第二章 加護の探究 第三十四話
跪いている両親を見て、セーラは思い出した。
南の村の自宅で、ソジュとセーラがグレンフィードに対して跪いたことを。思えば、誰かに跪いたのは初めてだった。それを見たことも初めてだった。
——その後すぐ領都に来たものね。心配かけてごめんね。
心の中で語りかけながら、セーラは押し黙って二人の後頭部を眺めていた。
「君たちが南の村の代表か?」
静かな声が聞こえた。リューシュヴェルドだ。
「……はい」
首を垂れたまま、ソジュが答えた。緊張しているのが声から分かる。
お貴族様、しかも雲の上の雲の上だ。セーラも最初同じように震えるほど緊張したものだ。
よく見ると、ソジュとケレーラは見たことのない小奇麗な新しい服を着ている。村の基準で言えば立派な生地だ。
セーラは少し嬉しくなった。
——きっと母さんが仕立てたのね。とても素敵だわ。
一緒に針仕事をした日々を思い出して、懐かしくなった。
——十五の儀に着るはずだった衣装は、きちんと仕舞っているわ。着ることはできないって分かってるけど、ちゃんと大事にするよ。
「初めてお目にかかります。南の村で狩猟部隊および警備部隊の隊長をしております、ソジュと申します。隣は妻のケレーラで果樹園の管理を行っております。領主様からいただいた警備の任務の責任者をしていますので、村の代表として私が来た次第です」
きっと、そういう理由付けも既に指示をしていたに違いない、とセーラは予想した。
「表を上げなさい」
リューシュヴェルドがまた静かな声で言った。
恐る恐る、まずはソジュが、そしてその気配を感じながらケレーラがゆっくりと顔を上げた。
マントを被り、二人の後頭部を見つめていたセーラには顔が良く見えた。
両親は、まずリューシュヴェルドに顔を見せ、一拍置いた後セーラの方をちらりと見た。
目が合って、セーラはほんの少しだけ微笑んだ。
——変わってないな。あっ、まだ三月半くらいだもんね。そりゃあ変わらないか。
二人は、驚きつつも幾分安堵したような複雑な表情になった。
——二人とも同じような顔しちゃって。
リューシュヴェルドが椅子に座ると、両親の後ろに足が現れた。ボルタークだ。
「立ちなさい」
そう言って、ソジュとケレーラを椅子に案内する。
ずっと付いていてくれたのだろう。
貴族街なんて想像でしかなかった場所へ踏み入れることになるなんて、大人であってもきっと恐怖が勝っていたに違いない。セーラの場合はグレンフィードに守られて、貴族街の様相など見ていないからよく分かっていなかったが、きっとそうだろうと思った。
心の中でボルタークに感謝を言いながら、セーラはリューシュヴェルドの隣に丁寧に腰掛けた。
お茶が全員に揃うのを黙って待ち、ヒースリーが出て行った後ようやく「さて」とリューシュヴェルドが口火を切った。
「ソジュ、ケレーラ。本日来てもらった理由はグレンフィードから書状にて伝えているはずだが、理解はしているか?」
「はい。この度は第二公子様もグレンフィード様も私たちにお気遣いいただき、ありがとうございます」
「では、早速話を進めていこう。セーラ」
「はい」
リューシュヴェルドに促され、セーラはフードを外し、マントを脱いだ。ゼレットがすかさずやって来てマントを預かってくれた。
「セーラ……!」
ケレーラが震える手で口元を抑えながら、思わずセーラの名前を口走った。目には涙が浮かんでいる。
ソジュも驚いた顔でセーラを見ていた。
それはそうだろう。手入れされた真っ直ぐの細い白金の髪は窓から差し込む太陽の光に煌めいている。ざっくりと肩下で切っていた髪は丁寧に整えられて伸ばし始めており、今日は結わずに真っ直ぐのままさらさらと顔の周りを縁取っていた。村でいた時の金錆のようなくすんだ色とは比べ物にならはないはずだ。
