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終わらない物語 - Beyond -  作者: irie
第一部 初めてとの出会い
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第二章 加護の探究 第二十五話

 残暑の厳しい暑さが続く午後。

 城壁内にある、第二公子別邸の執務室にてセーラは執務に励んでいた。実際に、セーラの形のいい額には汗が光っているように見える。

 執務机にはリューシュヴェルドがいて、書類に目を通しては印を押したり文字を書き入れたりして分別していく。

 それらを整理するのはゼレットだ。

 ゼレットが部屋を出入りする中、リューシュヴェルドもセーラも黙々と仕事を進めていた。

 それというのも、書類の量が多いためだ。

 第二公子で宰相補佐であるリューシュヴェルドの仕事とはこんなにも多いのか、そしてリューシュヴェルドの仕事の早さときたら、目を通しているのかどうか計りかねるほどだ、とセーラは舌を巻いた。

 セーラは遅れを取るまいと、必死で割り当てられた仕事をこなしていく。

 セーラに割り当てられたのは、リューシュヴェルドから指示された書類をアランディア文字から公用文字へ翻訳する作業だ。認識に違いがあってはならないため、なかなか苦労する。

 ——うーんっと、これは、整備…? いや、公用文字だと保守を使う方が文脈に合うね。でも、話し言葉は一緒なのに国内で文字が違うというのも、お役人は大変だったんだね。

 今まで触れたことがない仕事に携わることで、初めて分かることもある。

 南の村では、基本的には自給自足で管理なども村人が行っていたため今一つ想像が付きにくいが、役人と言うとやはり「融通が利かない」だの「時間がかかる」だのが代名詞になるのは良く聞く言葉だ。

 主には荷送部から良くその話が出ていたようにセーラは記憶していた。お貴族様の文句ともなるとなかなか声高に言える話ではないから、逆に耳に留まっていたのかもしれない。

 しかし、実際に翻訳した書類の内容だけを読んでも、行うことは多岐に渡っている。書類を根拠とし、権限を持った人に承認を貰わなくてはならない。その書面に書かれた以上、またはそれ以外のことを好き勝手にしてはならないのだ。その責任は、自分に帰ってくる。それを踏まえた上で起案し、承認を得るための裏取りをし、掛かる経費やそれによる利の計算、自分達が動きやすいように文章を整え、そして通った後の調整などを想像してみると訳が分からなくなってくる。

 もちろん、セーラにはその物事が()でしかまだ想像ができていないからというのもあるのだが。

 ——そりゃ、役人が融通利かないんじゃなくて、承認工程に問題があるんじゃない?

 とはいえ、セーラに最適な答えはない。

 今これが行われているのは、それなりに理由があるはずだ。それを知らずしてそれこそ好き勝手に言っていいものではないだろう。

 セーラの疑問を答えてくれる知識は頭の中にはなかった。

 ——慣例だけが理由なのかしら。というか、翻訳に関しては理由は明確なんだけど。……もうちょっと何とかならないもんかなあ。

 手が疲れてきた辺りで一つ大きなため息を吐いてそんなことを思った。

「セーラ様、少し休憩してくださいね」

 ゼレットが氷の入った果実水を置きながら声を掛ける。

「ありがとう! 暑いと思ってたの」

「ゼレット、あまり甘やかしてはならん。これは処罰なのだからな」

 書類から目を離さず、リューシュヴェルドがしれっと釘を刺した。

 そうなのだ。

 これが、人前に姿を晒したセーラの罰の一つなのである。

 コーレンはあれから週に三回、夕方にセーラの前に顔を見せるようになった。もちろん、ソイエッテもいるので昔のように話すことなど到底できないが、村へ手紙を書いたことは聞いたし、返信があれば教えてくれると言ってくれた。

 コーレンは使用人部屋に移って来て、庭師のドッカとすぐ打ち解けたようだ。確か二十歳くらいの青年だったはずだ。

 最初に顔合わせして以来、セーラはドッカには会っていないが、コーレンから話を聞く限りさっぱりした人間らしい。セーラの容姿のことはもちろん知っていたが、知らない方が動きやすいとあまり聞いてこない、とコーレンは言った。そんなことよりも草花や土の話で男性二人が盛り上がっていると聞いて、セーラは想像して笑ってしまった。

「なんだ? 罰が嬉しいのか?」

 はっとセーラが気付いてリューシュヴェルドを見た。

 コーレンとのやり取りを思い出して顔が緩んでいたのを見咎められたのだ。

「いえ、そうではありません」

 セーラは若干頬を膨らませて、ぶっきらぼうに言い切った。

 コーレンが週に三回も来るのは、もう一つの罰のせいもあるのだ。

 セーラは、知識の館に行くことが許されなくなった。

 コーレンが館から、ネイティオや他の職員によって概要以外が記入された紙を持って帰ってくる。セーラが追記して完成させた目録を、改めてコーレンが持って行くという命令が下された。

 つまり、セーラは知識の館で祈ることはもちろん、ネイティオとのお喋りの時間を取り上げられたのである。

 別邸の外に出る時間もだ。

 その代わり、城で執務をしていたリューシュヴェルドが、拠点を別邸に移した。

 城との仕事のやり取りは、城の側近とゼレットで行っているらしい。領主との打ち合わせなどで城に赴くこともあるが、執務も生活も別邸が中心になった。

 セーラは、朝晩の食事と午後早い時間を拘束され、リューシュヴェルドと共に過ごしている。

 一緒に過ごす内に、リューシュヴェルドが十代とは思えないほどに有能であることが分かった。

 セーラが思いもつかないような、大人の考え方をしている。

 ——そりゃ、冠の儀は終わってるって言ったって、何をどうしたらそんな考え方ができるんだろう?

