第二章 加護の探究 第三十二話
「なんだ? 今日は良く食べるな?」
一心不乱に目の前の料理に舌鼓を打っていたセーラは、右側の席に座るリューシュヴェルドの呼びかけに、無心で食べていたことに気が付いた。
「も……」
——あ。口の中に入れ過ぎた。
口を開けてはならない。淑女教育課程中のセーラがそのようなことをしてしまうことはご法度だ。何を言われたものかたまったものではない。
——そもそも、口の中に入れ過ぎるのも駄目だったわ。
セーラは、早く報告がしたくて気が急いていた。食事はゆっくりと食べるのが淑女の基本だ。
一生懸命口の中の食べ物を嚥下した後、水を一口飲んでようやくセーラは口を開いた。
ナプキンで口を拭うことも忘れない。
「失礼いたしました、リュース様。今日は良い報告が出来そうですので、食事に集中していただけですわ」
「そうか。後で聞こう」
杖の話は、ここではできない。後ろに控えるボルタークの気配を感じながら、セーラはそれ以上口を噤んだ。
ずっと杖の研究と調査に勤しんでいた毎日に、それ以上の刺激などあろうはずもない。毎日会っているリューシュヴェルドに話をすることが尽きているのも事実だ。
セーラは、ふとリューシュヴェルドの後ろに目をやった。グレンフィードがセーラの様子を見て、少し笑いを堪えているような顔をしている。
——まあ、グレンフィード様ったら……。そんなにがっついてはいなかったと思うけど、無意識だったわ。気を付けようっと。
「そう言えば、グレンフィード様とボルタークが揃うのは久しぶりですね」
セーラはグレンフィードに水を向けた。
「セーラに会うのも久しぶりだな。元気そうで何よりだ。でも、披露目までにはもう少し洗練さが必要だな」
「うう……。頑張ります」
リューシュヴェルドが大きく頷いてグレンフィードを振り返った。
「確かにセーラは覚えがいい。基本的なことは一通りできていると言える。サヤアーヤからも聞いているだろう?」
「ええ。新しいことを次々と教えたいと……。あんな意欲的な姉上は珍しいですね」
「しかし、感情を隠すことは一向に成長の兆しが見えないし、意識しないとこれだ」
「でも、まだ子どもですし」
「ああ。しかし、お前が言った『洗練』は披露目までに必要だな。姉君に伝えてくれ」
「承知しました」
「っ……! ちょっと待ってください! 私の目の前で私を無視して私のことを話さないでください!」
セーラは居た堪れなくなって、会話を遮った。不敬であろうが、こればかりは看過できない。
その様子をちらッと目の端で見たリューシュヴェルドは、ふんっと鼻を鳴らした。
「事実だ」
「わ、分かってますけど……」
リューシュヴェルドの後ろで笑うグレンフィードを見ながら、後ろのボルタークの苦い顔が予想された。
——いつものことだけど、振り返れない……。
「そうだ。報告の前にここで話をしよう。ゼレット、人数分の飲み物を。ソイエッテとヒースリーはテーブルを片付けたら先に退室するように」
給仕をしていた二人が頭を下げて、セーラとリューシュヴェルドの皿を下げ始めた。
——あっ。あと一口……。
意地汚くもう少し、と思ってしまったが、既に腹は満たされている。ここで手を出そうものならまた行儀の話に戻ってしまうだろう。
セーラはため息を吐いて、皿に掛けていたナイフとフォークを運びやすいように丁寧に揃えて皿の中に置き直した。横からソイエッテが会釈して下げようとした時、セーラはナプキンで口元を隠してソイエッテに顔を近づける。ソイエッテが耳を寄せると、セーラはこっそりと囁いた。
「ゼレットに、お茶と一緒に干し棗を持ってくるように頼んでくれる?」
ソイエッテは何食わぬ顔で目だけで了承を告げると、颯爽とその場を離れた。
——やっぱり食後には甘いものが必要よね。……太らないように明日は舞踏訓練をお願いしようかしら。
