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第十八話


 ルトたちがステラの家を訪れるのは、これが二度目であった。

 一度目は言わずもがな、十日前の「あの」夜だ。帰り道ならば兎も角、行きの記憶は殆ど覚えていなかったので、今宵が初めてであるといっても過言ではない。

 家主の先導に従い第一工房区を抜け、第二居住区を大通りに沿って中程まで歩くと、左手側に外壁に蔦の絡む背の高いアパートが見えてくる。年季が入った外観通り、エレベータなどという軟弱なものはなく、螺旋階段をえっちらおっちら五階まで上り、長い通路を突き当たりまで進んだ末に、やっとこ到着と相成った。

 以前見た寝室と同じく、壁に沿って配置された本棚と、積み重なった本の塔が割拠する居間に通され、とりあえずソファー付近だけでも片付けくつろげるだけのスペースを確保する。

 さて、どうしたものか。

 先程たらふく食べてきたおかげで腹は膨れており、酒は三人揃ってあの日以来二度と呑まぬと心に決めている。かといって明日の立ち回りについて再度議論を始めてしまえば、胸中にて現在進行形で膨らみ続ける不安を打ち消さんと、まず間違いなく夜を徹しての大論争に発展することになる。

 結局、早いとこ寝てしまおうという身も蓋も無い結論に至った。

 シャワーを借りてルト、クレアの順に汗を流し――下着は兎も角、寝間着はステラの好意に甘え借り受けた――ステラがタオルを首に居間に戻れば、先に済ませた二人は書架から本を抜き出し読んでおり、

「……なぁ、ステラ」

 本から顔を上げ、ルトは背表紙に記された著者名を指し示し、

「初めて会った時から気になってたんだけど、この本の著者の、ソル・ファゼーロって……」

 尋ねの言葉を先読みして、ステラは言う。

「私の、父」

 答えに、ルトは得心が行ったとばかりにうんうん頷きながら、

「やっぱか。オヤジさんの本、何冊か読んでんよ。『シェル・コスト・シークエンスについての略式考察』は、すげえ勉強になったわ」

「にゃ? ステラのおとーさん、作家さんなのにゃ?」

 専門書ばかりで読むものが無かったのか、随分と古めかしいアントリオンのスペックカタログを眺めていたクレアの尋ねに、ルトは「違ぇっての」と鼻息荒く、

「ソル・ファゼーロ――ミルメコレオ研究の第一人者でありながら、自身もコロニーを率いて最前線で戦い続けた“二束の草鞋の探索者ミスター・ダブル・ワーカー”さ。聞きかじりのデータを捏ねくり回すだけの凡百と違って、己が経験に裏付けされた知識をベースにバリバリ研究を重ね、近代の対機甲械獣砲撃戦略を根幹から見直し・再構築したドエラい人だよ」

 ファンなのか、かの人が成し遂げた偉業について熱く語るルトは、そこではっ、と我に返って、

「わりぃ。その、なんだ……」

「良い。亡き父に代わり、礼を言う」

 有難う、と頭を下げる。

 顔を上げ、気まずげにがしがしと頭をかくルト、眉尻を下げた気遣わしげな顔のクレアを見、ステラはうん、と頷く。

 出会ってからこの一カ月、殆どの時間を一緒に過ごしているのだ。どんなに根の深い人見知りであろうと、多少は気心も知れてくる。

 だから。

 せめて、彼女たちには伝えておこうと思う。

 ぼふ、とソファーに腰掛け、ステラはすう、と息を吸い、

「……二人に、話しておきたいことがある」

 呟きに込められた真摯な響きに、ルトもクレアも何事かと姿勢を正す。

 そんな生真面目な二人の反応に、ステラは面映ゆさを感じつつも、

「ルトの言う通り、私の父は研究者とワーカー、二足の草鞋を履いていた」

 己が胸の内を、ひそやかに語り始めた。

「大学と迷宮を行ったりきたりで滅多に家に戻ることはなく、幼い頃の私は、父のことを『たまに家に遊びにくるおじさん』だと認識していた」

 物心が付く頃になっても、父の多忙は相変わらずであった。それでも、母は父親の分まで愛情を注いでくれたし、たまに帰ってくる父は疲れを押してでも家族と過ごすことを望んだ。

