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終わらない物語 - Beyond -  作者: irie
第一部 初めてとの出会い
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第二章 加護の探究 第三十五話

 呼び鈴が大きく鳴らされて、セーラはゆっくりと扉へ向かった。

「セーラ様、どうなさったのですか?」

「大丈夫よ。もうしばらく一人にして頂戴」

 扉越しに伝えて戻ろうとすると、もう一度ソイエッテの声が響いた。

「しかし、昼食も摂られてないですし、一度出てきてくださいませ」

 心配そうな声だ。

 セーラは申し訳なく思う傍ら、放っておいて欲しいと少しだけ思った。

 何のための秘密基地なのか。

 ソイエッテに吐き出せるものなら楽だろうが、そういう訳には行かないのだ。

 しかし、今はボルタークが邸にいないとは言え、返事をしないとまた扉が開けられてしまう恐れがある。

 セーラはため息を吐いた。

「いいえ、ソイエッテ。控えて頂戴」

「……かしこまりました」

 納得していない声色だったが、引いてくれたようだ。

 セーラは、扉の内側に付けられた呼び鈴の紐を一旦緩ませて、紐が通っている小さな輪の金具に括りつけた。これで鳴ることはないだろう。

 研究をしているわけでもないし、大丈夫だ。

 しかし、先ほどの不遜な物言いをしてしまった反省をしながら、セーラは椅子を窓際まで持って行き、自室から見えるものとはまた趣が違う景色と晴れ渡った空を窓から眺めた。

 父親と母親との面会は、セーラの情緒面に何らかの作用をしたようだ。

 嬉しさと安心と懐かしさと寂しさと、自分への鼓舞と誇らしさと、リューシュヴェルドへの感謝と嬉しさとやっぱり寂しさと、色々と綯交ないまぜになった感情の行先は、少しの空虚感だった。

 ——ちょっとだけ疲れちゃったのかも。……少しだけ。少ししたら動くから。

 そう思いながら椅子に座ってぼんやりして、昼食の刻限を逸してしまったようだ。今日は訓練もなく、リューシュヴェルドの手伝いもなく、面会の後は自由にできる時間だったこともあって、セーラは基地に籠っていた。

 ——でも、もうちょっとぼーっとしたい。

 セーラは、このぼんやりとした時間が好きだったことを思い出した。

 やるべきことに追われて、もちろん充実していたし楽しかったが、この()()()()を取り入れる時間は無かった。

 ——そういや、大樹の根元で、よくこうやって色々考えたり想像したり、憂鬱になったり面白くなったりしたな。あの一人の時間も、確かに私には必要だったんだって、今ならわかるわ。

 だからこそ、研究と称してリューシュヴェルドに秘密基地を所望したのかも知れない、とセーラは意識していない自分の深層心理をそう分析した。

 心の中のことだ。言いたい放題で間違っていようと構わない。

 そうセーラは割り切って、少し微笑んだ。一度欠伸をすると腕を窓の桟に乗せ、頭をもたれさせる。艶が出るようにと髪に擦り込まれた香油がふわっと鼻腔をくすぐって、それも心をなだらかにさせる一つの要因となった。

 セーラはしばらく目を閉じ、近くの木々の葉擦れの音や鳥の軽やかな鳴声や、遠くの方に聞こえる人の生活音や何を話しているか分からない程度の声などを聴くともなく聴いていた。

 すると、ガタッと何とも不細工な音が耳に響いてきた。どうやら、先ほど鳴らないようにくくりつけた呼び鈴の紐が引かれたようだ。

 セーラは再びため息を吐いて、振り返った。

「あれ? セーラ様? 大丈夫ですか?!」

 呼び鈴が鳴らないことに焦ったようなソイエッテの声が飛び込んできた。

「来客予定はないはずだけど、何かあったの?」

「いいえ。お茶はいかがかと思いまして……」

 ——ああ、これは駄目だ。

 セーラは、すっと現実に戻った。

 こういう問題は億劫でもすぐに解決しておかないと、後回しにすればするほどこじれるような気がしたからだ。呼び鈴の紐を元に戻して扉を薄ら開けると、セーラは大袈裟にため息を吐いてみせた。

