第二章 加護の探究 第三十八話
半刻ほど経った頃であろうか。
すべての書類を取り込んで整理をしていたセーラは、あることに気が付いた。しかし、それが何を意味するものかはさっぱり分からない。
やはり、人事の背景が分からない以上、考えても知識にないことは答えが出ない。
しかし、セーラは、些少なことでも一つの疑問を無かったことには出来なかった。好奇心旺盛なセーラの特徴だ。
セーラは静かにマントを被ると、執務室の扉をそっと開けた。
——この場合、ノックって必要なのかな? いつもリュース様と一緒じゃなければ開けなかったから……。
そっと隙間から様子を伺ってみると、執務に勤しんでいるリューシュヴェルドの横顔が見えた。
声を掛ける前に、セーラを見てもいないリューシュヴェルドが声を発した。
「なんだ?」
——今のって、私に言ったの?
分からないまま返答が出来ず、セーラは一瞬固まった。
「なんだ? もう終わったのか?」
今度は振り返ってもう一度セーラに尋ねる。やはり、リューシュヴェルドはセーラに気が付いていたようだ。
セーラは、リューシュヴェルドのこめかみか、もしくは後頭部にでももう一つ目があるのではなかろうかと訝りながら、答える。
「いえ、少しお伺いしたいことがありまして……」
「少し中で待っていなさい。すぐに向かう」
「はい」
セーラは大人しく丁寧に扉を閉め、小部屋からリューシュヴェルドの私室へと戻った。
椅子に座ってしばらく疑問の書類を選別していると、リューシュヴェルドが入ってきた。
「どうした?」
セーラの目の前に座って、書類に目をやる。
やはり、悠長に話しをしている時間はなさそうだ。
リューシュヴェルドが端的に、かつざっくりと質問をしたことで、セーラはそのように判断した。すぐに疑問を提示する。
「あの、この人なんですけど」
一枚の書類に書かれた人物名を指差しながら、セーラはリューシュヴェルドに説明した。
「小隊の隊長に抜擢されてるのですが、過去の履歴と照らし合わせてみても、どこの小隊にも属した記録がないんです。平民からの叩き上げであれば、必ずどこかには配属されてるはずだ、と別の兵科も確認してみたのですが、いませんでした。」
リューシュヴェルドがちらっとセーラを見た。
「別の兵科も?」
「はい。全部あります。設立後から全部」
セーラは笑って、自分の頭を指差した。
「でも、人名とかは、やっぱり紐づけない限りは有用じゃなさそうですね。名前の羅列はあんまり面白くないし……」
「待て。セランダル・ギフォードはどこの所属だ?」
リューシュヴェルドがセーラを遮った。セーラは、天井を見上げながら知識を巡らせる。
「……あれ? いませんね。……あ、待って。十年前に引退されてるゼランドル・ギフォードならいました。記述間違いかな? 最終役職は剣兵隊隊長ですね。下位貴族から実績を積んで爵位を上げたようです。記述間違いではなく、別人の可能性もありますけど」
話し終えてリューシュヴェルドを見ると、また驚いた顔があった。セーラは、その顔にも慣れてきていたが、なぜ驚くのかはいつも分からない。
「どう、しました?」
首を傾げると、リューシュヴェルドはまたいつものため息を吐いた。
「誤字であっても、予測で紐づけられるのか。何という……。そういえば、背景などは良いから、先に知識にしておくようにと、記録だけ渡していたのか……」
「はい。それと紐づいたようです」
「それで、何だったか?」
リューシュヴェルドは本筋を忘れてしまった。驚いたことと、最近の忙しさから頭の働く機能が一瞬停止してしまったようだ。
「もう! この人のことです!」
セーラは、もう一度強く指差しながら、リューシュヴェルドに最初から説明しなおした。
「……それで?」
リューシュヴェルドが目を細めて聞いた。セーラは、少し試されているような気持ちになりながらも、疑問に思った経緯と答えが出なかったことについて説明する。
「まず、平民ではなさそうです。貴族かと思いましたが、今ある最新の名鑑に家名はありませんでした。もしかして、最新が更新されてはいないかと。誰の命で小隊長になったのか、とかどういう基準なのか、とかの背景は分からないのですが隊長や組織、それから人数や予算にも、他に問題に思えるところはなかったので少し気になってしまって」
「なるほど。良い感覚だ」
「ありがとうございます!」
セーラは、褒められて単純に喜んだ。
——質問して良かった。
笑顔のまま、重ねて質問する。
「このまま、報告書にまとめてもいいでしょうか?」
すると、セーラの指の下にある書類をリューシュヴェルドが奪った。
「いや、この件は私が預かる。今日はここまでで良い」
「え?」
「なんだ?」
「いや、何だか、リュース様の仕事減らすつもりが、増えてませんか?」
リューシュヴェルドは一瞬、窓の外に目を移し、考えた。
「ふむ。確かにそうだな。でも頭脳としては間違ってはいまい。それで良い」
「えっ? 本当に?」
「本当だとも」
少しセーラは心配になった。自分の心配というよりも、リューシュヴェルドにかかる負荷を心配したのだ。
——大丈夫かな。あんまりこれ以上負担を掛けたくないんだけど。宰相補佐って、仕事が山積みなのね。ちゃんとお休みできているのかな?
