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終わらない物語 - Beyond -  作者: irie
第一部 初めてとの出会い
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第二章 加護の探究 第二十二話

「暑い!!」

 自室へ戻ったセーラは大量に流れる汗を布で拭いながら、小休憩にとソイエッテが用意してくれた冷えた果実水を一気に飲み干した。

「まあ、そんなに一気に飲んではお腹を壊しますわよ」

 サヤアーヤが微笑みながら言う。

 淑女らしくなかったと反省しながらサヤアーヤを見ると、汗もかいていない涼しい顔をしている。セーラの舞踏訓練に付き合ってくれているにもかかわらず、息すら上がっていない。

「サヤアーヤ先生。淑女は汗をかかないのですか?」

 少し恨めしそうに言うセーラに、サヤアーヤは「まあ」と目を丸くして、面白そうに驚いた。

「そんなことはありませんわ。暑いですもの。おそらく、()()()()()()()()だけですわ」

 少し考えながら答えてくれるが、セーラにはまったく分からない。セーラは、拭いても拭いても滝のように流れる汗に、服を脱ぎ去ってしまいたくなるほどの暑さだ。

 今日はボルタークが訓練で日中は外しており、代わりにソイエッテが付いている。脱ぎ去ってもいいのではないだろうか、と一瞬セーラは淑女らしからぬことを考えた。

 舞踏の訓練が、日を重ねる毎にきつくなってきた。季節柄、仕方がないとは思うがどうしても汗を抑えることは出来そうになかった。

 暑くなってきたので、サヤアーヤは朝の早い時間に舞踏の訓練をする。その後、最近は鍵盤の練習を始めていた。

 刺繍や縫物、編物に関してはセーラは一通りできるので、課題の休憩中に進めることになった。貴族の中で流行っているデザインなどを教えてもらい、その繊細さに目を白黒させたが、慣れてしまえばサヤアーヤとお茶を飲みながら進めることができるようになってきた。とは言え、高級な糸は細く滑りが良いため、注意しないと失敗も目立ちやすい。

 鍵盤に関しては、楽譜も知識の中にはあったが、音符と鍵盤の位置を紐付けするには結構の時間がかかった。その場所を指で押さえることも指がつりそうになる。

 まだまだ曲にはなっておらず練習が続く毎日だが、セーラはこの時間は好きだった。

 音楽は楽しい。いつか、南の村でカナエや母さんと歌った歌をなぞれるようになりたい、と思いながら続けているのだ。

「舞踏も、音楽も、針仕事も、全て継続が大事ですからね」

 サヤアーヤはそう言う。

 毎日欠かさず続けることが技術には必要なのだ。習得したからといって止めていいものではない。

 ある程度達成した課題は時間を減らし、細かくスケジュール分けしていく。午前中の間にすることは多いが、それぞれ使える時間はそう長くはないので、セーラはあまり疲れを感じることなく充実していた。

 季節は夏。

 花冠の儀は終わり、今は終月に入ったところだ。終月とは言え、一番暑い季節だ。虫が庭園で鳴く声がより暑さを感じさせる。

 セーラが本来出るはずだった十五の儀。来年にずれただけではあるが、一人だけ大人になれないという感覚は、なぜか焦りが心に湧き上がってきた。

 ——あの時は、結構寂しかったな。ちょっとリュース様に八つ当たりもしちゃったし。

 セーラは服を着替えてソファで刺繍の続きを準備しながら思い出した。


 夕食を一緒にとっている時に花冠の儀の話が出た。

 終わった後のようだ。

 貴族街にある神殿で行われたが、今回貴族で該当する女性は四名。領主一族や上位貴族にはいなかったようだが、それでも色とりどりの花冠は華やかで、良いお披露目だったようだ。中位貴族の令嬢には早速婚約候補者が現れたらしいな、とリューシュヴェルドが零したことに、セーラは不機嫌になった。