 一瞬、笑顔になりかけたソイエッテが、はっと真顔に戻った。

「ソイエッテ、お茶を淹れてちょうだい。貴方の分も。少しお話ししましょう」

「えっ? はい。かしこまりました」

 ソイエッテは少し違和感を覚えたようで首を少し傾げたが、顔にはまったく出さずに手早く窓際のテーブルに用意していく。

 温かい湯気が立ち昇り、明るめの赤い色をした茶が杯に注がれる。セーラは、小部屋に施錠をするといつも食事を摂る窓際の席に座った。

「セーラ様。お腹は空きませんか?」

「大丈夫よ」

 セーラは頷きながら手の平を上にして前の椅子を示し、ソイエッテに掛けるよう勧めた。

 ソイエッテは一度頷くと、スカートに皺が寄らないよう丁寧に腰掛ける。

 ——ああ、それ。完璧ね。私も出来ているかな?

 ソイエッテの所作を見て、セーラは改めてそういうことを無意識でできる人間を淑女と呼ぶのだ、と確信した。

 直近で言えば、今、セーラは完全に無意識に座った。多分、所作に気を配ってはいなかったはずだ。

 だからこそ、気を張ったり疲弊したり冷や汗を掻いたり、自分の内側も忙しくしてしまうのだ。

 だからこそ、村娘の顔でいられる時間が必要なのだ。

 ——いつか、そういう境地になれるかな? それまでは、ソイエッテにも付き合ってもらわないと。

 セーラは気を入れ直してもう一度姿勢を伸ばして座り直した。 

「ねえ、ソイエッテ」

 赤く温かいお茶に息を吹きかけて音を立てないように含みながら、セーラは呼びかけた。

「いつも、美味しいお茶をありがとう」

「いいえ。とんでもないことでございます」

 以前は「仕事ですから」と言い切っていたソイエッテがこのような返事をするようになって、セーラは本当に嬉しく思っているのだ。

 サヤアーヤが言った通り、ソイエッテの今後についても、自分事のように考えて行きたいとも思っていた。もちろん決定権は持ち合わせていないが、自分に出来得る最大限の努力はするつもりだった。

「うふふ」

 セーラは笑った。何とか素直な言葉を歪むことなく相手に届かせたいと考えると、なぜか相反して笑みが出てしまったのだ。

 心と頭と体は、たまにおかしな方向に表に出て来るらしい。

「いつも感謝しているの。私の好みも分かってくれて、平民出身だということを脇に置いて丁寧に仕えてくれてますもの。淑女としても学ぶことも多いし、仕事へ向き合う姿勢も見習わないと、と思っているわ」

「まあ、そんな。恐縮です」

 ソイエッテは、少し照れたように肩を竦めたが、へりくだり過ぎた様子はない。きっと、自負もあるのだろう。

 ——でも、正しい評価だわ。

 身内贔屓ではなく、セーラもそう思う。

 このようにセーラが思っていることは忘れて欲しくないと、セーラは願った。

「でもね。最近、何か……こう、心配ばかり掛けてしまっているせいからかしら。あのね。何だか……、そう、過保護な気がしているの」

 ソイエッテの笑みが固まった。

 セーラも言葉を選んだつもりだが、もしかしたら直截すぎたかもしれない。思いを言葉にして人に伝えるのは、このように難しいことなのかとセーラは内心、恥ずかしい心持ちになった。

 何も考えていない時には苦も無く口から言葉が出て来るのに、思った通りの形として表れていないような気がした。

「セーラ様。それは……、確かにそうかもしれません。でも、食事も取らずに研究室に籠るなど良いとは思えませんし、万が一セーラ様に何かあったのではと思うと……」

 セーラが倒れた時のことを思い出したのかもしれない。ソイエッテが心配そうな表情を浮かべたり、どこへ行くにも付き添う意向を周りにも示すようになったのは、確かに、あの後からだ。

