第五話
二度の衝撃に、広場にざわざわと動揺が広がっていく。
震動の発生源は足元――地下から。
それが何を意味するか。
この城下に住む者ならば、誰もが一度は考えたことがある想像。改めて口にはせずとも、皆一様に最悪の予測を思い描き、己が夢想を打ち消さんと強張った笑みを浮かべていた。
まさか。
そんな。
嘘だろう?
其々に思い、しかし、誰もその先は口にしない。言葉にした途端、胸中に渦巻く不安が現実に起こってしまうのではないか、と恐れての沈黙だった。
杞憂だった。
手遅れだった。
その瞬間を、リィはまったくの偶然に目撃した。
視界の端、広場の北東に建つ“号令王”として名高いシグ三世の石像の辺りで、きらりと光が瞬いたのだ。
不審に思ったリィが、生来の糸目をさらに細めて目を凝らした、次の瞬間。
――斬、と。
風鳴りに似た音が響き、
――斬、斬、斬、と。
光と音が、規則正しく三度連なる。
一秒。
二秒。
たっぷり三秒の間を置いて、ようやく気付く。
ゆっくりと、まるで底なしの沼に飲み込まれていくかのように、石像が地下へと沈み込んでいく。あまりに鋭利な切断面ゆえ、落下までにタイムラグが生じているのだ。
像を中心に、一辺の長さ五十クービットにも及ぶ正確無比な四角形が、轟音を断末魔として奈落の底へと飲み込まれる。
ぽっかりと開いた大穴から、もうもうと土煙が上がる。
そして、災厄がその姿を現した。
見た目こそ昆虫のカマキリに似ている。しかし、その大きさが桁違いだ。全高は三十クービット、全長にいたっては六十クービットという巨大な機体。三百六十度死角無しの複合多眼に、黒鋼でさえやすやすと咬み千切る強靭な大顎。全身を覆う翡翠色の鏡面反射装甲は、深層でも滅多にお目にかかれぬ希少品である。
なにより――死神の鎌の如く掲げられた二振りの白刃が、そのミルメコレオに付けられた固体識別名称を如実に物語っていた。
「――切断マンティス!?」
リィの驚愕に呼応するように、恐慌が爆発した。
そこかしこで金切り声が上がり、逃げ足の靴音が重なり響く。老若男女問わず我先にと出口を目指し、悲鳴と怒声が聞くに堪えない不協和音を奏でる。
そんな周囲の狂騒をよそに、リィは案山子の如く立ち尽くしていた。
アントリオン開発に携わる者として、その性能を嫌というほど知っているからであった。
切断マンティス。本来ならば迷宮深層を根城とする死刃の使徒は、眼下の混乱など意にも介さず不動を守っている。複眼がチカチカと瞬いているのを見るに、今はまだ情報収集中。再び動き始めたが最後、自分を含め半径五百クービットにいる全員を三分とかからず細切れにするだろう。
異常を察知したワーカーや〈ガーズ〉が到着するまでに、膨大な数の死人が出る。仮に到着した所で、撃破するまでにさらに被害が出るだろう。迷宮発見以来の、未曾有の大惨事だ。
どう考えても絶望しか見当たらず、リィの口元に歪な笑みが浮かぶ。
或いは、終わりとはこういうものなのかもしれない。唐突に、理不尽に。誰の身にも起こり得る、当たり前の結末なのかもしれない。
だが、こっちもただでヤらせてやるほどお人好しではない。
背後には手塩に掛けて完成させた愛娘、アルゴスが鎮座している。一開発者に過ぎない自分では自動操縦に設定することぐらいしか出来ないが、無人機でも多少の時間稼ぎにはなるはずだ。
ガチガチと音を立てる歯の根を噛み潰す。
いっそ笑えるぐらいに震える膝を叱咤して、リィが一歩目を踏んだ、
その時だった。
我先にと広場を離れようとする人の流れに逆らって、アルゴスに近付いてくるものがあったのだ。
それも一人ではない。三人もである。
何故、と思い、それどころではない、と我に返る。
「――ちょっと待てお前ら! 一体なにする気だ!?」
がなり立てるリィに対し、三人が計ったように揃って振り向く。
「あン?」
一人は眉根を寄せてメンチを切り、
「……何、とは?」
一人は人形の如き無表情で問い返し、
「うにゃ?」
