2話 国境行き片道切符
狼は心底嘆いていた。横の窓ガラスから映る景色が、枯れた荒地植物と閑散とした大地に変わりないとしても。自分の見知った土地からどんどん離れていっていくごとに、覚束ない現実感が襲ってくることを。
握り慣れないハンドル。合ってるか分からない操縦方法で運転している中、ぎこちない笑みを助手席に向けた。
「あ、あの……」
「どうした?」
「なんで俺、車運転してるんですかね……?」
粗末なバイク、オンボロな木の台。そんなものにしか座ってこなかった狼には余りにも座り心地が良すぎる椅子。
その上に座る鉄仮面の人間に向かって。
リーダーは嬢ちゃんと評していた相手。しかし、少年にも見えるその顔つきは、固定されたかのようにずっと動いていない。ただ輸送車が進む先を見つめるだけだ。
「私が頼んだからだ」
「はは、は。そうっすよね。運転手が必要だって……」
愛想笑い。慣れない敬語。およそ数十分経った今でも、狼の困惑は晴れないまま。
本当なら仲間と一緒に輸送車を牽引して最寄りの町に向かい、ジャンク屋にこの鉄の塊を売りつけているはずだった。
そしてその金で浴びるほどを酒を飲み、女を買い。まともな生活を手に入れるはずだったと。
問題は、そう数十分前のこと。
仲間があっという間に地面へと転がった後、自分はなす術もないまま運転席へと押し込まれた。側頭部の数センチ先に銃口を向けられ、泣き出しそうなのをなんとか我慢して。
そしてあれよあれよと、人間が運転席の点検をするのを横で見れば。現在では、輸送車の運転手をしている。
「(………なんでこうなった!?)」
心の叫びが外にも漏れ出さないよう必死に堪える。
機器がショートしてアナログ操作しか受けつかなくなったハンドルは、狼の嘆きに呼応して道路の中をふらつく。
それに対し、すぐさま横でカチャリと銃器の物々しい音がすれば。ヒッ、と喉元から小さな悲鳴が出た。
「何分、私は周辺の地理に詳しくない。お前の知っている最寄りの街でいいから案内して欲しいだけだ。そちらが敵意を見せなければ、傷つけるつもりはない」
ただ座る姿勢を変えただけだった人間は、車が発進する前に言ったことをもう一度言い直す。
それでもなお、怯えながらも狼の目と耳がちらちらと、こちらの様子を窺ってくることに嘆息した。
「……何か言いたげな顔だな」
「はッ!?いやっ」
「いい。言ってみろ。答えられることは答えてやる」
「あ〜〜、えーっと」
外見年齢に見合わない高圧的な態度は、これでもかと神経を刺激してくる。
(便宜上、彼と呼ぶことにするが)彼の言う通り、言いたいことは山ほどあった。
野盗の中で一番の小心者であると自負している狼にとっても、当然この状況への疑問は尽きない。
が、相手の機嫌を損ねればどうなるか分からないのだ。みだりに口を開くべきか、どうか迷っていると。
人間はおもむろに拳銃のマガジンを開き、弾数を数えだす。
それはここで何発撃っても大丈夫か調べてるみたいで、もう勢いのまま叫ぶしかなかった。
「ア、あの!なんで人間……様が、ウチの国に。いらっしゃるのですか……?」
「ふむ。どうして疑問に思った?」
「いや、まぁ。情勢が情勢ですから……」
進路方向が間違ってないことを祈りながらハンドルを握り直す。
狼は無学な自分でも知ってる一般常識を頭に思い浮かべた。
自分達の種族、クアンタム。人間と同等の思考力を持ち、それ以上の身体能力を持った人型の動物存在。それは過去、動物を素体に人間によって造り出された生き物だった。
動物らしく人間より成熟するのは早く、人間らしく動物より多くを学習した。人間の代替存在として、数多の労働力にあてがわれ。必要に応じて繁殖を管理され、職種によっては出生の段階で個性をデザインされたこともある。
それは当然、戦争にも使われた。人間の代わりに殺される存在として、クアンタムは生きていた。
そこから、脱走兵による反乱軍の結成。様々な歴史、年月を経て。70年程前に人間から独立。隷属種族から脱却しクアンタムの集う一つの国家、アニマラスが生まれた。
今もこうして進んでいる土地は全てクアンタムの為の敷地だ。過去起きた事例から種族間の隔たりは今でも高く。故にこそ、隣の“人間”という存在がとてつもない違和感だった。
「つい3年前まで人間の国と戦争してたってのに。検問所はバチバチなはずっすよ」
「…………」
「だ、だから。なんでアンタみたいな人がこの車に、しかもコンテナに居たんすか?そもそもアンタ何者?」
堰を切った口からは溢れるように質問が湧く。それが内にある恐怖を麻痺させ、ある種の好奇心を芽吹かせていく。