セーラも自分の髪色が本来このような色だったとは、と驚いたのだ。
もちろん今までも人と違う金色の髪だと理解はしていたが、他の人からもっと距離が空いたような、そんな寂しい気持ちにもなった。それに、身体も薬液を使い毎日湯浴みをしているのだ。水が豊富な地方とは言え、贅沢なことである。肌も以前より柔らかく白くなっている。
毎日の訓練で姿勢も良くなり、村では決して手に入らない高級な生地で仕立てられたドレスに身を包まれている。
セーラは立ち上がった。
テーブルの横へ一歩移動し、丁寧に膝を引き、両手でドレスを広げて腰を落とした。
もしかしたら、平民に対して貴族はこのような挨拶はしないかも知れない。しかし、両親に見てもらいたいというセーラの想いがそこにはあったのだ。
「第二公子様のお世話になっている、セーラと申します。お見知りおきくださいませ」
ソジュとケレーラは、二人とも息を飲んだように見えた。
リューシュヴェルドが口の端を少し上げて言った。
「セーラは私の庇護下にある令嬢なのだ。今後は、敬称を付けて呼ぶように」
ケレーラが口走ったことを、暗に窘めたのだ。
ケレーラは理解したのか、座ったまま深く頭を下げた。
リューシュヴェルドはセーラに改めて座るように言うと、声を低くして説明をし始めた。
「まずは紹介しよう。グレンフィードとボルタークは知っているな? セーラの隣にいるのがゼレット。別邸の執事長をしている」
ゼレットが微笑むと、ソジュは慌てて頭が机にぶつかるほど下げた。
「ここにいる人員だけが、セーラの加護について詳細なことを知っている。あと数名の使用人が邸にはいるが、セーラに加護があることは知ってはいても、詳細は知らん」
「村では、セーラ……様の外見が良い徴だとわかったので貴族様にお守りしてもらうことになったことを共有し、悪用されないためセーラ様が村にいた事実は無かったことになっております。加護のこととその加護の内容を知っているのは、我々と数名のみです」
ソジュが姿勢を伸ばし、返事をした。
「ああ。グレンフィードから報告は受けている。引き続き秘匿してくれ。何しろ、予想以上に危険度が高いのだ」
「それは……! どのような理由で?」
ソジュの目に心配の色が浮かび、セーラを見た。
「それは知る必要がない」
リューシュヴェルドは一蹴した。
「しかし、今後セーラは、来年の花冠の儀までこの別邸で隠れて過ごすことになる」
「花冠の儀とは?」
ソジュが不思議そうに尋ねると、リューシュヴェルドは一度セーラをちらっと見て、合点がいったような顔をした。
「ああ。君たちだと十五の儀、だったか」
「えっ? セーラは今年終えたのではないのですか? ……セーラ様は」
驚きのあまり、思わず敬称を忘れたケレーラが、顔を青くして付け加えた。
リューシュヴェルドの顔が引きつり、セーラに耳打ちする。
「お前、母親の血を色濃く受け継いでいるな。危う過ぎて言葉にならん」
「なっ!」
セーラも顔を青くしてリューシュヴェルドを睨んだが、ここではまずい。リューシュヴェルドは第二公子であり、両親の目の前では令嬢で在らねばならない。寂しいことだが線を引かねば、危険が増すのだ。
——守られる側も自助努力は必要だもの。というか、リュース様にお前って初めて言われた気がする。リュース様も呆れたのかも。
しかしセーラは抑えて、ケレーラに大丈夫と言うように笑みを浮かべた。サヤアーヤのような微笑み方は出来ただろうか。
リューシュヴェルドは咳払いをして続けた。