一人はくりんと小首を傾げて、リィを見やる。
泣く子も押し黙るような凶相を浮かべたまま、メンチ切りっぱなしの少女がチッと舌打ち、
「何もクソも、決まってんだろ。こいつでもって、アイツを撃破すんだよ」
「撃破――って、お前らまさか、『ワーカー』なのか?」
リィの発した「お前ら」という台詞に、少女たちは初めて自分以外の存在に気づいたようだった。
互いに視線を交わし、女性の、しかも同年代のアントワーカーだということに、僅かに驚きを得る。
だが、のんびり感心している暇はない。
「アタシはルト。ポジションはガンナーだ」
口火を切ったのは、燃えるような赤毛をポニーテールに結わえた少女だった。
名乗りを受けて、王都では珍しい黒髪の少女が口を開き、
「……ステラ=ファゼーロ。オブザーバー」
囁く程の声量でぽつりと引き継げば、
「クレア! ドライバー!」
腰まで届く獅子色の長髪が特徴的な少女が、にかっと笑って締め括る。
またも、驚きの空白が過ぎる。ビショップ級を動かすにあたっての最小構成人員がぴたりと揃ったのだ。偶然にしても出来過ぎている。
一拍の間を置いて、ルトと名乗った少女はにぃ、と歯を見せ笑い、
「イケるな。さっさとヤっちまおう」
「ちょっと待てって!」
引き留めるリィに対し、ルトは再度眉を立ててガンをつけ、
「――さっきからなんっだつうんだよ糸目のオッサンよお!」
不意打ちのオッサン発言にさりげなくダメージを受けつつ、リィは毅然と胸を張り、
「俺はリィ! 言っておくがまだ二十九で、このアルゴスの開発主任だ! 俺のパスが無いと搭乗口のロックは外せないぞ!」
「だったらさっさと寄越しやがれ! このままじゃ、全員揃って撫で切りだぞ!?」
もっともだ。だからこそ、一刻を争うこの状況で呼び止めたのだから。
リィはネックストラップにぶら下げたIDカードを彼女に渡しつつ、
「良いから聞いとけ。今日は展示だけって話だったから、ろくすっぽ充電してない。稼働時間は全速機動で三分。副兵装も空っぽで、主砲のテスラレールは撃てて二発だ。外すなよ?」
忠告とともに、三人に視線を向ける。
全員揃って、こんな極限の死地にあってなお、その目に意志の炎が燃えている。
歴戦のワーカーが備える、あらゆる困難を乗り越える克服者の炎だった。
「上等。一発ありゃあ釣りがくるさ」
言い捨て、駆け足で搭乗口に向かう三人の背を、リィは祈るような思いで見送った。
◇ ◆ ◇
ルトを先頭に、一同はアルゴス目指してひた走る。
到着、即座にリィから預かったカードの一閃でロックを解除、転がり込むようにしてコクピットへ。
上中下段と、ポジション毎に定めれた各々の席へと分かれる。アントリオン搭乗の際、着用が義務付けられているラスティ・ウェアに着替えている暇などあるはずもなく、普段着のまま慌ただしく準備を整えていく。
シートに座るやいなや、腰、腹、胸の三箇所をバインド・ベルトでぎっちぎちに固定、ヘッドレストと一体化したゴーグル型の網膜投影ディスプレイ、テクノギアを装着する。
「やべえ。このエレクトリガー、〈イリアス〉の『ディオニュソス』じゃねえか」
「……〈メガリス〉の『フレイスベルグ』、最新バージョン……」
「こっちも! 〈岩動〉の『韋駄天』だにゃ!」
なにせ目にうつるもの全てが最新式、最高峰のものばかりである。こんな状況でなければじっくりたっぷり触りまくり試しまくりたい所だが、生憎とそんな余裕はどこを探しても見当たらない。
登場から四十秒が経過した時点で、ステラと名乗った眼鏡の少女が一番に準備を終えた。
左右の肘掛け部分に設置された五指感圧式操縦盤に両手を乗せ、ズダダダと機銃掃射の如き勢いで操作しつつ、
「電槽容量、体幹位置、各循環系をチェック――問題無し《オールクリア》。オペレーション・システムのスリープを解除」
抑揚なく呟いた直後、即座に応答があった。
【スリープが解除されました。搭乗員は、ワーカーズ・ライセンスをお願いします】
