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国境界紀行  作者: 桜色々
6/6

6話 夜更け

「ここ、が。今日泊まる部屋っぽい、ですよね。他のところは窓ガラスとか割れてますし……」


 自動開閉の扉から出て回れ右。並んでるアパートの扉達の前に立った。

 カードキーに記されていた103号室。そこだけカードリーダーのランプが点いており、廃墟に見えるアパートながら今も稼働中なのが見て取れた。


「この際だ。泊まる場所に関しては私も文句はない。輸送車の方に戻るのも手間だ。しかし、本当に人が来ないんだろうな、あそこは」


 周囲にクアンタムの気配がないからレイチェルも漸く素の調子に戻ってくれている。

 さっきまでの本気奴隷モードと比べて一段と親しみ易い。あくまでマシって意味だが。


 早速中に入ろうとカードを通してみるが、稼働はしてても古さは見たまんまらしい。接触不良と出てランプが赤くなってしまった。


「安心してくださいよ。街から数百メートル離れた、ぎぃぎぃ煩せぇ風力発電地帯に好き好んで近づく輩は居ませんから。そもそも、大概の野郎は輸送車を見て盗むって発想はしないっつーか」


「……ツッコミ待ちか?」


「へいへい!悪うござんした三人肩を組んで輸送車を襲って!」


 三回も通し直してやっとカードに反応し、鍵が解除される。ランプも緑色。

 首輪を嵌められた、物理的にも道理的にも反逆できない犬として、執事みたいに扉を開けて待機する。

 

 一緒に夜を明かすことに緊張したのが馬鹿みたいだ。どうせレイチェルがベッドで、自分を床に眠らせるに決まってる。

 もしくは『ケダモノは外で寝ていろ』だとか。こちらを監視するという意思はあるだろうけど、似たようなことを言われるのは覚悟しといた方がいいかもしれない。


「ほら、お嬢様どうぞお先に」


「なんでお前は執事みたく振る舞ってるんだ」


 背中の痛みを想像して肩を落とすツクエに対し、レイチェルは“どうしたんだこいつは”と言わんばかりに怪訝そうな顔をするものの。


「……お前の、強盗をする性根に関しては軽蔑をしているが」


「ウッ」


「お前がいなければ私は自由になれなかった。輸送車に揺られ、新しい主人のところまで……運ばれるところだった。――それは感謝している」


 そんな一言を掛けて、レイチェルは中に入って行くのだった。

 冷たい顔のままだったけれど、確かな感情が籠った一言。

 

