第二章 加護の探究 第二十三話
セーラはボルタークの背から少し顔を出して男を見た。
「コーレン?」
「やっぱり、セーラか?」
「……コーレン?!」
セーラは、口を開けてボルタークとコーレンを交互に見た。
ボルタークは困った顔を貼り付けており、コーレンは怯えたような驚いたようなそんな顔をしている。
カチャっと玄関扉が開いてネイティオが出てきた。
「まあ……」
そう言った後ネイティオも絶句したが、何かを察したのか、そのまま三人とも玄関ホールへ招き入れた。
——何が、どうして、こうなった?! そして、どうしよう?
お尻の痛みがズキズキと増していく感覚と、激しくなった心臓の鼓動がまるで共鳴しているように、セーラを襲っていた。
ネイティオがカウンターの奥から羽箒を持ってきてセーラのマントの埃を払う中、セーラは何をどう話したものか考えていた。
村にいた時はそんなことを考えようと思うことすらしたことがない。それほどに馴染みにもかかわらず、セーラはどうしていいか迷っていた。
村の友達として話をしていいのか、それとも、淑女教育で培ったような応対をしないといけないのか、の二択である。
ボルタークを伺い見るが、どうやら答えは持っていないようだ。
ネイティオが困ったように謝った。
「申し訳ございません、セーラ様。私どもの怠慢でございます。他の者の退出手続きをする際に、誤ってこちらの青年の届も一緒に処理してしまったのです。彼が時間に遅れて出てきたのは事実ですが、その届を探すのに手間取ってしまい……」
「セーラ……様、だって?」
いつも柔らかい表情をしていたコーレンが、怯えた表情で手を握り合わせたままそう呟いた。
「あの……」
「お待ちください」
話しかけようとしたセーラを、ボルタークが押し留めた。
「まずは、ネイティオ。申し訳ないが、我々の馬車をそのまま使って構わないからゼレットに報告しに行ってくれないだろうか。その後はゼレットの指示通りに」
「ええ、ええ。承知いたしました」
ネイティオは膝を曲げて簡単にお辞儀をすると、羽箒を机に置いてすぐに出て行った。
セーラは不安になり扉とボルタークとコーレンとへ次々に視線を変えてしまう。しかし、セーラは分かっていた。今ここにいる全員が不安なのだ。
それでも、ボルタークが気丈にコーレンへ話しかける。
「まず、こちらへ座りなさい」
「は、はい」
貴族の言うことには逆らえない。コーレンはすぐに返事をしていつもセーラがネイティオと打合せと称したお喋りをしている席に座った。
向かいにボルタークが座る。セーラは所在なげにボルタークの後ろへ立ったままだった。
ボルタークはセーラには話しかけなかったし、ここは傍観者でいた方がいいように思ったのだ。
一つ咳をして、ボルタークはコーレンに質問をした。
「君は、なぜ領都にいる?」
真っ当な質問だ。南の村にいるはずのコーレンだが、今日は荷送部にでもついてきたのかしら、などとセーラは考えていた。
コーレンがゴクリと喉を鳴らしたのが聞こえた。
「あー、いえ……あの……、はい。俺……僕は、今領都に薬学と医学を学びに来ている……です。一年後に村に戻る予定で……」
「あ!」
セーラは思い出した。そういや、十五の儀の後に村を出ると言っていたはずだ。
セーラがいない外の世界でもちゃんと時間は動いている。変化はあって当たり前で、セーラ自身一番変化しているにもかかわらず、なぜだか置いてけぼりにされている気分になってしまう。
「黙ってくださいますか?」
ボルタークが振り返って、セーラをじろっと睨みながら制止した。
反射的にすぐに口を閉じる。上から手で隠すことも忘れない。
「セーラ、いじめられてるの?」
怯えた表情の中に少し不審と怒りをにじませながら、コーレンが言った。
コーレンを一瞥してもう一度セーラを振り返ったボルタークを、セーラは口を閉じたまま見下ろす。
——黙ってますよ~っだ。
ボルタークは少し苦々し気に鼻にしわを寄せたが、一つため息を吐いてコーレンへ向き直った。
「そうではない。彼女はもちろん、君にも危険を及ぼす影響がないようにしたいだけだ。君にも分かるだろう?」
コーレンは不審には思ったままのようだが、元来の頭の良さもあってか素直に頷いた。
村でもセーラは隠されてきたのだから当たり前かもしれないが。
セーラは口元を隠したままコーレンを見て、笑みを浮かべて一度瞬きをした。
コーレンがほっとした顔をした。幼馴染の感覚で伝わったようだ。
