記憶の欠片
「やっぱり、どこかでお会いしていませんか?」
先日、初来店してくださったお客様。
作家の青木先生と、おばあさまのサキさん。
その二人が、店のドアをくぐった。
「あら。そちらの方は?」
「僕の双子の妹です」
「初めまして、葵です」
サキさんが葵に微笑みかける。
葵は、自己紹介を完結に終わらせた。
二人のことを事前に話していたから、葵の警戒心は鋭く光っていた。けれど、その警戒心は見せず、ただ静かに微笑んでいるだけ。その姿が頼もしくて、心がほわりとあたたかくなる。
「それで、日向さん」
サキさんの車椅子を押していた先生が、口を開く。
ボブカットの黒髪を耳にかけながら、どこか険しい口調で。
「ここに来たあの日から、祖母がこう言って止まないんです。『やっぱり、昔会ったことがある』って。だから、」
きっと、なぜかを聞きたいのだ。
なぜ会ったことがあると言っているのか。それを、どうして言い張り続けているのか。
先生は、その真実を知りたいのだろう。
さて、どのように答えようか。
悩んでいると、先生がすっと僕に近づいてきた。
「会ったことある、って言って貰えますか?」
「え?」
思わぬ言葉に驚いた。
たったその一言でいいのか、と。
ただただびっくりして、先生を思わず見返す。
「おばあちゃん、明日から施設に入るんです」
「え……」
「足が悪くて、介護なしではもう無理で。最後にどうしても向日葵書店に来て、日向さんにお会いしたいんだって聞かなかったんです」
先生は、そっと目を伏せた。
葵は、サキさんに話しかけられていた。会話をしながら、こちらの様子をちらちらと伺っている。
そんなことに気付いていない先生は、僕に向かって言葉を続けた。
「だから、『会ったことある』って言って欲しいんです。そうすれば、安心して施設に入ることができます。きっと、ただの人違いです。こちらの事情に巻き込んでしまって申し訳ないんですけど、お願いします」
施設に入る前に、どうしても来たかった向日葵書店。
そこには、大切な記憶が落ちていたから。
勘違いだとしても、勘違いでなくても。
真実ではなく、虚構でも、サキさんが安心できるのなら。
先生は、サキさんを大切に想っているのだ。
「子どもの頃にね、迷子になったの。そうしたら、本屋さんが助けてくれたのよ。店内も店主さんも優しくて、ほわっとしていたわ。もう一度、最期に会いたい」
サキさんは、ふわふわと笑っている。
それなのに、目の奥は悲しげに瞬いている。
「サキさん……」
「葵さん、だっけね。あなたも見覚えがあるのよ。両親が迎えに来てくれるまで、ずっと手を握ってくれていた人にそっくり。あの人にも会いたいわ」
大切な大切な記憶。
セピア色で、あたたかな色味の思い出。
──それを壊すことなんて、できなかった。
「……ごめん、葵」
「いいよ。わたしも同じ」
一言謝ると、葵も同じ気持ちだったようだ。
カウンターから出て、サキさんの前に立つ。
不思議そうに僕を見上げるサキさんと、祈るように見つめる青木先生。
そして、隣に佇む葵。
「サキさん」
僕は、葵と同じようにしゃがみ込んだ。
サキさんの手をそっと取りながら。
「会ったこと、ありますよ。お久しぶりです」
「……あぁ、やっぱり」
沈黙の後、サキさんは口から言葉を零れさせた。
「やっぱりねぇ」
「ありがとうございます」
嬉しそうに微笑むサキさんの後ろで、先生が小さく礼を言った。
「わがままに付き合っていただいて」
「いえ」
僕は、すっと立ち上がる。
バックヤードの方を指さして、先生へ微笑んだ。
「昔話、していきませんか?」
*
閉店の看板を出してから、バックヤードへ行く。
そこでは既に、サキさんがほこほことした湯のみを持っていた。
「昔話って……?」
バックヤードのソファに座った先生は、僕がバックヤードに入った途端に話しかけてきた。
葵がコーヒーの入ったカップを、テーブルに並べていく。
僕は、先生の向かい側に腰を下ろす。
隣に葵が座ったところで、僕は口を開いた。
「昔、迷子になった子どもがいました。その子は、書店の中にいた僕を見つけて、駆け寄ってきたんです。『ここはどこ? ママに会いたい』って」
「それって、まさか」
「僕は、『お名前は?』と尋ねたんです。すると、その子は『サキ』と名乗りました」
瞬間、サキさんが「え?」と声を上げた。
「もしかして、私……?」
「な、なんで!?」
先生が、ガタンッと立ち上がった。
「なんで、おばあちゃんの名前を!?」
「……」
「ぐ、偶然よね? だって、人間は寿命があるもの。おばあちゃんが子どもの頃の話ってことは、その店主さんたちはもう大人だったんでしょ? 生きてるわけないじゃない!」
声が震えている。
先生は、信じられないと首を振っていた。
サキさんも、あんぐりと口を開けて僕たちを見ている。
「ご両親が来られるまで、一緒に待ちました。好きな本などを話しながら」
「本が好きな子でしたよ。わたしとも好きな本で意気投合しました」
「ま、まさか……」
サキさんが、目を大きく見開いた。
驚く口元を隠すように、両手を顔へ持っていく。
その動きによって、持っていた湯のみがサキさんの手から離れた。
「あ……っ」
先生が手を伸ばす。
しかし。
「この世界には、不思議なことがあるんですよ」
ふわり、と浮いた湯のみ。
葵が、指をサキさんの方へ向けて動かしていた。
「魔法って、信じます?」