コクピット内部の音声は勿論、装着したテクノギアの骨伝導式スピーカーからも、女性の合成音声が響く。
三人が手慣れた動作でライセンスカードを操縦盤の上部にあるスリットへ挿入すれば、
【ルト=シグナレス様、ステラ=ファゼーロ様、クレア=カンパネルラ様の搭乗を確認しました】
直後、カードに登録されているパーソナルデータを元に、シートの座高や操縦盤の位置、フットペダルやデータフレームのワークエリア等、諸々の最適化が行われる。
【皆様、初めまして。対機甲械獣砲戦独立型汎用支援ユニット、パーソナルネームを「サキノハカ」と申します。よろしくお願い申し上げます。初期設定を行いますか?】
落ち着いた声音での問いに、しかしルトは初めて触る高級品の操作チェックを行いながら、
「ンな暇ねェっつゥの! 目の前に大型機甲械獣、固体識別名称『切断マンティス』! 初期設定及び通常起動シークエンスを全行程インタラプト、第一種白兵砲戦用意! ワーカーネームは呼び捨て《ファスト》でいい、テメェも長ェからサキでいいな?」
【了解しました、ルト。第一種白兵砲戦用意にて再起動。三、二、】
秒とかからず再起動に成功、テクノギアに映る主観映像が、メインカメラであるモノアイと同調、コクピットの壁、積層装甲を透かして外界の様子を映し出す。
三時方向、こちらに左側面を晒す切断マンティスの威容を見、ルトはゆっくりと深呼吸を一度。記憶にある相手のデータを引き出す。
――深層に出現する大型ミルメコレオ。主力武装は左右二振りの超振動ブレードと、大顎の噛み付きからインフェクト・プログラム注入による回路汚染。装甲は薄いながらも堅牢極まりなく、腹部のプラズマブースターによる機動力は脅威の一言である。
加えて、距離がまずい。あまりにも近過ぎる。ここは勿論、広場全域が奴の刃圏。出来得る事なら遮二無二離脱したい所だが、それも出来ない。野放しにしたが最後、城下に文字通り血の雨が降ることになる。
複眼の瞬きが治まりつつある。もはや一刻の猶予もない。
「にゃっしゃら脚上げんよー! 対衝撃態勢よっろしくー!」
言うやいなや、クレアが入力を開始。左右の操作盤、足元に設置された六つのフットペダルに対し、両手両足を駆使する昔ながらのビースト・ダンス。六つ脚が地を穿ち、視線が一段高くなる。
「にゃは! すっげー感度! ビンビンくるにゃー!」
今にも歌い出しそうなほど上機嫌なレアとは対照的に、ルトは幽霊でも見たかのように青褪める。
――なんだ、今の展開速度。
速いなんてものではない。タイムラグはおろか、殆ど揺れもしなかった。ルトが知るどんなベテランドライバーも、これほどの速度でセットアップは行う事は出来はしない。
「いつでもいけんよー?」
楽しげな声での促しに、現実に引き戻される。ちらりとステラを見れば、彼女も面食らった様子であり、
「……タングラム、起動。エアリアル、スタート」
仕切り直すように硬い声音で告げた直後、彼女の姿を覆い隠すように夥しい数のデータフレームが現れる。
間を置かずルト、クレアの周囲にも数多のフレームが出現。視覚、聴覚、熱源、風圧、波動、電磁等、ありとあらゆる情報が目まぐるしくアップデートされていく。
「解析は対象の撃破まで継続。情報の取捨選択は各ワーカーに委任。サキ、サポートを」
【了解しました、ステラ】
やり取りの間にも、十指は淀みなく動き続けている。すっかり情報枠に覆い隠されデータの繭と化したステラを見、ルトは己が口元に笑みが浮かんでいるのを遅まきながら自覚する。
ステラから送られてくる膨大なデータを元に、照準器をオンに、主砲のセイフティを解除。
「広場に残ってる連中が逃げ切るまで、あのカマキリ野郎を引き付ける。六十秒は回避に専念、残りの六十秒で奴を叩く。いいな?」
空気が張り詰めていく。
瞬きが、止まる。
切断マンティスの巨躯が、ぬるり、と水銀を思わせる滑らかで旋回、両の複眼がこちらを視認して、
「――来るぞ!」
ルトの叫びと共に、激戦の幕が切って落とされた。