第58話 エヴァンス伯爵邸
――夕方 エヴァンス伯爵邸。
意思確認の場から戻ったシャーロットは、疲れた顔で紅茶を飲んでいた。
答えなかった――ただそれだけで、あれほど空気が変わるとは思っていなかった。
しばらくすると、聞き慣れた声がした。
「入っていい?」
振り向くと、そこにいたのはエドモンドだった。
いつもの気の抜けた笑顔。
だが、目だけは、いつもより少しだけ真剣だった。
「今日、お疲れさま。」
「……ありがとう。怖かったわ。」
「うん。よく“決めない”って言えたね。」
彼は、椅子を引いて座り、しばらく沈黙してから、静かに切り出した。
「シャーロット。答えを出さなくていいって言ったけど、俺は、君の本音だけは、知っておきたい。」
彼女は、膝の上で指を絡める。
「殿下のこと、どう思ってる?」
「優しい時もあるわ。大切にされてるとも思う。」
「好き?」
「……それは分からない。」
「一緒に生きたいって、思う?」
シャーロットは、長く黙った。
そして、小さく首を振った。
「殿下といると笑っていても、どこか息が苦しいの私、ちゃんと自分でいられている気がしない。」
エドモンドの指が、わずかに強く握られる。
「じゃあ――」
声を低くして、もう一つだけ聞いた。
「殿下と一緒にいる時、シャーロットは心から笑えているか?」
彼女は、はっきりと首を振った。
「いいえ。笑っている振りをしているだけ。」
その言葉を聞いた瞬間、エドモンドの中で迷いは消えた。
彼は、いつもの軽い調子に戻って言った。
「そっか。それなら、あとは大人の仕事だ。」
「え?」
「ここまでよく十分頑張った。ここから先は、シャーロットが選ばされないようにするだけ。」
その日から、エドモンドは静かに舵を切った。
――王太子とシャーロットの婚約を頓挫させる方向へ。
だが、表で王太子とぶつかるのは彼ではない。
動くのは、長きに渡り辺境を治め、王家とも因縁を持つグラーフ伯と、その嫡男レオンハルト。
王太子の策に真正面から噛みつく表の刃。
その背後で誰にも気づかれぬよう、刃の角度と振り下ろす時刻を調整する影。
(俺は、盤を壊さない。ただ、シャーロットが笑えない未来だけを、この国の選択肢から消す。)
そしてその頃、王城――
王太子が、すでに異変を感じ始めていた。
「……流れが、変わったな。」
誰かが、自分の作った道を少しずつ、少しずつ、別の方向へ書き換えている。




