第二章 加護の探究 閑話 -3- 後編
「……。私は、お払い箱ですか?」
ソイエッテは、夕焼けが濃くなった薄暗い執事室長の小さな執務室の中で、小さくそう言った。
涙を堪えるのに必死で、声が震えそうになるのを何とか押し留めた。あまり声を発すると、涙が零れ落ちるだろうことがソイエッテ自身にも分かる。
「いいえ」
軽くゼレットが否定する。
「なぜでしょう? 貴方はセーラ様の侍女で変わりありませんよ。ただ、部屋を移動してもらうだけです」
ゼレットから聞いた内容は、前向きに思えかけた自分を打ち崩す内容だった。
現在ソイエッテが生活をしているセーラの部屋の続き間から、侍女部屋を一部屋別で与えるから移動しなさいということだった。
侍女部屋は、セーラの部屋からそこまで離れていないが、もちろん続き間のようにセーラの気配を感じられる場所では全くない。
——これ以上、セーラ様に何かあっては大変なのに。私が離れる時間が増えるなんて。
セーラの側から離れる。その一点だけで、ソイエッテはまるでお払い箱になったような、「いらない」と言われたような、そんな存在価値の喪失を感じていた。
ソイエッテは、涙をこぼさないように細心の注意を払って口を開いた。
「リューシュヴェルド様は、なぜ……」
疑問を口にすると、ゼレットは言い終わる前に首を横に振る。ソイエッテは途中で口を噤んだ。
「セーラ様ですよ」
「えっ?」
「セーラ様のご希望です」
「そんな……」
まさか、セーラがソイエッテを? 嫌われていたのだろうか。確かに、任務の件もあって必要以上に親切には出来ていなかったかもしれない。先ほどもまさに反省をしていたところだ。
情を感じ始めている相手に拒絶をされるとは、このように苦しくなるものか、とソイエッテは任務を与えた父親やリューシュヴェルド、領主にまで少し恨みがましい気持ちを持ってしまった。
ソイエッテとは対照的に、ゼレットの表情は軽やかだ。
ソイエッテがあまり感情を出さないせいか、気付かない振りをしているのか、固執していることに深く問いただしては来ない。
しかし、何かの違和感は感じているようで、丁寧に説明を始めた。
「ソイエッテ。これは、セーラ様のご希望です。とは言え、貴方の仕事振りに何か不手際があるなどといったことはありません。ご安心なさい。セーラ様のお気遣いが半分、後は我儘が半分といったところですかね」
「えっ?」
ソイエッテは一瞬面喰って、一度大きく目を瞬きさせた。
「まずは、加護についてです。私も存じ上げないのですが、新たに導きがあったのです。セーラ様は、これからこのことについて取り組んでいかねばなりません。それには、集中できる時間と場所が必要になるそうです。それにもちろん、取り組んでいる間、我々の目に入るようなことは避けたい、とリューシュヴェルド様もお考えです」
それは確かにそうかも知れない。加護が発動するところを実際にソイエッテは見たことはないが、想像するだけで怖いような畏れ多いような、そんな気分になる。
ただ、そんな中に自分より年下の花冠の儀すら終えていない少女が一人で取り組むなど、リューシュヴェルドが本当に許可をしたのだろうか。
「セーラ様がお一人で加護に向き合う必要があるのは……理解できます。でも心配ではありませんか?」
不敬にならないよう言葉を選びながら、ソイエッテはおずおずと小さな声で進言した。
ゼレットは、少し考える様子を見せた。
「いいえ。私は貴方よりセーラ様の加護の力を知っています。最初こそ身体が慣れず確かに心配な部分はありましたが、セーラ様はすぐに扱えるようになりましたしね。それに、リューシュヴェルド様は、セーラ様と同じだけの情報を得て判断なさったのですから、そこは我々がとやかく言うところではないでしょう」
「……はい」
ソイエッテは知らない。セーラが加護を得てどのような負担があったのか、それとも力が湧いてくるのか、不安はないのか、精霊に守られている安心があるのか、そんなことは一度として話して来なかったからだ。
そのことに気付き、ソイエッテは今度は悔しい気持ちになった。
——やっぱり、もう少し私が歩み寄れていたら……。