背が高く、頭が良くて頼りになる優しいコーレン。同じ年に生まれた彼をずっとそう思って来たが、ボルタークを前にすると、セーラには彼が少年に見えた。
——私も、貴族に囲まれた時は頼りない子どもにしか見えなかったんだろうか……。
慣れた世界から一歩外に出ると、自分達が如何に何も知らないかを分からされてしまう。知識と経験はやはり同時に必要で、そこから伴う想像が大切なのだ。
セーラは以前思ったことを再び思い出すと、この後どうするかの二択を両方捨てた。分からないなら教えてもらうまで下手なことはしないでおこうと思ったのだ。
危険に関しては、何度も具体的に言い聞かされただけあって心に沁みついていた。それにもかかわらず、慣れによってコーレンと出会ってしまった落ち度は、セーラを思った以上に落ち込ませたのだ。
「それで? 君は今どこに?」
ボルタークが質問を続けた。
「工業地区の近くの、マルシュ医師の元で勉強させてもらっています。空いた時間はだいたいここに」
「なるほど」
「あの……ソジュさんが言ってたのは本当ですか?」
少し背を丸めながら小さな声で呟くコーレンの言葉を聞いて、セーラは目を大きくした。
——何? 何で父さんの名前が今出て来るの?
ボルタークは焦ったように、制止する。
「……っ! それは君には関係がないことだ! もちろん彼女にもだ! ここで話をすることを領主一族は良しとしないであろう」
声を大きくしたボルタークに、コーレンはびくっと怯えたように口を噤んだ。
疑問ばかりで聞きたいことがたくさんあるが、セーラは口を押さえている手を離して声を出す勇気は、今のところなかった。
「今、私も第二公子様の指示を待っているところなのだ。こちらからは何も答えられないから、質問はするな」
「すみません」
「……公平ではないが、君が領都に来た経緯は報告しなさい」
頭の固いボルタークだが、前置きを付けたことを聞く限り、セーラは、ボルタークがコーレンに譲歩しているのだと感じた。
——多分、コーレンには伝わらないだろうなあ……。話が出来たら教えてあげよう。ボルタークは、意外に悪い人じゃないよって。まっ、嫌な言い方するけどね。それはボルタークが全部悪い。
うんうん、と一人で頷きながらセーラは思ったが、コーレンの表情からは怯えと不安しか見て取れず、ボルタークへの反発のようなものは見えなかった。
それから、コーレンはボルタークに村を出た経緯と計画、領都での行動範囲や交流している人たちのことを説明し出した。
今はまだ領都に来たばかりで、患者と接したりはあまりしていないようだ。専ら医師が育てた薬草畑で育て方や種類、調合の仕方や、効能などの勉強に加え、知識の館で自主勉強ばかりの日々を過ごしている。手伝うよりまずは学ぶことを優先してくれている、とコーレンはその時だけは嬉しそうに説明した。
「もちろん、領都のどこかにセーラがいることは知っていたけど、まさか、来てまだ半月も経っていないのに会えるなんて思わなかった。貴族街にいると思ってたし」
説明に必死で言葉の崩れに注意を払わなくなったコーレンを咎めるようなことはせず、ボルタークは黙って頷きながら聞いていた。
「それは、こちらにも不手際があった」
言外に『会うはずではなかった』ということを匂わせながら、ボルタークはそれだけ言った。セーラが領都でも現在秘匿されていること、庇護の仕方や淑女教育のことなど、説明は出来ない。
——そうか。
ボルタークは先ほどからセーラのことを敬称を付けて呼ばない。彼女とのみ言われていることにセーラは気付いた。
きっと、セーラとコーレンの間の違和感を無くし、気付かせないようにしたのだ、とセーラは思った。
——ボルタークも、平民に気は使えるのね。私以外に限り、なのが腹立たしいけど。
コーレンの説明が終わり、ボルタークが納得したところで、これ以上何を話せるわけでもない。
三人はそのまま、黙って指示を待っていた。
時間が経つのが遅く感じられる。コーレンは俯いて自分の膝を見ており、ボルタークは腕を組んで玄関扉を睨んでいた。セーラは口を覆ったまま、右足から左足に体重を移動させるくらいしか動けず、少々疲れてきた頃だった。
玄関扉が開き、ゼレットが入ってきた。ゼレットが直接来るとは思わなかったが、セーラは一気に安心が押し寄せた。
——たっ、助かった! ゼレットのことだもん。きっと、リュース様にも報告終わってるはず!
