秘密の危機
今日もまた、穏やかな時間が過ぎていく。
あたたかな陽が、透明な自動ドアから差し込み始めた。本がちらちらと輝き、誰かに買われるのを待っている。
そんなゆったりとした時間の中、ウィンと自動ドアが開いた。僕は、書いていたポップから顔を上げる。
「いらっしゃいませ」
来店されたお客様は、美容師さんだった。
おしゃれな髪型に、シャンプーのような爽やかな香りを漂わせている男性。黒い上下の洋服を爽やかに着こなしている。
彼は、来店するなり一直線にカウンターにやってきた。
「こんにちは。この度、すぐそこで美容室『シャロン』を始めました、大塚と申します。今日はご挨拶にうかがいました」
そう言えば、最近この近所に新しい美容室ができたっけ。
大塚さん。身長はあまり高くない方かもしれないけど、すらっとしたスタイルの良い人。優し気な表情から、その性格が見て取れた。
「それはご親切に。僕は向日葵書店の日向と申します。よろしくお願いいたします」
「日向さん、これからどうぞよろしくお願いいたします。これ、つまらないものですが良ければ」
大塚さんが差し出してくれたのは、駅の近くにあるケーキ屋さんの箱だった。
ここのケーキ、葵が好きなんだよね。
嬉しかったから、ありがとうございますと有難く受け取る。
「出会ってすぐにおこがましいのですが、実はお願いがありまして」
ケーキをいただいて満足している僕に、大塚さんがそろりと話しかけてきた。
きっと、仕事のことだろう。口調がそう言っている。
僕は、上がっていた口角を元に戻して大塚さんを見た。
「なんでしょう」
「美容室に来られるお客様のために、雑誌をいくつか頼みたいんです。できれば、雑誌が発売される度に入れてもらえるようにしていただきたくて」
なるほど、定期購読の依頼か。
この店でも、定期購読は行っている。
発売時に必ず手に入れたいお客様のために、新しい雑誌が入ってきたら取り置きしておくシステムだ。これは、もちろん魔法書たちはできない。
「大丈夫ですよ。お受けいたします。どの雑誌ですか?」
「ありがとうございます! えっと、この雑誌たちです」
ぱっと顔を輝かせた大塚さんは、雑誌名が書かれた紙を差し出した。
有名なファッション誌が複数冊と、音楽雑誌や男性雑誌がいくつか。
美容室ではお馴染みの雑誌たちだ。
僕は、笑顔を浮かべて紙を受け取る。
「承りました。手続きをしますので、店内でお待ちいただけますか?」
「ありがとうございます。数が多くてすみません」
「いえいえ。妹が好きなケーキをいただいて、僕の方こそ感謝ですよ」
「妹さんがいらっしゃるんですね」
「はい。双子なんです」
「へぇ!」
真面目そうな大塚さんだけど、話してみると案外フレンドリーだ。
手続きが終わったら好きな本を聞いてみようと、僕はパソコンに向かいながら意気込んだ。
それから、数分。
雑誌の数の分だけ、定期購読のカードを作っていく。
少し時間がかかってしまっているが、仕方ない。
ちらりと大塚さんを見ると、コミックの棚で何やら吟味していた。
美容室に置くのかな。
そんなことを考えながら作業を続けていると。
「日向くん、こんにちは」
自動ドアが開いて、常連の光本さんが来店された。
僕は、パソコンの前から「いらっしゃいませ、光本さん」と出迎える。
その後ろには、偶然一緒に入ってきたらしい片野さんもいた。
「あ、片野さんも。いらっしゃいませ」
「やっほー!」
片野さんは軽く手を振ると、ライトノベルの棚に消えた。
素早い行動に思わず笑うと、光本さんがそっと近づいてきた。
「ファンタジオロジーの本が見たいのだけど、今大丈夫かしら?」
ささやき声で、僕に聞いてきた。
店内では、コミック棚に大塚さん、ライトノベル棚に片野さん。
