第二章 加護の探究 第二十四話
「……それで?」
いつもは気になったことなどなかったが、一際低音に聞こえるリューシュヴェルドの声に、コーレンはもとよりセーラも緊張した。
机に肘をついたリューシュヴェルドは、向かいに座らせたコーレンとセーラを同時に見据える。
グレンフィードはいつも通り後ろに立っており、ゼレットはお茶を配り終えてリューシュヴェルドの脇に控えた。
ボルタークはセーラの後ろに立っている。セーラの後ろから声が聞こえた。
「第二公子様、まずは私が説明してもよろしいでしょうか」
ボルタークが発言し、事の経緯を説明し始めた。
いつもの時刻より早く館についてしまったこと。職員が帰るのを確認してしばらく待ってから向かったが、ボルタークは馬車への指示でセーラから目を離してしまったこと。
気付いた時には、セーラとコーレンが館の扉で鉢合わせしていたこと。ぶつかってマントが脱げ、見られたことでコーレンにセーラの存在が分かってしまったこと。
コーレンが十五の儀の後、マルシュ医師の元に一年間の修行に来たこと。館で勉強に熱中するあまり六刻の鐘を過ぎても滞在していたこと。館の職員が別の者の退館手続き時に誤ってコーレンの書類も紛れ込ませてしまったこと。それにより滞在に気づかず、職員が帰宅してしまったこと。コーレンの退館手続きにネイティオが書類を見つけるのに時間がかかってしまったこと。
すべての説明を終え、ボルタークは悔しそうな声色になった。
「この度のこと、全て私の不手際です。お守り隠し通すことができず、大変申し訳ございませんでした!」
気配で、ボルタークが首を垂れているのがセーラには分かった。
こうして改めて説明を聞いてみると、不測の事態が偶然にも重なってしまった不幸な出来事だとは言えるが、それよりも自分の行動の甘さを怖ろしく感じた。甘くしている、緩くしているつもりなど毛頭なかったからだ。
しかし、確かにソジュと初めて領都に来た時のことを思い出すと、あれだけの警戒をしていながら貴族に存在が露呈したのだ。その時と比べると、今の自分の警戒は警戒とはとても言えないように思えた。
セーラは背筋がひやりとするのを感じながら、リューシュヴェルドへ進言した。
「いいえ。すべて私の慢心が招いた結果です。危険なことも承知してましたし、花冠の儀まで秘中の秘だということも理解しておりま……」
「そんなことは分かっている!」
バンッとリューシュヴェルドが机を叩いた。
セーラは座ったままで飛び上がる。コーレンも一緒に飛び上がっているのを目の端で捉えた。
「セーラ。君の振舞いによって、君が罰せられるだけでは済まない。必ず周囲の者へ影響するのだ」
「……どういうことですか?」
セーラは、分からなかった。主の不徳は主の責任。部下や側近などの不徳も主の責任ではないのか。リューシュヴェルドから預かった君主について論じられた本には確かにそのような訓戒が書いてあった。
それをセーラは告げると、リューシュヴェルドはため息を吐きながら首を横に振る。
「本質はその通りであるべきだ、と私もそう思う。だがしかし、それは主が主として守るだけの力がなければ話にならない。君はそうだと言えるのか?」
「うっ、……大前提を忘れていました」
セーラは、顔を赤くしながら恥ずかしさに顔を上げられなくなった。
その通りだ。リューシュヴェルドの庇護下にあって、いまだ勉強中のセーラには何の力も権限もないのだ。よくもまあ簡単に責任を取るなんて言えたものだ、とセーラは瞬時に思った。
知識と自我が肥大していたような、自分が分を弁えていなかったことに消えてしまいたくなる。
恥とはなんとざわざわした気持ちにさせるのか。
セーラは大声を上げてすべてをかき消してしまいたくなったが、何とか絶え凌いだ。
「それに、忘れているようだがボルタークは近衛騎士隊員だ。あくまで彼は近衛騎士隊の規定に沿って動いているし、罰則もそれに準じる。彼の上司は近衛騎士隊長なのだ」
セーラは項垂れたまま、リューシュヴェルドを目だけで見上げた。
「それ以上言わないでください。分かりましたから。私が間違ってました。もう二度と言いませんからもう何も言わないでください」
リューシュヴェルドは少し眉を寄せて顎を上げ、座ったままセーラを見下ろしたが、もう一度首を横に振った。