 ポカンと呆気に取られ玄関先で立ち尽くす。

 恨み言や、彼の言う通り軽蔑されることは覚悟していたが。まさか感謝されるとは思ってもみなかった。

 彼という人間がますます分からなくなって、なんだか感情がおかしくなる。


「感謝なんてされたのいつぶりだ……?」


 本当に予想外だった。だって、俺らがやっていたのは犯罪行為で、リーダーは銃口さえ向けていたのだから。

 ぽつりと出た一言は、そのままスラムに吹く寒い夜風に攫われて消えて行く。

 寒風が毛皮を撫でてやっと、アパートの一室へと足を進めた。


「それで。中は外の通り廃墟同然っと」


 アパートの中は外観に違わない質素な物だった。ベッドが置かれた寝室と、あとはシャワーとトイレだけのバスルーム。言っていた通り寝具はダブルのが一つしかない。

 壁紙は剥がれ、瓦礫らしいゴミが床に散らばっているし。なんだか変な臭いもする。誰かが掃除したのは遠い過去のことらしい。床で寝たら背中が死ぬだろう。

 宿泊場所としては最低クラス。スラムとしては雨風凌げて水も浴びれて上等といったところ。


「……ふむ」


 輸送車といえどあんな白く綺麗な部屋で過ごしていたレイチェルにはよっぽどショックだったのだろうか。

 ツクエが粗方部屋を見て回っている間、何やら立ち尽くしているようで。


「まー、あの。レイチェルさん。ここ、スラムですし。ベッドもあるらしいっすから。そう気を落とさず……」


「――ツクエ。念のため声を落とせ」


 やっぱどこか良いところの奴隷だったのかな、だなんて思いながら慰めようとしたところ。

 彼は唐突にツクエの襟首を引っ張って、顔を近づけ合いさせてきた。


 赤い唇がツクエの耳元で囁いて、なんだかゾワゾワとした感覚を伝えてくる。レイチェルの透き通る声が狼耳に届いてむず痒い。


「え、えっ。な、なんすか……」


 何かあったのか。そうこちらも合わせてヒソヒソ声で対応してみるが。


「お前は、ベッドで待っていろ」


「――ベッッ!? ああ、アンタ!?なになになにをっ」


 またもや思いもよらない言葉に素っ頓狂な声が出てしまう。

 

 ベッドで、待っていろ。『ベッドで待っていろ』!?

 どんな意味だ。そういう意味か。そういう意味ってなんだ。あっちってどっちだ。言うとしたら(多分)年上で男な俺の方じゃないのか。そもそもレイチェルの性別ってどっちで。いや俺はクアンタムだけど人間的にオーケーなのか。というか何考えてんだ俺。


 ジャンク屋と交渉した時より数段早く脳内が思考している気がする。彼の言葉の真意を探らなくてはと、脳内CPUが人生一番の熱を放っていた。

 

「声を落とせと言ったろう馬鹿。静かに待てないのか。……バスルームへ行くだけだ」


「バスルー……その。な、なんの為にですか……?」


 寝る前に部屋の掃除をする、などの路線が静かに無くなり脳の負荷が高まった。そろそろ悲鳴をあげそうだ。

 震える喉で唾を飲みながら、尋ねてみるが。


「まぁ、神経質だと思うが、念のため細かいところを見ておこうと思ってな。お互い、気持ちよく眠りにつきたいだろう?」


「……マジ、か? ええ、え。俺と一緒に寝る気っすか?」


「私としては別に抵抗はない。分かったなら、お前はベッドでも確かめておけ。いいな?」


 そう、淡々と事を進めてバスルームの方に入って行ってしまうのだった。

 ぽつんと残されたツクエは数秒固まった後、油の挿されていないブリキ人形みたいな動きでゆっくりベッドに座る。

 スプリングが死んでいるのか、特に柔らかさは感じられない。


「えっ。人間ってそうなのか……!?こんな軽い感じ!?」


 座りながらガバッと頭を抱える。今日、昼に輸送車を襲ってから一日怒涛の展開ではあった。

 レイチェルと出会い、脅され、オキシドまで連行されて。地形データを買う為にジャンク屋から頼み事を貰った。


 確かに、なんだかんだでしっかり協力しているけれど。あくまで彼とはビジネスライク的な関係で協力しあっていると、そう思っていた。

 だがこの状況は一体どうしたことか。


「気持ちよく眠、る!? ベッド一つ、お互い一緒に寝て!? 寝るってどっちの意味だ……!?」


 狼の耳にはバスルームで彼が何をしているのかよく聞き取れない。あの先ではもしかして、身を清めているのか。

 というかこの際、彼って呼び方が合っているのかすら分からなくなってきた。


 一つ屋根の下、一緒に過ごすとなって。どうしてレイチェルはこんなことをしたんだ。意図が分からない。

 自分の中にある考えがぐちゃぐちゃで、氾濫していて。そのまま知恵熱で倒れてしまいそうになる、その時。

 

