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終わらない物語 - Beyond -  作者: irie
第一部 初めてとの出会い
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第二章 加護の探究 閑話 -3- 前編

 夕方が迫っているこの時間、することが何も無くなって、ソイエッテはセーラの部屋の窓際の椅子に座り、持っていた羽ばたきを弄びながら窓の外を眺めていた。

 ソイエッテは一人留守番だ。 

 ——今日は湯浴みはもう終わったし、掃除も片付けも全て終わってしまったものね。後は、報告に行ったセーラ様が戻られるのを待つだけだわ。

 主のいない部屋に訪れる者は、この別邸では限りなくあり得ない話だ。

 ましてやソイエッテに用事がある者など、今まで一度もなかったのではないだろうか。

 ソイエッテの方から下働きの者に声を掛けたことはあるが、そもそも人数も少なく、他に女性はいないのだ。自分のことを大人しいと自覚しているソイエッテが、年齢や性別、身分の垣根を越えて仲を深めるなど、なかなか難しい。

 女性というと、サヤアーヤはほとんど毎日訓練にやって来るし、たまにペレットがセーラの装いについて訪れていたが、セーラの侍女という立場を弁えて接することしかできるはずもない。

 週に一度は休みを貰って貴族街にある我が家へ戻っているし、家族と過ごす時間はソイエッテにとって大切な時間で母親には甘えて話もするが、離れているとセーラが大丈夫かどうか不安にもなった。

 そして、セーラが倒れて看病に奔走している間、戻ることすら考えなかった。

 そう、先日ソイエッテはへまをしたのだ。

 いつもと違うセーラの様子を気付いていながら、見逃したのだ。もしあの時気付いていたらセーラは意識を失うほどに消耗しなかったかもしれない。風邪を拗らせて何日も寝込む様なこともなかったかもしれない。肺炎にまでならなかったのは幸いだったが、その恐れだってあったのだ。

 ソイエッテが見逃さなければ……。

 大したことがなかったとは言え、領主一族から加護持ちであるセーラの身の回りの世話を預かった以上、セーラに何かあっては大変なことになる。家にも影響があるかもしれない。

 ソイエッテは認めたくなかったが、セーラに仕え始めてからずっと、怖いと思っていた。加護持ちで、通常の人間には分からないことも多いのだ。分からない、ということが怖かった。

 見た目は違うが、それ以外は自分とさして変わりはないように思えた。加護の力を目にすることもなかった。セーラは働きすぎて顔色が悪い時は多くあったし感情に振り回されているのはよく見て取れたが、それはソイエッテには()()()()()()という安心もまた与えていた。

 そして、セーラは何にでも感謝した。感謝より謝罪の方が三倍ほどは多いが、それも()()()()()という意味でソイエッテには安心を与えていた。

 上位貴族の姫君たちは、扱い難い人間も多いからだ。

 ソイエッテは消極的で悲観的な性質タイプだった。

 だからこそ仕事に抜かりはなく、後ろを常に振り返りながら正確に物事を進めることに長けていた。

 そんな自分を好きだと思ったことは一度もなかったが、セーラに感謝されると心の奥が少しこそばゆいような感じがしたのは事実だ。

 それなのに、見逃したのだ。

 ソイエッテは自己嫌悪に陥っていた。普段通りにしているが、内心はずっと落ち込んだままだった。

 そこには、大変なことになるかも知れないという恐れ以上のものも感じていたのだが、それを認めては仕事に差し支える、と頑なにソイエッテは自分の感情に抗っている。

 誰も見ていない室内で、ソイエッテは口をへの字に曲げた。

 ——引き受けない方が良かったかも。そんな選択肢はないけれど……。

 ソイエッテは窓の外を見るともなく見ながら、これまでの別邸でのことを振り返っていた。


 ソイエッテは、貴族街に家を賜る下位貴族の三女として生まれた。領主に仕える役人の父と、優しい母、頭の良い姉たちに囲まれ、贅沢は出来なかったが愛されて育ってきた。

 姉の一人は王立学院での高等教育を優秀な成績で卒業し、現在は領主一族の家庭教師をしている。もう一人の姉は王立学院に在学中だが、研究が楽しいようで帰領した時には面白い話を聞かせてくれる。王都で研究を続けたいという夢を持っているようだ。

