執筆旅行『後編』
神社の鳥居の向こうは、神の聖地。
そこは、人間界から切り離された別世界でもある。
ただ、普通ならばそこに違和感を持つことはない。
鳥居をくぐっても、そこが別世界だと物理的に感じることは、ほぼない。
わたしたちは違う。
鳥居の先は、特別な別世界。
「お兄ちゃん、ゆっくり息して」
鳥居をくぐった途端、崩れ落ちたお兄ちゃん。
さっと手を伸ばして、その細い体を抱き留めた。
石畳に膝をつき、お兄ちゃんを支える。
「もう大丈夫だから」
きっと、何かあったのだろう。
お兄ちゃんの〈力〉を引き出してくるような、何かが。
でも、もう大丈夫。
わたしたちの『世界』には、わたしたちを壊すような存在はいないから。
お父さんが関わってくれているから。
「っけほ、はぁ」
お兄ちゃんの発作は、治まりつつあった。
そっと引き寄せながら、目の前にある神殿を見上げた。
夕陽に照らされて、あたたかく輝く建物。
まるで、この世のものではないような存在感があった。
「あ、葵……」
「お兄ちゃん!」
荒かった息遣いも、高かった体温も、もとに戻ったお兄ちゃん。
起き上がろうとするのを、そっと手助けした。
「大丈夫? 何があったの?」
「鳥居を見たら、あぁ父さんだってなって……。そしたら、こうなってた」
ごめん、と呟くお兄ちゃん。
その目は、前髪に隠れて見えない。
涙で潤んでいるのかも分からない。
それでも、お兄ちゃんの感情が一気にわたしに流れ込んでくるような感覚があった。
──わたしたちは、繋がっているから。
怪我をしても、悲しいことがあっても。
それらは全て、片割れの方に流れ込むのだ。
「寂しいんだね」
わたしは、『魔法界の血』を受け継いだ者。
人知を超えた魔力は、魔法界で生き抜くためのものだ。
それは、自分次第でどんなことも可能になる。
だから、お母さんともお父さんとも連絡を取ることができた。
しかし、お兄ちゃんは?
お兄ちゃんは、『人間界の血』を受け継いだ者。
人間界で生きていくためには、魔力を持っていたらいけない。
魔力があると、厄介なことになってしまう。
だから、両親とは会うことも連絡を取ることもできない。
お父さんとお母さんからの接触でしか、方法はないのだ。
「っ、ごめん……」
「いいの、謝らないで。そのためにわたしがいるんだから」
きっと、お父さんにゆかりのある鳥居を見て、『寂しい』という感情が爆発してしまったのだろう。
人間は、短命だからこそ儚くて美しい。
その艶やかな美しさを持ったお兄ちゃんは、この長い運命に耐えられなくなるときがある。
わたしたち魔法界の者は、人間よりもはるか長く生きるから、その苦しみは分からないのだ。
〈力〉は、わたしたちが望むことに必ず応える。
魔法とは違う、別の力。
お兄ちゃんが心のどこかにあった『会いたい』という想いを、引き出してしまう力。
記憶操作も、わたしたちが望んだから〈力〉が応えた。
あのとき唱えた呪文は、ほとんど意味を為してない。
王様も王妃様もいる前で、しかも何も見えない状態だったから、〈力〉を使っていることを見せる必要があっただけだ。
「〈力〉の制御は難しいよ。だから、いつでも頼って」
「ありがとう」
落ち着いたのか、お兄ちゃんは淡く微笑んだ。
いつか、泡のように消えてしまうんじゃないかと思うような笑み。
泡沫のような。
「……お父さんに言っとくね」
お兄ちゃんをこんな思い悩ませているのは、お父さんのせいだ。
そんなの、許さない。
「お兄ちゃんに何か貢ぎ物をしろって!」
「いやいや、それは言いすぎ」
お兄ちゃんは、ようやく笑ってくれた。
*
そのあとは、お嬢様たちの自由行動だった。
わたしたちが大丈夫だと告げると、胸をなで下ろして三人組は神社を散策しまくっていた。
ここにあやかしがいるかも、この空気感はあやかし世界への入り口かも。
そんなこんな言いながら、じっくりと見て回っていた。
「もう大丈夫なのかしら?」
アイリスが話しかけてきたのは、帰りのタクシーだった。
一番後ろの席では、レイチェルとサラさんが肩を寄せ合って寝ている。
助手席にはお兄ちゃんが座っていて、お兄ちゃんもまた眠っていた。
「たぶん、大丈夫。お兄ちゃんの想いが鳥居で増幅されて、それに〈力〉が反応したみたい」
「〈力〉のこと、誰にも言わないの?」
わたしたちの生まれのことは、国民全員が知っている。
生まれてくるための条件のような、そんな感じで。
でも、〈力〉のことを知るのはごく一部だ。
王家の者、リーン先生、そしてアイリス。
アイリスは、わたしたちの一番の友人だ。だから、わたしたちのことを知っている。
「言わないかも。神様ってさ、いると言われてるけど実際にいるかどうかは分からないじゃん? きっとそれと一緒。存在が明らかになったら、皆が驚いちゃうから」
この〈力〉は、誰も知らない方がいい。
記憶操作みたいに、いつ自分に関わってくるか分からないから。
分かってしまえば、きっと絶望してしまう。
全てが可能になるのは、ありえないことだから。
「とりあえず、無事ならそれでいいわ」
アイリスは微笑んだ。
「まさか、こんなことになるとは思わなかったから。少し罪悪感があったのよね」
「……今までわたしを散々振り回したことに、罪悪感はないの?」
「ないわね」
「なんでよ!?」
後日。
「お兄ちゃん。これ、お父さんから」
お父さんから届いたもの。
それは、ヒマワリの花を模したブレスレットだった。
黄色に輝く、魔法石のブレスレット。
お兄ちゃんのために、お父さんから送られてきたものだった。
「お父さんの身代わりとして守ってくれるって。だから、いつでも付けてて」
お兄ちゃんの手首に、そっとそれを通す。
陽の光で輝くブレスレットは、お兄ちゃんの笑顔を引き出した。
「ありがとう」
その瞳にうっすらと光の膜が張っていたことを、わたしは見逃さなかった。




