俺たち戦国高校野球部〜監督は龍馬様〜
「気合入れろ気合!」
高校3年の大橋誠二は野球部の主将として、ノックを行っていた、
「主将、それパワパラっす!」
「いっちょ前になってから言え!」
弱小野球部ながら、県大会のベスト16まで進めたのは、大橋の力によるところが大きかった。全てを気合で片付ける問題点はあったが、結果を出していたこともあり従わざるを得なかった。
「よし、グランド10周!」
大橋は汗を拭きながら、マネージャーのところへ来た。佐伯賢人。大橋と同じ3年生。
「大橋、気合だけじゃ駄目だって」
「一に気合、二に気合だろ」
「そういう時代じゃないって」
突然グランドに大雨が降ってきた。しばらく止みそうになく、今日の練習は終了になった。
部員と一緒に用具を片付けていた大橋と佐伯。備品庫の奥に二人が入ると、突然扉が閉められた。
「何が気合だバーカ!」
「気合で開けてみろよ」
部員達に閉じ込められ、鍵までかけられた。埃っぽく、空気が悪い。おまけに照明がなく、夕方の備品庫はそれだけで不安感を感じさせる。
「あの野郎ども…許さねぇ」
「大橋…だから言ったろ。恨み買ってたんだよ。気合なんて通用しないって」
「佐伯、お前も同罪だろ」
「何言ってんだよ、俺が巻き込まれる覚えはねぇよ。どうすんだよこれ」
二人は必死に扉を叩いた。身体を何度もぶつけ、少しずつ歪みだした。
「こんなもん、気合でぶっ壊してやる」
「大橋、もう少しだ」
「せぇ〜の」
扉が壊れて外側に開き、二人は地面に投げ出された。
「いってぇ。佐伯、大丈夫か」
「あぁ。おい、何か真っ暗だな」
周囲は土の湿った匂いで包まれていた。虫が飛び、風が木々の葉を揺らす音がする以外は静まり返っていた。
「佐伯。ここ、学校…だよな?」
佐伯が振り返ると、先ほどまで二人がいた備品庫の扉は無くなっていた。
「…」
「佐伯、これドッキリカメラだ。扉を開けたら異世界!みたいなのだろ。 おい!仕掛け人いるんだろ!出てこいよ」
大橋の大きな声が響くだけだった。あたりを走る車の音、学校のチャイム、何も聞こえない。
「大橋、それにしては手が込みすぎてると思わないか」
「佐伯、とりあえず戻ろうぜ」
「扉が消えたんだ…」
二人は呆然と立ち尽くした。大橋がスマートフォンを取り出すと、「圏外」の表示。ここでようやく大橋も、ただならぬ事態を理解し始めた。
「とりあえず歩いてみよう」
大橋のスマートフォンのライトを頼りに、宛もなく歩き出した。
「空気良いな」
「都会にはない空気だよな」
30分ほど歩いたが、景色は何も変わらない。
「佐伯、喉乾いた。コンビニねぇの?」
「知らないよ。ここがどこかも分からないのに」
「あ〜腹減った〜」
先の方に灯りが見えた。その灯りは次第に二人へ近づいてきた。
「御用だ!御用だ!」
「大橋、誰か来るぞ!隠れろ」
「あの〜ちょっと〜。ここは何処っすか。スマホ圏外だし」
「よせ、大橋!」
佐伯は慌てて大橋を木の陰に引っ張ったが、遅かった。
「おのれ、何奴!」
大橋が止めたその男は金属の棒を首に突きつけてきた。十手だ。
「道聞いただけだろ!つうかなんだよおっさんその格好は。すげぇウケる」
「大橋!逃げるんだ!」
佐伯は大橋の手を引っ張って全力で逃げた。土と砂利の混ざる道は、二人が履いていたスパイクには好都合だった。
「なんだあの早さは…」
「それにあの体格…異国の者でしょうか」
二人は小屋の裏手に身を隠した。
「はぁ、はぁ、どうにか逃げ切ったな」
「大橋、どうやら俺たち、とんでもないところに来たみたいだ」
大橋の頭を後ろから何度も箒のような毛が撫でている。
「何だよ気持ち悪いな」
大橋が振り返る。そこに見えたのは、馬の尾だった。
「さ、佐伯…」
「うん」
「ここは…太秦の撮影所か」
「バッカだなお前は…だったらさっきの藩士は俳優かよ」
その時、小屋の扉が開いた。中から初老の男が出てきた。
「騒がしいねぇ…ひゃぁあ!」
大橋と佐伯を見て腰を抜かした。
「い、命だけは…」
男は額を地面につけ、命乞いをしている。
「おじさん、頭上げてよ!」
「あの、ちょっとお話を聞かせて下さい」
「へぇぇ、命だけはお助けを…」
御用だ!御用だ!