「貴族では十五の儀を花冠の儀と言って、貴族街の神殿で披露目も合わせて行われるものだ。セーラが村娘の状態のままでは出せなかったのでな。それから、儀に向けての準備期間と、加護の内容を彼女自身、そして領主が把握するため、それから危険から守る護衛強化や危険予測と範囲や危険人物の調査など、まあ諸々の理由があるが、来年の夏に照準を合わせて、セーラは貴族街で儀を行い、加護を受けた人物として披露目をする」
ケレーラは息を飲んだ。ソジュも歯を食いしばっている。
一年と言っても、もう来年の夏まで一年もない。娘が遠い世界に行ってしまったと思っているに違いなく、セーラもまた、遠いところへ来てしまったと思った。
「セーラが平民出身であることはもちろん秘匿扱いにする。平民と露呈した瞬間、きっと尊厳を踏み躙られる可能性も高く、我々も守り切れるか分からないからだ」
「……かしこまりました。第二公子様のご厚情、痛み入ります。連れて行かれた後は色々な心配をしたものですが、グレンフィード様からお手紙も賜り、今日セーラ様を拝見した限り元気そうで、大事にしていただき感謝しております。私たちと一緒にいても、私の力で守れるかどうか分かりませんし、この期に及んで何かを求めようとは思いません。幸せであれば、と我々は願うだけです」
ソジュは、セーラが子として巣立ったと見なしてくれたのだ。言葉を選びながら、ゆっくりとリューシュヴェルドに発せられた言葉は、セーラの心に染み渡っていった。
——親って、すごいな。親っていう、ただその一点だけで、偉大だな。ありがとう、父さん、母さん。
セーラは、少し込み上がる物を喉奥に感じながら、どうにか堪えて表情を保った。今日ばかりは、醜態を晒したくはない。
リューシュヴェルドは頷いた。彼も思うところがあったのだろうか。少し長めに時間が空き、説明が続けられた。
「それで、セーラから村の果実の自慢をされてな。披露目まではこの別邸にて直接買い付けたいのだ。我が令嬢は我儘で困ったものだが、私も商業ギルドに我儘を通させてもらった」
にっと不敵に笑ってリューシュヴェルドが言ったが、ソジュもケレーラも冗談かどうかが分からず、「申し訳ございません」となぜか謝った。
——違う! 違うよ、父さん! リュース様の意地悪!
またリューシュヴェルドの横顔を睨んだが、リューシュヴェルドに「我が令嬢」と言われたことに遅れて気が付いた。
少し頬が紅潮するのが分かる。
——もう、変な言い方しないでよ!
「いや、そういう訳ではない。しかし、ソジュ。君は警備部の隊長であろう? 商業ギルドでもなく下働きでもない辺境の村人が、貴族街をうろつくのはあまり好ましくない。いくら私の許可が出ているとは言え、他の貴族がどう出るか分からん。もちろんこちらも護衛は出すが、君も責任者として別邸に来る時は必ず同行するように」
「承りました」
「その時はセーラと会うこともあるだろうから、宜しく頼む」
その言葉に、セーラもソジュも目を大きくしてリューシュヴェルドを見た。
そういうことだ。セーラの今後を説明するための面会とか何とか言っていたが、確かに定期的な直接買付や配送など、手が込みすぎていると思っていたのだ。セーラとソジュが定期的に会う機会を作ってくれたのだ。
セーラは、後でたっぷり泣くことを自分に約束して何とか我慢した。
ふとケレーラを見ると、眉が八の字になって目には涙が溜まっている。
——駄目だ。母さんを見るとつられちゃう。
三人からの感謝の目を恥ずかしく思ったのか、リューシュヴェルドは目を瞑って咳払いをした。
「ゼレット。ヒースリーにお茶を淹れ直させてくれ。冷めてしまったようだ。これから買付や配送の段取りを行うから、君が中心に進めてくれ」
「かしこまりました」
いつも通りのゼレットの笑顔とヒースリーが来ることで我に返り、セーラは改めて大人しく口を噤んだ。
主にゼレットとソジュがやり取りをし、ある程度取り決めが整ったところでお開きになった。