今日は急いだのもあるかもしれないが、少し胃が張っているような気がする。しかし、既に腹に余裕はないにもかかわらず、欲が治まらないのが不思議なことだ。
ドレスは胸下で切り返しがあるデザインのため、お腹周りに負担がないせいもあるかもしれない。
しかし、セーラも年頃である。もともと華奢で食べても太らない体質ではあるが、身体の重さや肌荒れには敏感なのだ。もちろん、人より痩せているにもかかわらず、腹回りだけポッコリと出るなど言語道断だ。
——後でコーレンに消化薬貰おう。……頼りになる幼馴染だわ。
消化薬が、食べ過ぎていい免罪符になるはずもないが、セーラは調子よくそう思い込んだ。
食卓周りの椅子に皆が腰掛け、ゼレットがお茶を配り終えると、リューシュヴェルドが口を開いた。
セーラは干し棗に手を伸ばしながら、耳を傾ける。
「今日、グレンフィードとボルターク両方に揃ってもらったのは、セーラの両親の面会についてだ」
棗を手に取った瞬間、セーラの手が止まった。
リューシュヴェルドから秋に面会に来ると言われて、セーラは待っていたのだ。
とは言っても、セーラにはすべきこともしたいことも多く、夜ベッドの中でいつになるかと昔のことを思い出すことしかできなかった。
何となく、リューシュヴェルドへの報告の時も言い出せなかった。一蹴されたり、心変わりなどされたくなかったからだ。しかし、これ以上思っていることを先送りにしては、セーラの心配は宙に浮いたままだ。
「リュース様」
セーラは、棗を持ったまま手を引っ込めて恐る恐る尋ねた。
リューシュヴェルドがこちらを見る。
「あの、両親……というか、私が南の村出身だということが露呈したら、村が危険な目に合うかもしれない、と仰っていましたよね?」
「そうだな」
「それで、私が会えば危険は大きくならないでしょうか」
「会いたくないのか?」
セーラは、一瞬言葉に詰まった。
「そんな……! 会いたいです! それはもちろん!」
リューシュヴェルドは久しぶりに少し笑った。
「ならいいではないか。しかし、ここでは便宜上両親と言っているが、君は両親と会うのではない。私が南の村から召喚するのだ」
「どういうことですか?」
リューシュヴェルドが、南の村の果実を好んでいるから個人的に買い付ける商談をするのだという。既にゼレットと商業ギルドで何度も話し合いが持たれ、折り合いが付いているようだ。
定期的に別邸へ直接運んでもらう手筈になるらしい。庇護下にある令嬢もまた村で品種改良された果実に目がなく、同席をする、という流れのようだ。
簡単に説明されたが、セーラは初めて聞く話ばかりでとても混乱していた。
「君の出身が平民であることを伏せることには変わりがない。両親として相対してはいけないが、そうできる時間は作ろう」
「あっ……ありがとうございます」
「君の淑女教育の成果を見せてくれるだろうと期待している」
「かしこまりました」
頭がぼうっとしながらも相槌だけは丁寧に返した。しかし、頭の中まで話は入ってきていない。
「グレンフィードとボルタークは会ったことがあったな」
「はい」
グレンフィードが頷く。
「グレンフィードが私とセーラの護衛を。ボルタークは道案内も兼ねて南門まで出迎えに行って欲しい。くれぐれも、セーラの両親ではなく、召喚した平民であるということを忘れないように」
「はっ」
ボルタークが敬礼した。グレンフィードは席についているが、ボルタークは護衛も兼ねてセーラの後ろに張り付いたままだ。
「召喚状も私が渡しましたので、門番への説明もしやすいでしょう」
セーラがボルタークを振り返った。
「ボルタークは父さんと母さんにあったの?」
「いや、ソジュ殿だけだ」
セーラは、こみ上がるものを感じたが、それ以上言葉にしなかった。父親の様子をこの場で聞くのは良くないと思ったのだ。
その様子を流し見ながら、リューシュヴェルドは続けた。
「ゼレットは、今後のこともあるから同席して欲しい。セーラのことがあるから私が応対するが、それは今回に限りだ。この先会うことはないだろう」
