第二章 加護の探究 閑話 -2-
「よく来たな。掛けてくれ」
リューシュヴェルドは、襟元を少し崩し、足を組み替えながら対面の席へ手を伸ばし案内した。
「誠にありがとうございます」
柔和な笑顔で完璧な挨拶をするのは、サヤアーヤだ。
天気が良く、本日は食堂横の掃き出し窓から出たテラスで昼食を取ることにした。
庇で日除けができているのと心地良い風があるため、暑くなってきてはいるもののまだ夏本番ではない今は、天気さえ良ければ外での食事は気持ちの良いものだ。
先ほどは執務室でセーラの動向に集中していたが、今は少し落ち着いている。
——あいつは何だ? どんどんと顔色が悪くなるし。そもそも、大丈夫じゃない大丈夫ほど手に負えないもんはないな。
しかし、大丈夫じゃないということが分かっているにもかかわらず、話を続けた自分に責任があることは重々分かっていた。
——なるべく別邸に来るようにした方がいいかもしれないな。時間がないからと、無理をさせるべきじゃないだろう。気を張り詰めているはずだ。
昔の自分がふっと過ったが、目の前のことに集中した。
ゼレットは給仕をしながら傍におり、グレンフィードは本日は姉ということもあって一緒に食事を取っている。この後送っていく手筈になっているからだ。
テラスの外は、一段低い場所に城まで続く庭が広がっており、見渡しは限りなく良い。だが、グレンフィードは、慣れた場所でも危険に対する確認は抜かりなく行い、最後に席に着く。
食事を取りながら、セーラの初級訓練について報告を受けた。
「セーラ様は何でもすぐに吸収されて、人の何倍も速い速度で身に着けておりますわ」
「やはり、知識の素地があるからだろうか」
サヤアーヤは頷いた。
「ええ。セーラ様は一度教えたことは一度で理解します。それに、教えたことだけではなく、その関連知識も身に付いているようですわ。ただ、それだけではないのです」
「それだけではない?」
サヤアーヤは、少し真面目な顔をしてリューシュヴェルドと弟を見た。
「できるようになっても繰り返し納得するまで、必ず訓練を続けるのです。好奇心旺盛なところは知識の吸収に役立っていると思いますが、あの集中力は技術の向上に役立っておりますわ」
「なるほど」
サヤアーヤのセーラに対する評価はとても高かった。ボルタークやソイエッテからは厳しく指導を受けていると聞いていたが、身にはなっているようだ。
確かに、来た時のおどおどと揺れる目で辺りを伺っていた少女を思い出すと、姿勢を伸ばして真っ直ぐリューシュヴェルドを見るセーラは、見違えるようだ。
サヤアーヤはくすくすと笑いながら、「ただ」と付け加えた。
「セーラ様は、集中しながら頭の中では別のことを考えているんですのよ。何だか集中していないように聞こえるかもしれませんが、そうではないのです。これが加護の力かしら?」
「なぜ分かる?」
「それは、リューシュヴェルド様もご存知でしょう。顔に全部出るからですわ」
「……ああ」
リューシュヴェルドは少し頭が痛くなった。
グレンフィードも同じように痛そうな顔をしている。
「姉上、それは私でも分かります。村へ調査に言った時の感情の発露には驚きました」
「まあ」
すらりと伸びた指先で口元を隠しながらそう言うサヤアーヤだけが、笑みを崩さない。
「サヤアーヤ、感情の制御は淑女教育に必要だとは思うが、制御は可能だと思うか?」
サヤアーヤは少し首を傾げながら、「そうですわね」と考えた。
「セーラ様ご自身も、指摘する度に気が付いて直そうと努力なさっているのですが……。正直に申しても宜しいでしょうか」
少し口籠りながら尋ねる言葉に、やはり難しいのだろうか、とリューシュヴェルドは思いながら許可を出した。
「彼女のくるくる変わる表情と、そこから思っていることが漏れていることは、確かに弱点です。そして、思った以上に世間知らずで素直なので、付け入ろうと思う賢しい人間には簡単に手玉に取られてしまうでしょう。感情の制御が重要なことは私も分かった上でのお願いなのですが、無理に制御させない方向で守る術は、ないのでしょうか」
「制御を習得することはできない……と言うことだろうか?」
サヤアーヤの力を持ってしてもできないとは、何たる多情多感なことか。
リューシュヴェルドは大きくため息を吐いた。思わずこめかみを揉みしだいて痛みを押さえる。
——何といっても、私にも制御不能だったのだからな。嬉しくても泣くから訳が分からない。
サヤアーヤは首を振った。
「いいえ、違うのです。成長が伴えば、ある程度は可能にはなるとは思いますわ。ただ、私、セーラ様の感情の豊かさにとても救われているのです。あの真っ直ぐさは、それこそ稀有なものと思うのですわ」
サヤアーヤは、セーラの様子を思い浮かべたのか、瞳を輝かせてまるで憧れるようにため息をほうっと一つ吐いた。
「姉上や、貴族の令嬢には真似したくともできない、というところでしょうか?」