「――奴隷だけど、見た目を綺麗にされてた。クアンタムと寝るのに抵抗がない」


 要素を並べ立てた脳内、一つの答えに辿り着く。

 端正な顔立ちは生来のものとして、奴隷となったレイチェルがどうして髪までもようく手入れされていたのか。

 ジャンク屋がレイチェルの出自を怪しむキッカケとなって、思い至る。


 別種族であるツクエに、どうして躊躇いなく寝床を共にしようとするのか。身を清められるのか。

 レイチェルが奴隷として働く上で、そうする必要があったからではないか。主人と、寝床を共にする仕事していた。

 だとすれば奴隷なのに小綺麗な服に身を包んでいたことも、髪を伸ばし手入れされていることにも説明がつく。


「……マジかぁ」


 本日二度目のマジか。手で顔を押さえ、辿り着いてしまった答えの重さに呻く。

 彼の振る舞いがあまりにも奴隷らしくないと考えていたが、ここでその色を感じてしまうとは。

 奴隷の仕事としてはポピュラーかもしれないけれど、人間の、しかも子供相手なことを加味すれば、レイチェルの主人はかなりの変態趣味と言える。


「待たせたな」


 いつの間にか、バスルームの扉が開かれレイチェルが姿を現していた。思っていたより早いお帰り。

 なんだか身を清めていた割にはどこも濡れていないように見えるものの、薄着。髪を下ろした、半袖の白シャツ姿だった。

 煩雑めいた思考は、その姿を見た時に真っ白となって。ぼうっと見てしまう。

 

 しなやかな四肢を、クアンタムと違う素肌を晒し。腕には脱いだコートを抱えていて。レイチェルは壁際の照明のスイッチを押し、部屋を暗くした。


 その状態でずんずんとベッドへ。ツクエが座っている方へ臆せず近付いて来るものだから、先ほど辿り着いた答えがツクエの背筋を真っ直ぐ立たせる。


「お前から見て、どうだ?」

 

「どう、って」


 コートを畳んで、ベッド脇に置くレイチェルの横。緊張で固まっているツクエに、レイチェルは髪を耳に掛けながら話し掛けてくる。

 その仕草だけで、思わず心臓が跳ねて。


 主語のない問い掛けになんと答えたらいいか、じっと彼の顔を見てしまうが。

 

「お前から見て、気になるところはなかったか?」


 肩に掛かる長髪はレイチェルが首を傾げることで、首元が。鼠がくれた服は、細身のレイチェルには僅かに大きいらしく、首元がたわんで開き鎖骨まで露わに。

 

 ツクエの胸辺りまでしか身長のないレイチェル。彼を見下ろして、窓から差し込む月光が互いの顔を照らすと。二人は真っ向から見つめ合う。

 

「別になんも。――き、綺麗だと思うけど」


 すると、そんな言葉が自然にツクエの口から出た。

 お世辞ではない。輸送車で初めてレイチェルを見た時から、そう感じていたこと。

 狼のクアンタムからしても端正な顔立ちをしていて、性別に依らない美しさを持っている。ジャンク屋の反応からしても、きっとそう。

 

「綺麗? ……本当か?」


 だのに、レイチェルはそんなことを初めて言われたかのように目を見開いた。

 キョロキョロと辺りを見渡して、またツクエの方をじっと見てくる。若干、困惑もしているようで。

 

「そりゃ、人間とクアンタムじゃ感覚は違うかもしれねーけど。お、俺は綺麗だと……思う……」


「ふぅむ。私にはよく分からないが。まぁ、お前にとって綺麗なら、良かったな……?」


「お、おう。……いや、そう言う事が言いたいんじゃなくて!」


 なんで会ったばっかりの人間にこんなことを言っているのだろうと、ふと正気に帰る。これじゃ口説いてるみたいじゃないか。

 薄着のレイチェルに見惚れてる場合じゃない。

 

 こうして、薄暗い部屋で二人きり。こっちは緊張しっぱなしなのに、レイチェルはさっぱりとした態度で慣れているようだった。

 ベッド上で寝やすい環境を整えているようで、今も座ったまま動けないツクエとは大違い。このままうかうかしていたら、何が起きてしまうか。

 