 ——私だって本当は大人のはずなのに。嫌だな。そんな話しないでよ。

 そう思う時点で大人ではないことに気が付かないまま、セーラは拗ねて口を尖らせた。

「私だって……」

「君は来年だ」

「知ってます」

「何を怒っている?」

「何も怒っていません」

 リューシュヴェルドは、少し眉を上げただけで黙った。

 その日はその後誰も喋らず、静かなまま夕食を終えたのだ。

 そのことを思い出しながら、気恥ずかしくなってセーラは困った顔をした。

 確か謝ってもいないはずだ。

「セーラ様、どうしましたの?」

 いつものことながら刺繍をする手を止めずに表情が次々と変わるセーラに、サヤアーヤが気になったようだ。

 そして、セーラはその時の愚痴をこぼした。

「あらあら」

 サヤアーヤはふふ、と笑いを零す。

「私も似たような気持ちになったことがありましてよ」

「そうなんですか? 何だかモヤモヤして、リュース様に八つ当たりしちゃったのです。」

「嫉妬、妬み、羨み……」

「うっ……」

 このモヤモヤの感情を言葉にされると、一気に不穏になる。しかし、本当のことだ。

「そうですね。それだ。私、周りと比べて拗ねただけだわ」

 一気に恥ずかしくなってくる。

「ああ! これじゃ花冠の儀なんてしなくて正解だわ。私、なんて子どもなのかしら」

 しかもそれをリュース様にぶつけるなんて、とセーラはぶつぶつ言いながら顔を赤く、青くした。

 サヤアーヤはまったく動じない。これが大人なんだわ、とセーラは思って、自分との差を思って泣きそうになった。

「ふふ。セーラ様。殿方というのは、女性の心をあまり分かっていない方が多いのですよ。特にリューシュヴェルド様は……不得手な方だと思われますわ。あまりこちらが気に揉む必要はございませんわよ」

「そう……なのですか?」

「謝ったところで、『何の話だ?』などと言われようものなら、セーラ様は再燃しかねませんもの」

 リューシュヴェルドが何も言ってこないならそれで終わりにしている方がいいとサヤアーヤは助言をくれた。

 確かに、セーラは考えすぎなところがある。それと同等を相手に求めてはいけないだろう。

 ——押しつけは良くないわね。

 セーラは納得して、考えることを止めた。

 小休憩を終えて鍵盤の訓練。今日は左手の動かし方を重点的に訓練し、最後に簡単な曲を弾いた。

 指は疲弊したものの音楽はやはり楽しく、もっと時間を費やしたくなる気持ちを抑えて、サヤアーヤと昼食を取った。

 いつもの日課だ。

 午後の時間は、数日前からセーラの教育という名目で、リューシュヴェルドの執務の手伝いが始まっていたが、今日はリューシュヴェルドが城で仕事があるようで、セーラは一人目録作成を進めた。

 ソイエッテのお茶を飲みながらどんどん進めていく。

 概要を書く場所だけが空いている羊皮紙は、それを見るだけで知識が紐づき、セーラが思った以上に効率が良くなったのだ。

 あの後、ゼレットはすぐに対応してくれたらしく、命令書はセーラを通さずに直接知識の館へ届けられたらしい。職員が協力的になったとネイティオが嬉しそうに言っていた。

 寝る前まで進めていけることと知識の館の職員が皆で作成してくれることで、セーラの負担も減っている気がする。

 毎日ネイティオと打合せをする時間も設けることができるため、軽微なずれや認識違いなどは都度修正が掛けられて、大幅なミスは今のところない。

 疲れることなく筆が進み、どんどん完了した用紙を積み重ねていきながら、セーラは満足そうに一人微笑んだ。

「これは、案外早く終わるかも知れないわね」

 そうすれば、リュース様のお手伝いももっとできるかもしれない、とセーラは思った。空いた時間で休む気など、セーラはさらさらなかった。

 動き続けていないと自分が存在する意義をすぐに見失うだろうということを、本能的に感じているようにも思えた。

 そうして、湯浴みの時間だとソイエッテに机から追い立てられるまでセーラは集中して目録作成をし、湯浴みと夕食を終えた後、出来上がったばかりの目録を抱えて知識の館へ向かった。