グレンフィードが、サヤアーヤの表情を見て疑問を呈する。すると、サヤアーヤは表情を引き締めた。
「味方もできるでしょうが、出る杭は打たれるものと相場は決まっているわ。目を引かれるセーラ様を悪し様に思う方も多いでしょう」
グレンフィードに告げると、貴族の令嬢方を思い浮かべたのか、少し嫌そうな顔でグレンフィードが「それはそうだな」と、首を振った。
——確かに、サヤアーヤの言うことも一理ある。あいつが翡翠色の輝く目でこちらを真っ直ぐ見る時は、こちらも見入ってしまうからな。押さえつけて輝きが消えるのは、加護の力を守るとは言えないかも知れない。
ふむ、とリューシュヴェルドは考え込んだ。
どのようにするのが最適か。セーラを守ることができて、かつ自分の利になることに繋げるように、リューシュヴェルドの頭は忙しく動き出す。
「そして、あの容姿ですもの」
リューシュヴェルドが考えている間にもサヤアーヤの話は止まらない。
「輝く白金のような髪と、あの瞳。磨けば磨くほど、どんどん美しくなるでしょう。村ではどのように過ごしていたのか聞きましたが、皆が無知だから恐れが出たのだと思いますわ。まだ子どもですけれど、後三年もすれば……」
サヤアーヤは少し熱が出てきたのか止まらなくなっている。
グレンフィードとゼレットに聞き役を任せて、リューシュヴェルドはステーキにナイフを入れながら考える。
——あれをそのまま認めさせろというのは、なかなか無理難題だな。父上や兄上は、実際にセーラに会ってはいない。ふむ……。
実際に会って接していない限り、否を応に変えることは難しい。
——セーラは、そのままが魅力か……。これ以上秘匿の強化は、それこそ身動きが取れなくなるし、私の利にもならないしな。
リューシュヴェルドはそこまで考えると、「そうか」と言った。
皆の口が止まって、リューシュヴェルドへ注目する。
「あっ、失礼。こちらの話だ。サヤアーヤ、どうぞ続けてくれ」
少し恥ずかしそうにリューシュヴェルドが詫びると、空気を読んだのかサヤアーヤは熱を下げて話を続けてくれた。
グレンフィードとゼレットはこちらを気にしているようだ。
——逆……むしろ、そちらの方が……。
リューシュヴェルドは片方の口角を上げると、入り口から出口まで一本の道筋を付けるように組み立てていく。そのように理と利について考える時、笑顔にもかかわらず目は鋭くなり、ともすると悪巧みをしているような顔付きになるのだが、リューシュヴェルド本人はまったく気付いていなかった。
サヤアーヤは笑顔のまま自然に話を終わらせ、グレンフィードはやれやれと言った表情をしながらステーキの最後の一切れを口に入れた。
その時、庭で何かが動く音が聞こえ、グレンフィードが腰に手をやり立ち上がると「誰だ!」と鋭く言った。
「失礼いたしました。ボルタークでございます」
すぐにボルタークが現れて跪いた。
「セーラの護衛はどうした?」
リューシュヴェルドが聞くと、ボルタークが更に首を垂れる。グレンフィードは腰から手を放し、改めて椅子に座った。
「セーラ様は体調が優れないようで休まれております。私は外すように言われましたので、貧血に効く薬草がないか庭師を探しに行くところでした」
「あら? そうですの? 大丈夫なのかしら。ボルターク、私はお見舞いに伺ってもよろしくて?」
「恐らく、大丈夫かと。……私はソイエッテから追いやられましたが」
跪いたまま顔を上げ、少し困った顔をしている。サヤアーヤはそう聞くと、目を細めて少し考え、リューシュヴェルドへ向き直った。
「リューシュヴェルド様、大変美味しくいただきました。誠にありがとうございます。セーラ様が少し心配ですので、私はこれで失礼してもよろしいでしょうか」
「ああ。もちろんだ」
「姉上、私も行きます」
グレンフィードがナプキンで口を拭うと一緒に立ち上がった。その言葉に、サヤアーヤは首を横に振る。
「いいえ、貴方は馬車の用意をしておいてくださいな。それではリューシュヴェルド様、セーラ様のことは良きようにお計らいくださいませ。失礼いたします」
見透かすようなサヤアーヤの言葉に、リューシュヴェルドは苦笑しながら頷き、見送った。
グレンフィードがサヤアーヤを送っている最中、リューシュヴェルドは執務室で一人、考えていた。
セーラの、家族のことだ。
というよりも、家族に会いたいとセーラが言った時に、涙を流したことがリューシュヴェルドの胸に刺さっていたのだ。
自分でもなぜ泣いているのかわからず、驚いたように大きく開いた目に溜まったいっぱいの涙が、リューシュヴェルドの目に焼き付いていた。
——私は、保護すると言いながら引き離したのだ。いや、しかし……。
それでは、村で隠されたまま彼女の望みである『自由でいたい』、『世界を見たい』のは叶わない、とそう自分を納得させてはいたが、やはり、それとこれとは違うのだ。
どちらも本当というのは良くあることだ。
