第二章 加護の探究 第二十話
「リュース様。このマントをお贈りいただき、誠にありがとうございました」
朝の食堂で、セーラはにっこりと挨拶し、一周して皆に見せるとマントを脱いでソイエッテに預けた。
「似合ってますか? このドレスも素敵でしょう?」
「ああ、まあいいんじゃないか」
素っ気ないリューシュヴェルドの言葉に、内心ムッとしながら、でも予想通りだった反応に平然を保ったままセーラは席に着いた。
数日経って、リューシュヴェルドが夜遅く戻ったことを、セーラは翌日の朝にゼレットから聞いた。
朝食をともに、とのことだったのでこうして馳せ参じたわけである。
先日出来上がった水色のドレスとマントを羽織り、ソワソワを隠さないまま聞くセーラを見て、リューシュヴェルドは顔色を変えず、グレンフィードは肩が揺れるほど笑いを堪えていた。
「いや、しかし、見違えたな。どの御令嬢より垢抜けて見えるよ」
グレンフィードが精悍な顔に笑みを乗せて褒めてくれる。セーラは嬉しくなって、わざとらしく姿勢を伸ばした。
「古く、そして新しいデザインなのです。マダム・ペレットのお陰ですわ」
「セーラが華奢だからより映えるのだろうな。古の美と新鮮さの美の融合のような……」
「……グレンフィード様、サヤアーヤ先生から聞いてましたね?」
うんうん、とさも知ったような口を利くグレンフィードに、セーラは口を挟んだ。どこからどう見ても騎士然としたグレンフィードに、そのような美の機微は似つかわしくない。
「ばれたか」
片方の眉を上げて、グレンフィードはすぐに認める。
ゼレットがくすくす笑いながら、サヤアーヤの報告と交渉について話してくれた。
あの後、グレンフィードを通して、城でドレスお披露目の交渉をしてくれたのだ。素早い行動である。
「サヤアーヤ様は、興奮なさってはいましたが、もうお披露目時の想像ができているようで、それはもう事細かに説明なさってくださいました」
「ゼレット、姉上が失礼したな」
「とんでもない。セーラ様の魅力を余すことなく広めるために教師という立場を超えてご尽力いただき、感謝しております」
「セーラは誑し込むのが巧いな。その年で既に魔性とは」
「ええっ?! 私、魔女ではありませんけど」
瞬時に魔女の物語を思い出し怯えた声で言うセーラに、黙って聞いていたリューシュヴェルドが、ぶっとスープを吹き出し咳き込んだ。
「リュース様、大丈夫ですか?」
セーラが驚いて心配すると、リューシュヴェルドはナプキンで口を拭いながら「誰のせいだ」と口の中で文句を言う。
「ごめんなさい」
なぜ謝らないといけないのかまったく理解しないまま、とりあえずセーラは謝罪した。もちろん、セーラが理解していないことは周りにも明白だったが、リューシュヴェルドは問い詰めなかった。
「セーラ、サヤアーヤの教育はどこまで進んでいる?」
リューシュヴェルドは話を変えた。
「えーっと……。これから芸術や舞踏について訓練の幅を広げていくとは聞いています。まずは姿勢を保つ訓練にも繋がるので、舞踏から始めるとか」
「そうか。サヤアーヤの報告通り訓練速度が速いな」
「でも、私は舞踏の経験がまったくないので、少し緊張しています」
「ふむ。舞踏や楽器は、続けることが大事なのだ。求められるのはあくまで一般的な標準レベルのものであって、玄人の踊り子になることではないからな。あまり気負うな」
「ありがとうございます。少し楽になりました」
リューシュヴェルドの優しさが見えて、セーラは嬉しくなった。笑顔を見せて、頑張ることを表明する。
「君は簡単だな」
「ええ?」
感謝した瞬間、貶された振り幅に驚いてセーラが反応する。
「酷くないですか?」
「まあ、食べなさい」
眉を吊り上げたセーラがテーブルに目を落とすと、リューシュヴェルドが差し出したのは干し棗が入った皿だった。
「わあ。ありがとうございます」
干し棗は初めて食べた時から目が無いのだ。
幸せそうに口に入れるセーラを見て、リューシュヴェルドがまた言った。
「ほら、簡単だ」
んぐ……、と喉に棗が詰まる。
——くそ。しくじった。
およそ淑女らしからぬ口調で心の中で毒づくと、セーラは棗を一生懸命飲み下した。
鼻先を心持ち上にあげてセーラは言い返す。
「では、難しい女性の方が好ましいということでしょうか。難が多いと大変かと思いますが」
「簡単だ、と言っただけだ。好ましくないとは言っていない」
「では、簡単は好ましい、ということでしょうか」
「ああ言えばこう言う……屁理屈をこねるな」
「まあ! でも簡単だから悪い、というように聞こえたんですもの」
少し眉が八の字になる。