「村の珠玉の果実類、立派に育ててくれ。楽しみにしている」
リューシュヴェルドがそう締めくくって、セーラが挨拶をしようとすると、リューシュヴェルドが「少し待ちなさい」とセーラを止めた。
「あー……。ボルターク、二人を南門まで送ってくれ。領内で用事があるならそれも付いていくように。一緒にいても自然な格好に着替えてきなさい」
「はっ」
ボルタークが足早に出て行った。
「ゼレット。私とグレンフィードが出たら使用人用の扉の内鍵を掛けて、入口の扉も施錠するように」
「かしこまりました」
セーラはよく分からず、首を捻る。
「どういうことでしょうか?」
「セーラ。ほんの少しの時間を与える。その間だけは誰も見ていないから、令嬢じゃなくても誰にも分からないだろう」
「えっ?! いいのですか?」
「目溢ししてやる。今だけだ」
そう言って、リューシュヴェルドが出て行った。
両親はその間跪き、来た時よりも深く頭を下げていた。
ゼレットがそっと入り口の扉を閉め、鍵のかかる音が聞こえると、ケレーラは勢いよく顔を上げて立ち上がった。
既に涙の後が頬に見える。
「セーラ……!」
落とした声でそう言い、ゆっくりと手をセーラの方に伸ばしてくる。
セーラも我慢していた心の栓が勢いよく抜けるのを感じた。
「母さん!」
そう言ってケレーラの胸に飛び込んだ。
そうは言ってもケレーラよりセーラの方が背が高い。セーラが抱き締める形になったが、いつも通りしがみ付いた。
「会いたかった!」
気配を感じたセーラは、振り返って今度は言葉通り、ソジュの胸に飛び込む。
「父さん!」
太い腕がいつもよりも少し恐々と回された。
「何だか、セーラじゃないみたいで汚してしまいそうだな」
ソジュは少し笑っていた。
「あはは、あんまり変わってないよ。本当はね」
「頑張っているんだな」
「うん。いっぱい勉強してるわ。でも皆良くしてくれてるの! 最初はどんなことになるかと思ったけど、本当にみんな!」
「第二公子様は、最初お姿を見た時に眼帯もあって怖ろしかったけど、優しいのねえ」
涙の後を頬に付けたまま、ケレーラがしたり顔で言う。先ほどとは百八十度変わった態度に、セーラは笑った。
ソジュも隣で頷いている。
「若いのに、さすが人の上に立つお方だ。セーラ、色々と勉強させてもらいなさい」
「ええ。分かったわ! あっ、そう言えば、コーレンと会ったのよ!」
セーラは、まさかこのような時間があるとは想定していなかったので、話したいことを考えていなかった。コーレンを思い出してよかった、とセーラは思った。
「ああ、聞いているよ。直接手紙を貰ったんだ。あまり詳しくは書けないけれど、『お貴族様に所縁のある令嬢の主治医見習いとして雇われた』ってな。すぐ分かったが……」
ソジュはにやりとした。
「まあ、コーレンったらそんな書き方をしたのね。でも、コーレンも元気よ! 言葉遣いや振舞いもちゃんと勉強しているわ」
「今日はこの後、コーレンの下宿先に行く予定なんだ。もちろん、コーレンともセーラのことは話せないが、サットンにも元気だったって報告をしてやらないとな」
コーレンは母親がおらず、父親と二人暮らしなのだ。
セーラは元気よく頷いて、再び二人ともに腕を回した。
「これからどうなるかは分からないけれど、私はここで頑張るわ。二人とも元気でいてね」
ケレーラは、大きくなったのね、と言いながらセーラの背中を優しく撫で擦った。
ソジュは片手でぎゅっと強く抱きしめてくれる。
神経が和らいでいくようで、セーラは久しぶりの安心感に包まれていた。
もう少し、もう少し、と思っていたが、時は止まってはくれない。
無情にも開けられた扉から両親が出て行った時は、セーラはしっかりとマントを羽織りなおしていた。




