第二章 加護の探究 第十六話
それ以上何も言わず、リューシュヴェルドは戻ってきて席に着き、皆をそれぞれ見た。ボルタークもだ。
離れた場所からリューシュヴェルドに見られたボルタークは、姿勢を正す。
「それでは、今後のセーラの方向性について、決まったことを報告しよう」
頬杖をついて、口元を隠し、セーラを最後にじっと見ながらそういうリューシュヴェルドの視線に、セーラは戦々恐々としながら、頷いた。
一同が見つめる中、リューシュヴェルドはゆったりと足を組んで深く座り直すと口を開いた。
「まず整理をしたい。城内で、セーラについて知っている者は、領主、次期領主、騎士団長と近衛騎士隊長、宰相だ」
「わっ! 結構いらっしゃいますね!」
セーラは、次々出てくる重要な役職名に背筋が伸びた。自分の人生で、当然関わることがないと思っていた雲の上の人たちだ。噂程度に話に上るくらいで、セーラが生活をする上で気にするようなこともなかった。
だが、そんな人たちがセーラのことを知っているという、その事実だけでも緊張が走るのは当然だ。
——でも、よく考えなくても、ここにいる人たちも一緒だわ。私が加護持ちじゃなかったら、目を合わせることも許されなかったはずだもの。
セーラは、自分があり得ない環境にいることを改めて感じていた。
リューシュヴェルドは、そんなセーラの驚きを余所に続けていく。
「それで、別邸においては私、グレンフィードとゼレット、ボルタークだな。平民で加護持ちであることのみ、ソイエッテとサヤアーヤ。知識の館のネイティオ。それから、最低限の情報のみに制限して別邸の下働き、それから……後は、服飾職人もか」
ゼレットが胸の前で小さく手を挙げた。
「リューシュヴェルド様。見習いのヒースリーは下位貴族です。恐らく、彼は気付いているとは思いますが、全員にセーラ様の滞在自体、他言禁止であることを伝えております」
「分かった」
リューシュヴェルドは頷き、全員を見回した。
「それ以外はいないということで認識を共通とする。良いな?」
皆がそれぞれ頷く。
「城で打ち合わせた結果だが、まずセーラの一年の淑女教育後に披露目をすることは変わらない。これはこの前言ったとおりだ。花冠の議が初披露の日となる」
これも皆が頷いた。
「その際、出自が平民であることは伏せられることとなった」
「え?! 平民でも侮られないように淑女教育を、というお話ではなかったでしょうか?」
セーラは、自分が頑張っていることが霧散してしまうのではないか、と危惧して少し声を大きくした。
「ああ。その影響力についてあらゆる側面から、宰相を筆頭に想定しなおしたのだ。当初は、領主の膝元で披露してしまえば認めざるを得ないと思っていたのだ。披露後は、自身が悪であると露呈してもいい愚か者しかセーラを狙わぬだろう、セーラに対して権利を主張できる者はいないだろう、とな」
リューシュヴェルドは軽い調子で答えたが、セーラは慄いた。
——あれ? そういう人がいたら、私は危険なままじゃない?
「……セーラ、顔に出ている。まあ、君が思う危険は、領主一族であれば往々にしてある危険と変わらぬ。多くの者に知られるということは、それ相応に危険度は増すということだ」
「リュース様にも危険が?」
「まあ、無くはない」
「だからこうして私のような専属護衛がいるんだよ」
グレンフィードが横からセーラを安心させるように口添えをした。
——なるほど。考えてみたらそりゃそうか。そこに自分が加わっているっていうことが想像できないだけで……。
セーラは、置かれた環境に慣れないまま、理解しようと微笑んだ。
「分かりました」
「セーラは、誰にも付け入る隙を与えないよう淑女教育は続けるように」
「隙、ですか?」
「ああ。簡単に言うと、弱点だな」
「あっ、そう言われれば分かります。そうか、今の私は弱点だらけってことですね」
「そういうことだ」
「確かに、リュース様に弱点はなさそうですね」
リューシュヴェルドは視線を下げて片方の口角をくっと上げると、セーラの言葉には返答せずに続けた。
「しかし、セーラの努力では敵わない弱点を突かれる可能性が浮上したのだ」
ゼレットが首を傾げた。
「どういうことでしょうか?」
「神殿だ」
セーラ以外の皆がはっと顔色を変える。
神殿とは、鐘を鳴らしている村の教会のようなものだろうか。そういえば貴族街に神殿があり、そこに加護持ちについての書物があるとリューシュヴェルドが言ったことを、セーラはふと思い出した。