「……すまん」
リューシュヴェルドが根負けして謝った。グレンフィードは謝ったリューシュヴェルドに驚きつつも、「やっぱり魔性だ」と笑ってセーラを評した。
本音でしか話していないセーラには、何が『魔』なのか分からない。知識に出てくるような他人を惑わせるような何かがあるとは思えないからだ。
セーラは不本意な顔を隠さないまま、話をそらした。
「そう言えば、ご相談があるのですが」
「なんだ?」
「お披露目までに目録が終わらない可能性が高くて、どう進めたらいいかと思案していたのです」
「そうだな。蔵書量が多いから確かに難しいかもしれないな」
「それに、私は全て得ているからすぐに作成できますけど、他の方だと一度目を通さねば概要を書くのは時間が掛かりますし……」
「今どのくらい掛かっている? 私のとは別にして、知識の館だけと考えればどうだろうか」
「現在、一刻弱で六、七十冊は作成できています」
「……早いな」
リューシュヴェルドが驚いた。
「分かっていることを書くだけですから」
澄ました顔でセーラは返答する。最初はそんなにできなかったのは伝えない。試行錯誤しながら効率が良くなり、書く速度も速くなり、どんどんと冊数は増えていったのだ。これはこれで、セーラは一つの達成感を味わっているのである。
リューシュヴェルドが思案顔をしている間に、セーラは相談を続けた。
「あの、慣れてきたので少しやり方を変えてもいいですか?」
セーラは、知識の館に行く時間は目録作成の本を選ぶのみに留め、ネイティオと進捗の共有や新しく入ってきた本の話などを行いたいこと、実際の目録は別邸の午後の空き時間を使って進めることなどを説明した。そうすれば、寝る前まで時間が使えるしネイティオとも時間が取れる。少しは手伝ってもらえるかもしれない。
「好きにしなさい。ただ、無理はしないように」
リューシュヴェルドの許可はあっさり出た。
——今日はネイティオと話をしよう。
朝食と報告を終え、リューシュヴェルドは城へ戻り、セーラはサヤアーヤとの訓練で別の部屋へ移動した。
今日は舞踏の練習だ。
男女が一緒に踊るという社交界で必要なことなのだが、初めてのことなので、セーラは緊張しながら向かった。
「ボルターク、大丈夫かしら?」
後ろから護衛で付いてくるボルタークに、セーラはふと不安を零した。
「何がですか? セーラ様は大事な言葉が時々漏れています」
「あっ、舞踏の練習よ! ごめんなさい」
セーラは顔を赤くして素直に謝った。頭の中で考えている続きを言葉に出すから、理解し合えていると勘違いしがちだ。
「大体、リューシュヴェルド様にも文句は言うし、これ以上こちらが肝を冷やすようなことはやめていただきたいもんですね」
「あら、案外怖がりなんですね」
セーラはしれっと言い返した。
「セーラ様が図太いだけでしょう」
「で? 舞踏のお話はどこに行きました?」
二人で少しクスクス笑いながら歩いていると、回答を待たずに部屋についてしまった。
扉を開けながら、ボルタークは一言「大丈夫です」と言った。
少し安心して、既に部屋にいたサヤアーヤに挨拶する。
「おはようございます、サヤアーヤ先生」
「おはようございます、セーラ様」
優雅なお辞儀をした後に、サヤアーヤは、まず動きを見るという訓練を行うとセーラに告げた。
「セーラ様は舞踏を実際には見たことが無いのでしょう? 知識の加護をお持ちですけれど、実際の動いているものから取得できるのでしょうか」
セーラはきょとんと首を傾げた。
「試したことはないですが、なぜでしょう? 舞踏をするのにそこまで知識が必要でしょうか?」
サヤアーヤは大きく頷いた。
「もちろんですわ。頭で描いた通りに身体を使うのです。いくら身体を使っても、頭で描けなければ覚えは悪くなりますわ。そして、頭で描けても身体が鍛えられないとその通りに動かないものなのです」
どちらも大事なのだ、とサヤアーヤは言った。
確かに、セーラは経験と知識はどちらも大切だと先日気が付いた。それと似たようなことなのかも知れない。
「セーラ様は私の姿勢を頭の中で真似ながら、一度見てくださいませ。ボルターク!」
「え?」
サヤアーヤに名を呼ばれたボルタークは慌てて扉前から間抜けな声を出した。予想していなかったに違いない。
「私のお相手をお願いできますか?」
「……はっ」
まさか、自分が舞踏を行うなど思っていなかったのだろう。少し硬い声で返事をすると、ボルタークはサヤアーヤを部屋の中央にエスコートした。
——まあ、嫌だと思っている顔が隠れていないわよ、ボルターク。貴族としては如何なものかしら?