 二人の姉は、キラキラと輝いて見えた。

 ソイエッテもまた、姉のように勉学に励み、消極的ではあるが、ゆくゆくは父の仕事を手伝いたいとひっそりと思っていた。

 しかし、十の頃に王立学院に通い始めたソイエッテは、自分に才がないことを知ったのだ。

 いくら頑張っても普通だった。

 馬鹿ではない。要領が悪いわけでもない。手を抜いているわけでも、さぼっているわけでもない。ただ、普通以上に情熱を傾けたかと問われれば、それは違うような気もしていた。

 普通通りに頑張って普通だったという当たり前の結果が、そこにあった。勉強は、ソイエッテにとって決して楽しいものではなかったのだ。そして、父を手伝いたいという願いも、希望であって自分の夢ではなかったのだ。

 ソイエッテは、花冠の儀を前にして悩んだ。

 下位貴族で大人しく、社交にも長けていない自分は早い結婚には向かない。既に家庭教師の姉には婿になる予定の婚約者がおり、次代の家は安泰だ。

 父は家格を上げることに拘りはない実直な人間で、娘を上位貴族に嫁がせる考えなどあまりないだろう。

 とは言え、()()のソイエッテが王立学園で引き続き高等教育を受けたところで、どれほど役に立てるか、何になれるかは分からない。

 他には何も思い付かなかった。

 自分が何にも踏み出して来なかったことに、ソイエッテは初めて気づいたのだ。自分の得意なことが何か分からない。もうすぐ花冠の儀で、結婚ができる年になるのに自分のことが分かっていない。

 その事実にソイエッテは悲観し、悩みに悩んだ。

 しかし、無情にも時間は平等に過ぎていく。ソイエッテが悩んでようが悩むまいが、そんなことは世の移り変わりには何ら影響はないのだ。

 それでも自分の中で折り合いが付くことはなく、花冠の儀の直前、心配した母親が提案してくれたのだ。

 母親の姉は、上位貴族に嫁いでいた。

 姉妹仲は良く、姉が領地から貴族街に戻ってくる時には必ず会っていたようだ。ソイエッテも、王立学院へ行く前は何度か会ったことがあった。

 その姉に相談したところ、手に職をつけてみるのはどうか、と助言をもらったらしい。姉の侍女が懐妊し、その間侍女見習いとして預かっても良いということだった。

 ソイエッテは、消極的であるにもかかわらず、その時は二つ返事で引き受けた。

 それしか無かったからだ。

 それに、母親は命令ではなく提案をしてくれた。その優しさにほだされたのだ。

 ソイエッテは花冠の儀の後、本来の侍女が出産するまでの代わりに、侍女見習いとして上位貴族に仕えた。

 母の姉は母とは違い厳しく、侍女長はそれ以上に厳しかったが、ソイエッテには指示されてその通りに動くことは合っていた。悲観的であるがゆえによく気が付き、勉強とは違い答えが目に見えることで正解が分かりやすかった。失敗すると落ち込みやすい性質は変わらなかったが、正解が分かるとすぐに動くこともできるようになった。落ち込んだ顔をなるべく出さないことも、仕事に集中することでできるようになった。

 そして、自分の手先が案外器用で正確であることがその時初めて分かったのだ。シーツの整えから掃除や繕い、髪結いに化粧、着付けや給仕など、すべてに成果が出た。

 ソイエッテに得意とすることができたのだ。この道を進もう、と自然とそう思うことができるようになっていた。

 それからの一年弱はあっという間に過ぎ、お産を終えた侍女が帰ってくると、ソイエッテは実家に一度戻った。母の姉から推薦してもらえる筈だった家が、事情によりソイエッテを雇用できなくなったのだ。

 ソイエッテは落胆した。

 仕え慣れ始めた家から離れることは寂しかったが、次への一歩を踏み出す自信が出てきたところだったのだ。その心意気をぽっきり折られたような気がした。

 それでも、父と母がソイエッテの職場を探している間、実家の下働きに混ざっては一緒に仕事をした。実家には侍女など雇う余裕はなかったから、下働きの平民が教養を身に付けてそのような仕事も担っていたのだ。皆は恐縮したが、ソイエッテ自身の居心地は良かった。