ボルタークも扉を睨みつけていた顔が安堵に緩んでいる。そして、はっと気が付くと、素早く椅子から立ち上がりセーラの後ろに控えた。
より不安そうな顔をしたのはコーレンだけだ。
何か罰があるのでは、くらいは思っていそうな青い顔だった。
大丈夫、と心の中でセーラは言おうとして、ふと思い直した。
——あれ? 何が大丈夫なんだろう。
例え事故だったとしても、平民だったら処罰があるかもしれないと思うのは当然だし、事実可能性はないとは言えない。
定刻通りに退館しなかったと言われればそれまでだ。
セーラも、自身がリューシュヴェルドの庇護を受ける前まではそう思っていた。いや、今でも、もし従順でなくなったり役に立たないと思われたり、例えば歯向かったりしたら、一瞬で首が胴体から離れるだろう想像しかできない。
セーラは、想像して身震いした。
——コーレンが処罰されたらどうしよう。リュース様に頼み込むことくらいしか、思い付かないけど。でも、そんなのは嫌!
ここで培った関係は、緊張はするものの温かいものだった。
目の前のゼレットはもちろん、リューシュヴェルドがそのような選択をするなど考えたくはない。
セーラは頭を振って姿勢を正し、ゼレットへ目を向けた。
何をどう考えても始まらない。ゼレットが来たということは答えが出たということだ。まずはそれを聞かない限り、セーラ自身どう動くべきかの答えは出せない。
「セーラ様、知らせをいただいてから第二公子様へ報告し、こちらへ参りました」
「ええ。ネイティオは?」
「報告後すぐに帰宅させました」
「ありがとう。……それで、リュ……第二公子様はなんと?」
目の端でちらっとコーレンを見ると、まるでセーラを初めて見たようにポカンとした顔をしている。
それはそうだろう。複雑に編まれて重ねられた上質なレースのマントを羽織り、貴族と思しき男性に向かって上位の物言いをしているのが、まさか南の村で一緒に育った村娘だとは到底思えないに違いない。
——私だって、完璧に違和感が無くなったわけじゃないもん。
それでも、セーラはそうでいなくてはならないのだ。
ゼレットは頷くと、コーレンを見た。
少し身動ぎをしたが、気丈にもコーレンは真っ直ぐにゼレットへ視線を返す。ただ、顔色が悪いままではあったが。
「君が、南の村のコーレンだね」
「……はい」
「このような再会はお互い望んでいなかったとは思うが、第二公子様が君に話があるそうだ。今から一緒に来るように」
「どこへ?……でしょうか」
「城壁内の第二公子別邸だ」
コーレンが、あっと何か気付いた顔をしてセーラを見た。セーラは首を傾げる。
——何? コーレン?
聞きたいが、ここは口を挟めそうにない。どういう立ち位置で話しかけていいのか、まだ掴めていないのだ。
コーレンは何か言いたそうにするものの、開けた口を閉じることにしたようだ。
ゼレットが付いてくるようにコーレンに言い、玄関へと向かった。振り返ってセーラとボルタ―クを交互に見て口を開けた。
「セーラ様用の馬車も用意しております。話は後ほど、といたしましょう」
そして、コーレンには見えないように少しだけ微笑んだその顔を見て、セーラは安堵した。
多分、悪い様にはならないだろう。
「あの……!」
コーレンが、追いかけながらゼレットに呼びかけた。
「何か?」
「俺……僕、あの、医院……滞在先に何も言ってなくて!」
「ああ、マルシュ医師だね。知らせはこちらで既に出している。もう届いている頃だろう」
「えっ?」
コーレンが目を丸くした。コーレンが目を丸くするなど、村ではあまり見たことがない。セーラは少し笑いそうになりながら、既に情報を得て先回りしているゼレットの有能さに舌を巻いた。
「とにかく、来なさい。君のためにも、……セーラ様のためにも」
「分かりました」
一度は丸くした眼差しに真剣さを漂わせると、コーレンはゼレットを追いかけて出て行った。
「……ボルターク」
「はっ」
「私たちも、行きましょう」
玄関脇の窓から通りを眺めると、既に通りは真っ暗だ。
今からどのように事が進むのか分からないながら、コーレンに再び会えたことへの嬉しさを感じる暇もないほどに戸惑ってしまった自分に、立場や環境が変わるということは感情にも影響があるのか、とセーラは少し寂しい気分になりながらボルタークへ指示をした。