「あの。――レイチェル!」


「な、なんだいきなり。静かに話す必要が無くなったからって喧しい」


 珍しく勇気を出し、彼へ呼び掛ける。

 隣でシーツを直そうとしていたレイチェルがツクエの大声に肩を跳ね、じとっと不服そうな目を返してきた。


 明日、地形データを手に入れたら別れる関係だとしても、ここはキッパリと諭した方がいい。

 一応、奴隷という身分から解放した立役者として、そんなことしなくていいんだぞって伝えなければ。


「お、お前が奴隷としてどんな扱いを受けてきたかは知らないが。俺にまでそうしなくて良いから! というか俺、無理矢理とかは……あんまり……」


「……なんの話だ?」


「いやっ、人間が嫌いだとかじゃねーんだけど。そういうのは段階を踏みたいタイプだから……先ずはお友達からで……」


「本当になんの話だ」


 なるだけレイチェルを傷つけない断り方を考えてみるものの、思考は右往左往として煮え切らない態度しかできない。

 日々の食う寝るに困っていた狼がまさか相手の誘いを断る日が来るなどと夢にも思わず。

 案外レイチェルの察しも悪くて口吻がまごつく。

 

 耳を熱くしながらもじもじと指を交差させているところ。

 いつまで経ってもダブルベッドに上がらないツクエの背中が、パチっと叩かれた。

 

「ともかく、お前から見てもベッドに盗聴器はなかったんだな? 私の方でも確認してみたが特に不審なところはなかった。二人で確認すれば流石に漏れはないだろうからな」


「――へ? 盗聴器?」


 いよいよ刻限が来てしまったかと肩が跳ねた時、その一言が脳裏に浮かんでいた思考全部をぶち壊す。


 迷路にハマっていた脳内が、徐々に紐解かれていき。彼の発言に合わせてゆっくりと、()()()が溶けていく。


「バスルームの方にも監視カメラや盗聴器の類いは見当たらなかった。あの婦人、ああ見えて狡い手は使わんらしい。わざわざ小声で話す必要もなかったな」


 監視カメラ。盗聴器。ジャンク屋が仕掛けていたかどうか、調べていた?

 声を落とせと言ったのも、万が一盗聴されていた場合を想定していた、と?

 

「……あのー。レイチェル、さん。つかぬことをお伺いするんですが」


「む?」


「最初に仰っていたお互い気持ちよく眠るというのは――」


「誰かに監視や盗聴されているといった心配なく、安眠できるという意味だが。……むしろなんだと思っていたんだ」


「なるほど、なるほど」


 レイチェルの淡々としている様子が、なんの裏がないことを証明していて。

 だからこそ、さっきまで自分が考えていたことが全部間違っていたこと。考え過ぎの筋違いだったことを理解する。


 うんうんと笑顔で受け入れていき――


「俺やっぱ床で寝ます……」


「どうしたんだいきなり!?」


 そっとベッドから降りて床に転がった。

 目を手で覆い、耳は恥ずかしさのあまり畳まれる。


「(なにが『キッパリ諭す』だよ俺。フツーに寝るだけだったことをボケた風に考えすぎだろ!? それに、『綺麗だと思う』って。綺麗だって言っちまったし〜!)」

 

 レイチェルが指していたのはきっとベッドに不審なところがないかどうかで、相手からすればツクエはこの廃墟部屋をキメ顔で綺麗認定したヤバい奴でしかない。

 それでいて、ツクエにとってはレイチェルの容姿を褒めたつもりでもあるから二重に恥ずかしい。

 今すぐ過去に戻って俺をぶん殴りたい。


「わ、分からん奴だなお前は。さっさとベッドに上がれ。明日に支障が出たらどうする」


「いいんです……俺は所詮脳内ピンクのケダモノ……床で寝るのがお似合い、っだぁ!?」


「いい加減に、しろッ!」


 地べたを這いずるナメクジのように、膝を抱えて横たわるツクエの首根っこが掴まれた。

 