 転機は、ステラが十歳の誕生日を迎えた時に訪れた。

「その日、父の率いるコロニー〈アングリー・ハーミット〉は、期せずしてミルメコレオの大群に遭遇、迷宮深層の未開拓区域まで追い立てられた」

 一息、

「彼らはそこで、『空』を見た、らしい」

 言葉に、ルトもクレアも狐につままれたような表情で、

「空? 青いそら白いくもの、あの空か?」

「にゃんで地下に、空があるのさ」

 二人の疑問に、ステラは無言で首を横に振る。

「分からない。ただ、それ以来、父は人が変わったように迷宮に入り浸るようになった」

 連日のように迷宮へ繰り出す父に、母も危ういものを感じたのだろう。無理はしないで、少し休もうと幾度となく説得を試みたのだが、結果は全て空振りに終わった。

 そして、恐れていた事態が起こる。

「第五十三層で、アントリオン『トリスメギストス』は撃破された。〈アングリー・ハーミット〉に所属するワーカーのうち、生き残ったものは、誰一人としていなかった」

 父を失って、母は酷く塞ぎ込んだ。最愛の人を奪ったミルメコレオを、迷宮を、ワーカーという職業まで、憎み、恨み、拒絶するようになった。

 だが、ステラは違った。

 父を狂奔に駆り立てたものとは、命を賭してまで知りたかったものとは。

 それは果たして、何だったのだろうか。

「私は、知りたい。父が見た『空』――その正体を」

 それが、私がワーカーになった理由、とステラは締め括った。

 しん、と場に静寂が満ちる。

 突然の告白に、二人もステラの意図に気付く。

 夜が明けて何時間かすれば、掛け値なし、最大級の死線の中にいるのだ。

 だからこそ、伝えておきたかったのだろう。

 自分が何故戦うのか、その意味を、再確認するために。

「……アタシはそんな、ステラみたいにちゃんとした目的はないにゃー。ほんと、アントリオンにさえ乗れればそれで良いにゃ」

 出会った時から今の今まで、一貫して変わらぬ飄々とした態度で語るクレアに対し、

「カンパネルラ家は、それなりに裕福な商家だった記憶している」

「おう。なにもワーカーなんて危ねえ仕事なんかしなくても、食うにゃ困らんだろうに」

 そんな台詞も聞き飽きているのか、クレアはいたって淡々と、

「おとーさんもおかーさんも、にーちゃんやねーちゃんも、みんな同じこと言ってたにゃ。止めなかったのは、一番上のおねーちゃんと、グラン・マだけだったにゃあ……」

 うにゅう、と困り顔を作りつつ、クレアは言う。

「それでも、アタシはアントリオンに乗るって決めた」

 いつになく強い語調で断言し、続けて、

「昔にゃ、家族と一緒にいった遊園地で、アントリオンの試乗体験ってアトラクションがあったにゃ。一人乗りのポーン級、いかにも型落ちって感じの双脚銃座。一時間並んで搭乗出来る時間は五分足らずで、園側のスタッフである添乗員ガイドもニコニコするばっかりで操作方法は教えてくれない。もちろん支援ユニットも付いてにゃくて、最初に乗った時は一歩たりとも動かすことが出来なかったにゃ」

 地下迷宮を観光地の一つとして喧伝する、王都ならではのアトラクションに、幼き日のクレアはすっかり魅入られてしまったのだという。

「それからはもう、ことあるごとに駄々をこねて、遊園地に連れていってもらったにゃ」

 一カ月後、二度目の搭乗で、クレアは与えられた時間の全てを観察に使った。即ち、マジェスティックやフットスペースの構造、配置を出来る限り覚えて帰り、図書館で操脚に必要なコマンドを調査することにしたのだ。

 それからさらに一カ月後。三度目もまた、前回見逃した箇所の調査を行った。毎度お決まりのガイドの口上など端から無視し、徹底して観察、確認に費やした。

 そうそう都合良く祝い事ばかり続くはずもなく、四度目のチャンスは半年以上の間が空いた。それでも、毎日の如く脳内でシミュレーションを重ねていたクレアにブランクによる不利は無く、セットアップの完了まで肉薄してみせた。