 セーラは言葉を探した。

 ——何だっけ? こう……、広い視界、みたいな、視野? う~ん、全体を分かってるみたいな……。ああ、そう! 俯瞰!

 セーラは、リューシュヴェルドの物事の見方が俯瞰的だと思った。

 リューシュヴェルドがどのように生きて来たかの背景を想像してみようとしたが、まったく触れたことがない貴族のそれは思い浮かばなかった。王子様とお姫様が頭に浮かんできて、すぐお花畑に行ってしまう。

 お花畑をかき消しながら、上に立つ者としてそのように教育をされたのだろう、とセーラは勝手に結論付けた。

「ほら、休憩は良いから終わったところまで見せてみなさい」

「はい。こちらです」

 セーラがまた想像の世界へ行ったことが分かるかのように、リューシュヴェルドに追い立てられて出来上がった書類を手渡した。

 立ち上がらずとも、執務机の一番近くの席にいるためすぐに渡せる。近すぎておこたることもできないではないか、とセーラは思った。

「ほう。もう、こんなにか。この間始めたばかりとは思えないほど覚えが早いな」

 リューシュヴェルドが感心したような声を出した。

「それに、いくつか言葉の変更があるようだが……? これは誤字ではないな」

 リューシュヴェルドが首を傾げた。

「ああ、それは、より釣り合う言葉を当てはめました。言葉や文字は時代の中で変化していると気付きましたので」

 だめでしたでしょうか、とセーラは事後報告をした。

「いや、構わない。最終確認はもちろんした上で表に出るから問題ないし、より良くなっているならば役人達にもいい刺激になるだろう」

「良かった」

 セーラは笑った。褒められるのはやはり嬉しい。

「サヤアーヤから真面目に取り組むとは聞いていたが、これほどとは思わなかった」

 珍しく褒められることが続いてセーラは少しこそばゆくなってきた。

「リュース様。嬉しいけど、よく考えたら別に普通です」

「普通ではないぞ。ただ、仕事をしながら手を休めずに表情が変わっていくのは不気味だから慎んだ方がいい」

「うっ……! そんなつもりは!」

 セーラは、慌てて頬に手をやった。

 顔に出るのはまだ直せそうにない。意識しなくなった瞬間、というよりも、頭が勝手に思考し出した瞬間から顔のことなど考えてはいないのだから当然だ。

「まあいい」

 リューシュヴェルドは、ふっと笑うと続けた。

「顔はともかく、仕事内容としては重畳だ。励みなさい」

「かしこまりました。……あの! リュース様!」

「なんだ?」

「これって罰なんですよね?」

「ん? そうだが?」

 訝し気にセーラを見たリューシュヴェルドを見て、セーラが進言した。

「罰なら、これはいつまで続きますか?」

 リューシュヴェルドが黙った。口角は上がったままで、目は少し大きく開いている。

 その後、セーラは初めてリューシュヴェルドの目が泳ぐのを見た。

「そうだな……。あっ、ゼレット。今日の出来は今までで一番だ。報告と役人への指導が必要だろう。城へは私が向かう。食事は城で済ませて来よう」

「はっ」

「えっ?!」

 ゼレットとセーラの声が重なった。

 ——どういうこと?! 期限無し?! というか、それ、今見失ってたよね、リュース様!

 しかし、そんなことは言えないセーラは、やはり少しだけ頬を膨らませることしかできなかった。

「セーラ、何か気付いたことはあるか?」

 今のやり取りがまるでなかったかのように席を立ちながら、リューシュヴェルドがセーラに尋ねる。

 何となくなかったことにされることが分かっていたセーラは、仕方なくため息を吐いて答えた。

「そうですね。思うことはいっぱいありましたが、全部一気には難しそうなので、まずはこの翻訳をもっと簡略にできないものかと思いました」

「できそうか?」

「いいえ。答えはまだありません。でも、午前中鍵盤の稽古をして午後はずっと翻訳となると、手を使いっ放しでそんなことを思ったのかも」

「そうか」

「だいたい、知識の館様がアランディア文字を作ったのなら、翻訳の仕方まで作っていて下さったら良かったのにって最近思います」

 机に頬杖を付きながら不敬にも知識の館に文句を言うセーラに、リューシュヴェルドが少し真面目な顔をして止まった。

「祈ってみてはどうだ? 君の話によると、知識の館以外でも話ができるのだろう?」

 セーラは肩を竦めた。

「そうですね。ただ、毎日祈りは続けていますが、今のところ報告している以外には一切ありません」

「分かった。まあ考えてみてくれ。私も考えよう」

 そう言って部屋を出て行くリューシュヴェルドの後ろ姿に、セーラは心持ち大きな声で呼びかけた。

「お早いお戻りを! そして、先ほどのお話の続きをしましょうね!」

 リューシュヴェルドからは何の返事もなかった。

 ——いいもんね~。別にこれが役に立つなら、それはそれで最初の命令通りには違いないし、やっぱり仕事は嫌いじゃないし。うん、役に立ってる。

 セーラはふふっと一人リューシュヴェルドの執務室で笑った。

 ——それなのに、逃げるなんて。

「あははっ」

 今度は声が漏れる。

 そして、笑いが止まらなくなった。そのまま一人でセーラは笑い続ける。

 こんなに笑ったのは久しぶりな気がする。ソイエッテもいない、しかも他人の部屋で、涙を流しながら大いに笑った。

 ゼレットがリューシュヴェルドを見送って戻ってくるまで。

 もちろん、胡乱と心配の間のような目を向けられたのは言うまでもない。

 そして、セーラは顔を赤くするのだった。

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