人間は矢継ぎ早に繰り出される問い掛けに、涼しい顔をしながら景色を眺めて。
「…………ん」
おもむろに、纏めてある後ろ髪を掴んで軽くズラした。
何も答えないままそんなことをするものだから、運転中でもそちらを見てしまって、露わになった首裏に息を呑む。
そこには薄皮一枚を隔てて埋め込まれたCPUチップが、淡い青色の光を微かに放っている光景があった。
治癒の痕跡だろうか、ピンクの肉が癒着してなんともグロテスク。断続的に点滅するチップと、人間の平然とした表情がなんとも不自然さを醸し出している。
「私は所謂、奴隷という身分だ」
「奴隷、っすか」
そして、変わりなく淡々と。唇になんの重たさもない調子で、身分を明かした。
それで全てを理解したワケでは無いものの、狼は前を向き直し、少ない言葉を返す。ただ続きを待とうと。
「埋め込まれたCPUにより行動、意思を制限される者。クアンタムでも重犯罪者がそう言った措置が取られるらしいな」
奴隷。それは国民としての権利を認められず、労働や売買を強制される者達の総称。頸椎に埋め込まれたチップが脳の活動を制限し、自発的な行動を阻害する。
所有者と認められた者の命令でのみ活動が許され、それこそロボットと変わりない存在だ。
命令が無ければ己の生命活動の維持をする最低限の行動でしか、四肢すら満足に動かせないという。
彼の無機物的な雰囲気が腑に落ちる。長く奴隷の身分に堕ちた者は、感情が抜け落ち機械的な反応しか出来なくなると狼は聞いたことがあった。
そして、歴史により人間を憎むクアンタムは大勢居る。人間を奴隷にしようとする者も、また珍しくないだろう。
「私は以前の所有者が死亡したことにより、遺産相続として受け渡される予定だった。少々、遠いところに住んでいてな。この車はその輸送車というワケだ」
「はぁ〜。なるほど」
まだ気になることはあるものの、ある程度の疑問が解消され合心する。ただの人間ではなく、クアンタムに使われる人間ならば居てもおかしくない。
こんな車を用意できるとは相当金持ちな飼われていたんだろうか。しかし、あまり踏み込んだ質問をして機嫌を損ねても嫌なので、余計なことは言わずに口を閉ざす。
「…………えっ? じゃ、じゃあなんで俺らを」
そう。それで、遅れて思いついた。奴隷なら命令以外での拳銃での発砲など以ての外。そもそも命令なしでは満足に歩くこともできないはずだと。
だが、現にリーダーは二発体を撃たれ。もう一人は回し蹴りで呆気なくノビて。そして自分は銃で脅されながら運転している。
その時、初めて人間の口端が軽く上がった。少し恐ろしさを感じる笑みだった。
「ああ……それだがな」
トントン、と首筋のチップを指で叩き。目を細め、狼の膝に置かれている電子ジャック装置を見つめる。
「お前みたいな野盗がどうやって、こんな上等な軍用のジャマーを見つけたかは知らないが。こいつのお陰で私のチップはエラーを起こしたらしい」
「あ。はは、は」
「最初は確証が無かったが、既に確信している。私は現在、奴隷に科せられた制限が全て無い状態だ」
「な、なーるほどぉ…………」
そう言って拳銃の点検を終えたのだろう、装填を終えスライドして薬莢が捨てられる。
「この千載一遇のチャンスはもう無いだろう。だから、この国から出る。人間の国へと戻りたい」
狼は引くつく笑みで全てを納得すると同時に、端末を握りつぶしたくなる衝動に駆られた。
既に仕事を終えたと言わんばかりに喧しかったビープ音も静まり、今はただ自分の膝下で大人しくなっていることも尚更腹立たしい。
なけなしの所持金を出し合って買った代物が上等品なのは喜ばしいが、こんな奇跡は求めて無かった。
「で、でもっすよ人間様。自分で行動できるんなら、俺必要っすか!?言っちゃあなんですけど、逃げても追いかけたりとか……」
「どこに逃げるにしても周辺の地理を知ってる案内人が必要だ。お前に運転させてるのもそれが理由だが」
「いや、ナビの地図とか。見れば……」
「乗る時に調べたがここに登録された位置情報は消えている。お前達が吹っ飛ばしたってことだ」
半ば悲鳴みたいに、こんな面倒ごとから逃げられないか聞いてみるものの。一つ一つ丁寧に切り捨てられ、脱力感と共に俯いた。
乗る前に人間が自分に言っていたことを思い出す。
『私の亡命を手伝って貰うぞ』
「(だからって俺一人連れてなんになるんだよ!)」
さらっと言ってのけたそれを、たかだかチンピラに本気で協力させるつもりだとやっと理解した。このままじゃ端末を買った元を取れないばかりか、国外脱走の片棒を担がれる。かといって逃げ出そうとすれば、五体満足の体のどこかに風穴が開くだろう。