セーラはくすくす笑いながら、目で二人を追った。
ボルタークはセーラを睨め付けると、すっと目を逸らしてサヤアーヤに一礼した。
舞踏も礼から始まるようだ。サヤアーヤもそれに返礼してお互いの手を取り、ボルタークはサヤアーヤの腰に手をまわした。目線でタイミングを合わせ、足を動かし始める。
——わっ! 大人~!
セーラは口元を両手で覆い、少し鼓動が速くなるのを感じながら二人が動き出すのを食い入るようにして見る。音楽があれば、より美しいだろうとセーラは思った。サヤアーヤが足を捌く度に揺れるドレスも美しいし、ボルタークが少し生真面目すぎる動きではあるものの、女性をリードしているのがいつも以上に素敵に見える。
姿勢を伸ばして、サヤアーヤの腕の形を真似し続けながら、セーラは頭にインプットしていった。本や書物を得る時とは違って、光ったりすることはなかったが全て入っていくのが分かる。
何度も見なくても、足を動かす順番、動く方向、体重の乗せ方など頭に焼き付いた。
——そういうことか。
セーラはもう一度、サヤアーヤの腕の形を真似して姿勢を正してみる。しかし、サヤアーヤの様に身体を動かそうとしてもすぐには動きそうにない。むしろ、ただ形を固定しているだけなのに既に腕が怠くなってきている。
——だから、訓練はやっぱり必要なんだわ。
二人が踊るのをやめ、少し息を上げながらセーラに近づいてきた。
「素晴らしかったですわ。見せていただいてありがとうございます」
セーラが微笑みながら二人に感謝を述べると、サヤアーヤは「それで?」と尋ねた。
「セーラ様、覚えられましたかしら」
「ええ。既に入っております」
セーラが胸を押さえながら言うと、ボルタークもサヤアーヤも目を瞠った。
「まあ……。一つ一つ動き方を教えなくていいなんて、こんな楽な生徒はいませんわ」
サヤアーヤが頬に手をやって、ほうっと溜息をついた。
「あっ先生。でも、やはり訓練は必要ですわ」
「ええ、そうでしょう。でも、基礎体力を上げるのが一番先ですわね」
サヤアーヤはそう言って、セーラに踵の高い靴を持ってきた。このような繊細な踵の靴を履くのは初めてだ。
「舞踏をする時は、このような靴を履くことが多いのです。足元がきれいに見えて、足が長く見えますから。セーラ様は背が高いのでもう少し低くても宜しいでしょうが、こちらで慣れていきましょう」
何足か合わせてみて、足の大きさに合った靴を履いてセーラは立った。目線が高くなる。姿勢も自然と伸びるようだ。でも、歩くのが難しい。
「わっ、先生! 歩けません」
「セーラ様、歩き方の練習をした時と同じですわ。身体の中心が重要です」
そして、まずは歩くことから始まった。
「ああ、腕は先ほど私の真似をしてくれておりましたね。訓練終了まで上げたままにしてください」
「えっ?!」
「セーラ様……」
「いえ、かしこまりました」
——腕、真似しなきゃよかった。どこもかしこも既に痛い……。
セーラは半泣きになりながら、舞踏とは程遠い訓練に必死についていった。




