永遠
「魔法って、信じます?」
「え、えぇぇ!?」
落ちたはずの湯のみが、ぷかぷかと宙に浮いている。
それを目の当たりにした先生が、大声を上げた。
その隣で、サキさんが目を見開いて固まっていた。
「さっき、お兄ちゃんが『会ったことあります』っていってましたけど、それって先生が頼んだから言ったんじゃないんですよ」
葵は、湯のみをテーブルまで運ぶ。
ことり、と丁寧に置く。そこまでの動作の中で、動かしたのは指一本だけ。この世界ではありえないことが、目の前で起こっていた。
「サキさんの記憶は正しいです。わたしたちは、サキさんが子どもの頃に会ったことがあります」
「そんな」
先生は、じりっと後ずさる。
その様子を見ながら、僕は葵の言葉に続くように口を開けた。
「今のは魔法です。葵は、この世界の住人ではないんですよ」
「この世界……」
「この世界とは別に、魔法界というものが存在します。葵はそこに住んでいるんです」
「で、では日向さんは?」
僕の正体は、なんなのか。
この時代になって、初めて明かす秘密。
そんな秘密を、この二人になら言ってもいいのではないかと思ったのだ。
「僕は人間です。でも、少しだけ違います」
葵と僕は、手を重ねた。
お互いの〈力〉を確かめ合うように。
「話すのが難しいんですけど。……そうだ、お二人とも『双子座の神話』はご存じですか?」
僕の問いかけに、二人はただこくこくと頷くだけ。
湯のみとコーヒーカップは、なにも変わらず湯気を立たせ続けている。
「双子座の双子は、神と人間から生まれた子どもたちです。一心同体で、ずっと一緒の二人。僕たちは、それに似ています」
双子座。
僕たちの性質が『ジェミニ』と呼ばれるようになった所以の星座。
「母は、魔法界の女神。父は──」
葵の手をぎゅっと握りしめた。
「父は、この世界の神です」
*
「こ、この世界の神……?」
先生は、腰が抜けたようだった。
すとんとソファに座り込み、ただ僕たちを見上げてくる。
サキさんも、口元を手で覆いながら呆然としていた。
「人間って、困ったことがあると『神様!』と助けを請いますよね。実態がない神様なのに、絶大の信頼を置いている存在。誰の心にも住んでいる存在の『神』が、僕たちの父親です」
父さんは、神様だ。
この世界を、神社から見守っている神様。
神社の鳥居は、父さんの家の入口なのだ。
「そ、それが、どうして私と会ったことに繋がるのかしら……?」
震えた声を上げたのは、サキさんだ。
口元を押さえたまま、じっと僕たちを見つめている。
そんなサキさんに、葵が微笑んだ。
「死なないからです」
微笑みからとはかけ離れた、端的な言葉がその場を駆ける。
「わたしたちは死にません。永遠を生きています。この年齢で成長は止まったまま、何百、何千年も」
「永遠……」
「だから、会ったことがあるんですよ」
僕たちは、『不死』だ。
魔法界の女神と、人間界の神から生まれた存在だから。
僕は父さん。
葵は母さん。
お互いの血を濃く受け継いだ方の世界で、僕たちは生きている。
世界の均衡を守るために。
「じゃ、じゃあ、あの記憶は間違いない……?」
「えぇ。サキさんは昔、向日葵書店を訪れています。ここに越してくる前の地で」
前の地。
そこは、ここよりも田舎で自然が綺麗な場所だった。
その場所で、僕たちは幼き日のサキさんと出会った。
迷子だったサキさんと、ご両親のお迎えが来るまで寄り添ったのだ。
「だから、見覚えがあったのね」
サキさんは、そう言って微笑んだ。
僕たちが繋いだままだった手に、そっと自分の手を重ねてくる。
その手に、ぽたりと何かが落ちた。
見上げてきたサキさんの目、そこには涙が浮かんでいた。
「きっと、今まで辛い経験を何度もしてきたのよね」
「……っ」
その言葉が、僕の胸に突き刺さる。
人間の命は、魔法界の者と比べて短く儚い。
その人間と同じ血が流れているのに、僕だけ命が終わらない。
どれだけ仲良くなった友人でも、僕より先に逝ってしまう。
散っていく花の隣で、僕はいつまでも咲き続けている。
「魔法界だとか、女神だとか、信じられないものをたくさん知った。でもね、知っていたこともあったのよ」
サキさんは、ふふふと笑った。
「あなたたちが優しいこと。魔法を使える者だろうと、神の子だろうと、二人はとっても優しいわ。特別な存在だからじゃなくて、日向さんと葵さんが優しいのよ」
特別で、稀有な存在。
その肩書のようなものに縛られて、息が上手く吸えないような日もあった。
それを、サキさんは払拭してくれた。
僕たちは、『普通』の人であると。
悲しみも喜びも、皆が平等に持っている感情を僕たちも持っているということを。
「ありがとう、ございます」
言葉が上手く出てこなかった。
見れば、葵も涙ぐんでいる。
「お兄ちゃん」
葵が、涙をぐいっと拭って言った。
「記憶、消したくない。サキさんに、わたしたちのこと覚えていてもらいたい……」
それは、僕も同じ。
こんなにあたたかい感情をくれたサキさんの記憶を、消したくない。
でも、ルールがある。
僕たちのことは、人間界で知られる訳にはいかないから。
「消していいわ」
「消してくださって大丈夫ですよ」
サキさんと青木先生が、口を揃えて言った。
お互いに顔を見合わせて微笑んでから、まっすぐ僕たちを見る。
「日向さんと葵さんにとって、大切な秘密なんでしょう? それを私たちが知っていたら、『秘密』じゃなくなっちゃいます」
「二人と出会えて、二人を知ることができて、それだけで充分よ。ほら」
記憶を消すこと。
そんな風変わりなことにも、サキさんと先生は何も疑問を持たずに頷いた。
それはきっと、僕たちへの信頼の証。
僕たちを受け入れてくれた、彼女たちの結晶。
「……せめて、思い出だけは消さなくてもいいですか」
僕は、声を絞り出した。
「消すのは、僕たちの秘密だけ。サキさんの過去の思い出はそのままにさせてください」
「それでいいの?」
「はい」
思い出は、心から消えてしまったらもう戻らない。
人が儚い生の中で作った思い出は、きっとどんなものよりも価値がある。
そんな大切なものを、この手で壊すことはできなかった。
「葵」
「うん」
葵の手を握る。
僕の手も、葵によってそっと握られた。
「記憶を消すのは、両親から受け継がれた〈力〉です。何でも自由にできる神と同じ〈力〉。人は、〈神通力〉と呼びます」
ぶわり、と光と風が巻き起こる。
サキさんと青木先生を、ゆっくりと包み込んでいく。
「またね」
光に包まれる直前、サキさんはにっこりと笑った。
幼きサキさんが書店を去っていくときに見せた、元気で明るくて眩しい笑顔だった。