「リュース様、神殿が私にどうかかわるというのでしょうか。知識と想像が結びつかないのですが」
「ふむ。神殿は、領主に仕える民とは違い、神に仕える者たちが集う場所だ。そこで神に礼拝し、花冠の議、冠の議や婚儀、葬儀などの重要な儀式を執り行い、民を導く役割を持っている。王都のすぐ傍に小さいが神殿領があり、教皇がいることは君の知識にもあるだろう?」
「はい、ございます」
「神殿領の大神殿を頂点として、各領に神殿が、そして街や村に教会があり、それらは独自の繋がりが存在している」
「知識には、俗世にいる人間が干渉できないとあります」
「そうだ」
「難しいですが、私の村にも教会がありました。ただ、神官はいなかったので良く知りませんでした」
セーラは天井を仰ぎ、うーん、と言いながら考えるが、どうにも自分と結びつかない。南の村では、村人が運営する、一つの施設と言う認識だったからかもしれない。
「では、理解するように。神殿は、加護持ちを抱え込みたいのだ、と」
「そうなのですか?!」
「ああ。そもそも精霊は神が創り給う存在だ。そして、精霊の加護を得た者は、神に近しい存在と言えるだろう。それを抱え込むことによって、神殿の力にしようと考えることは想像に難くない」
リューシュヴェルドはセーラに分かりやすいように詳しく説明した。
アランディア領は特殊だった。アランディアの創設者が加護持ちで、かつ領主であったからだ。
つまり、アランディア領の中では独自の繋がりを持つ神殿よりも、精霊の加護を受け、知識の館を作り、結界という人の理の外の力を持つ領主に力があった。
しかし、戦争という苦難を経験した人々は皆、神に救いや導きを求めたし、神殿も力が十全に発揮できていたため、関係性は良好であったのだ。
知らず知らず、セーラは音を立てずに拍手をしていた。
「どうした?」
リューシュヴェルドが、右目を細めてセーラを見る。
「いえ。頭にあるどんな知識より解りやすくって、素晴らしいです! もっとお教えいただきたいです!」
「……また今度な」
片手で両こめかみを揉みながら、リューシュヴェルドは呆れ口調でおざなりに答えた。
横でグレンフィードの肩が震えている。
そんなグレンフィードを、疲れた顔で一瞬見やると、「続けるぞ」とリューシュヴェルドは言った。
「しかし、最近そこの司教が変わったらしくてな。どうも他国と通じた挙句に凋落した貴族の家系の者らしい。私が王都に行っている間の出来事で、そこまで推察することができなかったのだ。その司教は、政治に返り咲きたいという欲が強いらしい」
セーラ以外は、皆理解しているようで、頷きながら難しい顔をしている。
——つまり、精霊の加護を持つ私を取り込むことで、自分の権力を誇示したい、とそういうことかしら? え? どうやって?
「加護持ちを抱えている自分こそが領主に相応しいとでも言いたいんですかね?」
セーラは、考えていることがそのまま口に出てしまった。
慌てて口を押さえて周りを見ると、どうやら間違ってはいないようだ。
「ふむ。分かってきたようだな。そういうことだ」
リューシュヴェルドが右肘をテーブルに置き、顎を支えながらニヤッと笑う。
セーラはしかし、首を傾げながら考えた。
「でも、なんでそんな権力が欲しいんでしょう? その権力をどう揮うかが重要でしょうに」
リューシュヴェルドは黙って、セーラをじっと見つめた。
グレンフィード、ゼレットもだ。ボルタークは少し驚いたような顔をしている。
「えっ? 私、何かおかしいこと言いました?」
セーラは目を大きくしながら皆を見回す。
「いや、その通りだ」
リューシュヴェルドが首を振った。
「まあ、そのことは重要ではなく、危険なのが、独自の連絡網と情報収集手段があるということだ。君が平民だと分かれば、南の村へ行きつく可能性が高い。平民だが領主の保護にあるというだけでは足りなくなったのだ」
セーラは、村の話が出てきて一気に顔が引きつった。
「それは困ります!」
「我々も困る」
素直に共感されて、セーラは言葉に詰まった。
「うっ……。それで、平民であるということは秘密と言うことになったのですか?」
「そうだ。その他にも色々回避のために検討していることはあるが、それは披露目後の話だ」
セーラにできることは、これまで通り別邸で訓練に励むことに何ら変わりはなさそうだ。
「かしこまりました」
セーラは話が終わったと、もう一度干し棗に手を伸ばした。
「そんなに好きか?」
「はい」
にっこりと笑うと、リューシュヴェルドも干し棗に手を伸ばしながら言った。
「私もだ。ゼレット、倍、用意しておくように」
