青い春【ソレイユ書房】
わたしたちが、『転生物語』についての記憶を操作してから数日。
寝込んでいたお兄ちゃんが心配だったため、今は強制的に書房にいるようにさせていた。
「調子はどう?」
「心配しすぎ。大丈夫だよ」
そう言って笑うお兄ちゃん。
だけど食欲はないし、なんだかふらふらとしている。
「でも、今日は少し調子悪いかも」
これでも、素直に体調を言ってくれるようにはなった。
昔はお母さんにすら体調不良を隠していて、よく倒れていたっけ。
お兄ちゃんは、普通の人より少し体が弱い。
子どもの頃はあまり外で遊べなかったことがきっかけで、本が大好きな青年になった。
そんなお兄ちゃんから離れたくないわたしも、同じように本好きになったのだ。
「ゆっくり休んでよね」
そう言って、蜂蜜入りの生姜湯を渡す。
お兄ちゃんは、嬉しそうに微笑んでそれを受け取ってくれた。
魔力とはまた違ったこの〈力〉を使うと、お兄ちゃんは余計に細くなる。
疲労と体力が限界に達して、何も食べられなくなるのだ。
それだけ、あの〈力〉は強大なもの。
あまり使いたくないけれど、これがわたしたちに課された運命なのだから仕方ない。
お兄ちゃんが倒れたら、その分だけわたしが傍にいればいいだけのこと。
「力、入んない」
生姜湯を飲んでいたお兄ちゃん。
そんなお兄ちゃんが、ふとそんなことを言った。
見れば、生姜湯を淹れていたカップを置いて、お兄ちゃんは自分の手を見つめている。
それはかたかたと震えていて、触れてみると酷く冷たかった。
「ちょっと、まずいよそれ」
〈力〉を使った後は、何が起きるか分からない。
だから、何も対策しようがないのだ。
手だけ、力が入っていなかったお兄ちゃん。
そのときだった。
がくん、と体全てから力が抜けたのは。
「お兄ちゃん!?」
慌てて、お兄ちゃんを支える。
座っていた椅子から落ちそうになったところを、なんとか受け止めた。
「大丈夫!?」
「……なぁ、葵」
お兄ちゃんは、わたしの腕の中で呟いた。
小さな小さな、かすれた声で。
「余命何年とかの青春物語の主人公って、こんな感じなのかな」
「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないよ! リーン先生呼ぶからね!」
冗談を言ってられるのなら、まだ大丈夫かもしれない。
わたしは、伝書鳥の魔法を発動させた。
「リーン先生に、今すぐ来て欲しいって伝えて」
青い鳥が、空に向かって羽ばたいていく。
王都1番の魔法科医が来るまで、お兄ちゃんをなんとかしないと。
魔法でお兄ちゃんの体を少し浮かす。
細い体を支えながら、寝室へ向かうことにした。
「青春って、知らない間に来てるらしいよ」
「今は関係ない!」
*
「あっはっは、呑気なもんだねぇ!」
ソレイユ書房の2階、わたしの家。
そのお兄ちゃん用寝室で、愉快な笑い声が響いた。
「ほんと、困らせる天才だと思うんですよね」
リーン先生は、わたしたちが何回もお世話になっている魔法科医の先生。
彼女の手にかかれば、治らない病気はないと言われるほど。
それくらい腕がいいお医者さんだ。
「とりあえず、症状の進行を抑える魔法をかけとくよ。まぁ、後はゆっくり休むことが大事だね。きっと〈力〉の代償だと思うから、ヒナタ次第だけど」
リーン先生は、お兄ちゃんの額に手を当てて治癒魔法をかける。
白い光が目を閉じているお兄ちゃんを包み込み、すぅっと体へ浸透していく。
それが終わるや否や、ベッドに横たわっていたお兄ちゃんの体はくたりと力が抜ける。
お兄ちゃんの頭は、枕の上でかくんと横に垂れる。まるで、花がぽきりと折り取られたように。
「青春物語かぁ。最近は読まなくなったかも」
ぐったりと眠ったお兄ちゃんに、肩までしっかりと布団をかけた。
リーン先生は、カルテを書きながらそう呟く。
「昔は好きだったよ。ありきたりな展開だけど、それを期待してる自分がいてね」
「その『あるある』を待つのが楽しいんですよね」
青春物語は、魔法界でも人気の本だ。
恋をしたり、友情を育んだり。そのありきたりな展開は、つまらないものではなくて何故だかとても楽しい。
そこがおもしろいのだ。
「言っちゃえば、これも青春物語だよね。倒れた想い人を見舞いにきて、そこで新事実が明かされるの。でもその時点で実は手遅れで、言わなかったのは想い人を悲しませないためとか、言い出せないほど幸せな日々だったとか」
「確かに、けっこうありますよね」
でも、実際の当人たちはそれを『青春』だと思わないだろう。
大切な人がいなくなるのは、自分の体が引き裂かれるくらい辛いことだから。
それを青春だと語ることができるのは、読み手であるわたしたちだけなのだ。
「わたしは、廊下でぶつかって恋が始まるっていう物語が好きでした」
「あれいいよねぇ! でも実際は、知らない人とぶつかるんだから恐怖しか感じないらしいよ」
「その違いがおもしろいです」
だから、『青春物語』はおもしろい。
実際に起きてみるとキュンとしなかったりすることだって、しばしば。
そこに生まれる相違が、きっと読者を惹きつけるのだろう。
「ま、とにかく休ませなね」
カルテを書き終わったリーン先生は、改めてお兄ちゃんを見た。
眠り続けるお兄ちゃん。
顔は白くて、手は冷たい。
「ヒナタは体が弱いんだから。それに、魔力がないから回復は遅いだろうしね。あと1週間くらいは動かしちゃだめだよ」
「分かりました。ベッドに縛り付けておきます」
「ははは、仲良し双子でけっこう!」
リーン先生は大声で笑うと、座っていた椅子から立ち上がった。
「また何かあったら呼んで。いつでも駆け付ける」
「ありがとうございます」
リーン先生は、わたしたちの秘密を細部まで知る希少な者。
お母さんが信頼している一族の家系だから、こうやって秘密を知りながらも守ってくれる。
だから、すごく信頼できるのだ。
「ベッドから離れないように、大量の青春物語渡しときな。きっと喜んで読むから」
「そうですね。1週間では読み切れないくらい渡します」
「そうするといい」
愉快に笑った先生は、手を振りながら去っていった。
「葵、おかわり」
それからお兄ちゃんは、ゆっくりと回復していった。
食べられる物も増えたし、力もちゃんと入るようになった。
しかし。
「えぇ、もう読んじゃったの?」
大量に渡した、青春物語の本。
それを、1日5冊のペースで読破していっていた。
おかげで、わたしの方がうんざりするほど。
「やっぱ余命もので青春物語はいいな。儚い命を全うするのが本当に綺麗だ」
「お願いだから、その子たちみたいに自分の体を分かってあげてよね」
すぐ無理するんだから。
そう言って頬を膨らませると、お兄ちゃんはわたしの頭に手を置いた。
「うん、約束する。葵を悲しませたくないしね」
「それならいいけど」
「ところで、まだ本ないの?」
「ない」
まだ読むの!?
もうそろそろ、ソレイユ書房にある青春物語が底を尽きるよ?
「大丈夫、向日葵書店にはまだある」
「取りになんて行かないからね!」
大好きなお兄ちゃんの頼みでも行かないんだから!




