第十九話 契約
長との戦いから一夜明けた朝。
「うし。準備おっけー。後は滝の上にある荷物を拾ってけば良し、と。」
「お弁当も作ったし、後は出発するだけ、だね。」
「わ〜いわ〜い!出発しゅっぱつ〜!」
トウマたちは旅立ちの準備を整え、ムイ達の家を発とうとしていた。
「あ、ちょっと待ってください。まだやる事が残ってます。」
「ん?・・・なんか残ってたっけ?」
「契約ですよ。僕も、ムイもまだしていません。」
「あ〜、そうか。けど、この場所で出来るのか?」
「はい。契約は場所を選びませんから。」
そう言うと、後ろ手に隠していた細長いものをトウマに差し出す。
「これを使うんです。」
ユイに差し出された物を受け取る。小さいがしっかりとした造りの木の棒のようなものだった。全体の三分の一程度の所に一本横筋が通っており、そこから左側を持って引っ張ると・・・木の棒の中身が現れた。
「これは・・・!」
「契約の小剣。この世界では比較一般的な契約道具です。」
現れたのは、刃渡り三十センチ程度の小奇麗な両刃の剣だった。ふと、トウマの頭にあることが思い浮かぶ。
「ちょっと待った。こんな物騒な物をもってくるっつー事は、契約をするには・・・。」
「・・・これを使い、主従共に身体の一部分に傷を付け、そこから流れた血を啜る。それがこの小剣を使った契約方法です。」
少しだけ、ためらうようにユイが言う。やはり抵抗があるのだろう。
「・・・その、他に方法は無いの?これの他にも契約の道具はあるんでしょ?」
「はい。僕も全てを知っているわけではありませんが、国や地域によって数種類あります。
この国に伝わるものもまだあるんですが・・・、とりあえず今あるものはこれだけなんです。それに、どの契約方法だったとしても、結局は血を流さなければならないので・・・。」
「う・・・。」
それを聞いて、野々香は押し黙る。・・・そうだ、野々香はファンタジー物の小説とか、結構怪しげな話とか好きだったはず・・・。
「なぁ、よくお前が読んでた小説とかで、契約の話とか無かったのか?」
「え?ううん・・・。あるにはあったんだけど、・・・やっぱり血を使った契約とか、精神的に深くつながって契約するとか、そんな感じかな。後は・・・あの・・・その・・・。」
なぜかほんのり顔が赤くなる。・・・まぁ多分ろくでもない契約だろうからとりあえず追及はしない。というかこの子もそういう物を読む年頃なのか・・・と妙にしみじみとうなづいてしまったり。
「ち、違うよ!?読んだ本にたまたまそういうのが載ってただけで、あの、別にそういうのが見たかったとかそういうんじゃ・・・!」
「あ〜、イイノイイノ。オ兄チャンゼンブワカッテルカラ。」
「嘘!絶対嘘!セリフ棒読みだもん!だから、ええと・・・!」
必死になって弁解する野々香。これはこれで可愛いと言うかなんというか。
「で、んなことはさておき。」
「うう・・・。」
「ユイ。ムイ。本当にこの方法でいいのか?」
ユイとムイを見据える。二人は、少しだけお互いを見ると、
「・・・はい。僕は大丈夫です。」
「痛いのはヤだけど、ご主人様がご主人様になってくれるなら、ボク、がまんする!」
そう、答えた。
「ほら、ムイ。もうちょっと力を抜かないと痛いぞ?」
「ふぇぇ・・・。でも、やっぱりこわいぃぃ・・・・。」
五分後。双子会議の結果ムイが先に契約を結ぶ事になったのだが・・・怖がってへたり込み、思いっきり向こうを向いて眼をつぶり、突き出された左手をトウマが小剣を逆手に握って掴むという、傍から見たら明らかに脅されているようにしか見えない格好で契約が行われようとしていた。
「ご、ご主人様ぁ、は、はやくやっちゃてよぉ・・・。」
「う〜ん。そう言われてもなぁ。」
ぽりぽりと頬をかく。ムイはもう既に半分涙目だった。
「ムイ?もう少し落ち着いて。大丈夫、トウマさんなら痛くしないから。」
「・・・ほんと?」