「承知いたしました」
「ではセーラはそろそろ戻りなさい。顔色がひどくなっているようだ」
セーラは自分では気づかなかったが、そんなに酷い顔になっているのだろうか。
両手で頬を触りながら、大丈夫だと改めて表明した。
「あっ、一つ言い忘れてました!」
立ち上がりながら、セーラは思い出した。
「マダム・ペレットを呼んでいただき、ありがとうございました」
きっちりと礼をしたつもりだが、少しふらついてしまう。
——あれ? おかしいな。
そう思いながらも、大丈夫だと言い聞かせてセーラは退出した。
「大丈夫ですか?」
廊下を歩いていると、ボルタークが後ろから声を掛ける。
「え? 私おかしい?」
「いや、体調が悪そうです」
「顔、変かしら?」
「唇まで血の気がなくなってますよ」
確かに、立ち上がって歩き出してから、というよりもリューシュヴェルドの話への集中が途切れてから、怠さが急激に増してきた。身体の中の方が、途轍もなく怠い。
「ちょっと、身体が怠いみたい」
「失礼します」
ボルタークがそう言うと、セーラを抱きかかえた。
「えっ?! ちょっ!」
初日のグレンフィードのようだ。
そのまま足早に部屋まで戻る。
すぐに部屋に着くと、ソイエッテが驚いた顔をした。
「まあ、大丈夫ですか?」
見ただけで体調が悪い顔になっているようだ。
「……大丈夫」
ボルタークに降ろされた後、部屋についてほっとしたのか、セーラは怠さに目が回ってきたのを感じた。
「ではないですね」
そう言いながら、ソイエッテがセーラを支えに回った。セーラが思わず姿勢を緩めると内腿に何か痒みのような感覚が走り、そのことに驚いて蹲ってしまう。
ボルタークが駆け寄ろうとしたが、ソイエッテがそれを押しとどめた。
「ボルターク、少し外に出ていてもらえますか? 着替えをさせていただきます」
「しかし……」
渋るボルタークを扉の外へ追いやって、ソイエッテはセーラの傍でしゃがみこんだ。
「セーラ様、もしかして月の物が来たのでは?」
セーラは顔が赤くなる。
「私、今まで無くって……これがそうなの?」
ソイエッテは目を見開いた。
セーラはもうすぐ十五の議を迎える年齢だ。カナエなどは十になる頃には始まっており、時折セーラに愚痴を零していたことをセーラは思い出した。
女性には皆訪れる試練だということは村にいる時から知っていた。しかし、セーラにその兆候はなく、そこも人と違うのだろうとセーラは楽天的に捉えていたのだ。
「失礼しますね」
ソイエッテは、セーラを立たせると着替えを進めた。スカートを捲ると、下着の内腿部分が赤くなっている。
「ひゃあ!」
セーラは顔が赤くなったり青くなったりしながら、初めてのことに戸惑っていた。
——これが、カナエが言っていたしんどいアレだ。私、こんな恥ずかしいことだとは思わなかったわ。
なぜ恥ずかしく思うのかもよく分からないまま、涙目でスカートをぎゅっと握りしめて動けない。
「布を用意いたしますね」
ソイエッテはすぐに布をあてがい、湯で濡らした清潔な布で汚れた身体を拭いてくれた。
「あ……ありがとう」
「いいえ。誰もが経験することですから。このままお休みください」
着替えたセーラをベッドまで誘導すると、ソイエッテはカーテンを閉めた。
——はあ。身体の奥が怠いって、お腹だったんだわ。
カナエから聞いた話と、知識と自分の症状が紐づき理解したことで、セーラは落ち着きを取り戻していた。
——血が足りないのは、これが原因だったのね。顔色が悪かったのも。
セーラはふと思って、カーテン越しにソイエッテに尋ねた。まだ気配がしていたからだ。
「服は汚れていない?」
「下着だけでしたよ。ご安心ください」
「そう、良かった。あと、皆に顔色が悪いと言われたのだけれど、なんて言えばいいのかしら」
「貧血でした、とお答えなされば良いかと。月の物であることを言う必要は一切ございません。殿方も聞きたいことではないでしょうし。ボルタークにはこの後そう伝えて戻ってもらいます」
「そう。ソイエッテ、ありがとう。その……ソイエッテも月に一度あるのでしょう? 大丈夫? 私そんなことまったく思い至らなくって」
「問題ございません。セーラ様も、そのうち慣れますわ。後ほど痛み止めの薬草をお持ちします」
ソイエッテは、まったく大変な様子もなく普通に片づけをして部屋を出て行った。
セーラは、頼れるソイエッテが頼れるような主になれますように、と祈りながら、薬草を待たずに意識が眠りに引っ張られていくのを感じていた。