 数日後、父親が青い顔をして戻ってきた。

 どうやら城で何か大変なことがあったらしい。

 ソイエッテは、心配そうな顔をする母を置いて、父と二人だけで話をした。

 父親は言った。

 領民の中に加護持ちが出たこと、それをアランディア領の庇護下に置くこと、家族であっても他言は決してしてはならぬこと、それから、加護持ちは第二公子の別邸に置かれること、身の回りの世話をする者が必要なこと……。

「お父様、それって……」

 思わずソイエッテは口を挟んだ。

「ああ。私がソイエッテの働き口を探していたことをご存知で、私に打診があったのだ。秘匿も秘匿、まさか下位の私がこのような重大な話を受けるとは思わなかった」

 父親が青い顔をしていたのも頷ける。ソイエッテと同様、そんなに強く太い精神の持ち主ではないのだ。

「それで、お父様……」

 小さな声でソイエッテが呼び掛けると、悲しそうに父親はソイエッテを見た。

「ソイエッテ、すまない。しかし、これは良いことなのだ。領民に加護持ちが出た。初代領主様からこっち、加護持ちの話など聞いたことがない。領主様からの打診に協力をせぬ、という選択肢は、何をどう考えてもないのだ」

 ソイエッテはその言葉に、しばし逡巡した。

 父親の言う通りなのだ。領主様からの打診というだけでまず断れるはずもない。それに真面目な父のこと、領のことを考えても自らであれば諸手を上げて協力に奔走するだろう。

 しかし、今回白羽の矢が立ったのはソイエッテだ。

 そのことを憂慮してくれるだけで、ソイエッテは嬉しかった。

 ただ……、とソイエッテは考えた。

 加護持ちは平民だということだ。平民にどう仕えればよいのか、そんなことは教えられていない。ソイエッテの知っている平民は下働きの気のいい人たちと家に出入りする業者だけで、それ以外の一般の平民がどのような()()なのかも分からない。

 怖い、と単純にソイエッテは思った。

 嫌だ、とは思わなかった。

 父親が、答えに窮するソイエッテの肩に手を置いた。

「ソイエッテ。今回は任を既に受けたのだ。ソイエッテには行ってもらわなければならない。このような言い方をしなければならないのは本当に心苦しいのだが、分かっておくれ」

 不安なまま父親を見上げたが、どうやらこの怖さを助けてもらえる余地はなさそうだ。

 肩を落として、ソイエッテは「分かりました」と一言了承した。仕事、と割り切る他なさそうだ。

 父親は悲しそうに頷くと、三本の指を立てた。

「今回の任は三つ。加護持ちの侍女として身の回りの世話をすること、加護持ちのことは誰にも言わないこと、それから、その加護持ちが領に害を及ぼす恐れがないかを見定めること」

「えっ」

「むしろ、最後の任がとても重要だ。まだ若いお前には荷が重い話だと思う。しかし、加護持ちがどのような人間なのか、領主もご存知ではないのだ」

「その加護を、悪いことに使う可能性があるということですか?」

 父親は慎重に頷いた。

「まだ少女のようだし、そうでなければいいと思う。しかし、利に走って害をなした事例がないわけではないし、それを使われたこともないわけではない、と文献に記録がある」

 アランディア領の話ではないがな、と自分にも言い聞かせるように父親は言った。

「分かりました。何ができるか……むしろできることは少ないかも知れませんが、私でお役に立つなら行ってまいります」

「頼む」


 そうして、ソイエッテはあの日、初めて別邸にやってきたのだった。

 サヤアーヤとネイティオに挟まれて居心地の悪い思いもしたが、第二公子からの命は、父親のそれと同様のものであった。

 ソイエッテにすべきことは理解できていた。そして、やはり怖かった。

 ——今も怖い? いいえ。そうではないわ。いや、やはり怖いわ。種類は違うけれど。今は……。

 ソイエッテは一人思い出しながら考えていた。

 初めてセーラを目にした時だ。

 セーラがショールを取って顔を上げた瞬間、あまりの美しさに息を吞んだ。

 加護持ちが色を得ることは知っていた。事前に第二公子からも髪色と瞳が人と違うことも聞いていた。

 しかし、いざ目の前にすると、その神々しさにソイエッテは平伏したいような衝動に駆られたのだ。これが、辺境領の更に辺境にある村からやってきた平民なのか。それとも加護持ちは、容姿にも斯様に影響するものなのか。