ゼレットが頷いて進言した。
「しかし、あくまで平民であるならば、給仕や案内はヒースリーにさせてもよろしいでしょうか。私が動きすぎない方が良いような気がします」
「そうだな。しかし、話には入らせるな」
「確と承りました」
「一番玄関に近い応接を使用するので準備を。次の火精の日、三刻に南門だったな」
「そのように」
「セーラは、それまで教育の精度を上げておきなさい」
セーラは、頷いた。
「それでは、私はグレンフィードとゼレットと二、三、話を終えてから向かうので、ボルターク、先にセーラを私の執務室へ」
「はっ」
ボルタークがセーラの椅子の背に触れたことを感じたセーラは、素直に立ち上がって挨拶をした。
「それでは、失礼いたします」
ボルタークと二人、リューシュヴェルドの執務室に向かい始めてすぐ、セーラはボルタークを問い詰めた。
「ボルターク、何で言ってくれなかったの?」
「なぜ私が言うとお思いですか?」
「冷静に言わないでよ! 嬉しいけど、怖いのよ。分かるでしょう?」
「私がいます」
ボルタークは冷静さを失わずに簡潔に答えた。
「領都にいる間、二人からは必ず目を離しません」
「ありがとう」
「だから、セーラ様も大人しくしててくださいね。まずは使用人たちや周りの人間に悟らせないように」
「分かってる」
それは、必ず守らなくてはならない。嘘になるが、嘘を吐いても守らなくてはならない。ソイエッテには悪いけれど、彼女を練習台にさせてもらおう。
「それには、この表情筋よね」
セーラは両手で自分の頬を押し、ぐるぐると強くマッサージした。
ボルタークは呆れたように、歩きながらセーラを見下ろした。
「まあ、難しいとは思いますが、なるべく頑張ってください。しかしすごい顔になってますよ」
「うるさい」
「言葉遣い……」
「まあ、口煩いですこと!」
セーラは、最後まで聞かずに言い直した。ボルタークが絶句している。いい気味だ、とセーラは思った。
執務室へ入ろうとした時、大きな歩幅でこちらに来るリューシュヴェルドが見えた。
「あら? リュース様、グレンフィード様は?」
「ああ。城へ戻った」
城は見えているところにあるとは言え、とても広い敷地なのできっと遠いだろう。グレンフィードもボルタークも忙しいことだ。
リューシュヴェルドはボルタークに扉前にて護衛するように指示し、セーラを連れて中に入った。
執務室の中を通り抜けてそのまま私室へ行く。
リューシュヴェルドは私室のソファに座りながら、セーラも座るように手で指示した。
「さて、報告を聞こうか」
「その前に」
セーラもまたソファに座りながらではあったが、リューシュヴェルドの前に手を出して、セーラは話を中断した。
「先ほどのお話、もしかして、私のために動いてくださったのですか?」
「ん?」
リューシュヴェルドは首を傾げる。
「だって、両親を呼ぶために商業ギルドや領主様とお話になられたのでしょう?」
「ああ、一番大変だったのは宰相だな」
少し嫌そうな顔を浮かべながらリューシュヴェルドは呟いたが、すぐに「いや、何でもない」と首を振りながら自分で取り消した。
「……なぜですか?」
躊躇いがちにセーラが言うと、リューシュヴェルドは、黙ってセーラをじっと見た。片目しかセーラからは見えないが、両目で見られているような感覚になってセーラも見つめ返す。
セーラの言う「なぜ」が何を指しているのか、正しくリューシュヴェルドに伝わっているようだ。
暫くして、リューシュヴェルドがこめかみを押しながら口を開いた。今日は両こめかみではないので頭が痛いわけではないだろう。
「それが私の義務だからだ」
セーラは何も答えなかった。どんな答えが来るのかと思っていたが、セーラの聞きたい答えではなかった。
——あれ? じゃあどんな答えだったら良かったんだろう。私の聞きたい答えって、何?