「まあ・・・多少は痛いと思うが・・・。」
「・・・うぅ〜〜〜!」
「お、お兄ちゃん!そういう事言っちゃダメじゃない!」
「いや、でもなぁ・・・。」
どうすればいいんだろう。なんとなく娘を初めて歯医者に連れてきたお父さんはこんな感じなんだろうなぁ、と思った。
「やっぱり、僕が先に契約しましょうか?」
「ん〜。仮にそうしたとしても、たぶん状況は変わらんだろうしなぁ。それなら先にムイと契約した方がいいと思うんだが・・・。」
ちらり、とムイに眼をやると、びくびくとした表情でこちらの様子を伺っていた。
「あ〜〜、もう!」
そう言うと、小剣を床に置く。
「え?」
「ごしゅ・・・。」
ムイが何か言うよりも早く、手を引いてムイを抱きとめた。そのままわしゃわしゃと頭を撫でる。と、先程までの怯えていた表情から一変し、安心して気持ちよさそうな顔をする。
「ゴメンな。あんな風にすりゃやっぱ恐いよな?」
「・・・うん・・・。」
と、ムイはトウマの身体に顔を近づけると、ふんふん、と鼻を鳴らした。
「ムイ?」
「ご主人様の匂い・・・。」
「え?・・・くさいかな、俺?」
「ううん。全然くさくない。ボク、ご主人様の匂い、好き・・・。」
そう言ってぎゅーっ、と密着するムイ。
「ね、ご主人様。」
「ん?」
「このまま・・・けいやく、してもいい?」
「俺は構わないけど・・・いいのか?」
「うん。この状態だったら、きっとガマンできるから・・・。」
「そうか。あ、そうだ。ムイ。ここ、噛んでいいぞ。」
と、服をはだけさせて自分の首元を指差す。
「ふぇ・・・?」
「なに。ムイだけに痛い思いさせるのはアレなんでな。」
「ってお兄ちゃん!?そんな事どこで・・・!」
「ん?前に葉山が言ってたんだよ。女の子に痛い思いさせる時は自分の肩口でも噛ませるといいぞー、ってな。」
「で、でもそれって・・・その・・・。」
なぜか小声になる野々香。・・・まぁ細かい事は気にしても仕方ない。
「ほら。痛かったら思いっきり噛んでいいからな?」
「ご主人様・・・。うん。」
あむ、とムイがトウマの肩口を銜え、それにあわせて左手をムイを抱きしめるようにまわす。
「トウマさん。」
「お。すまんな。」
ユイから小剣を受け取り、準備は完了する。
「いくぞ?ムイ。」
ムイはトウマの胸の中で小さくうなずく。
「・・・我が名は日野トウマ。名も無き獣、ムイの主となる者なり。」
先程ユイから教わった通りに呪文、のようなものを唱える。すると不思議な事に、小剣が淡く輝き始めた。
「我ここに誓約の剣を持って契約の証を立て、その血を啜り心と身を共にする事を誓う。」
そう言ってムイの左手を取り、小剣を突き立てる。と、同時に左肩に鋭い痛みが走る。
「・・・!!」
声を出さないように必死に我慢しているムイ。トウマは小剣を斜めに動かし、確かな証をムイの左手の甲に刻み込む。
「ぅ〜〜〜〜っ!!!」
十センチほど引っ張った所で剣を離す。そして左手を顔に近づけ、傷口からあふれようとしている血をゆっくりと舐め取る。
「ひゃう・・・!」
「ん・・・。」
血が止まるまで何度か舐める。小剣の効果か、血は割と早く止まった。
「・・・で、どうするんだっけ?」
「契約で行う事は以上です。後は成功していれば・・・。」
「痛っ!」
左手に痛みが走る。見ると、左の手の甲にムイに付けたものと全く同じ傷が浮かび上がっていた。
「これは・・・。」
「良かった。これで、契約成立です。」
「そうか。大丈夫か?ムイ。」
「・・・・・・・・・。」
「ムイ?」
「血が、出てる。」
「へ?」
そう言うと、ムイはトウマの左手を取り、ぺろぺろと舐め始めた。
「ごめんね、ご主人様。・・・痛かった?」
「・・・大丈夫だよ。ムイこそ、よく頑張ったな。」
「・・・うん。」
血が止まっても、ムイは少しの間傷口を舐めていてくれた。
「さて。次はユイだが・・・。」