「まずい大橋!隠れるぞ」
二人は強引に小屋に入った。小屋だと思ったその建物は、初老の男と妻の二人が住む長屋だった。
「すみません、私たちはここがどこなのか知りたいだけなんです」
「どこって…あなたがたはどこから御出なさった」
「20XX年の日本です」
「仰る意味がわかりませんが…異国から来られたのですか」
大橋と佐伯は互いに顔を見合わせた。野球部のユニフォームにスパイク靴。この世の者とは思われなかった。
「お父さん。もしやこの方々、エゲレスから…」
「薩摩の次は、こんな村人まで巻き込むのですか!?」
佐伯は慌てた。この時代は薩英戦争が終わったばかりで、町には見知らぬ者への警戒感が広がっていたからだ。
「あの!私たちはエゲレス人ではありませんし、お二人の敵でもありません。教えてください!今の時代を」
「文久3年じゃ」
後ろから声が聞こえた。文久3年という言葉に佐伯は青ざめ、大橋は佐伯の顔の前で手を上下させている。
二人の後ろの引き戸が開き、背の高い男が立っていた。
「なんじゃ、騒がしいのぅ」
「誰?あ、イケメンだね」
「あ…あなたはまさか…」
「ちょいと邪魔するぜよ」
その男は長屋へ上がり込んだ。
「おまんら、見ん顔じゃのぅ。主人がたまげるはずぜよ」
「あの…念の為、念の為お聞きしますが…あなたは…」
佐伯は唾を飲んだ。
「坂本龍馬。おのれらはエゲレスからか」
「坂本龍馬!?上手いね。ディテール最高だよ。あんた絶対売れる、良い役者になるよ」
「バカ!少し黙ってろ」
佐伯は慌てて大橋の口に手を当てた。
「何やらよう分からんが、まっことおもろい二人じゃ」
龍馬は大笑いしたが、長屋の主人と妻は奥に隠れ、怯えながら3人のやり取りを見ている。
「主人、邪魔した。この二人はわしが連れて行く。堪忍してくれ」
三人はその晩、龍馬の宿屋へ上がることにした。
「おまんら、何じゃその格好は。それに履物」
「佐伯…これ、芝居に見えないんだけど」
「あぁ、そういうことだよ」
「……えぇ~!マジか!?」
大橋は目を丸くして後ろに飛んだ。
「まじか??何じゃその言葉は。おまんらやっぱりエゲレスか」
「龍馬さん、私達もどうしてここにいるか分からないんです。ただ、ここが文久3年ということで、状況は理解しました」
佐伯は備品庫の扉を開けてからの流れを龍馬に話した。
「信じていただける話でない事は分かっています」
「嘘か誠か知らんが、おまんらがおもろい奴らぁちゅうことは、よう分かったき。わしの目に狂いはなかったちゅうことじゃ」
龍馬は目を閉じて答えた。
「なら聞くぞ。わしが何故ここにおるのか。おまんらなら知っとるはずじゃ」
「今、龍馬さんは勝麟太郎殿の弟子として、神戸海軍操練所の設立に奔走されているはずです」
「……」
龍馬は立ち上がり、鞘から刀を抜いた。
「気合!」
大橋は真剣白刃取りの如く腕を伸ばし、両手を叩いた。恐怖で目を閉じている。しかし龍馬は、佐伯に刀を向けていた。
「おまんら…他で素性を言うたらいかんぜよ。さっき藩士に会うたろ。立ち聞きしたんじゃ。大男を二人追っかけとると。捕まったら死罪もあり得る。絶対勝手に動いたらいかんぜよ」
大橋と佐伯は正座をして硬直していた。刀を鞘にしまった龍馬は、笑みを浮かべた。
「まぁ、心配せんで良い。よし、今夜は酒だ!」
「あ、あの龍馬さん、僕たちは未成年で…」
佐伯は慌てて止めようとするも、大橋は龍馬の提案に乗ってしまった。
「ありがとうございます、いただきます!ここからは、飲みニケーションで」
宿屋の主人が酒を運んできた。
「大橋、駄目だって」
「この時代に法律ないだろ」
「おまんら、酒が飲めんのか??」
「いただきます!」
大橋が言う。
「大橋、やめとけって!龍馬さん、酒はちょっと…」
「それなら、甘酒をご用意しましょう」
宿屋の主人が二人分の甘酒を用意した。
その夜は話が多岐にわたった。途中で大橋が寝てしまい、龍馬と佐伯の二人になった。