セーラは、自分でも分からなくなった。
「とりあえず、ありがとうございます?」
分からなさすぎて、疑問形で謝意を述べてしまう。
「なんだそれは」
「あっ、ごめんなさい。どうお答えしたものか、よく分からなくなっちゃって」
セーラは慌てて謝った。
「まあいい。本題に戻るぞ」
「あっ、そうだ」
セーラは、良い報告ができることを思い出した。
杖を出しながら、知識を翻訳させるだけでなく、何も書かれていない紙にも知識を具現化できることを発見したと伝えた。
「なんだと?」
これにはリューシュヴェルドも驚いた様子を見せた。
「見せてくれ」
執務机へすぐに移動し、何も書かれていない羊皮紙を持ってくる。
セーラは手に取って、リューシュヴェルドを見上げた。
「何を具現させましょうか?」
リューシュヴェルドは顎に手をやりながら部屋を行き来して暫く考えていたが、思い付いたのかソファに座った。
「これはどうだ? 城門の出入りの記録は? この間知識にしたばかりだろう?」
「はい」
定期的に来る報告書の内容は、全て知識にしている。
志願書や稟議書、人員報告や領地報告、上申書など、リューシュヴェルドの元へやって来る書類は、採択不採択に関わらず、確認済みや未確認であっても、仕事を手伝う傍らすべてを知識に取り込んでいっているのだ。
——もしこれが出来たら、書類の保管の必要がなくなるわね。
そう思った瞬間、セーラは思わずぶるっと震えた。書物や文献だけではなく、報告書の類まで想像していなかったから気付かなかったのだ。
——私が保管庫、って色んな意味で怖いな。これはリュース様だけにしか言えない。知識の館様の言う通りだわ。
「どうした? できないか?」
「いいえ。失礼しました」
セーラは気を取り直して、羊皮紙へ知識を写し出した。
「これは……!」
リューシュヴェルドは驚いて羊皮紙を見つめた。
「報告された時よりまとまっている様だな。しかも、過去の分との比較もあるぞ!」
「ああ。それは文章を要約して簡潔にしたのと、私が他の関連知識の紐付けをしたからだと思います」
「何と……!」
リューシュヴェルドは、切れ長の目を大きく開けてセーラを見た。
少し笑みが浮かんでいる。
セーラは神妙な顔をして、頷いた。
その表情を暫く見ていたリューシュヴェルドから笑みが消えた。
「……これは、怖いな」
「はい。先ほどまでは、良い報告だと思っていたんですけど」
リューシュヴェルドはため息を吐いた。
「いや、いい。これは私に課せられた使命だと思うことにする。君は研究と調査を続けなさい」
「良いのですか?」
「ああ。もちろんだ」
セーラは、少し安心した。リューシュヴェルドがそう言ってくれるなら、大丈夫な気がした。
また少し体が震えたが、それは秋に差し掛かって冷え始めた夜のせいだと思うことにした。
「しかし、私が仕事する時には常に君にいてもらわなくてはならなくなりそうだ」
「えっ?」
リューシュヴェルドが小さく呟いた声が耳に届かずに聞きなおしたが、リューシュヴェルドは首を横に振った。
「いや、何でもない。周りはどうにかする。君は思い付いたことがあればどんどん試しなさい」
テーブル越しにセーラの頭に手をやって、今日の報告の終わりを示唆したリューシュヴェルドに、セーラは何も言えずに退室した。
——やっぱり負担が増えるんだわ。リュース様の役に立てるようで、同時に枷になるなんて嫌だな。知識の館様、精霊様、お力をお貸しください。
ボルタークに付き添われて自室に戻る中、セーラは珍しく本当の意味で祈りを捧げた。