 セーラは、どう言おうか迷った。あまり重たい話にしたくはない。セーラにとって、大したことではないからだ。

 単純に、一人になりたい時に邪魔をされたくない、ただの我儘なのだ。

「あのね、ソイエッテ。こうは思えないかしら? 『食事一回抜いたくらいで、死ぬわけじゃない』って」

 セーラは人差し指を立てて、笑顔で言い切った。

「えっ?」

「だってそうでしょう? 食事一回抜いたくらいであたふたしていたら、本当に食べられない状態になった時に困るわ」

 ソイエッテは眉を寄せながら下を向いた。

「それは……。ですが、理由を仰っていただかないと、私には分かりません」

「私だってソイエッテの不安は解消してあげたいけれど、言えることに制限があるのは分かってもらえないかしら?」

 ソイエッテは下を向いたままだ。

「私は、昼食を摂らずに午後は研究を続けることは伝えたわよね? あの部屋は、私が加護の研究をするために一人集中できるようにリュース様に許可をいただいたのは知っているでしょう?」

 セーラは、ソイエッテの顔を覗き込みながら返事を求めたが、返って来なかった。セーラは、何とか顔を上げてもらおうと話し続けた。

「確かに、ボルタークに扉を蹴破られた時のことは謝ります。あれは、私が集中し過ぎたせいだわ。確かに、予定外の来客があるとか、例えばリュース様とか無視できない人に呼ばれた時は、遠慮なく呼んで欲しい。でも、集中したい時にはさせてほしいの」

 それでも顔を上げないソイエッテに、セーラは、最後に小さく本心を付け加えた。

「それに、私だって憂鬱になったり気分が晴れなかったり重くなったりする時だって、あるわ。そんな時、私には一人の時間が大事みたいなの。ソイエッテは、私室でそんな時間を取れるんでしょう?」

 ソイエッテが、はっとして顔を上げた。薄ら涙の膜が張っているのか、深い色の目に太陽の光が入って白く輝いたように見え、そんな状況ではないにもかかわらず「綺麗だな」とセーラは思った。

 セーラは、重たくなりかけている空気を払拭したくなって、席を立ち少し窓を開けた。柔らかく乾いた風が通り、少しすっきりする。

「私、自分で折り合いは付けれるの。いつもそうなんだけど、暫く憂鬱に酔いしれた挙句飽きちゃうのよ」

「飽き……?」

 ソイエッテの目が見開かれた。

「一体、何を仰っているのか……」

「あのね。私、自分がこんな見た目でしょう? 酷く苛められたり疎外されたことはなかったんだけど、やっぱり、人と違うっていうことで色々とできないこととか多かったのよ。そんな時は、やっぱり思うの。『私、可哀想』って。で、その状況に酔いしれるのも好きなの。まるで悲劇のヒロインみたいにね」

 まるで今日の天気のことでも話すように、眉を上げて軽く話すセーラに、ソイエッテは少し付いていけていないようだ。眉根を寄せて一生懸命聞いている。

 ——あ、駄目だ。伝わっていない。

 セーラは焦りながら、力説し続けた。淑女、という意識はどんどん離れて行っている。

「でもね、しばらくすると、飽きちゃうの。憂鬱で居続けるって、とっても、しんどいのよ! もう、叫びたくなるくらい、しんどいの。でね、そうなっても落ち込んだ時に答えって絶対出ないのね。同じ所をずっと延々ぐるぐる回っているような感覚なの。それなら、感情に折り合い付けて、出来ることを一生懸命やろうって」

 セーラは鼻を膨らませながら、「そう思うの」と締めくくった。なぜか得意げな顔になっている自分に気付き、少し顔が紅潮した。

 ソイエッテは圧倒されたように、表情を変えなかった。何とか言葉を探しているように、目が少し動いているのを見て、セーラはもう一押しとばかり続けた。

「私ね、重たく苦しい思いに浸ることも好きだけど、それよりも、軽やかで明るい方がもっと好きみたい。だから、ある程度は放っておいてくれて大丈夫よ!」

 拳を作って、ソイエッテに元気をアピールしながら、セーラはすべての想いを伝えた。蛇足も多く、淑女らしくも主人らしくもなかったが、正直に言えたと満足顔になった。

 ソイエッテがお茶には目もくれず、自分の指を揉みしだきながらようやく口を開いた。

「しかし、私が気付かなかったから、何日も体調を崩されたこともあるではないですか」

「だから!」

 セーラは大きな声が出てしまった。もうこうなっては仕方がない。セーラは自分でも止められなかった。

「あれは、ただの風邪でしょ? ソイエッテに非はないって言ってるじゃない! それに、たかが風邪ごときで狼狽えてどうするのよ!」

「そんなこと仰いましても、通常のような予兆があるようなものではなかったじゃないですか!」

 ソイエッテも言い返す。

「それは、加護だからでしょう? いみじくも精霊様に与えられたものよ? 身体に負担があったとしても、それは私が超克(ちょうこく)すべき課題でしょう! もし何かあったとしても、リュース様と乗り越えてみせるわ!」

 ソイエッテの喉がひくっと動いた。

 ——あっ、間違えた!