「わしは、勝先生を尊敬しとる。海軍操練所はその始まり。先生は、日本の新しい時代を切り拓こうとしとるんじゃ。いざ、日本を洗濯じゃ!」
「成功すると信じています、龍馬さん」
「おまんらは、この続きを知っとるんだったな…いや、何でもない。先のことは、知らん方がええ」
夜は更け、三人は眠った。
朝を迎え、二人の枕元には筒袖と袴が用意されていた。
「この時代にその格好は奇怪じゃ。それに、おまんらみたいな大男、この時代にはおらん。わしの仲間ちゅうことで、同じ格好にしたんぜよ」
「ええか、この時代は密偵だらけじゃ。おまんらもそう見られとるんじゃ。幕府に目ぇつけられたら、どうなるか分からん。わしから離れたらいかんぜよ」
「佐伯、『みってい』って何だよ」
「スパイのことだよ」
宿屋を発った三人は町を歩く。通りすがる町人は皆、野球部の二人を珍しがって見ている。
「おまんらに、手伝うてもらいたい事がある」
龍馬が振り返る。
「操練所の塾生に、仲間同士の和を教えて欲しいんじゃ。皆優秀じゃが、互いに協力せんことには、塾は進まん。新しい時代は、己の我欲よりも未来を見る事じゃ」
「大丈夫っす!俺が気合い入れます!」
塾生たちは帆船の操縦や砲術を学んでいる。だが互いに競い合うだけで、協力する習慣はなかった。何より武士という自尊心が、協力を阻んでいるように龍馬には映っていた。
「今日から操練所をしばらくの間手伝うてくれる二人じゃ。洋学も学んどるから、何でも聞いてくれ」
塾生を前に龍馬は二人を紹介した。が、何処の馬の骨とも分からない人間を快く迎える雰囲気はなかった。
「お前ら、兄弟子気取りか」
「それ、パワハラだから」
大橋が返す。
「ぱ、ぱわ…!?貴様!エゲレスの言葉など使いおって!」
塾生が刀を抜き、周りが抑える。大橋と取っ組み合いになりかけた。
「大橋、お前も抑えろ。ハラスメントなんて言葉、この時代にないんだから」
佐伯が大橋を抑える。相容れず、塾生と大橋・佐伯の二人が対立する日が続いてしまった。
「おまんら、最初に着ていた着物は何じゃ。詳しく教えてくれ」
「あれはユニ…制服です。武士の袴みたいなもので、野球という球技の際に着るものです」
「ええこと思いついたぜよ」
龍馬が何かを確信した表情を見せる。
「野球ですか!?無理でしょあいつらには。気合以前の問題ですよ」
「塾生は、協力する必要性が分かっとらん。おまんらに対してだけやない。藩同士でも争っとる」
「野球は一人では出来ませんね」
「そうじゃ。和を以て貴しとなすじゃ!」
二人は早速太めの木の棒と、布を巻いたボールを作った。さらに塾生達にルールを教え、対抗試合を行うことを決め、それに向けて練習を重ねた。
「坂本、何をしようとしているんだ」
後ろから声が聞こえ、振り返る。
「これは勝先生!あれは、野球ちゅう球技です。藩関係なく、全員が協力せんと進まんものです」
「お前がやろうとしている事は、兵の育成ではないのか?」
「人です、人を育てるんです。藩が互いに争う時代ではありません。新しい時代の夜明けはもうすぐです」
「面白い男だなお前さんは」
「よっしゃー気合いだ気合い!」
藩士18人が互いにチームに分かれた。監督は薩摩藩の大久保利通、紀州藩の山川大蔵、それぞれに参謀として大橋と佐伯がついた。いずれのチームも全て各藩士が混合して構成されている。念の為、医療対応として、医師の緒方洪庵も控えていた。
薩摩藩のピッチャー有村次左衛門が、長州藩のバッター久坂玄瑞に初級からデッドボールを当てた。
「貴様、許さん…」
有村が鞘に手を掛けて睨みつけた。久坂も構える。大橋と佐伯が慌てて互いを止めにグランドへ向かった。
「抜くな、争いじゃないんだ」
「貴様、生意気だ!」
「そういうのが古いんだって!」
「おまんら!勝先生の顔に泥塗るんか!これは親睦じゃ。責任はわしが持つ。この二人の言うとおりに頼む」
拙い守備や打撃も、回を追う毎に上達してきた。後逸や三振、走塁妨害などでメチャクチャだった前半を過ぎ、バットに当ててボールを飛ばせるようになってきた。