——さて、何とかできることはしてやらねばならないな。
彼女を思うように使いたいなら。
——そう、そういうことだ。
リューシュヴェルドが手にしているのは、南の村の収穫高だった。
セーラが、果物は南の村も負けていないと棗を食べながら話をした時に、気づいたことがあった。
——しかし、手配に少し時間が掛かるか……。
頭の中で色々と算段を付けていると、グレンフィードが疲れた顔で戻ってきた。
「どうした? 大丈夫か?」
「いや、大丈夫です。姉上があんなにセーラを気に入っているとは思わなかったので」
女は話すと長いから、などと愚痴を言いながら椅子に腰を下ろした。
遅れてゼレットが入ってきた。
リューシュヴェルドは執務机に肘をつき指を組むと、「少しセーラのことで話がある」と言った。
グレンフィードは慌てて立ち上がり、ゼレットとともにリューシュヴェルドの前に素早く移動した。
「セーラは、一年後、平民にも披露することにする」
「えっ?」
二人が驚いた。秘匿することから一転、セーラの存在を明るみに出すという真反対の考えだからだ。
「サヤアーヤの話を聞いたろう。『知らないから恐がる』と。加護の存在含めて民に公表し、領主が証明することで、セーラの存在が正しいものとなる。そうなれば前回の方向性よりも、表向きはそれこそ領を挙げて守らねばならない存在になるだろう。全てを隠して主導権を握ることより、利が大きいのだ。無論、これはセーラにまだ言わなくていい。父上も口説かねばならないしな」
「はっ」
「何を隠して何を表するか、この辺りの詰めは、セーラの成長具合にもよるし、まだ固定させない方がいいから、恐らく今後も変わるだろう」
二人は、今後も変化があることに納得して頷いた。状況に応じて結論が変化することは往々にしてあることだ。
領民への開示。リューシュヴェルドは、サヤアーヤの話からそのように結論付けた。
そうなのだ。セーラは、誰のどの報告を聞いても、誰にも嫌われていないのである。むしろ、平民であるという事実を知っているサヤアーヤもだ。
サヤアーヤが言う通り、敵も多いだろう。それでも、守りの目が多いに越したことはない。
リューシュヴェルドが付きっ切りで傍にいるわけにはいかないのだ。
「それから」
リューシュヴェルドは続けた。
「グレンフィード、セーラの両親に召喚状を出すのはいつだったか?」
「はっ、夏の仲月の五の日です」
セーラが家族を思いだして泣いた後、リューシュヴェルドはグレンフィードに近況報告を代筆させた。まさか自分が書くわけにはいかなかったからだ。
「それまでに、まとめておきたい話ができた」
そう言いながら、手元の書類をゼレットに渡す。
「商業ギルドに交渉して欲しいのだ。第二公子の名で」
「なんでしょう? これは……、南の村の作物の情報でしょうか?」
グレンフィードも横から資料を覗き見た。
「そうだ。南の村は特殊で、南方の警備と引き換えに徴税官を派遣しない。税金は南の村が商業ギルドへ作物を販売し、その価格の内、決められた配分で領に収められているという特殊な現状がある」
「はい」
「その内、果物については、商業ギルドを通さず私が直接買い付けたいのだ」
「なるほど、南の村と接点を持ちたいということでしょうか。しかし、それをすると商業ギルドから奪うことになるのでは?」
流石に長い付き合いのゼレットは、リューシュヴェルドの意図するところを理解するのが早い。
「いや、敵にはしたくない。仮にもアランディア領の商業の中核を担っているのだ。……噂によると、ギルド長は話の分からぬ男ではないが、利には聡いと聞いている」
「私も存じてはおりますが、確かに」
ゼレットが頷きながら、納得した。
「それでは、こちらが少し損しても構わない。ワガママ第二公子に免じて、話を付けてくれ。第二公子は南の村の果物を食して大好物になってしまった、とな。……ひと月あれば大丈夫か?」
ゼレットがくくくっと肩を震わせながら、「承りました」と一歩下がると、リューシュヴェルドはグレンフィードを見た。
「召喚状を作成したら、ボルタークを使いにする。彼はセーラの父親の顔は知っていたな?」
「はっ。私から話をしておきます」
リューシュヴェルドは、話を終えかけて、あっと右手を挙げた。
「セーラには」
そこで、なぜか少し二人から視線を外した。リューシュヴェルドにはあまり見られない仕草だ。
「私から言う。時が来たらな。それまでは言わないでくれ」
最後は、命令というよりもお願いのようにも聞こえた。
二人は、何も言わずに通常の命令通りに拝受した。
少しの変化が、少しのぎこちなさを生んだ。
しかし、グレンフィードにもゼレットにも、もちろん、リューシュヴェルド自身にも、悪い兆候だとは露ほども思えなかった。
——むしろ……。
むしろ、この居心地の悪さが、新しい流れが入り込んだ爽やかさをも感じさせるかのようだった。




