第5話 伯爵邸
最近、父の様子が少し変だ。
夕食の席で、ふとした拍子に口にする話題。
「今日、王太子殿下にお会いしてな。」
私は、手にしていたカトラリーを落としそうになった。
「殿下にですか?」
「ああ、王宮でな。
シャーロット、お前の学園生活について随分と気にかけてくださっているようだ。」
(……また)
胸の奥が、ひやりと冷える。
父――エヴァンス伯爵は、王家に忠誠を誓う真面目な人物だ。
国王陛下からの信頼も厚い。
だからこそ
王太子殿下から直接言葉をかけられれば、
それを“好意”として受け取ってしまう。
「殿下は、本当にお優しい方だ。」
父は穏やかにそう言った。
思わず、背筋が伸びる。
「不慣れな環境で娘が困らぬようにと。とても、ありがたいことだ。」
――違う。
それは、ありがたいなんて言葉で片付けていいものじゃない。
けれど、私は何も言えなかった。
*
数日後。
王宮の一室で、王太子殿下は静かに紅茶を口にしていた。
銘柄は城下で人気の専門店のアッサムティー。
王家の諜報部に調べさせたシャーロットお気に入りの紅茶だ。
向かいに座るのは、エヴァンス伯爵。
「娘は学園生活にも、お陰で少しずつ慣れてきたようです。」
伯爵の言葉に、殿下は満足そうに頷く。
「そうか、それはよかった。」
そしてごく自然に続けた。
「シャーロット嬢は、あまり前に出る性格ではないね。」
伯爵の眉が、わずかに動く。
「しかし、放っておくと周囲に振り回されやすい。だから、私が目を配ることにしたよ。シャーロット嬢にできる限り付き添おう。」
――“私が”。
その主語の重さに、伯爵は一瞬、言葉を失う。
「殿下、それは……。」
「心配には及ばない。」
王太子殿下は、微笑んだ。
「シャーロット嬢の不利益になることは、私は決してしない。」
それは、
約束のようで、
宣言のようでもあった。
「むしろ、エヴァンス伯爵家にとっては悪い話ではないはずだ。」
静かな一言。
伯爵は、忠臣だ。
王家に逆らうという選択肢は、毛頭ない。
「……恐れ入ります。」
そう答えるしかなかった。
王太子殿下は、その反応に満足した。
*
――学園
「最近、エヴァンス家のご令嬢と殿下がご一緒なのが当たり前になりましたね。」
側近が、何気ない調子で言う。
「うん、そうだね。」
王太子殿下は、軽く頷いた。
休み時間の移動
昼食
すべてが、以前よりも自然になっている。
「エヴァンス伯とも、話は進んでいる」
殿下は、窓の外を眺めながら言った。
「父上にも、悪い印象はない。」
――外堀は、ほぼ埋まった。
残っているのは、
本人の“自覚”だけ。
*
その頃、私はというと。
(……おかしい)
毎日、殿下と行動を共にすることに慣れ
父が毎日、食卓の場で殿下の名を口にすることにも慣れ
それが、異常だと感じる感覚が
少しずつ薄れていることに気づいていた。
(これが……よくある異常が“普通”になっていく、ってこと?)
王太子殿下は、優しい。
顔も良い
強引なことも多分しない。
怒鳴りもしない。
ただ、
有無を言わさず逃げ道がないだけ。
その日の帰り際。
「シャーロット嬢。」
殿下は、私を呼び止めた。
「君の父上とは、最近よく話をしている。」
心臓が、跳ねる。
「とても、君を大切に思っているね。」
碧眼が、じっと私を見つめる。
「だから、安心していい。」
その言葉に、
なぜか――寒気がした。
(……安心、って)
何から?
誰から?
問いかける勇気は、なかった。
王太子殿下は、満足そうに微笑む。
彼の世界では、もうすでに
シャーロット・エヴァンスは
守られる存在ではなく、囲われた存在になっているのだから。