ファンタジオロジーの本──つまり魔導書・魔法書──の棚は、念のために本棚たちの影に隠れた死角の場所に位置している。
コミック棚とライトノベル棚は、ファンタジオロジー棚の対角線となるところにある。
これなら、大丈夫だろう。
僕は、こそっと頷いた。
「いつもみたいにお願いします。お会計は、お二人が帰られた後に」
「分かったわ。ありがとう」
光本さんは、長年この店を愛用してくださっているから信頼できる。
きっと、魔法石に触って魔法を発動させるのもこっそりとできるはず。
お会計が後になってしまうことだけ気がかりになりながら、光本さんに会釈した。
*
「大塚さん。終わりました」
作業が終わったため、大塚さんに声をかける。
大塚さんは、コミックを1冊片手に、カウンターまで小走りでやってきた。
「こちら、計5冊を定期購読として登録させていただきました。ご確認をお願いいたします」
「……はい、大丈夫です。ありがとうございます」
定期購読カードに書かれた雑誌のタイトルをきちんと確認して、大塚さんは頷いた。
僕は、若草色のエプロンの胸ポケットからボールペンを取り出す。
そしてそれを、大塚さんに差し出した。
「おひとつで大丈夫です。こちらの欄にお名前とお電話番号をお願いいたします」
連絡先を書いてもらい、そこでお受け完了。
間違いがないかきちんと確認してから、「では、この5冊を入れさせていただきますね」と大塚さんに笑みを向けた。
すると、大塚さんはほっとしたように頷いた。
「よろしくお願いします」
「はい。あ、それは買われますか?」
手続きが終わって、カードを回収してから大塚さんに問いかける。
大塚さんは、持っていたコミックをカウンターに置いた。
「『悪役令嬢フェア』なんてやっているんですね。実は僕も悪役令嬢が好きでして。読んでみたかったコミックがあったので買おうかと」
「それはありがとうございます。あ、これおもしろいですよ」
「本当ですか! 楽しみです!」
どうやら、僕と同じ悪役令嬢好きらしい。
少し話し込んでしまって、大塚さんは時計を見て慌てた。
また来てくださいという僕の言葉に頷いて、大塚さんは去っていった。
また、ゆっくりと時間が過ぎる。
片野さんがライトノベルを1冊購入して帰られたあと、光本さんがカウンターにやってきた。
「これ、お願いね」
「ありがとうございます。さっきはすみませんでした」
「いいのよ。新しい美容室なんだってね。美容師のお兄さんがイケメンって、もう噂なのよ」
確かに、大塚さんの顔は整っていたな。
光本さんの魔導書の会計をしながら、大塚さんの顔を思い浮かべる。
すると、光本さんがくすくすと笑った。
「日向くんもイケメンよ」
「え、そうですか?」
「当たり前じゃない。意外とファンがいるんだから、もっと自覚しなさいね」
光本さんに肩をとんっと叩かれた。
なるほど、イケメンは魔法界の人も魅了するのかぁ。
僕がイケメンかなんて知らないけど。
またもや光の速さで帰っていった光本さん。
でも今日は、裏路地に入るまで歩いて行った。
いつもは、自動ドアの前でもう魔法陣を光らせるのに。
その答えは、そのあとすぐに分かった。
「ねぇ、日向さん」
書店の影から、片野さんが顔を覗かせたのだ。
いつもとは違う、少し硬い表情で。
帰ったとばかり思っていたから、僕は驚いてその場で飛び上がる。
「か、片野さん!?」
そんな、おばけみたいに登場しないでよ。
ふざけた口調で言ったけど、片野さんの表情は変わらなかった。
じっと僕を見上げてくるから、何かあったのかと首を傾げる。
「どうしたの?」
沈黙。
もしかして、僕が知らない間になにか失礼なことでもやってしまったのか。
慌てる僕を見つめていた片野さんは、ついに口を開いた。
「日向さん」
「うん?」
「ファンタジオロジーって、なに?」




