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寒空の下で俺はベンチに座り、一人ボーっとしていた。今日の日付は十二月二十四日。一般的にはクリスマスイブと呼ばれる日である。
町を行きかう人々を何となく観察する。一人で歩く人。互いを慰めあいながら歩いていく男、または女だけのグループ。そして、仲睦まじそうに手を繋ぎながら歩くカップル。
そんな人々を見ながら、俺は再度時計を見た。時刻は午後五時。空は紫に染まり、気の早い星がちらほらと瞬き始めていた。
「……まだか」
ひとりごち、視線を戻す。人ごみの中に、待ち人の――彼女の姿はまだ見えない。
そう。俺は一人虚しく時間を潰していたのではなく、彼女、つまりはガールフレンドのことを待っていた。
約束の時間は既に五分過ぎている。時間に厳格な彼女にすれば珍しいことと言える。初デートだから張り切っているのだろうか。
思考が自然と彼方へと向かう。思い起こされるのは、多分誰も答えてくれないであろう疑問。
一体、どこからどこまでが友達なのだろうか。そもそも、どこからが友達でどこからがそうじゃないなどと、そのような線引きというものは正しいのだろうか。
周りは俺と二階堂の間柄が友人のようには見えなかったという。だが実際に、俺たちはお互いにお互いが友達であることを認めていたし、お互いにそうだと思っていた。
ではこの場合、客観的に見た仲と俺たちが思っている仲、どちらが正しかったのだろうか?
今となっては、まぁ正直どちらでもいい。二階堂との友人関係は終わったのだから。色々とあって、色々と人間関係が変わって、そしてそれはもう戻らない。
「ごめん。待った?」
かけられた声に顔を上げる。そこには、走ってきたのであろう、息を切らした彼女がいた。
「全然……って答えるのが正解なんだろうけどな」
三十分待ちました。口には出さず、苦笑い。つられて彼女も苦笑する。そんな彼女の表情が、今となっては愛おしい。
❄Friend❄
「そうそう。これが見たかったんだよこれが。散々待ったんだから、是非とも自分を納得させてくれるぐらいの出来具合であってほしいね」
「あんまりにも期待が大きすぎると裏切られたときのがっかり感が半端ないぜ? 程ほどにしておけよ」
「分かってはいるんだけどさ」
映画のチケットを大事そうに握ったまま、難しい顔のまま笑うという、妙に器用なことをして二階堂はそう言った。俺は正直そんなに期待していないので、別に内容が悪かったら悪かったであぁ、やっぱりこんなもんかと納得するだけだろうし、良かったらよかったで期待以上のものが見れたという満足感が得られるだろう。
俺たちが購入したチケットの映画は、大ヒット上映中と、たとえどんなに売れてない映画でも謳うであろう宣伝文句のハリウッドアクション映画。何でも、好きな俳優が出る上に、好きな監督が久方ぶりに出す作品でもあるらしい。
好きな○○と言えるような物がない俺からしてみれば、まぁなんとも羨ましい話である。こうも熱烈に好きになるということが、生まれてこのから俺は一度もなかった。食べ物は基本的には何でも美味しいと思えるし、本は内容がしっかりしてればどんなジャンルでも基本的には面白く感じる。言ってしまえば、まぁ『こだわり』という奴がないのだろう。
だからこそ、二階堂という存在は俺にとっては特別だったのだ。
二階堂とは中学時代からの友人だった。高校、大学とずっと一緒であるからとはいえ、こうも長い付き合いは多分、珍しいんじゃないだろうか。少なくとも、二階堂ほど長い付き合いの友人はいない。親友と呼べるほどに親しいかと言われれば、まぁ微妙な関係ではあるのだけれど。
「しかし、公開初日だっていうのに、人が少ないね」
「朝一番の公演だからだろ。第一、最近の映画、CGはどれもこれもレベル的にはそんな変わらないし、こう……何ていうのかな。強烈なインパクトのある作品ってないじゃんか。一般人からすれば、二階堂みたいに『早くみたい!』って思うようなレベルの作品じゃないんじゃないか」
「まぁ、それならそれで構わないけどね。彼らの素晴らしさを知ってるのは自分だけって感じがするし。何より、自由席というのがグッドだし」