 そして、ついに。

「五回目の挑戦で、ようやく歩くことが出来たにゃ。自分より遥かに大きな鉄の塊が、自分の思った通りに動く。あれは気持ち良かったにゃあ……」

 うっとりとした表情のクレアを横に、ルトとステラは目を見合わせる。

 支援ユニットのおかげで大分楽になったとはいえ、アントリオンの操脚は難解を極める。まったくの初心者が、それも年端も行かぬ少女が、AIの手を借りず、まったくの手動で操作し、たった五回の挑戦で歩行に成功するなど聞いたこともない。現場に居合わせたガイドの驚く顔が目に浮かぶようだ。

「それ以来、アタシはアントリオンのトリコになったにゃ。竜巻みたいなGに振り回されながら、脳みそが沸騰しそうなほど複雑なコマンドを、一度でもミスったら即死するような緊張感の中で、コンマ一秒の間断無く要求され続ける。そんにゃ死んだ方がマシって状況を越えた先に、さいっこーに気持ちイイ瞬間があるのにゃ」

 ほふう、と熱っぽい溜め息をつくクレアを見、ルトは感嘆の息をつく。

 薄々感づいてはいたのだが、彼女はある種の天才なのだろう。

 自分もステラもそれなりに腕に覚えはあるが、あくまでそれは、努力によって成し遂げられる範疇の話だ。

 クレアのそれは、『もの』が違う。現に、十日前、角端亭にて指摘した不満に思っていた箇所もすぐさま修正してしまった。

 その執念にも似た意志に、多少の畏怖と多大な心強さを感じつつも、ルトはどっしりとあぐらをかく。

 己が心の内をさらけ出した、二人の覚悟に答えようと思う。

「……私は、金だ」

 断言し、ルトは深呼吸を二つ半、

「昔、事故に遭ってな。機甲馬車ライデル同士の衝突事故で、運転してたオヤジと、助手席に乗ってたオフクロは即死。後部座席に乗ってた私と妹は運良く生き残ったんだが、救出された時はどっちも瀕死の重態だったって話だ」

 がりがりと頭をかきつつ、ルトは続けて、

「だがまぁ、傷が直っても妹は――ロアってんだが、ロアは目を覚まさなかった。どうにも打ち所が悪かったらしくてよ。医者が言うにゃあ、現代の医学じゃどうにもならんのだとさ」

 身を固くする二人とは対照的に、ルトはまったく気負った風もなく、

「まぁ、所謂いわゆる植物人間ってワケだ。脳死判定は出てねえから、死んだわけじゃない。つっても、入院してんだから当然金はかかる。オヤジもオフクロもおっんで、頼りになるような親戚もなし。残ったのは学も愛想もありゃしねえガキ一匹だ。金を稼ぐにゃ、体売るか、危ねえ橋渡るか、それだけしかなかった」

 そう言って、ルトはおもむろに寝間着代わりに借りたTシャツを胸元までたくしあげる。

 腹から背中までを覆うように、引き攣れた火傷の跡が露になる。

「まぁ、オマエラは一回見たことあっし、今更隠す必要もねえやな。体はキズモノ、性格もこんなんだ。いろっぽい仕事なんか出来るわきゃあねえ。つったらもう、危ない橋でも何でも突っ走るしかねえだろ」

 ふう、と一息を挟み、ルトは言う。

「幸い、この国にゃ迷宮があったしよ。これしかねえってんで、親の残した金で学費払って〈アカデミー〉行って、必死こいて勉強した。自慢じゃねえが頭悪くってよ、ライセンス取るのも苦労したわ」

 しみじみと語るルトに、しかし暗さは破片かけらも無い。

 何故ならば。

「……それに、ただ漫然と生活費を稼ぐため、ってだけでもない。ワーカーなら、『ついで』で捜し物もできる。たとえ現代の医学じゃどうにもならなくても、迷宮技術ならば或いは――ってな?」

 話し終えて、ルトはふう、と溜め息をつく。

 ステラも、クレアも、何も言わない。

 上辺だけの同情や取り繕いは無く、ただ、無言で頷くだけであった。

 不思議と、心が軽くなった気がする。

 話して良かったと、心底からそう思う。

「とりあえず、三者三様、死ねない理由があるワケだ」

 言って、ルトは右の掌を差し出す。

 なんとも男臭い所作を前に、呆れたようにステラが、にゃひひと笑ってクレアが掌を差し出し、三人の手が重なる。

「明日も必ず、生きて帰るぞ」

 控えめに、応、の一字が重なって――

 数時間後、いよいよ出撃の時が訪れた。


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