過去を振り返っては、違う選択肢の先を想像して落ち込んでしまう。
ゼレットは話を続けていた。
「それにね。セーラ様はずっと淑女の顔をしていなければならないでしょう。ご自身の部屋でも」
「それが何か?」
「貴族の令嬢にとっては当たり前のことかも知れませんが、彼女は村娘です」
「それが、何か?」
「たまには村娘に戻してあげることも、良いのではないか、とリューシュヴェルド様が仰っていました。ただし、皆の目の前で戻ることは、基準を下げることになり兼ねません。厳しくある必要もあるのです」
ゼレットは小さく笑いながら言った。
ソイエッテは気付いた。
ソイエッテも下位とは言え、貴族に位置する。貴族としての手の抜き方、分からないようなサボり方、外してはいけないところ、そう言った力加減は子どもの頃から分かっている。
しかし、セーラにはもしかしたら分からないのではないだろうか。自分が平民の家で暮らせと言われたらどうだろうか。
そんなことを、ソイエッテは初めて考えた。
「私、全然セーラ様のお気持ちに寄り添えてなかったんですね」
気付いた時、そんな言葉がするりと口から出た。
「いいえ、そんなことはございませんよ。貴方はセーラ様が淑女として恥をかかないため後押ししてくれています。平民の娘だからと見下すこともなく献身的に。私もセーラ様も評価しておりますよ」
「でも、私……セーラ様の体調を見逃してしまいました」
ゼレットは驚いた顔をした。それを見て、ソイエッテは初めて表情に落ち込みが出てしまったのだと思ったが違う。頬に熱いものが流れるのを感じた。
「も……申し訳ございません」
慌ててソイエッテは涙を拭うと、心を落ち着けた。
ゼレットは少し困ったような顔をしたが、ソイエッテの涙については何も言わなかった。
「それは気にすることはありません。セーラ様も仰ったでしょう?」
そう言って、「さあ」と一段声を張ると、手を叩いた。
ソイエッテの落ち込んだ気分はそのままだったが、上司のその態度は気を引き締められるようで、頭を切り替える。
「新しい侍女部屋は今の続き間より広いですし、貴方も落ち着けるでしょう。明日にでも荷物の移動をお願いします。必要であればヒースリーを使いなさい。セーラ様は先に食堂に向かわれておりますので、この後給仕に向かうように」
「承知いたしました」
ソイエッテは退室の挨拶をすると一人先に食堂へと向かった。
——やってしまったわ。執事長、申し訳ございません。
心の中は乱れていたが、表情には出さない。丁寧に心の中で謝りつつ床を見たまま足早に向かう。
こんな時、セーラであればそのまま目を腫らしこちらが居たたまれないくらい落ち込む姿を見せるのだろう。
淑女としてはあり得ない姿なのだが、今回ばかりはソイエッテにはそれがとても羨ましく感じられた。
——さ、仕事仕事。
仕事の手順を頭に思い浮かべながら移動していると、落ち込んだ気分も薄れてくる。
その後ソイエッテは、いつも以上にきびきびと立ち働いた。
一日が終わり、ソイエッテはセーラの部屋に続く侍女部屋のベッドに座り、一人肩をさすっていた。集中し過ぎたのか、いつも以上に肩が凝っている気がする。そのままぐるぐると腕を回す。屈伸や柔軟など、寝る前の日課になっているストレッチを行い、最後に伸びをしたところだった。
小さく部屋の扉が叩かれる。この扉が叩かれたことは初めてではないだろうか。
誰が……セーラに決まっているではないか。
何かあったのかと、ソイエッテは慌てて扉を開けた。
「どうかなさいましたか?」
ソイエッテはセーラの後ろにも気を配りながら尋ねた。
顔を見ると、何だか落ち込んでいるように見える。
——本当に分かりやすい方だこと。
「何を落ち込んでいるのですか?」
「えっ? いえっ、そういう、わけじゃ……」
顔を赤くしてぶんぶんと首を振るセーラを見て、再び羨ましくなった。
「あの」
セーラが言った。
「ゼレットから聞いたと思うんだけど、この部屋、私が使うようにしてもらうの。それで、考えてたら、ちょっと寂しくなっちゃって」
——寂しくなっちゃって……ですって?!
