第二章 加護の探究 第三十一話
今日は空がとても高い。
雲一つなく、爽やかに乾いた風に庭の木々がなびいている。
もう秋だ。
一季をこの別邸で過ごし、最近は知識の館に出向くことはなく、一日を別邸の中で終えることが殆どだ。
とは言っても日々舞踏などの訓練も行う上、村の家と比べると遥かに別邸は広い。移動だけでも体力を使うため、そこまで運動不足な感覚はセーラにはなかった。
セーラが『秘密基地』とこっそり呼んでいる小部屋の中で、窓を開けて籠った空気を入れ替える。セーラは大きく口を開けて欠伸をしながらぐっと大きく伸びをした。
「ふう」
欠伸をして薄ら涙がにじんだ目を見ようと、窓ガラスに映った自分の姿に少し見入った。
「髪、少し伸びたな」
秘密基地の中で一人でいると、暫く鳴りを潜めていた独り言が復活してしまった。セーラはそう言いながら、毛先を弄んだ。
リューシュヴェルドが「伸ばせ」と言った通り、セーラは髪を伸ばしている。
もちろん手を入れていないわけではない。ソイエッテにすべて任せているが、丁寧に梳られた真っ直ぐな髪の毛は、村にいた頃より肌に触れると柔らかく心地がいい。
「抜けた瞬間不潔で汚いゴミになるのに、頭についている間だけは美しいと言われるなんて、あんたすごいね」
返事のない髪に語り掛けると、セーラは満足したのか長椅子に座り直した。
置きっぱなしだった杖を再度手に持って見つめ直す。
今日は、午前中サヤアーヤと訓練を行い、一緒に昼食を取った後はリューシュヴェルドの私室で仕事を、主に翻訳作業を行った。その後、ここで研究に没頭していたのだ。
最近の日課に一つ加わった研究を、セーラは楽しく思っていた。
集中をすると他のすべてが霞のようになる。扉には鍵を付けてもらい、セーラは誰にも憚ることなく思う存分、独り言を言いながら杖と知識とに集中していた。
小さな部屋の中は、長椅子が一脚と壁に向かって机と椅子があるのみだ。得た知識を辿れば欲しい情報は出て来るのだから、資料の類は必要がない。
セーラは杖を弄びながら分かったことを反芻しながら整理することにした。
「まずは、知識にはやっぱり初代領主様の力のことはなかったでしょ? それに、リュース様に城から初代様に関係しそうな文献を探してもらってたくさん預かったけど、それにも無かった」
杖という表記は一つもなかった。「指示棒で示された通り…」という文章が当時の領地に関する調査報告書の中に一文あったのみだ。
このこともあって、翻訳以外の力の具現について初代領主に追求することをセーラは諦めた。
「初代領主様のお人柄や、行ってきたことから推測するなんてできる訳ないもんね」
知識に出てきた歴史で、初代領主のことやアランディア領の起こりについては口伝以外のことはすべて網羅したような気がしていた。それにもかかわらず、セーラには想像が付かなかったのだ。
そこでセーラは、他の加護持ちと言われる人の力から想像してみることにした。
貴族街にある神殿から、精霊や全知全能と創造を司る神、加護について書かれた書物を新たに知識に加え、知識の館で得たことと合わせて紐解いていったのだ。
加護の力に特化して調査したところ、知識だけではなく、火を起こすことができたり、水を呼ぶことが出来たり、物を移動させたり無いものを作り出したりなど、詳細は書かれていないが兎に角、摩訶不思議な人の理の外の力が働くことが加護の力のようだ。力のことは書かれてはいたが、杖についてや詳細な具現化の仕方などは、やはり記録はなかった。
「でも、他の力だって具現してるってことよね?」
セーラは整理をしながら最近の研究を思い出していた。
色々な力を杖を通して具現してみようと思ったが、悉くうまく行かなかったのだ。なぜなのかも分からないが、当たり前だとも思えた。
よく分からない力をよく分からない形に具現させるなど、荒唐無稽な気がしたのだ。
「それが、精霊様に伝わっちゃったのかなあ?」
セーラは首を捻りながら目の前の杖を睨んだ。