ニコニコと上機嫌に愛想を振りまく二階堂。普段の落ち着いた様子からは到底考えられないようなその様子が、何だか俺には無性に微笑ましく感じられた。
それが表情に出てしまっていたらしい。俺の顔を見るや否や、むーっと不機嫌そうに眉を寄せた。
「一之瀬くん……君、自分を馬鹿にしてる?」
「いや? そんなことはないけど、何で?」
「だって、自分のこと見てなんか笑ってるし……」
「あぁ。珍しく二階堂がはしゃいでるから面白くてな」
「……自分だって気分が高揚するときぐらいあるんだよ」
わらとらしくいじけた様に口を尖らせる。やっぱり面白い奴、などと思って、へいへい悪かったよと俺はそれを適当に流した。
二階堂の一人称が「自分」って言うのも、未だに個人的にはツボで、やっぱり面白い。何でも、小さい頃から言い続けたら自然と定着してたらしい。まぁ、一人称なんてのはそんなものだろう。
お喋りも程ほどに、俺たちはドリンクなどを買うことにした。正直俺は氷が溶けてどんどんと美味しくなくなっていく映画館のドリンクというものが好かなかったが、二階堂が「映画はドリンクとポップコーン片手って決まってるんだよ」と猛烈にプッシュしてくるので、氷が溶けてもまだ飲めるウーロン茶(だがSサイズだ)を購入した。ポップコーンは一人で一つ食べると妙な満腹感が映画を見終わった後に感じるので、二階堂と割り勘して、二人で一つという形になった。
シアターへの案内が、買い終わるとほぼ同時に始まった。短く「先に行って席とって来る」と言い残し、二階堂が当然のように先陣を切っていく。店員から切符の半券を受け取るや否や、スキップでもしそうな浮かれ具合で二階堂はシアターへと姿を消した。
「どんだけ楽しみだったんだっつーの」
もはや苦笑いを浮かべる以外の選択肢というものがあろうか。少なくとも、俺にはそうする以外なかった。
よっぽど好きなんだろう。今までも二階堂と映画に行くことはあったが、ここまで浮かれている二階堂というのは初めて見る。その様子に、映画の期待値が俺の中で少しだけあがる。
さてさて。では俺も向かうとしましょうかね。二人分の飲み物とポップコーンを持って、俺は一人劇場へと歩いていった。
◇ ◇ ◇
結論から言ってしまえば、ありきたりなCG映画でした。
それでも二階堂にとっては満足できる内容だったらしく、しきりに俺に語りかけてくる。
「やっぱり凄かった。この監督は他の監督とはカットの入れ方とか臨場感の出し方が一線を画しているね。一之瀬くんも満足しただろう?」
「いや、普通に面白かったけど、まぁありきたりなCGが凄いアメリカンな映画とか思わなかった」
「そうかい? まぁいいや。人それぞれさ」
「そう言ってもらえると、助かる」
ここら辺の、自分との同調性を強要しないあたりも、きっと俺と長く友人が続いている一因なのだろう。二階堂は決して自分の意見を人に押し付けたりしない。むしろその逆で、なるべく相手の意見を理解しようと心がけている。そんな二階堂の態度が、俺にとっては心地よいのだ。
俺はどうやら一般ピープルと若干感性が違うらしい。俺はいたって普通の感性を持っているつもりだが、周囲の人からは妙に冷めている人間に見えるらしい。何をやってもつまらなさそう、いつも退屈そう、好きなことがなさそう。かつての友人たちはそう俺を評価し、そしてそれはまぁ大きく外れちゃいない。
人間らしくない。冗談交じりにそう言う輩も、中にはいた。流石の俺もその言葉には衝撃を受けたが、あぁなるほど、と納得できるしている自分が確かに俺の中にもいて、同時にじゃあどうすれば人間らしいと言えるのだろうか、という疑問も湧き上がった。
「何を考えているんだい? 彼女のことでも考えているのかい?」
「いや……何でもない」
「そう? じゃあいいんだ。ところで、彼女といえば、三好さんとは上手くいっているのかい?」
「んー……どうだろう。上手く行ってるような、そうじゃないような……」
「はっきりしないね。まぁそれも一つの恋の形かな? 羨ましい限りだね全く。自分にも素敵な人が現れないかな」
「その内できるだろ、お前なら。ルックスはいいんだし」