顔に出ていたのだろう、リューシュヴェルドは持っていた羊皮紙でセーラの頭を軽く叩いた。
「いたっ……!」
「私について、心配をする必要はない。それに、痛くはないだろう」
「うっ……!」
確かにそうだ。痛いとセーラが言ったのは、単なる反射だった。
リューシュヴェルドはふっと片方の口角を上げながら笑みを零すと、執務室に戻ろうとした。
「分かりました。あっあと一つ!」
「なんだ?」
リューシュヴェルドが振り返る。
「ゼランドル……セランダル・ギフォード様ってどなたですか?」
「ああ。ゼランドルが正しい。私の剣の師匠だ」
もう一つにやっと笑うと、リューシュヴェルドは執務室に戻った。
「……えっ? 私を試したの?」
セーラは、少し恨めしく思いながら、既に執務室へ戻ってしまったリューシュヴェルドを慌てて追った。
執務室内では、既にリューシュヴェルドの指示が各方面に飛んでいた。
「ゼレット、サイモンにこの人物の調査を至急行うように指示を。同時に、宰相に面会許可を取っておいてくれ。私は明日の午後に城へ戻る。グレンフィード、先に城へ戻って軍団への調査を行う旨、先に父君経由で各団長の耳にだけ入れておいてくれ。あくまで水面下でな」
「ビジュノー・ゲラン……小隊長……ですか?」
「何らかの思惑が絡んでる可能性がある。……現段階では可能性だ。忘れるな」
「はっ」
それぞれ部屋を出て行き、慌ただしさが一旦落ち着くと、リューシュヴェルドは思索に耽った。
セーラは邪魔をしたくなかったが、「ここまで」と先ほど言われたのだ。部屋に戻ってもいいとは思うが、今声を掛けるのは憚られた。
「セーラ」
「はいっ!」
本当に後頭部にでも目が付いているのかもしれない。セーラは、こめかみを揉みながら俯いているリューシュヴェルドの後頭部を凝視しながら、小走りで近づいた。
「今日は、部屋に戻ってよい」
「分かりました」
セーラはいつも通り挨拶を終えると、扉前で護衛しているボルタークを振り返った。
「セーラ」
リューシュヴェルドの声にもう一度振り返る。
「明日の午前中にサヤアーヤに伝えてくれ。執務室に来るように、とな」
「はっ、はい!」
セーラはすっかり忘れていたが、リューシュヴェルドは抜かりがなかった。
——本当に、全部把握してないとできないことだわ。頭脳というなら、そこまでできる様にならなくては駄目かなあ?
しかし、それをできる権限は、セーラにはない。そして、大人ですらない。
力不足で仕事を増やしているような気がするセーラだったが、それでも何もできなくて少し悔しい思いをしながら、執務室を後にした。
帰りながら、ボルタークに愚痴を零す。
「間違ってはないはずなのに、何だかちっともできていない気がするのはなぜかしら?」
「それは、その通りだからでしょう」
「む……。ここは励ますところじゃないの?」
「えっ? 顔を見る限り、セーラ様の望みはリューシュヴェルド様に知識を提供すること以上では?」
「そう、そうだけど。それが何?」
「でも、それはリューシュヴェルド様から求められてないのですよね?」
「……ええ、そうよ」
「主から求められていないことをご自分で望んでできていないと悩む、というのは、つまり……」
「つまり?」
「満点以上」
「え?」
「いや、つまり、求められたこと以上をできない基準にするのは、満点以上のことだってことです。満点でも難しいのに、そりゃできなくて当たり前でしょう」
セーラは一回大きく瞬きし、ボルタークを見つめた。
「ほら、セーラ様。足が止まってます」
「ああ、ごめんなさい。ちょっと、驚いたものだから」
「剣術と似てますね。例え満点貰ったとしても満足できる自信なんか一つもないですよ。グレンフィード様のように……で、やっぱりいつかは超えたいですし。そういうことでしょう?」
「え?」
セーラは自分の考えが定まっておらず、ボルタークの言うことが頭の芯まですぐに届かなかった。
「セーラ様は、リューシュヴェルド様のようにできないことが悔しいのですよね? そりゃその通りでしょう」
「あ、最初から励ましてくれてたんだ」
「……は?」
セーラはようやく納得した。
「気が付かなかった! なんだ、ありがとう! ……でも、少し言葉が足らないわよ」
文句ももちろん言っておく。
「なっ……!」
「でも、言う通りだわ。リューシュヴェルド様のようになんて難しいこと、すぐにできるはずがないわよね。でも挑戦し甲斐もありそう。目標として頑張ってみる」
「はいはい」
ボルタークはこれ以上揚げ足を取られまいと、セーラの言うことは流すことに決めたようだ。護衛として周りへの警戒は怠らないようにしながら、セーラに振り回されまいとセーラの方を見ない。
——ボルターク、良いこと言うわね。満点以上、か。それは難しい話だ。でもできない基準じゃなくて、挑戦する目標にすれば、確かに嫌な気分にはならないわ。
それでもセーラは思うのだ。
——私、本当にリューシュヴェルド様のようになりたいから、そう思うのかな。
何故か微妙に納まりが悪い気がしながらも、セーラはそうだ、と結論を付けたのだった。