「分かったことは、初代領主様の杖についての情報はないってことと、他の加護の具現化の仕方の記録もないってこと」
そして、大きくため息を吐いた。
「ないないづくしじゃん。できることは翻訳だけ? まあ、それでもすごいことではあるけど……」
知識の館や精霊への祈りは、ベッドの中で寝る前には欠かさず続けていたが、基地の中でも疑問が思ったり詰まったりするとセーラは絶えず語り掛けていた。
しかし、あれから知識の館が来ることはなく、揺れる光も現れなかったのだ。
「これは、手詰まりくさいな」
限られた時間の中で集中して取り組んでは見たものの、杖についてセーラに分かることは無かったという事実だけが自信を持って言えることとなったようだ。
そもそも、全ての知識を得たというだけなのだ。
しかし今回の取り組みで得たものはもう一つあった。
それは、知識の拾い方だ。収集から紐付け、整理と答えの出し方はとても勉強になったとセーラは思っていた。歴史や神話など、すぐに経験できることではない。
知識と同様に経験が大切であることは、既にセーラは理解していたが、経験できないことでも想像での疑似経験と周辺知識の理解を深めることで、分かることが多くなる。
それはセーラには一つの方法として理解できたのだ。今回の調査を機に、何度も反復して忘れないように訓練も行った。
それもまた、セーラには楽しかった。
「まっ、一つでも自己満足でも成果と言えそうなものがあって、まだ救いがあった方かも」
そう独り言ちながらセーラが肩を竦めた時、扉の内側で甲高い金属音が鳴り響いた。
「わっ!!」
セーラは焦って杖を取り落としそうになる。
セーラは慌てて杖を光に変え、手の平から体内へ仕舞いこんだ。
杖の具現化と光への戻し方は、当初より流暢にできるようになっていた。
知識の吸収を思い出して模倣してみたところ、うまく出来るようになったのだ。具現も手に現れ、手の上で光に戻り消えて胸の真ん中にきちんと納まるのが分かる。
それを確かめてから、セーラは扉の鍵を開けた。
「セーラ様。何度かお呼びしたのですが申し訳ございません」
「いいえ。今回も気付かなくて……」
ソイエッテの言葉に、セーラは笑いでごまかしながら頭を掻いた。
ソイエッテが部屋を移動し、セーラのための小部屋を設えてすぐのことだった。
セーラは研究に没頭するあまりソイエッテの呼びかけにも気付かず、もしかして中で倒れているのでは、と心配したボルタークに鍵を一度壊される羽目になったのだ。
——あの時は恥ずかしくて死にそうになったわ……。
ちょうど杖の出し入れを練習している時で胸に仕舞いこんだところだったのだ。
恥ずかしさももちろんだが、リューシュヴェルド以外に知られてはならない杖の具現化を見られてしまったかもしれないという事実に、セーラは冷や汗が止まらなかった。辛うじて知識の館から言われた秘密は守られたが、本当に危機一髪だったのだ。
呼びかけに気付かなかっただけのことだが、セーラは危機一髪の事実に震えながら方々に謝罪し、秘密基地を取り上げられなかったことに心の底から感謝した。ソイエッテが心配から難色を示した時はどうしようかと思ったものだ。
もう二度と、気付かないという失態は起こしてはならない。
鍵を直してもらう時に、セーラは呼び鈴を付けてもらうことを提案した。外の紐が扉の隙間から中に繋がり、引くことで部屋の中で呼び鈴が鳴り響く仕様のものだ。
それからは、毎回、呼び鈴で中断されるまでセーラは秘密基地にいることが多くなっていた。
しかし、呼び鈴は思った以上に鳴り響き、毎回セーラは心臓が止まりそうになっていた。
ソイエッテはさすがに呼び鈴を鳴らす前に扉をノックして呼びかけるという礼儀は持っていたが、セーラはまったく気づかないのだ。
ソイエッテに次から呼びかけずに呼び鈴を鳴らすと何度か脅されたが、必ず呼びかけてくれているようだ。
——ソイエッテ様様だわ。でも、ごめんなさい!
