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第十四話


 ルトたちが『角端亭』に入って、早三時間が経過していた。

 すっかり夜の帳も下りて、店内はたくさんの客で賑わっている。

 若いワーカーの間で人気、というセン爺の言葉に間違いはないらしく、そこかしこで命からがら迷宮から生還した幸運な連中が、暴飲暴食の限りを尽くしているのが見受けられる。

 一般人カタギとアント・ワーカーの見分け方は至極簡単。まず、ワーカーは不必要なまでに声がでかい。これはミルメコレオとの交戦時、脚音あしおと砲声爆発怒号が入り乱れるコクピット内であっても、各ポジション間で意志疎通を行うための必須技能だからである。決して周囲を威嚇しようとしているわけではないので、安心してほしい。

 次に、妙に陽気である。国内で起こる馬鹿騒ぎの殆どは、大概ワーカーが仕出かしたものとみてまず間違いない。嬉々として不幸自慢に花を咲かせるし、どんな危機的状況にあってもくだらないジョークを飛ばす余裕がある。その道の専門医に言わせれば、これも四六時中死と隣り合わせという常軌を逸したストレスから己が精神を守るための自衛手段なのだという。

 最後に、異様なまでに喧嘩っ早い。これもある意味では職業病で、先手必勝を旨とするワーカー特有の習性である。迷宮内ではわずかな逡巡が命取りになる。理由や名分など、相手を殴り倒してからゆっくりとっくり、あぐらをかいてでっち上げればいいのだ。

 と、まぁ。

 要約すると、どうしようもない荒くれ者ということになる。

 そんな野蛮人どものから騒ぎの中で、一際目立つ集団があった。

「だからあ、ルトはたーんおーばーからのぺねとれいとあんどえいむがおそいってゆってんのお」

 呂律の回らぬ調子でそう説教しているのは、誰あろうステラである。全身茹で海老のように真っ赤で、目は据わるを通り越して空ろですらあった。

「はい、御免なさい、済みません、まったくもって仰有おっしゃる通りです、返す言葉も御座いません……」

 そう言ってペコペコ頭を下げているのはルトである。靴を脱ぎ、椅子の上に背筋を伸ばしての正座である。あろうことか、その目には涙まで浮かんでいた。

「にゃは、にゃは、にゃはははは!」

 そんな二人を見て、腹を抱えて笑い転げているのはクレアである。何がそんなにおかしいのか、昔懐かしの笑い袋の如くにゃははははははと大笑いである。

 三人とも、どこからどうみても出来上がっている。いつ嫁に出しても恥ずかしくないほど天晴れな酔っ払い三羽烏の完成できあがりであった。

 彼女たちの名誉に掛けて説明しておくと、未成年にもかかわらず酒を頼んだわけではない。

 では、なぜこのように目を覆うような惨状を晒しているのか。

 ルトが従業員に薦められるがままにオーダーした料理の中に、「雲酔蟹」というメニューがあった。華鈴共和国は北東部、竜髯江りゅうぜんこうに棲息する淡水性の蟹を、酒、醤油、塩に砂糖、山椒や茴香ウイキョウといった多数の香辛料、オニヨモギやリコポデウムを代表する各種薬草を混ぜ合わせた液体に「生きたまま」漬け込んだもので、ここ『角端亭』の名物の一つである。

 華鈴本国でれた雌の蟹だけを大樽に漬け込み、遠路遥々大砂海を越えて運ばれてくるという大変手間隙のかかった一品で、酔っ払って夢見心地の竜髯蟹を、火を通さずに生のまま頂く。

 見た目は多少グロテスクだが、ずっしりと重い身は蕩けるほどに柔らかく、凝縮された甘みと旨みが両々相俟って実に美味い。絶妙なバランスで配合された酒とスパイスのおかげで特有の生臭さもなく、カニミソも一度食べたら病み付きになるほど独特かつ濃厚と、総菜にも酒の肴にも最高の逸品である。