 平均的な狼のクアンタムは三桁キロが大半で、痩せているツクエも成人男性に恥じない重量をしているのだが。

 それを引っ張るレイチェルは特に疲れた様子もなく、無理矢理ベッドの上までツクエを上らせてしまう。見た目に反してかなり力が強いのは知っていたがここまでだとは。


 仰向けに天を向くツクエへ、レイチェルは少し眉を顰めた様子で顔を覗き込んで来て。

 

「お前が居なければ街の中を歩けないんだぞ。 何を運ばされるか分からない以上は体調は万全にしておけ。……誰かと寝るのが恥ずかしいのか?」


「べ、別にそんなんじゃ。ない、っすけど」


「どうだか。今年で幾つだ、お前」


「……二十歳。レイチェルさんは幾つなんすか」


 反論できない正論をぶつけられ、居た堪れない気持ちになりながらもやっと起き上がり体勢を整えた。

 

 頭が冷えた、というべきか。自分のことを尋ねられて別のことに思考が切り替えられた。

 耳をパタつかせ、通った血管の温度を冷ましながらレイチェルを見る。

 ツクエが上半身を起こしたのを見てため息を吐き、また奪った銃の具合を確かめているようだ。


「私は十六だ。アノニマスの法的成人年齢に達している」


「十六歳ぃ!? み、見えねぇ〜……」


「クアンタムからすれば、そうだろうな。幼児扱いされるのは慣れた。ともかく、お互い、いい歳なのだから一緒に寝るぐらいでうだうだするな」


「う。……っす」


 過去、軍事転用されていた名残だとかなんとかでクアンタムの成長は人間と比べてとても早い。

 赤ん坊は生後数ヶ月でも歩いて言葉も話すし、一年経てば外を走り回って遊ぶぐらいにはやんちゃになる。

 二十歳だというツクエの年齢も若者と呼ぶにギリギリのラインぐらいなのだ。


 それからすれば、人間は背も伸びないし成長も遅いしで年齢がとても分かりづらい。

 十六というとクアンタムで言えば立派な大人で。既に成熟し切ったと言っても差し支えはない。


「なんか、子供にしては妙に大人びてるなーとは思ってましたケド。まさかマジで成人だったとは……」


 種族差を身近に感じてなんだか感慨深くなった。

 人間の国じゃどう扱われるかは知らないが、ここではレイチェルも大人なのだと。

 

 そんな感慨の中でツクエはようやくベッドに寝転んで、柔らかくないクッションに感じる。

 恥ずかしい勘違いが是正され、諸々あって生まれた疲れが狼の背中を沈ませた。

 隅にクモの糸が張ってある天井を眺め、幾許かの沈黙が流れる。


 変な感じだ。ダブルベッドを共にして、ツクエは横たわりレイチェルは銃を見ている。二人が思いのまま行動し、思ったよりリラックスできてしまっていた。

 奇妙な関係であるとしか言えない。これがストックホルム症候群なのか。

 

「――いつから奴隷だったんすか?」


 眠れるまでただ黙っているのも暇なので、何か話題にならないかと質問してみるものの。

 口に出してみて、“聞いて大丈夫かこれ”とドギマギ。

 でも、ツクエの懸念をよそに。思ったよりレイチェルはなんとも思っていない顔で前を向く。

 

「私が六つの頃だ。住んでいた場所にアノニマスの軍人がやって来てな。訳も分からず連行されて、奴隷化手術を受けさせられた。……母親も一緒だった」


「母親さんって、今どうしてるんすか」


「知らん。私が売られてからは一度も会っていない」


「……すんませんした。デリカシーが無かったっす」


「いい。十年も前のことだ」


 軽はずみで聞いたことを若干後悔する過去が語られ、視線がまた天井に向いた。

 また話題を探すものの、何も出て来ない。そりゃそうだ。

 

