第56話 エドモンド
――その夜。
王城の奥、王太子の私室。
側近から報告を受けた王太子は、しばらく無言だった。
窓の外、月明かりが床に細い線を描いている。
「……エドモンド・グレイフォードか。」
低く、呟く。
「特段、大きな力を持っているわけでもない伯爵家の次男坊に過ぎない男。なぜ、ここまで流れを変えられる。」
側近は慎重に答える。
「諜報部によりますと、彼は表では目立ちませんが、なぜか人脈が異様に広い。学園、貴族、下町、果ては隣国との行商路にまで。」
王太子の指が、ゆっくりと握られる。
「奴は犬のふりをした狼、か。」
――同じ頃。
王城近くの古い礼拝堂の地下。
誰も使わなくなったはずのその場所で、エドモンドは数人の男女と向き合っていた。
皆、身なりはばらばら。
商人、使用人、学生、旅人――だが、視線だけは鋭かった。
「動きは?」
「王太子側に焦りが見え始めてます。」
「辺境伯家は、想定通り。」
エドモンドは、満足そうに頷く。
「上出来。」
普段と違う鋭い眼差しを、胸元のペンダントに向け、指でなぞる。
そこには、グレイフォード家の家紋とは別の、誰にも知られていない紋章が刻まれていた。
「シャーロットは、王国ましてや王家の都合で壊される駒じゃない。もし、殿下が愛の名で踏み越えるならば、俺は国家の安全の名で、止める。」
それは脅しではなく、事実としての宣告だった。
――翌日。
王城から、再び使者が来る。
「殿下が、シャーロット嬢本人と正式な意思確認の場を設けたいとの意向です。」
エヴァンス伯爵は、穏やかに頷いた。
「承知しました。だが、娘の意思が最優先です。」
その裏で、エドモンドは静かに動いていた。
その場には、
・第三者の立会人
・複数貴族の証人
・記録官
が配置されるよう、根回しを済ませていた。
――王太子と二人きりには、させられない。
選ぶ自由は、見張られていては、成立しないからだ。
学園の帰り道、
シャーロットはエドモンドに言った。
「……怖いわ。殿下の目、優しいのに逃げ場がないのよ。」
エドモンドは、歩調を合わせる。
「無ければ、作ればいい。だから、俺が逃げ道を作ってる。」
「え?」
「シャーロットが“嫌だ”って言える場所。“考えたい”って言える場所。“選ばない”って言える場所。」
彼は、前を見たまま言った。
「それを作るのが、俺の仕事だから。」
「……エドモンドって、ほんとに何者なの?」
彼は、少しだけ振り返る。
「俺は、お菓子が大好きなシャーロットの幼馴染だ。」
そして、冗談めかして付け足す。
「それ以上は、シャーロットが幸せになってから教える。だから、絶対に幸せになれ。」
その背中は、しがない伯爵家の次男坊のものでは無くそれは――国の裏側で、静かに刃を構える男の背中だった。