「ルックスは、ね」
嫌みったらしくそう言って、非難するような目で俺を見た。咄嗟に言い訳を考える俺だったが、どうやら本気で言っていたわけではないらしい。すぐに二階堂は笑った。
「いや、これは意地が悪かったかな。分かってるよ、一之瀬くんが人を悪く言えないような性格をしているって言うことは」
「俺だって嫌いな奴の文句ぐらい言うぞ?」
「文句と悪口というのは本質的に違うと思うけどね。前者は感情の吐露であり、後者は悪意の塊だ。一之瀬くんは綺麗過ぎる人間だからね」
「褒めても何もでないぞ」
「ちぇ。期待していたのに」
冗談交じりにそう言って、やっぱり冗談めいた非難の視線を向けてくる。こうしている時間が一番心地いい。青春している、なんて気になれる。
「ま、冗談はさておいて。どうする? 昼も一緒に食べる?」
「あー悪い。ポップコーンでもう腹いっぱいだし、昼飯はいいや」
「不健康だね。ちゃんとご飯は食べたほうがいいと思うけど?」
「だからポップコーンは要らないんだよ。兎に角、もう腹いっぱいだし、今日は解散しようぜ。実は数学の課題をまだやってないんだ」
「そうかい。一之瀬くんがそういうのなら、今日はここら辺で解散しようか。丁度もう一本見たい映画もあったし」
「まだ見るのか……」
しかも一人で。なかなかつわものだな。少なくとも俺には出来ない。
そうして、俺は二階堂と別れた。普通の友人たちであれば、きっと飯くらいは一緒に食うんだろうな、なんて自分が普通じゃないということを微かに自覚したりしながら。
◇ ◇ ◇
その日の夜のことだった。
既に課題は片付いており、お気に入りの漫画を読んでいる時に、机の上の携帯が震えた。
画面に表示されている名前は『三好小春』。紛うことない俺の彼女だった。一体何事だろうか。メールでの連絡がほとんどで、滅多に電話なんてすることないのに。考えても仕方ないので、とにかく俺は電話に出る。
「はい」
『あ、和紗くん、今大丈夫かな?』
「うん。大丈夫だけど……よっぽどの用なの? 電話してくるぐらいだし」
『えっと……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないし……』
彼女はそう言葉を濁してはっきりとは言わなかった。その煮え切らない言葉に俺は首をかしげた。
それが見えていたはずもないけれども、彼女はそんな俺の様子を見越したのか、慌てた口調で続ける。
『いや、あのね。私にとっては至極重大なことであるというか。それが和紗くんにとってもそうであるかは分からないというだけで』
要領を得ない言葉を連ねていく。思わず苦笑を浮かべてしまうのは無理からぬことだと思いたい。
「えっと、それで?」
『あ、うん……』
俺が続きを促すも、彼女はまごついたままだった。言いづらいことなのだろうと見当をつけ、出来るだけ優しい声色でまた尋ねる。
「大丈夫。どんなことだろうと、俺が小春を嫌うことはないよ」
『………』
黙られてしまった。これ以上に安心させられるような言葉を俺は知らないので、どうしたものかと対応に窮していると、
『あの、そういうことをさらっと言うの、ちょっと止めてほしいかも。その、嬉しいんだけど、かなり恥ずかしいから……』
「あ、あぁ。ごめん。そんなつもりはなかったんだけど」
『本当に、和紗くんはそういうところ天然だよね』
まぁ、そういうところが好きなんだけど、と続けられて、俺はそんなストレートな感情表現に、こちらも何か言ったほうがいいのかと悩んでしまう。
だから、どう話を続けるべきか考えているうちに、彼女のほうから話を本題に戻してくれたのは幸いだった。
『えっと、さ……今日のことなんだけど』
「うん」
『あの、二階堂さんと一緒に、映画に行ったって、本当?』
「? うん、行ったけど……」
『二人っきりで?』
「そうだけど……どうして?」
その質問の意図が分からず、俺がそう尋ねると、彼女は少しだけ間をあけた。意を決したらしい、「えっと……」ともはや口癖のようになっている言葉を頭に持ってきて、彼女はこう言った。
「その……出来れば、他の女の子と一緒に二人っきりで映画に行くのはさ……止めてほしいな、って思って……」