いつの間にか、町人達が集まり始めていた。
「会津と薩摩が肩を組んでるぞ」
「天災の前触れかねぇ、恐ろしや」
いずれのチームも全て各藩混合のメンバーにした。その結果、いがみ合っていては試合が進まない事に気づき始めた。
長州と薩摩によるダブルプレー、紀州藩の外野から会津藩のキャッチャーへバックホームなど、藩を越えたプレーが繋がりだした。
「中岡さーん」
町娘の声が響いていた。8回表、打者は中岡慎太郎。インコース高めを振り抜いた。中岡は袴を上げて一気に走り、3塁へ到達した。若さあふれる走塁に、他の藩士達も盛り上がった。
「佐伯殿、この局面はどう指示を出せば良いか」
大久保利通監督が聞いてきた。
「犠牲フラ…えっと、犠牲飛球で返しましょう」
佐伯は大久保に犠牲フライの説明をした。
「犠牲!?野球の世界でも、己を殺して他者を生還させるという考えがあるのですな」
作戦が見事にはまり、均衡を破って1対0となり、9回裏2アウトの場面。
「大橋殿、何とか一死報いたいですな」
次の打者は西郷隆盛だった。
「西郷さん、気合い入れて振り回して下さい」
大橋は耳打ちした。
「おぉ、海の向こうまで飛ばしたるわ!」
西郷が思い切って当てた球は、ホームランになった。
山川大蔵監督以下が出迎え、西郷に手荒い祝福をした。その後は後が続かず、試合は1対1の引き分けでゲームセットとなった。
「まだ結果が出とらんが…」
「龍馬さん、これを『引き分け』と言うんです」
「勝ち負けも大事だけど、これも結果」
全員が握手をして互いの健闘を分かち合った。それを見ていた町人たちからは歓声が上がっていた。
「高杉殿、この新しい戦、面白か」
「あぁ西郷殿、新しい戦は血を流さん」
「互いを称え合い、協力し合うのは美しいものだ。坂本、お前さんの狙いはこれだったのか」
「勝先生、まだ越えねばならん課題はあります。でも、互いの力で必ず越えられます」
その夜、大橋と佐伯の二人は宿屋での勝の宴席に招かれた。他の藩士達も酒を酌み交わして賑わった。
「実に見事じゃった。わしが見込んだお人じゃ」
「歴史的な一幕でしたな。お二方、感謝します」
勝海舟が二人へ頭を下げた。それを見た藩士達も慌てて一斉に土下座のような格好をする。
「いえ、私達も楽しい時間でした!」
皆が頭を上げる中、一人だけ伏せたままの藩士がいた。
「緒方先生!白石の様子が変です!」
顔が青白く、額から汗が流れていた。
緒方が脈を取る。
「おそらくだが、脱水を起こしておる。この者は水を口にしたか?早急に水分を」
宿屋の主人が水を運び、飲ませたものの吐き出してしまった。
「緒方先生、私に考えがあります」
佐伯は宿屋の主人に頼み、塩少々、砂糖大さじ2杯、橙の汁を集め、水約1Lに溶かした。味見をしつつ、塩気と甘さを調整する。
「緒方先生、これを飲ませて下さい。塩でナトリウムを、砂糖でエネルギーとカリウムを補給します。クエン酸で吸収を良くするんです」
白石は一気に飲み干した。それはまるで、砂に水が染み込むようだった。
「佐伯。これ、経口補水液か?」
大橋が覗き込む。
「あぁ、一応マネージャーだからさ。応急救護の知識としてね」
「おぉ、白石!甦ったか!」
白石が起き上がり、落ち着いた表情を見せた。
「佐伯殿、これは恐れ入った。私は今、感染症の研究をしておるのですが、コロリなどは急速に脱水が進みます。これはまさに、命の水ですな」
藩士たちは次々に、佐伯の作った即席の経口補水液を口にした。
「変わった味だが、ぐいぐい飲めるな」
「しょっぱい?甘い?んん!?」
初めての味に戸惑いながらも、藩士たちには概ね好評だった。
「佐伯殿、私にこの命の水の作り方を伝授してはいただけませんか」
「緒方先生、もちろんです。大切なのは塩分の分量です…」
佐伯は緒方に手順を説明した。
「ところでこの橙、今の時期は紀州産ですね」
「ちゅうことは、紀州藩が会津藩の白石を救うたいうこっちゃ。これはめでたいな」