「僕は、平気ですから。さくっとやっちゃってください。」
「さくっとってなぁ・・・。」
そう言って左手を差し出してはいるが。
「ユイ。尻尾が下向いて丸まってるぞ。」
「・・・はっ!?」
慌てて元に戻すユイ。
「・・・・・・。」
「な、怖いなら怖いって言ってもいいんだぞ?別におかしなことじゃないし。」
「で、でも、その・・・僕は、男の子ですから・・・。」
その、けなげに頑張ろうとする姿に、思わず
「そっか。えらいな、ユイは。」
「わ・・・ぅ・・・。」
頭を、なでる。ムイと似ているが微妙に違う、撫でごこちの良い頭だ。なでられて気持ちがいいのか、ユイは目を細める。
「けど、俺はユイ達のご主人様になるんだろ?だったらせめて俺に対して位もうちょっと素直になっていいし、甘えて欲し〜な〜、なんて思うんだが。」
「でも・・・。」
「いいんだよ。自分からそうするのがイヤだったら、ユイは俺にそう言われたから仕方なくそうする。な?」
「・・・じ、じゃあ・・・。」
とことこ、と近づいてきて、トウマの服をぎゅ、と掴む。
「その・・・、やっぱり怖いので、ムイと同じ風にしてもらっても、いいですか?」
「うんうん。よしよし。」
「あぅぅぅ・・・。」
また撫でられて、嬉しいような困ったような顔をする。
「・・・じゃ、いくぞ?」
「・・・はい。」
先程と同じようにユイを抱きしめ、小剣を逆手に握る。恥ずかしいのか、我慢するつもりなのか。肩口を噛むことはしていない。
「我が名は日野トウマ。名も無き獣、ユイの主となる者なり。」
再び小剣が輝き始める。
「我ここに誓約の剣を持って契約の証を立て、その血を啜り心と身を共にする事を誓う。」
小剣を、突き立てる。
「う・・・くぅぅっ・・・!」
ゆっくりと、ムイとは逆向きの傷を刻み込む。剣を離し、傷口からあふれようとする血液を舐め取っていく。
「ん・・・よし。後は・・・。」
先程と同じ痛みが走る。見ると、契約が成功した証が浮かび上がってきていた。ムイのものと重なり、×の字になっている。
「これで、契約成立、だよな?」
「はい・・・、その・・・。」
ユイはなにか言いにくそうにもじもじとしている。
「ん?どした?あ、傷口が痛むのか?」
「ち、違います・・・・・・・ゅ・・・ま・・・。」
「んん?まさか、失敗してたとか?」
「で、ですから・・・あの・・・ごしゅじんさま・・・。」
「まいったな、呪文間違えたか・・・って、へ?」
「大丈夫です。・・・ご主人様。契約は、ちゃんと成立してます。」
「・・・・・・・・。」
一瞬、固まる。
「あ・・・ヘン、ですか?」
「いや、そんな事は無いけど・・・あ、あははは。なんか改まって言われると照れるな。」
二人してあははは、と意味も無く笑ってしまう。なんとなく恥ずかしいのだ。
「さ、て。契約も済んだ事だし、そろそろ出発するか。」
「そうですね。ムイ、準備はできてる?」
「うん!大丈夫だよ。野々香ちゃんは?」
「私も大丈夫。じゃ、出発しようか。」
四人で出口をくぐる。数歩歩いた所で、ムイとユイが足を止める。
「どうした?」
「ううん。ちょっと・・・。」
「お別れを、言いたくて。」
そう言うと、自分達の家を見上げる。
「いままで、いろいろあったけど、」
「僕達の事を、守ってくれてありがとう。」
『いってきます。』
そう言い残し、くるり、と家に背を向ける。と。
オオーーーーーーーーーーーーーーーーーン・・・・・・
「あ・・・。」
「長・・・。」
姿は見えない。どこか、遠くから。大狼の遠吠えが聞こえてきた。
オオーーーーーーーーーーーーーン・・・・・・・
その声に、二人は獣の声で応じる。それきり、遠吠えは聞こえなくなった。
「さ、行きましょう。」
「ん。もう、いいのか?」
「うん。十分。行って来い、だって。」
「そうか・・・じゃ、行くか。」
そして、再び歩き出す。一路、グランベルドの王都を目指して・・・