 ただ一つ、問題があるとすれば。

 この雲酔蟹、蟹の内部に巣食っている可能性のある寄生虫を除去するために、仙香酒という非常にアルコール度数の高い酒に漬け込む。

 早い話、酒に弱い者が食すとベロベロに酔っ払ってしまうのだ。

 三人は、これを美味い美味いと完食した。三度もおかわりした。

 その結果が、ご覧の有り様である。

「おいこらあルトぉ、きーてんのかあ?」

「はい、聞いてます。御免なさい、済みません」

「にゃは! にゃははははっ!」

 まぁ、この程度の騒ぎならば可愛いものだ。現に、周囲の客を見渡しても五十歩百歩、似たり寄ったりの乱痴気騒ぎである。

 が、この時ばかりは間が悪かった。

「――ちっ、うるっせえなぁ」

 隣の席から、これみよがしの大声が上がる。

「こちとら久々に飲みにきてんだ。女子供はすっこんでろってんだ」

 テーブルを囲んでいるのは男が三人。声を上げたチンピラ風の男以外は、「また始まった」とばかりに辟易した顔である。

 いち早く反応したのは、やはりというかステラであった。赤ら顔を男に向け、ひっく、としゃっくりを前置いて、

「……あんらとお?」

「聞こえなかったか? すっこんでろっつったんだよ!」

 ここいらで、近くのテーブルに座っていた酔客が異変を察知して声を落とし始める。波紋が広がっていくように、みるみるうちに店内のざわめきが駆逐されていく。

 静寂の中心で、ステラが席を立った。

 斜めにズレた眼鏡の奥、据わりっぱなしの目でもって男を睨み付け、

「もおいっぺんいってみろ、こらあ!」

 迫力の欠片もない啖呵に、チンピラ風の男も飲み止しのジョッキを置いて腰を上げる。

 おい、と宥める仲間の制止の声も聞かず、ステラを見下ろしフン、と鼻で息、

「何度でも言ってやんよ。せっかく気分良く飲んでるってのに、キィキィ喧しくってしょうがねえってんだ」

 挑発と共に、男が右手を緩く掲げる。

 ステラが胡乱な目付きでその動きを追った矢先、男の右手が中指を丸め、親指で押さえ込んでいて、

「ガキはガキらしく、おうちでママのつくったミルクセーキでも飲・ん・で・な」

 ぺちん、と存外に大きな音がした。

 俗に言うデコピンにて打撃された額を押さえつつ、ステラが涙目で反撃に転じる。

 成り行きを見守っていた野次馬連中がいいぞいいぞやれやれやっちまえと囃し立てる中、ステラはぎゅっと拳を握り締め、いくらなんでもそりゃないだろう、と言いたくなるような大振りでもって殴り掛かる。

 男が躱すまでもなく、大振りパンチはぶうんと空を切り、バランスを崩したステラは顔から床へと転倒しそうになって、

「――っと、危にゃいにゃー」

 疾風の如く割り込んできたクレアが、その身を抱き留め衝突を防いだ。

 同時、ぞく、と男の背に悪寒が走る。

「貴方、今、何をしました?」

 ルトが、立ち上がっていた。

 肩を落とし、こうべを垂れているせいで、その表情は窺い知れない。

「私の、友人に、何をしたかと聞いているんです」

 深く俯いたまま、つかつかつかと最短距離で男の前へ歩み出て、

「……何を、って言われても、俺ァなんにもしてねえよ。なぁ?」

 仲間や野次馬連中へと向けられた問いかけは、過分に嘲りを含んだものであった。

 彼我の距離、僅か数歩。

 ぐりん、とルトが顔を上げる。

「――シバきますね?」

 その顔に、花が咲くように微笑が浮かぶ。

 思春期の男子が見たら一発で恋に落ちるような、可憐に過ぎる微笑みを前に、男の脳裏に雷光の如く閃くものがあった。

 自分が入院することになった原因。二週間前、階段から転げ落ちる破目になった諸悪の根源。

 道端で肩と肩とがぶつかった、悪鬼の凶相。

 その憤怒の表情と、目の前の微笑みが、点と点を結ぶように線に繋がって、

「う――うわああっ!」

 恐慌に駆られ、男が半ば反射的に拳を突き出した。

 刹那、ルトが跳ね飛ぶようにして前へ。

 左耳を掠っていった拳を歯牙にもかけず、大きく一歩で男の懐へ。口元に微笑を貼り付けたまま身を捻り、撃鉄を起こすように右腕を掲げ、僅かに一拍。

 放たれた打撃が、三日月の軌道を描いて男のあご先を狙う。

 疾、と微かな擦過音が、決着を告げた。

 わずかなタイムラグの後、男が糸の切れた操り人形のように膝から崩れ落ちる。一拍の間を置いて、我に返った仲間が慌てて駆け寄っていくのを見、ルトは微笑もそのままにぐりんと小首を傾げて問いかける。

「仇討ちならば受けて立ちますが、如何いかがなさいますか?」

 尋ねに、男の仲間は「滅相もない!」と辞退の声をハモらせる。気持ち良さそうに失神のびている男を左右から担ぎ上げ、一目散に出口へと向かう。

 残されたルトは、いたく不満そうな顔付きで、

「まったく、意気地のない……」

 直後、左右の腕にステラ、クレアが飛びついて来る。周囲の野郎どもから「ウオーイ!」と野太い称賛の声が上がり、ガンガンガガンと踵が踏み鳴らされる。御捻りとして酒やらツマミやらが山ほど追加でオーダーされて、どんちゃん騒ぎにより一層の拍車がかかる。

 未だ月は高く、夜はまだまだこれからなのであった。


  ◇ ◆ ◇


 喉の乾きを覚え、ルトは目を覚ました。

 のろくさと上体を起こし、寝ぼけ眼で周囲を見渡し、一拍。

 ――どこだ、ここ。

 見知らぬ部屋である。壁一面にどでかい本棚が鎮座しており、詰め込まれた夥しい数の蔵書がこちらに背表紙を向けている。それでも入り切らないのか、古びた端末が置かれた机や、床のあちらこちらで塔を成していて、差し詰め本の森といった風情である。

 何故こんな所にいるのか。眉根を寄せて記憶を浚うも、どうにも朧げで要領を得ず、

 ――なんで、裸?

 自分が何も身に着けていないことに気付き、一気に眠気が吹き飛ぶ。頭痛に耐えつつ脳をフル回転させて、全力でここに至った経緯を捻り出す。

 サキにハッパかけられて、皆で『角端亭』行って、お互いに言いたいこと言い合って……

 よしよしここまでは覚えてる、とうんうん頷いていた所に、不意に、

「……ルト、さむい」

「っと、わりぃ」

 謝罪し、捲れ上がったタオルを肩まで掛けてやってから、ようやく気付く。

 セミダブルのベッドの上、ルトから見て右にステラ、左にクレアが寝ており、二人共、自分と同じく産まれたままの姿であり、

「ん、んん、んんん……?」

 そして、ルトは考えるのをやめた。

「――ンなんじゃこりゃあ!」

「うるさいにゃー……」

「二人とも起きやがれ! 起きて説明! なにが、なにがどうしてこうなった!」

 結局、三人揃って何も覚えちゃいなかった。


 昨晩何があったのか、彼女たちの名誉に掛けて伏せておくことにする。


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