龍馬が言うと、歓声が上がり皆の拍手が部屋に響いた。
「坂本、あの者どもは何者だ。球技に医術に…」
「勝先生、新しい時代を知る者にあります」
その時、階段を駆け上がってくる音がした。勢いよく障子が開く。
「怪しい集会があるとの密告があった。お前ら、何をしておる」
幕府の侍たちが藩士達の前に現れた。藩士達も一斉に立ち上がり、鞘に手をかける。
「待て、刀を抜くな。」
藩士達を制止し、勝海舟が立ち上がる。
「まだ争いを続ける気ですかな」
「これ見てみぃ、わしらは同じ釜の飯を食うとるんじゃ。おまんら、いつまで争い続けとるんじゃ」
刀を床においた龍馬が凄んだ。互いに睨み合う。
「今日のところは退散だ。その方、覚えておれ」
幕府の役人は一斉に去っていった。
「今度は幕府と野球をやるか」
西郷隆盛が言うと、皆は大笑いした。
その夜、龍馬と二人は別の部屋に泊まった。
「佐伯、俺たちこのままどうなるんだ」
「分からないよ。何でここにいるかも分からないのに」
「ところでさ、俺達は龍馬さんの最期を知ってるだろ」
「…」
「伝えてあげなくて良いのかな」
「大橋、それは駄目だ。歴史を変えることになる」
「もう変えているだろ。藩士が野球やったなんて教科書にない。それに、龍馬さんが死ぬのを分かっていて、何も言えねぇのか俺達は」
「違う。俺もお前の気持ちは分かる。でも、龍馬さんが生き残る事で、未来が変わるかもしれないんだ。それが良い未来である保証はどこにもない」
「なんだよ、助けてやれねぇのかよ」
大橋は布団を被り、嗚咽を漏らした。隣の部屋で、龍馬は窓から月を見ていた。
翌朝、二人が起きると龍馬が枕元に座っていた。
「龍馬さん!」
「わしはそろそろ行かにゃあならん。まっこと楽しかったぜよ。勝先生も、宜しゅう言うとった。」
「ありがとうございました。色々助けていただいて…」
「ここの宿代は、勝先生が払うとって下さったから、もう数日は大丈夫じゃ」
「龍馬さん…俺、言わないといけないことがあるんです」
「大橋、まさか」
「ずっと考えてました。あんたは歴史の英雄なんだ。俺みたいなバカでも知ってる。あんたは未来に必要な人なんだ」
「やめろ大橋」
龍馬は立ち上がった。大橋の顔の前に、懐から出したものを突きつけた。銀色に光る銃だった。龍馬の目からは笑みが消えていた。
「前にも言うたぞ。先のことは知らん方がええ」
「龍馬さん…俺は」
銃をしまうと、微笑んだ。
「未来のことは、もう知っちょる。おまんら見てたら、どうやらこの国には、ええ人材が育っちょるようじゃ。人を育てたいいうわしの考えは、正しかった。つまり、何も心配せんでええいうこっちゃ」
龍馬は踵を返して部屋を出た。
「一つだけ教えてくれ。その未来は、誰も泣かん未来か?」
二人は答えようとするが、言葉が出ない。金縛りにあったように身体も動かない。龍馬の顔も景色も歪みだした。
「龍馬…さ…」
「大橋!佐伯!起きろ!」
「さ、西郷さん!」
「誰が西郷さんだ」
二人の目に飛び込んできたのは、眉毛の厚い野球部顧問だった。西郷さんというあだ名で呼ばれていた。
「お前らが備品庫に閉じ込められたって、音楽の坂本先生が知らせてくれたんだよ」
「坂本って、坂本龍馬さんですか!?」
「西郷さんとか坂本龍馬とか、お前ら何言ってるんだ…備品庫の中で、酸欠で倒れてたんだぞ」
「あー思い出した!鍵閉められたんだよ。クッソー、あいつら」
「それより大橋、図書室に行こうぜ!」
二人は図書室へ駆け込み、幕末の歴史が書かれた本を開いた。
「近江屋事件」(坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された事件)の頁は何も変わっていなかった。
「やっぱり夢だったか…」
「大橋、そうでもなさそうだぜ」
別の頁には、坂本龍馬がバットを持っている写真が掲載されていた。
終
お読みいただきありがとうございました。
文中の経口補水液の作り方に関して、ネット上の記事を参考にしております。