 それからソイエッテはセーラを見ることができず、常に目を伏して話をしてしまうという不敬を働いてしまった。

 ソイエッテは思い出しながらふっと笑った。

 すんなりと真っ直ぐに伸びた手足の華奢な身体に、真っ直ぐに輝く白金の髪を持ち、宝石のように光で色を変える翡翠色の目を持っている主に仕えることになったことが、未だに信じられない。

 中位貴族、欲を言えば上位貴族に仕えたいとは思っていたが、まだ一年経つか経たないかの経験しかないソイエッテが領主一族に侍女として抜擢されるなど、一般的にはあり得ない登用に違いない。

 しかし、口から言葉が出て来るなど思えない、人間ではないようにも思えたセーラが、まさかあのように()()()()()性質を持っていたとは、ソイエッテには驚きの連続だった。

 ——私も怖かったけど、私以上に怖がっていたわね。

 三番目の任務を遂行する上で、もともと人間関係も奥手なソイエッテが距離を図るなど難しい話だった。必要以上に近づかないようにしていたが、本来の仕事に影響が出てはならない。

 必然的に冷たい口調になってしまうのは当然だったかもしれないが、その度に顔色が変わるセーラを見て、心苦しく思ったものだった。

 ——あれは、お可哀そうなことをしてしまったわ。一人で知らない世界に送り込まれて、私より心細かったに違いないのに。

 それでも、救いはセーラの前向きな資質だった。

 ソイエッテとは違い、目の前のことに懸命に取り組むセーラの姿は、ソイエッテには眩しく映った。

 全ての知識を得たという加護のお陰か、セーラはどんどん吸収し、サヤアーヤの教育課程も率先して取り組み、寝る前まで自習もして成長していくさまを、ソイエッテが一番近くで見ていたのだ。

 年下であっても尊敬できる存在に変わっていったのだが、その感情にソイエッテが気が付いたのは最近だった。

 サヤアーヤは早くからセーラと師弟という良い関係を築き、会ってはいなかったがネイティオとも関係を築けているようで、知識の館に向かうセーラは楽しそうに見えた。

 ボルタークと軽口を言い合うことも、セーラは心から楽しんでいるようだった。

 ——それに比べて。

 ソイエッテは自分の対応を振り返った。

 彼らと比べると、ソイエッテは何と杓子定規な侍女であったことか。もちろん、気を配って抜かりなく入念に取り組んではいたが、主の心に寄り添えていたかと問われれば、そうではない。

 ——反省しなければ。優しいセーラ様は咎めることはしないけれど。もう、あんな怖い思いをするのはごめんだわ。

 もう一度思う。

 あの時、ちゃんと気付いて見逃さなければ。

 もう少し言葉を交わしていたら。

 気持ちを汲み取っていたら。

 とても怖い。セーラを失うことをもう想像してしまったのだ。それを考えるととても怖くなる。

 最初の怖さと意味がまったく変わっている恐怖だ。

 しかし、この感情を認めると、仕事がしづらくなるであろう。

 その感情の制御と正しい距離感は、まだ経験不足のソイエッテには難しそうだ。

 ——サヤアーヤ様の見事な手腕をぜひとも見習いたいところだわ。

 ソイエッテはそう考えながら、情が移りかけている自分を抑えようと努力をすることに決めた。

 ソイエッテには珍しく、落ち込みながらも自分が()()()だと思えた時、扉の外からソイエッテを呼ぶゼレットの声が聞こえた。

「ゼレット?」

 薄く扉を開けて外に出る。執事長であっても、主のいない部屋に勝手に招き入れるわけには行けない。

「ソイエッテ、話があります。こちらへ」

 感情の読めないゼレットの笑みを、さすがだと思いつつ訝りながら、ソイエッテは付いていった。

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