今回も気付かなかったことを、へらっとした笑みでごまかした。
「もう湯浴みの時間?」
「いいえ、セーラ様。コーレンが参りましたよ」
呆れた顔でソイエッテが振り返る。
「あっそうか! 今日は目録の日だったわ!」
知識の館へ勉強にいくコーレンが、ネイティオを筆頭とした館の職員たちが目録を纏めてくれた羊皮紙を持ってきてくれたのだ。セーラは、これに概要を追記して知識の館に返さなくてはならない。
「はい、セーラ様。こちらです」
丁寧な言葉が板についてきたコーレンが、セーラに羊皮紙の束を差し出した。
「コーレン、いつもありがとう。次回勉強に行く前に寄ってね」
「ええ、もちろんです。あれから体調は如何ですか? 何やら根を詰めていらっしゃると伺いましたが」
「大丈夫です」
セーラはにっこりした。コーレンの様子は、ボルタークからたまに話を聞いている。庭師のドッカと薬草の栽培に精を出し、効能強化のための研究にも励んでいるらしい。
——コーレン、顔が大人っぽくなってきたなあ。
村のために、頑張って欲しいものだ。
「セーラ様。そうは言っても季節の移り目は体調に影響が出やすいと言われています。お気を付けください」
「ありがとう、大丈夫よ」
すると、コーレンはソイエッテを振り返った。
「セーラ様は大丈夫しか仰いません。これは昔からなのですが、言って下さらないと困るのです。ソイエッテももうセーラ様のことは理解されていると思いますが、何か気付いたらお申し付けください」
「なっ!」
セーラは思わず声を上げた。なぜだか分からないが悪口を言われている気分になる。
——嫌み? 皮肉? コーレン! コーレンは優しくなくっちゃ!
セーラの体調を気にしているので、優しいのは間違いないはずだが、セーラの言葉を信用していないという一点においてセーラは剥れた顔をした。
ソイエッテはくすくすと笑っている。
「ええ。コーレン。セーラ様の性質は理解しているつもりですわ。任せてください」
「大丈夫よ」
セーラは口を尖らせて言ったが、二人に無視される。
コーレンは丁寧な礼をして、部屋から出て行った。今日はこれから街へ帰ってマルシュ医師に薬草のことで質問があるらしい。コーレンも忙しくしているのを見て、セーラは改めて意欲が湧いてきた。
期せずして元気を貰えたようだ。
「セーラ様。こちらで目録の作成されますか?」
執務机を整えながらソイエッテが言う。
セーラは少し考えた。
——翻訳が杖でできるなら、知識をそのまま具現化するのは杖でできたりしないかしら?
考えたが分かるはずもない。
——試してみる価値はあるかも!
そう思ったセーラは、ソイエッテに小部屋で目録作成することを伝えて再度籠った。ソイエッテは、冷たい果実水と薄手の羽織を用意してくれる。相変わらず用意周到だ。確かに喉が渇いていた、とセーラは思った。
秘密基地に戻り、杖を具現化する前に、知識の館と精霊に改めて語り掛ける。
「精霊様、知識の館様。今からまた杖を使います。……そういや、何度も出し入れしてますけど、大丈夫なのかしら? 知識を最初に吸収した時と、杖を最初に吸収した時は大変なことになったけど、今のところ大丈夫そうです。知識の吸収量が多い時は今でも身体が重くなりますけど、杖は大丈夫みたい。もし何か間違ってたら教えてください」
そして、目を瞑って手を組み合わせたまま暫く待ってみる。しかし、答えはない。
何かあれば語り掛けてくれるだろう、とセーラは楽観的に思って続けた。
「翻訳には杖を使っています。思い付いたのですが、翻訳ができるなら知識を具現化することができるかもってちょっと思いました。これから、目録の概要をアランディア文字のまま具現化してみようと思います」
そして、また暫く返事を待った。
やはり何もない。
セーラは目を開けて、手の平に杖を具現化した。まったく苦も違和感もない。
机に置いた羊皮紙の、一番上の一枚を手に取って覗き込んだ。
「わあ! 天候のことだわ」
目録のまとめを一つずつ見て知識を探るのも、セーラには楽しかった。自分だけでは探そうともしなかった知識が、紐づいて整理され、綺麗に頭の中に並んでいく感覚が好きだったのだ。
その書物についての知識を拾い出し、頭の中で簡単にまとめる。
「よし!」
セーラはそう言うと、いつもなら羽ペンを手にして書き始めるところを杖で指し示して祈った。
「概要をここに示したいのです。お願いできますか?」
今は一人なので口に出してみる。
すると、翻訳の時と同様、杖に何の変化もなかったが、羊皮紙にはセーラがまとめた通りの概要が記載された。
「わお!」
セーラは喜んで声を上げる。
思い付いてみたことが初めて形になったことと、加護の力の重みがどんどん増しているようで、心が躍るような気分になったのだ。
——まだまだ、できることがあるかもしれない。リュース様に報告しないと!
調査を始めてから、芳しくない報告しかできていなかったのだ。
これは、是非とも聞いていただかなくては、とセーラは意気込んで残りの目録に杖を翳し始めた。
知識を扱いながら並行で別のことを考えることはもう慣れている。作業を続けながらセーラは思った。
——湯浴みして、その後夕食でしょ。その後にいつもの報告の時間だもんね。リュース様! 待ってなさいよ~!