「セーラ。この一連の不始末の相手がコーレンだったことに感謝しなくてはならない。これがコーレンじゃなかったらどうなると思う?」
セーラは、はっと顔色を変えてコーレンを見た。コーレンは黙ってリューシュヴェルドの話を聞いている。
「君の存在が露呈してそれがどこかの悪意や私欲と繋がったとしよう。君の危険度はいきなり跳ね上がる。そうなる前に、目は潰してしまわなくてはならない。これがどういうことか分かるか?」
「……分かります」
「何だ?」
「言わなきゃならないですか?」
「答えなさい」
セーラは、コーレンを気にしながら重い口を開けた。
「秘密を見られたからには、そこから漏れないように拘束するとか隔離するとか……」
「平民に対してそんな措置は取らない」
リューシュヴェルドがセーラの言葉を遮った。
「第二公子様……」
ゼレットが小さな声で進言しようとしたが、リューシュヴェルドはそれも止めた。
「どのように綺麗に言ったところで結果は同じだ。その者は、その場で斬り伏せられるだろう」
セーラと、コーレンは顔を見合わせた。コーレンの顔が真っ青だが、きっと自分もそうなのだろうとセーラは思った。
そうだ。コーレンに対してもボルタークは剣を抜こうとしたのだ。
改めて一連の出来事を考えてみると、恐ろしいがそうなるだろうとはセーラも予測できた。ただ、実際に耳にすると怖くて仕方がない。道義の問題だとか命の重さとか、そんなことを声高に言えるほど無知ではないはずだが、でも正しいとも思えなかった。
それが顔に出たのだろう。リューシュヴェルドは少しだけ目を和らげて言った。
「いいか。これが正義だとは言わない。その者の家族にも私は一生恨まれるだろう。だが、君に危険が及んだ場合、ボルタークは減給、降格程度ならまだいいが、爵位はく奪の可能性もある。もちろん、近衛騎士隊は除名だ。近衛騎士隊長もその責に問われる。そして、君の家族には恨まれるだろう」
セーラはソジュとケレーラの笑顔を思い浮かべながら答えた。
「……見る方向で景色は随分変わるのですね」
「そうだ」
「難しいけれど、分かりました。でも、先ほどのお話はコーレンじゃなかったら、ですよね? コーレンはどうなりますか?」
セーラは、お茶を一口飲んで心を落ち着けると言った。
これだけは譲れない。
もし、非道なことを言われようものなら、力がなくても抵抗する気持ちだけは折られないようにしようとセーラは強く思った。
すると、リューシュヴェルドは眼帯に触れて少し位置を調節しながら少し面白そうに口の端を上げた。
「どうした。なかなか厳しい目つきをするじゃないか。そんな顔ができるようになっていたとは知らなかった」
「それで、どうなりますか?」
セーラは、負けまいと重ねて問いただした。
「グレンフィード」
右手を軽く上げると、リューシュヴェルドはセーラの問い掛けには答えず、後ろのグレンフィードに呼びかけた。
「はっ」
グレンフィードがリューシュヴェルドの視界に入るよう一歩踏み出して返事をした。
「南の村のコーレンは、セーラの事情を知っているということだな」
「その通りにございます」
「説明しろ」
「はっ。彼はセーラの幼馴染であり、村全体を上げてセーラを秘匿する仲間でもありました。セーラの見た目が他者にどう映るかは分かっているはずです。そして、我々がセーラの両親と話した時に、その場に……いました。セーラが加護持ちであることも、それが知識であることも知っています」
グレンフィードは、いつもより固い声色でコーレンのことを説明した。
しかし、グレンフィードが村に来た際、コーレンはいなかった。扉の外でカナエやキシュトと聞き耳を立てていたというのが正解だ。その説明を省略したのか、それとも悪い意味に取り違えられないように配慮してくれたのか分からないが、心証は悪くないだろう。
「南の村のコーレン。間違いはないか?」
「あっ……。はい。間違いありません。俺……ぼ、僕は、セーラの事情を知っています。でも、誰にも言いません。友達を売ったりなんかしない!」
コーレンは緊張した様子で一気に言うと、最後にやっと呼吸をした。
「あの、セーラが村を出た後のことも聞いたのですが……」
ちらっとボルタークを振り返りながらコーレンが続けた。
——そういや、知識の館で言ってた父さんのことかしら。何だろう?
