても依然変わることはない。
と、そこに近付いてくる二つの影があった。
全長およそ五クービット。迷宮内に巣食うミルメコレオの中でも、最も小さく、最も多くの固体を有する“始まりのミルメコレオ”――屑鉄アントである。
二機の屑鉄アントは、広間中央に鎮座する獲物を発見し、まずは触覚型のセンサーをひくつかせ始めた。
周囲を警戒することしばし、獲物が完全に事切れていると判断したのか、自身の三倍はあろうかという青銅スネイルに取り付き、外殻を、内部の回路を発達した大顎で咬み千切っていく。
各々の成果を掲げ、二機が己が巣に帰還しようとした――まさにその時であった。
円柱の陰に潜んでいた何者かが電撃的に進攻、柱側面部を足場に二度の跳躍を経て、隊列の殿へと回り込む。
宵闇に融け込むようなグレイブルーの機体。武装多脚砲台――アルゴスである。
奇襲に際し、屑鉄アントたちは機械の身ゆえの迅速極まりない対応を見せた。中枢回路から戦闘命令が走り、戦利品を放り捨てるや否や隊列を組み直しにかかる。
だが、一連の動作よりも速く、氷上を滑るような機動でサイドを取ったアルゴスが、身を低く砲撃態勢を取った。
弾、ときっかり一発。
放たれた弾丸が、射線上に重なっていた屑鉄アントの後頭部中枢回路、くびれた腹柄節部にあるジェネレーターを撃ち抜き、機能停止に追い込む。
決着を見届け、アルゴスは勝ち名乗りを上げるように、終――と腹部側面に並ぶ気門から排熱を行うのであった。
◇ ◆ ◇
予めパージしておいたカーゴに戦果を積み込んだアルゴスは、砲音を聞き付けたミルメコレオが集まらぬうちに『祭壇の間』を離れ、柱の森の中に身を隠していた。
「……甲型回路が二つで三千五百、外殻装甲と合わせて五千ジャスト、と。なんとか、今日のノルマには届いたな」
コクピット内、最新版の査定表と照らし合わせて概算を終えたルトは、ふう、と一息入れる。
視界の端、データフレーム内には、三秒毎に「半径三百クービット内に敵機の反応無し」のログが流れていく。本来ならば支援ユニットであるサキの仕事だが、ステラはどうしても己が目で確かめてみないと気が済まないようだ。律義というか、神経質というか。
一方、ドライバー・シートではクレアが大あくびをかましており、
「なんかにゃー……。楽勝過ぎてつまんにゃいにゃあ……」
ねむたげな声音での独白に、「まぁな」と同意したくなるのを堪えて、ルトは言う。
「何度も言わせんな。“迷宮は脚で覚える”、基本中の基本だろ?」
ライセンス発行の際に渡される、所謂ワーカーズ・テキストの第一章を飾るその一文は、無論伊達で記されているわけではない。
今も昔も、迷宮探索を生業とする者にとって一番大事なものは地図である。誰だって袋小路に迷い込み、出口も分からず途方に暮れるのは御免なのだ。未開拓地のマップは驚くほどの値が付くし、武装を極限まで切り詰め機体重量を軽減、高速機動でもって戦闘を回避し地形探査だけを行うマッパーなる専門職までいる。
だが、地図はあくまで地図である。かの一文は、自分自身の目で見、覚え、実際の構造を把握しておかなければ、いざという時に対応できないぞ、という訓戒なのだ。
と、それまで押し黙っていたステラが口を開き、
「――起動から現在までの構造は、全て記憶、照合、解析済み」
どうやら、己が仕事に不備はないと言いたいらしい。新たなフレームがポップアップし、チカチカと展開要求しているのを見、ルトは多少げんなりしつつも、
「分ぁかったから、このクソ重てえ圧縮データ引っ込めろ」
ハエを追い払うようにフレームを退けつつ、ルトはううむと唸る。
ステラといい、クレアといい、やはり低階層での探索にストレスを感じているようだ。
気持ちは分からないでもない。いっそ清々しいほど偏ってはいるものの、二人のワーカーとしての実力は本物で、まして搭乗しているのは当代随一の性能を誇るアルゴスである。
だが、何の因果かこの砲戦猟団を任されることになったルトにとって、所属ワーカーの癖や呼吸、何を好み、何を苦手とするかを把握するため、この探索は必要不可欠なものなのだ。
初めてのリーダーという不安を除いたとしても、自分も含めてアクが強いのが三人も揃っている。どれだけ試そうと充分とは言い難い。
そんなルトの苦心を知ってか知らずか、クレアは眉を八の字に寄せつつ、
「確かに基本は大事にゃんだろうけどさー……。もう二週間だよ? 期限まであと半分切ってるのに、大丈夫にゃん?」
クレアの言い分も尤もである。
尤もであるが、あれこれと悩んだ末に、これが最善だと決めたのだ。
「言われた分の仕事はしてるさ。おら、最後に『いつもの』いくぞ」
告げた途端、クレアは雷電に打たれたかの如く身を起こす。ついで、花が咲くような満面の笑みを浮かべて、
「にゃは! おっけーおっけー準備よろしくっ!」
鼻歌交じりにバインド・ベルトを装着し始めるドライバーに付き合って、ルトも全速機動に備えて準備を開始。
この二週間、探索の締めに欠かさず行ってきた『いつもの』訓練。ドライバーは迷宮入り口を目指し指定されたルートを最短距離、全速機動で突っ走る。オブザーバーはルートの先導と広範囲索敵を同時に行い、ガンナーは予めばら撒いておいたセンサーポッドに交信レーザーを照射、内部のデータを回収していく。
通称を、マルドゥック・トライアル。ワーカーなら誰もが訓練時代に行うそのルールは、いたってシンプルに「本気で行うこと」ただ一点のみ。最も多くミスした者が本日の夕飯を奢る取り決めだ。
「にゃっしゃら、いっくよー!」
声が聞こえた次の瞬間、ブースターを全開に、機体が蹴られたボールの如く前方へ。壁面に衝突する寸前で捻りを入れて六つ脚で着地、即座に再度の跳躍。
毎度の事ながら暴風の如きフルドライブに、ルトは視界が暗くなっていくのに任せ、記憶を遡っていく。