 訓練を終えたボルタークと一緒だ。

「あら、今日は少し早いかもしれないわね」

 馬車の中で六刻の鐘が聞こえて来る時が多いが、今日はまだだった。

「本当ですね。鐘が鳴り終わるまでは馬車で待機しないといけませんね」

 知識の館は、三刻から六刻の鐘までは領民に開放されている。セーラは姿を見られる訳にはいかないのだ。

 リューシュヴェルドから贈られた、レースのマントをきっちりと被りなおすとセーラは外を伺った。

 知識の館からの帰りだろうか。徒歩で坂を下りていく人が遠くの方に見える。

 外はまだ明るく、今日も夕焼けが眩しいほどだ。

「明日も晴れそうね」

 独り言のようにセーラはそう言いながら、知識の館の前で停まった馬車の中で少し待機した。

 馬車の中でボルタークの訓練の話を聞きながら暫く待つと、ようやく鐘の音が響き始めた。六回鳴り終わるのを静かに待っていると、玄関扉から数名バラバラと出て来る。

 しっかりとフードを被ったまま窓の隙間から彼らを眺めてセーラは待った。

 人の流れが一区切りしてまた少し待ってネイティオ以外の職員が出て行くのを確認すると、ボルタークの許可が出たので、馬車を降りて知識の館へ向かう。

 ネイティオ以外の職員は、六刻の鐘ですぐに帰宅する指示が出ていると聞いていた。もう、ネイティオしかいないはずだ。

 胸に目録の箱をしっかり抱えたセーラは、ネイティオと打合せする内容を頭の中で整理していた。

 ——今日はたっぷり片付けたから、ネイティオは驚くかな? もう少し、増えても私は大丈夫だけど、皆の進捗や負担を聞かなくっちゃ!

 ボルタークが御者へ指示している間、そんなことを思いながらセーラは玄関へ向かった。

「セーラ様、お待ちください!」

 気が付いたボルタークが慌ててセーラに向かおうとするのと、セーラが玄関扉に手をかけたのが同時だった。

 いつもならボルタークが扉を開けるし、セーラはボルタークを待っていたはずだ。

 この時は、恐らく目録作成の調子が良かったことと、いろいろ考えていたこと、そして少しも危ない目に合わないという毎日の移動への慣れ、そんなことが重なったのだと思う。

 簡単に言うと、セーラは気を抜いていたのだ。気を張ることをサボったと言い換えても問題がないようにも思う。

「遅くまですみませんでした! また来まーす!!」

 セーラが扉を開ける前に、バンっと大きな音がして中から男が出てきた。

 慌てて出てきたのか、セーラに勢いよくぶつかる。

「いたっ……!」

「セーラ様!?」

 ボルタークが慌てて駆け寄るが、時すでに遅し。セーラは胸に抱えた目録をばらまきながら尻餅をついてしまった。

 ボルタークが急いでセーラの前に滑り込み、痛みに顔を顰めるセーラを隠した。ボルタークがまずしたことは、セーラの心配でも抱き起こすことでもなく、隠すことだった。フードを被せたのだ。

 ——あれ……? フードを被せるってことは?

 そう、セーラは転んだ時にフードが外れてしまったらしい。

 ぶつかった男性の気配はするものの、貴族に怯えているのか声は聞こえなかった。

 ——どうしよう。見られてしまった!

 ボルタークの腰からカチャっと音がした。ボルタークが振り返って立ち上がり、剣を抜こうとしている。

「なぜ、この時間まで平民がいる!」

 ——え? 質問に武器? ダメダメ!

 セーラは慌てて、フードを押さえながらボルタークの右腕にしがみついた。

「ボルターク、待って!」

 ボルタークは真面目な男だ。そして、鍛えている男だ。こんな言葉とセーラの力で止められるはずがない。

 セーラは慌てたが、意外にもボルタークの力が抜けた。

 ——あれ?

 セーラが疑問に思いながらボルタークを見上げると、困ったような顔でボルタークがセーラを見下ろした。

「とりあえず、立っていただけますか? ここには侍女もいないのでドレスを払うことも、して差し上げられません」

「大丈夫よ」

 セーラは、肉の付いていないお尻に受けた衝撃が痛みに変わりつつあるのを感じながら、ゆっくり立ち上がって砂埃を払った。

「ボルターク、一体どうしたの?」

 セーラは男から見えないように背中側に回るよう気を付けて、ボルタークへ近づいた。

「セーラ?」

 ぶつかった後、そのまま立ち竦んでいた男は、震える声でセーラの名を呼んだ。聞いたことがある声だった。

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