セーラが首を傾げると、リューシュヴェルドが言った。
「それについては、また日を改めるとしよう。グレンフィード」
リューシュヴェルドがグレンフィードに改めて指示をすると、グレンフィードがコーレンに話しかけた。
「コーレン。君が定刻を過ぎて館にいた件だが、条件付きで不問とする」
「条件、ですか?」
「ああ。拠点をここに移してもらう。もちろん、待遇は下働きだ」
「ええっ?!」
セーラとコーレンの声が重なった。
「いや、コーレンは医師や薬師の勉強中ですよ? 下働きなんて!」
リューシュヴェルドが顔を顰めて制した。
「話は最後まで聞きなさい」
セーラは口を噤んだ。コーレンは驚いたものの反論なぞできるはずもなく元から黙っている。
グレンフィードが続ける。
「君は、この別邸からマルシュ医師の元へ通うんだ。空いた時間は知識の館に行ってもいいし、別邸の庭園には薬草も植わっている。研究も続けてくれて良い」
「えっ……貴族の庭園で育てた薬草を使っていいんですか?」
コーレンの目が少し輝いた。
「ああ。君にとっても悪い話ではないだろう? その代わり、見習いということは承知の上で、セーラの主治医を兼任して欲しいんだ」
「ええっ?!」
また、二人の声が重なった。
「もちろん、給金も支払うし、マルシュ医師への説明もこちらで行う。君のことは、所縁の者が貴族の元で働いていて、その者を通じて召し抱えられることになった、と伝えるつもりだ。マルシュ医師は変わりなく君を見習いとして使える上に、生活費や給金などが浮くから彼にもいい話なので問題はないだろう」
そこで、グレンフィードが話を区切ると、リューシュヴェルドが重ねて伝えた。
「コーレン、分かっていると思うが、君に選択肢はない」
「分かっています」
コーレンは素直にそう言った。
「分かってるの?」
セーラがコーレンに尋ねた。比較的簡単に話しかけたが、こうしてコーレンに話しかけるのはとても久しぶりだったことをセーラは思い出して、少しそわそわした気持ちになった。
「当たり前だろ? お貴族様の言うことは……ってうちの父さんからもソジュさんからも言って聞かされてきただろ。セーラは忘れたのか?」
そうして、コーレンはリューシュヴェルドとグレンフィードへ向き直った。
「僕がしてしまった失態を、このような形にしてもらえるとは思っていませんでした。処罰されてもおかしくないのに、ありがとうございます」
下手ではあるがなるべく丁寧な言葉でコーレンは言うと、座ったままで頭を下げた。
「セーラにはきちんとした主治医を付けるべきなのだが、これ以上知る者を増やしたくはない。しかし、最近血の気が引いたりして具合が悪くなる時があるのだ」
「それは……!」
リューシュヴェルドがセーラの説明をしだすと、セーラは慌てて遮った。
「なんだ?」
「……何でもないです」
まさか、月のものが原因だなんて口が裂けても言えるはずがない。
「分かりました。見習いでまだまだ不足だと思いますが、セーラは僕が診ます」
コーレンがそう言った。
——いや、コーレンにも言えないから!
一人どうしたもんかと頭を悩ますセーラを余所に、話はどんどん進んでいく。グレンフィードがコーレンに告げた。
「では、第二公子様の命を持って、南の村のコーレンをセーラの主治医に任命する。また、君はセーラと同郷であることは秘匿とし、セーラへは敬称を付けて呼ぶこと。二人であっても気安く接してはならない。いいね?」
コーレンはあっと小さく呟いたが、そのまま頷いた。
セーラは何だか距離が出来たような気がして寂しくなったが、そんな思いに耽っている時間は無いようだ。
時間は遅く、もうすぐ七刻の鐘が鳴りそうな時間ではある。
「セーラの待遇やこの先の展望含めてはおいおい伝えるものとするが、監視下にあるということを忘れないでいてくれ。居心地は悪く感じるだろうが……」
「構いません」
「それでは、今日はマルシュ医師への伝達もあるから、私が送って行こう」
グレンフィードがそう言うと、コーレンが立ち上がった。
セーラを見て、少し微笑む。
「セーラ、様。ソジュさんに手紙書きます。もちろん、セーラ様の名は出しません!」
後半は、リューシュヴェルドやグレンフィードに慌てて説明をした。
「……許可する」
リューシュヴェルドはそれだけ言って、手をひらひらと振った。
「とりあえず終わりにしよう。帰りなさい」
グレンフィードがコーレンを連れて出て行くと、セーラも立ち上がった。
流石に眠くなってきた、と思いながらボルタークを振り返ると、少し強張った顔をしたままセーラを見ない。
視線の先を確認しようともう一度振り返ると、リューシュヴェルドがこちらを睨んでいた。
「どこに行く?」
「えっ? 終わりですよね?」
「君への処罰の話はまだ終わっていない」
「ええっ?! そんなっ!」
「君が責任がどうこう言い出したのだろう? 文句はないはずだ」
「うう……」
格好つけた上に皆の前で恥ずかしい思いをした挙句、更に蒸し返されるとは。
あれは嘘です、と言えたらどんなに楽だろう、とセーラは思った。
「……どんな罰でしょう?」
少し目に涙を浮かべ、ボルタークの上着を掴みながらセーラが尋ねると、まるで悪魔のような笑みをリューシュヴェルドは浮かべた。