ソイエッテは呆気にとられた。
「セーラ様のご希望と伺ったのですが?」
「そう! そうなんだけど! でも寂しくなるでしょ? いたのにいなくなるんだから」
「いなくなりませんよ」
「そうなんだけど……」
ソイエッテは、何だか落ち込んでいた自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
ソイエッテの心配や不安などお構いなしに自分勝手に気持ちをぶつけてくるセーラを、本当は我儘な貴族令嬢ではなかろうかと、ソイエッテは少し疑って微笑ましくなった。
「お茶を淹れましょう」
部屋を出て、セーラの部屋の灯を灯す。
ソイエッテが温かいお茶を用意して戻ると、セーラは、恐縮してソファに座って固まっていた。
「あの、ごめんなさい」
「何がですか?」
「いえ……」
多分、全部だ。部屋を移動させることも、ソイエッテに相談をしなかったことも、勝手に寂しくなったことも。それを言葉にし難いと思っていることもすべて顔に出ている少女を見て、ソイエッテは優しい気持ちになった。
そしてその優しい気持ちが、落ち込んだ気分を消していくような気がした。
ソイエッテはお茶を淹れるとセーラの隣に座って、セーラの手を取った。不敬に当たろうが、今この時は二人きりなのだ。
セーラが不敬だと言ったら、容赦なく言葉遣い諸々で反撃できるはずだ。
「セーラ様。私、自分で思った以上にセーラ様の不調に気付けなかった自分が許せなかったのですわ」
「えっ? それはソイエッテのせいじゃありませんよ?」
セーラが驚いた顔をする。その話はとっくに終わっているはずだと思っているのが伝わった。
「ええ。セーラ様はお許しくださいましたし、そもそも私の責任だとは思ってもないことは分かります。でも、私、落ち込みやすいのです」
「ええっ? ソイエッテが? 全然見えない……!」
「そうでしょう? 私も下位とは言え、淑女教育を受けた貴族ですもの」
「まあ! 素晴らしいわ!」
口を大きく開けて薄暗い灯の中、翡翠色の目をキラキラと輝かせるセーラを見て、ソイエッテも素直な気持ちになる。
——この時間だからかしらね。何だか素直に話せるのは。
ふふっと笑って、ソイエッテは続けた。
「落ち込んだのは、悔しかったのもあるかもしれません。でもそれ以前に、私はセーラ様に寄り添えていなかったことに改めて気付いたのです」
「そんなことありません。ソイエッテは、誰よりも私のことを気遣って世話してくれています」
握り返す手の力が強くなる。
ソイエッテは首を横に振った。
「私、加護のことだけではなく、セーラ様が知らない世界で一人で置かれている事実を、加護持ちだから、領主の庇護下にあるから、と当たり前のように思っていたんです。自分がその立場に置かれたらどんなに心細いか……。そんなことに気付かずに加護に気を遣ってセーラ様に気を配っていなかったのですわ」
セーラは首を横に振るが、何も口には出さなかった。
ソイエッテが許しを請うている訳ではないことが分かったのだろう。
「残念ながら、セーラ様のご家族のことや村の話を私は聞くことはできません。もちろん加護の話もです。でも、普段の生活でお困りのことがあれば、セーラ様のお側におりますのでこれからも何なりとお申し付けください」
「ソイエッテ、ありがとう。部屋は離れるけど、これからも宜しくお願いします!」
みるみる内にセーラの目に涙が浮かぶ。堪えている様だが、翡翠色が揺れることが美しく、ソイエッテは見入ってしまう。
「さあ、それでは明日も早いでしょう。お茶を一杯飲んだら寝ますからね」
いつも通りに、それに少し笑顔を加えて、ソイエッテは言い切った。
「はっ、はい!」
——一つ年下だけれど、もっと年下に見えるわ。末っ子の私の妹みたいね。
ソイエッテはそんなことを思いながら、セーラに自分の話をした。
セーラの話は聞くことが出来なくても、自身の話であればすることができる。想像力豊かで知識豊富な彼女が、少しでも近しい存在として感じてくれますように。次は自分から気付くだけではなく、助けを求めてくれますように。そう願いながら、ソイエッテは色々話をした。
終わるころには、とてもすっきりした気分になっていた。
翌日、洗濯物を持って廊下を歩いていると、ゼレットに呼び止められた。
「ソイエッテ」
「はい、どうなさいましたか?」
籠を両手で抱えたまま、挨拶をする。
「引っ越しはどうしますか?」
「あっ、午後に移動します。ヒースリーお借りできますか?」
「もちろん。もし希望があれば、この機会に休暇も取っていいですよ」
ゼレットなりの優しさだろうか。
「いいえ」
ソイエッテはきっぱりと笑顔で言い切った。
「今はセーラ様が大変な時ですもの。大丈夫です」
「分かりました」
ソイエッテが小走りに洗濯場に向かう様子を見てゼレットが安心したことは、ソイエッテは知る由もなかった。