もし最寄りの警兵にたれ込んだとして、奴隷という個人の所有物を載せた輸送車を襲ったことがバレてしまえば仲良くお縄だ。
耳と尻尾が景気良く垂れ下がる。詰んでる。泣きそう。そんな単語が顔に書いてあるぐらいには、狼が纏う悲哀は分かりやすい。
「レイチェル」
「はい?」
「レイチェル、私のことはそう呼べ。人間様と呼ばれるよりそっちが良い」
そんな悲しみの百面相をしている狼の横で、人間は唐突に名乗りをあげる。こちらを一瞥さえしなかった人間。もといレイチェルと名乗った、年齢に見合わない喋り方をする子供。
意気消沈している狼をちらりと見て、ちょうど顔を上げた狼と目が合った。
「お前はなんと呼べば?」
「え。……ツクエ、っす」
「ツクエ?変な名前だな」
「いや、いいだろそんなことは……ってか、なんで今更自己紹介なんかを」
偽名か通名か、珍妙な名乗りを返す狼のクアンタム。道路脇で強盗をしていたチンピラ、ツクエもまた挙動不審ながら目を合わせる。
ビビりな内面に反して栄養の足りていない体ながらも人間の細腕より何倍も大きい。体格もまたそうだった。
運転席と助手席、脅される者と脅す者。並ぶと全く違う外見と仕草は顕著で、今になってまともにお互いを観察する。
「(……こう見ると、マジで華奢なガキにしか見えねぇな)」
助手席に座る人間。青空のような青色の瞳に、綺麗に手入れされた長い黒髪。まだ10代そこらの年若くあどけない、しかし感情の滲まない無機質な顔。
種族が違えど、美しいと形容できる容姿。細身だが肌色は艶らかで、まともな食事を摂っていることがなんとなく分かる。
奴隷だという彼と路上で強盗するまで落ちぶれた自分、どっちが見窄らしいか考えると。狼は少し、ため息を吐きたくなった。
「選択肢はない、か」
「……なんか。ものすっごい失礼なこと考えてます?」
レイチェルもまた品定めする目つきでツクエをつま先からてっぺんまでようく見回せば。同じタイミングでほうっと息を吐き、肩を竦める。
まるで“こんな奴を選ぶことになるとは……”と言わんばかり。不満たらたらな仕草を見せて来て、思わずハンドルを掴む手に力が篭る頃。
「お前には私の主人のフリをして貰う」
「……はぁっ!?」
予想外な言葉で、何度目かの素っ頓狂な声をあげてしまう。誰が、誰の。と交互に自分とレイチェルを見て。
どう見ても釣り合わない。もし人間の国で二人が並んでいたら、百人中百人が狼の方が奴隷で人間が主人だと言うだろう。いいや、アニマラスでも怪しいかもしれない。
それぐらい、二人には差があった。危険から離れたい利己心ではなく、それは本当に不可能だと伝える為にブンブンと首を横に振ろうと。
その勢いで口吻が横の窓ガラスにぶち当たり、“んがっ”と情けない声をあげぶつけたところを手で押さえる。
「……大丈夫か?」
「いきなり変なこと言うからっすよ!」
「ただの人間が出歩いていれば騒ぎが起きるだろうが。しかし、横にクアンタムが居ればまた別だろう?」
「い、いや!俺が奴隷持ってるような金持ちに見えます!?」
そんな様子を横目に、淡々と。決定事項かのように伝えてくる。懸念自体はレイチェルも抱いているようだが、他に選択肢はないと言った通り。不服だが受け入れた様子。
どうしてこんな扱いを受けねばならないのか、狼は俯いた。
「私も苦渋の決断だ。しかしこれであれば、お前が逃げ出さないよう近くで監視もできる。合理的だろう」
そうレイチェルは言い切り、顔を前に向き直した。拒否権など無い。そんな意思がありありと伝わって。
狼は思い出す。神様は本当に居て、悪いことをすれば天罰が降る。だから善いことを行うよう心がけなさいと、そう孤児院のシスターが言っていたことを。
子供の頃は鼻で笑っていた説教が、十余年経って身に染みて分かった。
「(……なぁ、神様。今からほんっとうに改心するって言ったら。悪い夢は覚めますか?)」
久しぶりに、いや初めてって言っていいぐらい真摯に天に祈る。次に瞼を開けたら、寝床にしているオンボロの小屋で目を覚ますんじゃ無いかって。
しかし、どんなに長く目を瞑っても。見えるのは、後ろに過ぎ去っていく荒野の景色。
「さぁ、街が見えてきたなツクエ。エスコートを頼むぞ?」
「…………今日はほんっとに厄日だ!!!」
荒地の先。憎々しいほどの晴れ模様。ポツポツと人工物が見え出したところ。ツクエの祈りに対して応えたのは、風によって揺れる草葉達だけだった。




