女神について
「め、女神の子……?」
アレク先生は、その場にぺたんと座り込んだ。
信じられないとでも言うように、わたしたちを見上げてくる。
「国民はそのことを知っているんですか?」
「えぇ。当たり前に知っています」
お兄ちゃんは淡く微笑んだ。
「この国の民は、物心ついた頃から自然と僕たちのことを知るようになります。そして、国外に口外しないように教えられるんです。女神の……いえ、母の優しさなのではないかと」
「この国は、母が愛している国です。だから、国民はわたしたちのことを守ってくれています。特別扱いをせず、ただの『国民』として接してくれるんですよ」
食堂のご夫婦も、大好きなワッフル屋台のご主人も。
みんな、わたしとお兄ちゃんの秘密を、〈力〉以外すべて知っている。
女神の子であること、お父さんのこと、そしてその特性まで。
知られているからこそ、わたしたち自身が秘密を守り通すということはしない。ただ、国民の暗黙の了解として、わたしたちの存在は隠されている。
それはきっと、お母さんの配慮なんだと思うんだ。
「シャルディア王国の民でなければ、このことは知りません。ですが、魔法界の者なら、誰でも知っていることがありますよね」
お兄ちゃんは、先生を見下ろした。
「『女神の子』がいるということだけは、知られていますから」
「……女神の子は、人間界の──」
「えぇ、そうです」
先生の言葉を、お兄ちゃんは遮った。
にっこりとした笑みを浮かべると、わたしから手を離した。
そして、カウンターの上に片手を乗せ、そこに一気に力を込める。
お兄ちゃんは、タンッと軽くカウンターを飛び越えた。
「この魔法界の者ならば、絶対に知っていることです。大昔、女神が世界を創るときに何を行ったのか」
「……それをあなた方に聞くことは、愚問という訳ですか」
「えぇ。既に知っていることをわざわざ聞き直すのは、時間の無駄ですから」
先生の目の前に、華麗に着地したお兄ちゃん。
お兄ちゃんは、先生へ手を伸ばした。
その手首には、お父さんがくれたブレスレットが光を放っている。
金色に、きらきらと。
「それが、あなた方の姿形が変わらない理由なんですね」
お兄ちゃんの手を借りて、ゆっくりと立ち上がった先生。
服に付いた埃をパンパンと払ってから、わたしたちのことを見た。
「あなた方を探るような真似をして、すみませんでした。記憶、消されますか?」
「え?」
記憶操作は、わたしたちと国王夫妻のみ知ること。
それを言われるなんて想像していなかった。
お兄ちゃんも同じらしく、ぽかんとして先生を見ている。
思わぬ形勢逆転に、先生はくすりと笑った。
「きっと、どの時代にも私のように、あなた方のことを深く知ろうとしてきた者がいたはずです。それなのに、他国には全く情報が漏れていない。となると、記憶を操作しているのではないかと思いましてね」
「さすが、正解ですね」
先生の仮説は正しい。
そこまで頭が切れるのだ、きっとわたしたちの〈力〉までも把握しているのだろう。
「どうする?」
お兄ちゃんが問いかけてきた。
お兄ちゃんもまた、困ったように笑っている。
記憶操作をしているという、ここまでバレたことは今までなかったからね。
「記憶を消すのは、たぶんできないと思う。記憶が奥深くまで根付いてるから、消しても戻って来ちゃう」
「なら、口外しないようにする?」
「いいね」
「そうするか」
「……何も知らない者が見たら、拷問にかけられている罪人みたいですね」
先生がくすくすと笑った。
確かに、内容だけ見ればなかなかえげつない。
なんだかおかしくなってきて、わたしも一緒に笑ってしまった。
「では、先生。失礼しますね」
お兄ちゃんが、先生の手を取った。
さっそく始めようとするのを、わたしは慌てて止めた。
「ちょっと待ってよ。わたしがいなきゃ無理でしょ」
急いでカウンターから出て、お兄ちゃんの手に触れる。
お兄ちゃんの中にある〈力〉を、わたしの魔力でコントロールしていく。
「ヒナタさんだけでは、できないことなんですか?」
「僕には、魔力がないので」
「魔力で〈力〉をコントロールするので、わたしが補助するんです」
先生の記憶。
昔、先生がここを訪れたこと。
今日、わたしたちについて知ったこと。
わたしたちに関する事柄全て、口外しないように。
ゆっくりと記憶の糸を辿って、封じ込めていく。
「これで、終わりです」
お兄ちゃんが、先生の手を離した。
かなり昔の記憶と、根付きすぎた記憶を封じたおかげで、お兄ちゃんの〈力〉の動きが激しい。
倒れそうになるお兄ちゃんからまだ手は離さず、その〈力〉を魔力で静めていく。
「……大丈夫、ありがとう」
お兄ちゃんの額から、汗が一粒落ちる。
息が上がっているけど、もう大丈夫だ。
心配だから、手は離さないつもりだけど。
「……あなた方の運命は、きっと過酷なものなんでしょう」
カウンターの隅からスツールを持ってきてくれた先生。
お兄ちゃんに座るよう促しながら、そっと目を伏せた。
「私は、ただの魔法使いです。あなた方の苦悩を、味わうことはありません。でも、どうしてもあなた方の力になりたい」
スツールに座ったお兄ちゃん。
その隣に立ったわたし。
先生は、わたしたちをじっと見つめた。
「ここで聞いたことは、口には出せません。ですが、祈ることはできますよね」
そう言って、先生は微笑んだ。
「祈らせてください。女神の子の幸せを、私の国で」
女神が創り、女神が愛した国・シャルディア王国。
この国では、わたしたちという存在もいるからこそ、女神を崇拝している。
他国の信仰は知らない。
その国ごと、崇める対象は違うから。
クラル王国は、その対象がない。
あったとしても、シャルディア王国と同じ女神信仰だ。
「大いなる幸福をもたらしますように」
何十年も先。
クラル王国は、『女神の子』を崇拝する国へとなる。
その信仰を確立するのは、アレク先生だったとされている。