 奴隷となった十年間という時間が憎しみを流してしまったのか、レイチェルは余りにも淡々とし過ぎていて、正直クアンタムとして少しばかりの罪悪感が滲む。

 ツクエはその当事者でもないし、人間を特別好いている訳ではないけれど。親と引き離されるのがどんなものか、知らないワケではなかったから。


「しかし、私のことを聞いてどうするんだ? どうせ明日には別れるかもしれないというのに」


「それは依頼こなせたらの話でしょ。そもそもちゃんと売ってくれるかも分かんねぇですし」


 銃の動作に問題がないことを確認できたんだろう、マガジンを込め直し。ベッド脇に置くでもなく、それを握ったままレイチェルも横たわる。

 綿が抜けた枕に頭を乗せ、目線だけをツクエの方とやっていた。

 

 彼の疑問は尤もだった。

 ツクエとしても、お互いなぁなぁの距離で、事が終わるまで付き合っていくのが最善であると、そう思う。


「……明日までの関係でも折角会えた人間のことはちょっとは知りたいもんすよ。ここまで俺を振り回してきて、正体不明のまんまってのもなんかイヤっしょ」


「そういうものか」


「そういうものっす」


 非日常で気分がおかしくなっているのかもしれない。

 お互い目を合わさず、破れた壁紙を見つめているこの状況で。


 会話の切れ目に自然と、二人とも寝る準備をしだした。ダブルベッドと言えど間を空け、お互いのスペースを確保しながら目を瞑る。


「……ツクエはどうしてツクエなんだ?」


 そこから数分経っただろうか。レイチェルの方からも、質問が飛んできた。

 布擦れ音共に、十数センチの空間を挟んで人間がこちらを向いていることを察する。

 俺はどうして俺か。どこかの哲学者が論文書いていそうな内容。


「哲学っすか」


「名前だ。特別な意味があるのか。それとも親の名付けなのか」


 どうしてそんなことを聞いてくるんだ、だなんて疑問は先程の俺が答えてしまった。

 相手のことをちょっとは知りたい。明日で終わる関係でも。レイチェルは知ろうとしているんだろう。

 ツクエはなるだけ平坦な声色になるよう、息を吸って、


「“ツクエ”に、机以上の意味はないっすよ。テーブル、そのまんまの意味。みんな自分の本名は隠すもんっすよ」


「ならば、なぜそう名乗る。通名にしたって少し妙じゃないか」


「俺のラッキーアイテムだから。それだけ」


 逡巡の後にそれだけ言い切り、レイチェルに背を向けた。


「そうか」


 一緒の寝具、隣で誰かが寝ている感触。あまり馴染みなく、聴覚のいい動物の耳は相手の動きをよく聴いてしまう。

 それ以上言う気がないことを察してか。レイチェルは、シーツを体に掛ける。


「おやすみ、ツクエ。明日はよろしく頼む」


 変な、人間。そうとしか言いようがない。

 冷淡に見えて人間味があって。クアンタムに感謝する奇特な奴。

 今もこんな言葉を掛けてくること。変な気持ち、むず痒くてゾワゾワする。


 明日、ジャンク屋の依頼をこなし地図を渡せば。彼はずっと遠くまで行くだろう。

 偶然、奴隷の枷が解かれた人間。ちゃんと国境を越えて人間の国へと至るのか、その前に――死んでしまうとしても、きっとツクエの預かり知らぬところで起きる。


「……っす」


 疲れた頭には、何も浮かばない。よく分からない。

 夜闇の中だろうとようく映る、彼の眠る顔。少しして寝息を立て始めることを複雑に思いながら、瞼の裏を見る。

 彼と別れて、そのあとは俺はまたつまらない人生を送るんだろうか。誰かに感謝されることのない、日銭を稼ぐだけの人生。


 臆病な狼は後ろ向きな考えに苛まれつつも。ゆっくり、意識を落としていった。

 

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