第二章 加護の探究 第二十九話
セーラは、訓練した足捌きに気を配りながらも、いつもより早足で執務室へ向かった。
——やっとだ……!
久しぶりのリューシュヴェルドだ。
数日空いただけのはずなのに、何故だかずっと会えてなかったようにも思える。暫くの間、毎日近くで仕事をしていたからかもしれない。
——あと、知識の館様との一件がとても大きな出来事だったからだわ。
セーラはそう思いながら、リューシュヴェルドに挨拶をした。
「ご無沙汰しております」
セーラがフードを頭から外し、スカートを持って丁寧に挨拶をすると、リューシュヴェルドは怪訝な顔をした。
「なぜそんな顔をしている?」
「えっ?!」
セーラは驚いて自分の頬に手を触れた。
「そんな顔とは?」
「機嫌が悪そうだ」
「そっ、そうですか? そんなことはないです」
心の奥でリューシュヴェルドの帰りが遅いと思っていたから、それが顔に出たのかも知れない。
——危ない、危ない。
慌てて取り繕ったが、既に遅かったようだ。
「そんなことはある。何だ?」
「いいえ。申し訳ございません。リュース様が気に留められるようなことでは……」
「何だ?」
「うっ……」
——遮られた!
眼帯の奥から見透かされているようで一気に居心地が悪くなる。
セーラは口の中でもごもごしながら、自分でも分からない感情をつらつらと説明した。並行して顔が熱くなるのが自分でも分かる。
「あの……。すぐに報告したいと思ってお知らせしたのに……。私の風邪とか、リュース様のお仕事とか……、そんなことがあってちょっと遅くなったのに、まだ待てって言うからちょっと、あの、ほんの少しだけ、あの……文句が顔に出たというか……何というか……」
耳まで赤くなりながら、リューシュヴェルドに思っていた「遅い」というじりじりとした気持ちも忘れ、最後はしどろもどろになった。
——これ以上言えることなんてないし! 私子どもみたい……。
すると、リューシュヴェルドは合点が言ったかのような顔をして、興味が失せたように呆れた声を出した。
「ああ。何だ。ただの不満か」
セーラは開いた口が塞がらなかった。
——この人……! 本当に人の気持ちが分からないのかしら! あっさりばっさり!
顔の赤さは、そのまま少し怒りに近い感情に戻ったが、それも不満と捉えられたのか今度はリューシュヴェルドは何も言わなかった。
「それでは、君が報告したいと言ったことを聞こう。何しろ、事前に何も聞いていないからな。加護のことか?」
セーラは、その言葉に気持ちを切り替えた。こんな感情に振り回されている時ではない。
「その前に、本日はグレンフィード様はいらっしゃらないのですか?」
今日はリューシュヴェルドとセーラ、リューシュヴェルドの別邸における侍従であり執事長のゼレット、セーラの専属護衛としてボルターク、この四人のみだ。
「ああ、別の仕事がある。戻るまでまだ時間があるが、待った方がいいか?」
セーラが加護持ちであることは見た目でも分かるため、ソイエッテやサヤアーヤ、ネイティオ、ヒースリーや館の下働きなど、知る者は他にもいる。
しかし、加護の内容までとなると、城にいるセーラが会ったこともない御仁以外は、グレンフィードを含んでここにいる者だけなのだ。
セーラは、リューシュヴェルドにしか言えないことだが、それが言えないことをまず説明した方がいいのでは、と思ったのだ。
木の枝のことは、リューシュヴェルドにしか言えない。もちろん、リューシュヴェルドと言われたわけではなく、もう一人、という話だったが、セーラはもうそれがリューシュヴェルドだと決めていた。
だが、知識の館が現れたこと自体は話してはならないとは言われていないのだ。
セーラは慎重に考えて、首を横に振った。
「いいえ。この話は、できればお人払いを」
セーラは背筋を伸ばし、執務机に肘をついてこちらを見るリューシュヴェルドを真っ直ぐに見返しながら言った。
言った後で、はっと気づく。
「あっ! できればではなく、あの、お人払いを……」
——締まらない……。
セーラは少し焦りながら、付け加えた。ゼレットやボルタークの方を見ることはできなかったが、どういう表情をしているのだろうか、とセーラは思った。
リューシュヴェルドは黙ってセーラを見ている。
「なぜでしょう?」
視界の外から、柔らかいゼレットの声が聞こえ、セーラは振り返った。ゼレットは少し戸惑ったような顔をしている。ボルタークは扉前で眉根を寄せて口を噤んでいた。
「我々が正しく加護のことを知っていないと、一番近くでセーラ様をお守りすることが難しくなります。特にボルタークはそうでしょう?」
ゼレットがボルタークを見て言った。
ボルタークは頷きかけたが、先ほど自室の中で質問を禁じたことを思い出したのか、少し躊躇って口を開けた。
「……恐らく、我々には何か言えない事情があるのだと思うのですが……。確かに必要な情報はなければ困ります」
セーラは、頷いて説明した。
知識の館がセーラの祈りに反応して別邸の自室に現れたこと、そして会話をしたが、その話を共有していいのは一人だけだと明確に言われたこと、それがセーラの周りにどういう影響を及ぼすか分からないこと。
丁寧に言葉を選んで、なるべく分かってもらえるようにセーラは心を砕いたが、その場で言えることは少なかった。
すぐに言葉が尽きると、しばし無言の時が訪れる。
その空気を破ったのは、リューシュヴェルドだった。
「……なるほど」
そう言うと、リューシュヴェルドは片手で両のこめかみを揉んだ。眼帯を含めた目の部分が、大きな手に隠れてセーラからは見えなくなる。
「知識の館は、もう一人と言ったのだな?」
「はい。そうです」
「それが、単なる庇護者である私だというのはなぜだ? 例えば、領主であるとか、次期領主……或いは司教だとか神殿領の教皇、畏れ多いことだが国王などとは言わなかったのか?」
荷が重いと感じたのか、珍しくリューシュヴェルドは自分を卑下した。セーラが接していた中で初めてではないだろうか。しかし、リューシュヴェルドでなくてはならない、とセーラは強く思っていた。
目を閉じると、知識の館の言葉が蘇る。
『一人は一人』
『お主が決めた、一人』
『お主は決めている』
『我が主は、知っている』
セーラは、再び目を開けてリューシュヴェルドを見た。少し残念な思いが湧き上がったが、その思いは何とか胸の奥の方に押し込む。
セーラは思っていたのだ。自分のこの荷は、リューシュヴェルドなら簡単に一緒に持ってくれるに違いないと。リューシュヴェルドなら大丈夫だという安心感があったのだ。
しかし、リューシュヴェルドは困った顔をした。
セーラはしかし、ここで別の誰かへと共有者を変更できる気がしなかった。もし難しいなら、一人で持っていた方が余程楽だ。
「リュース様。それは私が決めた一人だと、館様はそう言いました。そして、示唆されました。その時に既に決めていると。そして精霊様もご存知だと」
「セーラ、君が決めたのか?」
「そうです」
「なぜだ?」
セーラはその問いに首を傾げた。こんなにも簡単なことを、どうしてリューシュヴェルドは分からないのだろうか。
——私、もしかしてリュース様のこと買い被っていたのかな? それとも、期待しすぎていたのかも?