 セーラは、即座に自分の非を悟った。

「あっ、いえ、違うの。ソイエッテが頼りないというわけではなくって、加護のことは制限があるのと……あと、危険が及ぶのは私としても本意じゃないというか……何というか……」

 どんどん声が小さくなるのを感じながら、セーラも泣きそうになった。

 でも、これだけは言いたい。

「ソイエッテには、どっしりと構えていて欲しいのよ。何かあっても大丈夫って、そう思っておいて欲しいの。風邪だって、ソイエッテが献身的に看病してくれたおかげですっかり良くなったわ」

 発熱したまま目覚めないという通常の風邪より重い症状だったにも関わらず、ソイエッテは確かに文句も言わず朝も夜も世話をしてくれたのだ。

 何も言わないソイエッテに、セーラはおずおずと続けた。

「えっと、……あのね?」

 セーラの言葉を聞く耳はなくなってはいないようで、ソイエッテは頷いてくれた。セーラは安堵して続ける。

「ソイエッテが不安だと、それを消してあげたいって思っちゃうの。でも、本当は、私が加護の力を制御していくように、ソイエッテが乗り越えないといけないって、そう思うのよ。私ができることなら努力するけど、ソイエッテが不安じゃないように生活するには、私はどうしたらいい?」

 セーラが逆に質問したことに、ようやくソイエッテの目がクリアになったとセーラは感じた。

 窓の外を見るソイエッテの横顔を眺めながら、セーラは待っていた。

 内心は、はらはらだ。単純に「一人になりたい!」って我儘をぶつける方が、セーラが悪いという形で収まり、渋々でも了承してくれたかもしれない。その方が簡単に解決していたかもしれない。

 もしかして、不要に傷付けてしまっているんじゃないだろうか、とセーラは気を揉んでいた。

 言葉を尽くしすぎた結果、セーラも望まない状況になってしまったのは事実だ。

 ——正しいことが、いつでも正しいわけじゃない。正しいことは言わなくても正しいのだから。正しく見えるようなことを、私は自己主張しただけだわ。

 何をどう謝ったものか、セーラは分からなかった。

「ごめんなさい」

 ただの謝罪が口から洩れる。口を尖らせて眉が下がっているセーラをちらっと見て、ソイエッテが片方の眉を上げた。

「いいえ。私に余裕がなかったのだと思います。消化させますから、お気になさらないでください」

 再度、謝罪を述べようと口を開きかけたセーラを遮って、ソイエッテは、「ただ……」と続けた。

「先ほどから聞いておりましたが、淑女をどこかに置き忘れてきてはいませんか?」

「なっ!」

 セーラは急に向いた矢印が胸に突き刺さり、言葉が続かなかった。

「セーラ様もすぐに狼狽えますものね」

 ソイエッテがにっこりと微笑んで続ける。

「セーラ様は私より分かりやすいですからね。私も狼狽えないように努力いたしますから、セーラ様もご尽力くださいませ」

「うっ……、確かにそうね。不安になったり狼狽えたりする確率で言えば、確かに私の方が多いかも知れないわね」

 ハンカチで額の汗を抑えながら、セーラは言った。

「あれ? 何か私が言ったこと、全部私に返ってきてない?」

「そうですね。頑張りましょう!」

 ソイエッテはくすくすといつものように優しく笑った。

 ——ふう。ソイエッテが大人だったわ。私が子どもみたい。一つしか違わないのに……。

 少しだけ拗ねた気持ちになって、セーラは冷めてしまったお茶を飲み干した。

「あ、セーラ様。一つだけ」

 ソイエッテが指を立てる。

「リューシュヴェルド様やサヤアーヤ様との会食は、抜きにしてはいけませんからね」

 セーラは口を尖らせて答えた。

「はーい!」

 先ほど小部屋で空虚に陥っていた気持ちは、今はもう、どこにもなかった。

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