セーラは大袈裟にため息を吐いた。
「はあ……。リュース様はアランディア領の第二公子殿下で、私を庇護してくれています。そして、加護のこともよくご存知で、私にリュース様の頭脳になれと仰いました。私の今後の身の振り方も考えていただいています。今、私にとって一番近しく一番身分が高いのは、リュース様なんです。選ぶのは自然でしょう?」
何でそんなことを聞くのかと言わんばかりのセーラの物言いに、リューシュヴェルドは少し機嫌を損ねたような顔をしたが、セーラは無視した。
「まあ、リュース様がお聞きになりたくないと仰られるのでしたら、このことは私一人の胸に留めておきます。私の知らない他の人に話すのは単純に嫌ですし、それこそ安全ではなくなる可能性が高くなりませんか? そういうことですよね? それから、ボルタークやゼレットに、リュース様にも言えないような荷を負わせるつもりはありません」
先ほど口籠ってたことを忘れたかのように、セーラは言葉が浮かぶまま口から出て行くのを止められなかった。どうやら、冷静なまま怒りを覚えると口が柔らかくなるようだ。
リューシュヴェルドもまたセーラのその口調に苛立ったのか、眼帯に覆われていない目が一層鋭くなったが、感情を抑えるように目を閉じた。
「そういう、ことではない」
リューシュヴェルドはそれだけ絞り出すと、目を閉じたまま腕を組んで天井を仰いだ。
セーラは、じっとその様子を見ながら待っていた。
暫くすると、リューシュヴェルドは眼を開け、一つ頷いて立ち上がった。
「分かった。ゼレット、ボルタークと共にこの部屋にいるように。次の間へはこちらが呼ぶまで入らぬこと」
「承知いたしました」
ゼレットが頭を下げると、リューシュヴェルドは執務室の扉を背にして左側にある扉へと向かった。ちらっとセーラを見ると、顎で一緒に来るように合図をする。
セーラは、人払いをするのだと思い込んでいたので理解の到達が遅くなり、慌てて付いていった。
「私たちが移動するのですか?」
「ああ。聞かれては困る話なのだろう。念には念だ」
「分かりました」
リューシュヴェルドはセーラの頭越しに再度振り返った。セーラの背も女性にしては高い方だが、踵のある靴を履いたセーラより更にリューシュヴェルドの背が高いことに、セーラは改めて気付いた。
——一緒に歩くなんてあまりないけど、背高いなあ。
目線を少し上げて、自分の頭越しに視線を送るリューシュヴェルドを、なかなか見れない角度から眺めて思った。
「ボルターク」
「はっ」
「そのまま扉前で護衛を頼めるか? 誰かが来てもこちらが出るまで決して呼ばぬように。采配はゼレットに任せる」
「はっ」
ボルタークは敬礼をすると、そのまま姿勢を立て直した。
そして、リューシュヴェルドは扉を開けると、次の間にセーラを案内した。
そこは、薄暗い小さな間だった。椅子が一脚、壁に付けられているだけで、十歩も行かないくらいで反対側の扉へ付いてしまう。
「ここは?」
「ここは、執務室と私室の間を分ける空間だ。私にはあまり意味がないとは思っていたが、私室はここからしか行けないからな。音も漏れないだろうし邪魔が入りにくいのは確かだ」
「へえ! リュース様のお部屋がこちらにあるとは知りませんでした!」
どうやら、執務室と私室の間に隔たりを置くことで、より限られた人間しか入れないようになっている様だ。
基本的には応接や食堂、より込み入った話は執務室で事足りる。別邸には人が少ないから必要性がなさそうだが、確かに秘匿の話や一人で物を考えたり、気を許せる私室はないと困るだろう。
セーラの部屋は、私室の中に執務スペースがあり、小部屋はなく、続き部屋でソイエッテの侍女部屋があるため秘匿性は薄いのだ。
セーラは、素直に羨ましいと思った。このような作りなら、誰に憚ることもなく知識の館に語り掛けたり、加護を確かめたりすることもできるだろう。元々客室だったセーラの部屋に求めることではないかも知れないが。
私室の扉へ入るリューシュヴェルドに続いて入りながら、セーラはそう思った。




